レイテ戦75年・今フィリピンは11月の山梨平和ミュージアム

2019年10月31日

レイテ戦75年、今フィリピンは(水牛家族)

 清水さんのお話の後、来てくださる予定だった竹見智恵子さん(「水牛家族」代表・ジャーナリスト)から送られてきたというビデオを見せて頂きました。



かっては竹見さん










そこに映し出された風景は、緑の美しい農村地帯、のんびり暮らす人々の姿です。竹見さんは77歳とありましたので、もっとお年の方かと思いましたが、思っていたよりお若い美しい方で、その竹見さんの語りでレイテの人たちの様子が映し出されます。
 竹見さんが水牛を贈るようになったのは、レイテ戦で水牛が半減したことから、戦争責任を感じたことが第一ですが、農業器機ではなくなぜ水牛かというと農地が狭く農業機械が入らない事や、有ったとしても故障するとメンテナンスが出来ないことなどから、水牛ならレイテの人たちは扱いなれているし、餌の草は豊富にあるから困らないし、フンは肥料なることからでした。竹見さんは「水牛家族」を立ち上げて30年。贈った水牛は100頭になります。
 



期待乗り越える










 1987年、農村支援プロジェクトで初めてレイテを訪問、山間の小さな村には水道も電気もなく、島民はやせた土地で野菜を栽培して細々と暮らしていました。貧困の原因は太平洋戦争による徹底した農業の破壊があります。水田耕作には水牛に土を踏ませる「蹄耕(ていこう)」がありますが、44年のレイテ戦で水牛の数は半減しました。
戦後も続いた農村の疲弊を見た竹見さんは、日本の戦争責任を痛感、水牛の購入資金を日本で集め、優先度の高い村から順番に水牛を贈る活動を始めました。政府開発援助で置き去りにされた本当の被害者に対する手作り支援です。
 97年からは、山岳地帯に自生するバリュウ草を使った手作りバックを日本で販売する自立支援プロジェクトを開始、貧困農民に現金収入を得る道も開きました。自然素材の温もりが伝わってくると日本でもファンが増えています。
  


台風でシートを










 台風のとおり道、レイテでは2013年11月に最大風速90mという巨大台風に襲われ、死者・行方不明者約7千人を出しました。



変形



台風被害で無残に変形したこの足の男性は、貧困家庭なので病院に行ったけれど薬を買うお金がなく、やっと少し歩けるようになっただけで治療を止めてしまったそうです。
こんな状態でも島民が明るいのは、「昨日のことは忘れた・明日のことは考えない・今日がよければハッピー」だとする生き方があるからだそうです。



今が楽しければパパイヤ











 竹見さんはこれまでの支援に加えて建築家の協力で、シェルターと収納場所を兼ね備えた耐震・耐風のコミュニティセンターを建設する「友だち・プロジェクト」も進めています。
「災害で何もかも奪われた地域で皆が集い、学び、作業する施設をつくるのが夢」と竹見さん。カンパだけではなく、現地でセンター建設に力を貸す労力や資材の提供を呼び掛けています。
水牛家族の支援活動には、フィリピンの「バハニヤン(助け合う精神)」が生きています。
資金カンパを募集するほか、センター建設を手助けするワーキング・ツアーも計画しています。
お問い合わせは 

同プロジェクト実行委員会
TEL 03-3929-6275 です。


当日会場でカンパを呼び掛けていましたので、ほんの少しですがさせて頂きました。


leltugo123 at 14:11│Comments(0) 平和 

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