2014年02月

2014年02月27日

義兄の旅立ち

大切なお友達を送ってその悲しみも癒えぬというのに、「朝起こしに行ったら義兄が亡くなっていた」という知らせを受けました。もう高齢でしたし、少し認知がすすんでいるとは聞いていましたが、お加減が悪いなんて全然聞いていませんでしたから、本当にびっくりしました。
すぐに駆けつけようと思いましたが、「検死に時間がかかっているのでまだ仏様は自宅に帰っていない」ということでしたので、夕方まで待つことになりました。検死に時間がかかることも大雪のせいで、担当の病院の対応が出来ていなかったようです。



出棺葬祭場








そしてこれもまた、想像ですがご近所の皆さんも大雪でお仕事を休まれたりしたからでしょう、「通夜・告別式を土・日に」ということで、急遽通夜は22日土曜日・告別式は23日ということになりました。そしてこれもまた、大雪のせいで火葬場の順番が取れないからと、火葬は告別式の次の日、24日になりました。告別式が済んで次の日の火葬なんて初めてのことでした。葬儀まで大雪の影響があるなんて思ってもいませんでした。



天寿祭壇








義兄は93歳という高齢で、その時まで元気にしていたようですから、理想的な旅立ちだったと思います。誰しもが、「長患いをせず苦しまずに逝きたい」と思っても中々その通りにはなりません。が、前日まで食欲もあり、良く食べていたそうです。苦しまずに逝ったからでしょう。とても穏やかで、まるで眠っているかのようないいお顔をされていました。



火葬場控室








義兄は寡黙で口数は少ない人でしたが、とても優しい方でした。40年近く前、事業の失敗で貧乏のどん底に落ちた我が家に、一番先に手を差し伸べて援助してくださったのは義兄でした。いくら妻の身内でもそこまで面倒を見る人は少ないと思いますが、嫌な顔一つせずに助けて頂き、大変お世話になりました。ご恩返しのできなかったことが悔やまれます。伺う度にいつも丹精込めた野菜や果物をたくさん持たせてくださいました。



食事








もう一つ悔やまれることは、戦争体験とシベリヤ抑留のお話をお聞きしていなかったことです。いつか機会をと思いながら、とうとうその時が持てないままになりました。妹さんの話によりますと、義兄は戦時中は憲兵だったそうです。それで手に入ったのかもしれませんが、母親がたばこを吸う人だったので、恩賜の煙草や石鹸・洋服の生地などを送って呉れたそうです。中国にいたそうですが、現地の人たちに親切にしたので慕われていたとか。さもあらんと思います。

立て続けに大事な人とお別れをして、さすがの私も一寸落ち込んでいます。
幸いなことにいろんな予定が入ってきていますので、忙しくしていられますからうな垂れてばかりはいられません。雪が少なくなり、オープンカーで走れるようになりましたら、元気にしていなくては!と自分を奮い立たせています。 応援のコメントをお願いします。

                       合掌



leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(8) 日記 

2014年02月25日

大事な人を・・・・・

ここに住むようになって43年、その当初から親しくさせて頂き、頼りにしていたお友達が黄泉に旅立ってしまいました。16日になったばかりの午前12時16分だったそうです。16日夜、「近くのホールに遺体が安置されているので、会ってやってほしい」と妹さんからお電話を頂き、雪がやっと止んだ夜、お嫁さんが危ないからと車で送ってくれましたのでホールに向かいました。月が満月を思わせるように輝いていました。

辛い辛いお別れをして、ご主人にお話を伺いましたら、3年前に大腸がんを手術したのですが、その時にはもう他の場所に転移していて、「3年の命」だと宣告されていたそうです。喘息や狭心症もありましたので、その方の診察ばかり受けていて、腸の方は気にしていなかったようでした。それで気づかないうちに進行していたようでした。が、本人は手術は成功して全部とれたと思っていたようでした。



ホテルの前でシャボテン公園








旅行好きなご夫婦で、日本中を殆ど歩かれたようですし、海外にも出かけておられました。私とも毎年のようにご一緒に旅行していました。昨年の12月にも伊豆を1泊旅行しました。少し痩せてはいましたが、お元気で食事もちゃんと食べられていましたので、「良かった!」と思っていました。
それが1月9日に入院して、あれよあれよという間に容態がどんどん悪くなり、私が3回目に病院に伺った時にはもう、食事を受け付けなくなっていました。そして16日未明、旅立たれてしまったのです。

ここに越してきて43年、毎朝歩きに行って25年にもなるでしょうか。昨年11月まで一緒に歩いていました。若いうちは日曜日以外毎日1時間以上も歩きましたが、最後の頃は週4日で3〜40分ぐらいしか歩きませんでしたが、その間色々なことを随分お喋りしました。いつも言っていたのは、「お互い旦那様を1日でもいいから先に送ろうね」でした。ですから旦那様を残しての旅立ちはさぞ心残りだったことと思います。

ご家族には「静かに送ってほしい、出来たら家族葬に」と言われていたとか。その希望通りになるように大雪の日にそっと逝かれてしまいました。「故人の意思を尊重して、家族葬にするから誰にも言わないでほしい」と口止めされましたので、誰にも言わずにおりました。が、告別式の日、私を参列させてくださいました。「お身内だけの所に私など」と恐縮しながら参列させていただきました。いかにも故人にふさわしく内輪で静かにでも、心のこもったお式でした。

故人は「やまとなでしこ」そのもので、女性の鏡のような人でした。市会議員のご主人を陰で支え決して奢らず、いつも控えめで、でも芯は確りされていて、お二人の子どもを立派に育て、手先が器用で編み物・パッチワークなど素晴らしい作品を作られていました。いつも何かしら家事をされていて「炬燵に当たったり、テレビを見る時も、編み物やパッチワークをするので、いつもそばに置いてある」というぐらい、何もしないでボ〜ッとテレビを見ているなんてことはしたことがなかったようです。又お料理上手で特にお漬物や煮物は絶品でした。昨年秋にもゴーヤの佃煮の作り方を教えて頂きました。
そうです、全く私とは対照的で素晴らしい日本女性でした。私より年下でしたが、43年間いろんなことを教えて頂き、お世話になりました。心の支えを失ったような想いがしています。



初七日の祭壇


今はもうお骨になり、四十九日までお宅に居られますが「静かに送って貰いたい」とのたっての希望ですから、どうか皆さんお線香をあげたいとお思いでしょうが、せめて今月中は伺うのをご遠慮ください。そしてどうしても伺いたいとお思いでしたら、お電話なりしてからにしてください。
そうしたいという強い意志が、この大雪を降らせたのかもしれません。

暫くの間、私も自分を失うかもしれませんが、事情をお汲み取り下さい。

                     ただただ合掌しています。


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(8) 友達 

2014年02月24日

幼児の絵

のびのび








これも少し前の話になりますが、幼児の絵が展示してあリましたので見せて頂きました。孫たちは大きくなり、このところ幼児の絵を見る機会が減りましたので、興味深く見せていただきました。



カラフル生き生き








なんとマァ、カラフルでのびやかな絵ですこと! 絵の良し悪しはまるっきりわかりませんが、これらの絵を描いているときのオチビちゃんたちの真剣な顔や、楽しそうな顔が目に見えるように想像できます。
まわりで見ている方たちも「子どもの絵は邪気がないからいい」「思った通りを書くからね」などという会話が聞こえてきました。みんな元気で大きくなぁれ!


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) 見て歩き 

2014年02月23日

倒壊!

21日・富士川町(旧増穂町・鰍沢町などが合併)に行ってきました。あの大雪からちょうど1週間。テレビなどでは甲府市の積雪量は28センチとか言ってますが、それは屋根の上などで、道路脇とか駐車場や庭先にはまだまだ背丈ほども雪が積まれています。



ハウス倒壊








NHKなどテレビも18日まで甲府の雪のことなど碌に報道もしませんでしたが、このところ甲府の天気を一番初めに言ったりして!可笑しくて笑ってしまったのは私だけだったでしょうか。
富士川町への道すがら、農業地帯を通りますが、田んぼも畑も一面真っ白、ところどころではビニールハウスがつぶれたり倒壊したりしています。改めて雪の被害の大きさを思い知らされました。



一面の雪雪で








山梨をはじめ東京都でも孤立している集落があるというのに、舛添都知事はソチに出かけて行きましたね。なのに新潟県の泉田知事はいち早く山梨に除雪機と職員を派遣してくださいました。お陰様で山梨での除雪は進みました。謙信の「塩」につづいて山梨県民はまたお世話になりました。このことは孫に語り継がなくては!と思っています。

来週になれば暖かな日が続くそうです。今月いっぱいでこの雪が融けてくれますように!


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(0) 見て歩き 

2014年02月22日

申告

合同庁舎申告














確定申告の時期になりました。私は縁がありませんが、連れ合いは申告が必要なので毎年提出しています。今年は「一緒に行ってくれ」と言われましたのでついて行きました。税務署は以前あった場所から甲府駅北口に新しく建てられた「合同庁舎」の中に法務局などと共に入っていました。初めて入る建物なので興味津々! 入り口に申告会場の案内が出ていました。
ロビーには小中学生の税に関する習字を募集したらしく、入選した作品が展示されていました。



ロビー








申告会場に行きましたら、係の方が書類に目を通してから、「インターネットで申告すると来年から楽ですよ」「一度もしたことがないんですが」「係の者が教えてくれますから、大丈夫です」「じゃ、お願いします」
はは〜ん、連れ合いはこれをさせるために私を連れてきたんだなッ!

インターネット申告の場所に行きましたら、係の方が「どうぞこちらへ」とパソコンの前に案内してくれました。後は書類を見ながら係の方の指導通りに打ち込んでいきました。途中、パスワードを作ったりもしましたが、教えられた通りに打ちこんでそれでも30分ぐらいかかりましたでしょうか。かなり長い時間だったような気がします。
で、無事、確定申告が済みました。来年からは通知は来ないけれど、書類をそろえて持っていけば、簡単に申告できるそうです。念のため、今年の申告の控えを持ってくるように言われました。

納税は国民の義務ですから、もちろんちゃんと申告して納める物は納めますが、その使い道は「国民のために」を第一に考えてもらわなくては!! 原発再稼働や軍事費などに使わないで介護施設(特養)や保育園の建設費などに使ってほしいものです。社会的弱者が笑顔でいられる社会を望みま〜〜す!!


leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(2) 日記