日記
2024年04月05日
南アルプス市へ
先月のことですが、お彼岸なので、南アルプス市の夫の実家のお墓参りに行ってきました。ここもやはりお正月以来ご無沙汰していました。
夫は終いっ子ですから、もう姉も兄も皆旅立ち、義姉と甥夫婦が実家を守っています。その甥も70歳手前、義姉はもう90歳になりました。ディサービスには通っていますが、お元気にされていて、久しぶりにお会いでき、懐かしい話に花が咲き、お茶を頂きながらお喋りを楽しみました。
夫の実家の菩提寺、雨で肌寒い日でしたが、身延山のかの有名な枝垂桜の子どもが植えられていて、かなり大きくなっています。身延山の枝垂れサクラは咲きだしたようですが、ここに植えられている桜はまだ、つぼみ状態。でも庫裏の前に植わっている木がほんのり色づいていましたので、近寄ってみましたら、何輪か開いていました。この場所は日当たりがいいからでしょうか。きっとあと何日かで見ごろを迎えることでしょう。
いつものように、夫のご両親・姉・従兄・そして先代の住職のお墓を順に回ってお線香を手向けてきました。
次はお盆になるのでしょうか。帰り道、この春開業するというコストコが出来ると、多分南アルプス市内の道は混みあって、遠回りしないと実家に行けないかもしれないと、息子と話しながら帰ってきました。
夫は終いっ子ですから、もう姉も兄も皆旅立ち、義姉と甥夫婦が実家を守っています。その甥も70歳手前、義姉はもう90歳になりました。ディサービスには通っていますが、お元気にされていて、久しぶりにお会いでき、懐かしい話に花が咲き、お茶を頂きながらお喋りを楽しみました。
夫の実家の菩提寺、雨で肌寒い日でしたが、身延山のかの有名な枝垂桜の子どもが植えられていて、かなり大きくなっています。身延山の枝垂れサクラは咲きだしたようですが、ここに植えられている桜はまだ、つぼみ状態。でも庫裏の前に植わっている木がほんのり色づいていましたので、近寄ってみましたら、何輪か開いていました。この場所は日当たりがいいからでしょうか。きっとあと何日かで見ごろを迎えることでしょう。
いつものように、夫のご両親・姉・従兄・そして先代の住職のお墓を順に回ってお線香を手向けてきました。
次はお盆になるのでしょうか。帰り道、この春開業するというコストコが出来ると、多分南アルプス市内の道は混みあって、遠回りしないと実家に行けないかもしれないと、息子と話しながら帰ってきました。
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2024年03月23日
お彼岸前に・・・
10日の日曜日、息子が「吉田に行くか?」と言ってくれましたので、連れて行ってもらいました。穏やかに晴れ渡った小春日和。
吉田は昨年暮れに行ったまま、今年になって初めてです。三男も一緒に行ってくれましたので、二人の息子は野球談議で話が盛り上がっていました。二人とも元、高校球児なので、二人の息子のそれぞれの息子(私の孫)も半強制的に高校まで野球をさせられていましたっけ。二人とも今まだ、野球にとりつかれ?ていて中高年で構成されているチームに入れて頂いて、試合に出たり、毎週末には二人でティバッテイングをしています。
御坂峠を下り出すと、素晴らしい富士山が!!この日の富士山は裾野まで雪をまとっていて、最高に美しい眺めでした。やっぱり富士山は裾野まで見えなくては!!と思います。家からは七合目ぐらいから上しか見られませんから。
今は河口湖畔を通らなくても吉田に行けるトンネルが出来ましたので、便利になりました。
お彼岸前だからお墓の掃除をと、菩提寺に寄ってくれました。
まだ、菩提寺の境内には先日降った雪が所々に残っていました。本堂ではこの日も法事が営まれていて、読経の声が聞こえてきます。
2人の息子が手際よく墓地をキレイに清掃してくれました。すっかりきれいになってご先祖様たちも喜んでいてくれると思います。
口の悪い息子たち、「もうすぐバァさんもここには入るだからな。この位綺麗になれば満足ずら!」「ハイハイ、ありがとさん」
これで春のお彼岸が迎えられます。
帰途、甲府に着いてから、息子が野球を教えた子が、眠っている墓参りをしたいからと、そこの墓地にも立ち寄りました。高校を卒業して間もなく亡くなってしまった教え子は、自分の子ども(私の孫)と同級生で仲良しだったので、息子はずっと墓参りを続けています。門の前に大きなお地蔵さまが建っているお寺でした。
墓参りのツアーのような1日でしたが、心の中までこの日の天気のように穏やかで暖かくなったようにに感じました。
吉田は昨年暮れに行ったまま、今年になって初めてです。三男も一緒に行ってくれましたので、二人の息子は野球談議で話が盛り上がっていました。二人とも元、高校球児なので、二人の息子のそれぞれの息子(私の孫)も半強制的に高校まで野球をさせられていましたっけ。二人とも今まだ、野球にとりつかれ?ていて中高年で構成されているチームに入れて頂いて、試合に出たり、毎週末には二人でティバッテイングをしています。
御坂峠を下り出すと、素晴らしい富士山が!!この日の富士山は裾野まで雪をまとっていて、最高に美しい眺めでした。やっぱり富士山は裾野まで見えなくては!!と思います。家からは七合目ぐらいから上しか見られませんから。
今は河口湖畔を通らなくても吉田に行けるトンネルが出来ましたので、便利になりました。
お彼岸前だからお墓の掃除をと、菩提寺に寄ってくれました。
まだ、菩提寺の境内には先日降った雪が所々に残っていました。本堂ではこの日も法事が営まれていて、読経の声が聞こえてきます。
2人の息子が手際よく墓地をキレイに清掃してくれました。すっかりきれいになってご先祖様たちも喜んでいてくれると思います。
口の悪い息子たち、「もうすぐバァさんもここには入るだからな。この位綺麗になれば満足ずら!」「ハイハイ、ありがとさん」
これで春のお彼岸が迎えられます。
帰途、甲府に着いてから、息子が野球を教えた子が、眠っている墓参りをしたいからと、そこの墓地にも立ち寄りました。高校を卒業して間もなく亡くなってしまった教え子は、自分の子ども(私の孫)と同級生で仲良しだったので、息子はずっと墓参りを続けています。門の前に大きなお地蔵さまが建っているお寺でした。
墓参りのツアーのような1日でしたが、心の中までこの日の天気のように穏やかで暖かくなったようにに感じました。
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2024年02月29日
1月は・・・
今年になってもう2ヶ月が終わろうとしていますが、私にとって今年の1月は最悪の月でした。元日そうそう能登半島での大地震・2日の航空機事故・・・そして10日ごろから私の眠れない日々が続き、
1月も終わろうとした29日朝早く、「娘の嫁ぎ先の姑が亡くなった!」との電話が入ったとお嫁さんが知らせてくれました。「え〜〜ッ」と言ったまま、言葉が出ません。
娘の姑は確か私より10歳近くお若かったはず、それに早くご主人と別れ、2人の子どもをお育てになり、まだ現役でバリバリ仕事をされていて、とてもお元気にされていたはず。亡くなるなんて夢にも思っていませんでした。
あまりにもショックで、でも当時の私は歩くのもおぼつかないほど弱っていましたので、駆け付けることも出来ない状態でした。
夕方やっと婿さんに電話出来、その時の様子をお聞きしました。
婿さんの話では、娘は当日はパートの早番で家に居なかったそうですが、まだ婿さんは仕事に行く前だったので、家に居たので良かったのだそうですが、トイレに入った母親から呼ばれたので、トイレにって見たら「息ができない苦しい」と言われたとか。急いで横にして心臓マッサージをしたり、人工呼吸をしながら救急車を呼んだそうです。姑は「呼ばなくてもいい」と言ったとか・・・・・でも救急車が駆けつけたときにはもう呼吸がなかったとか。一応病院に連れて行かれ、死因を確かめて頂いた結果、心不全だったそうです。
あまりにも呆気ない旅立ちで、娘夫婦も呆然としているようでした。
私たち世代から見れば、あまりにも見事でそうありたい素晴らしい旅立ちですが、残された子どもたち始め親族は只々驚きと戸惑いと言い知れぬ悲しみの中で、慌ただしく別離の儀式の準備をこなさなくてはならず、本当に大変なことだったようです。
お通夜・告別式とも、私は参加できず息子夫婦や三男夫婦・孫娘が弔問に行ってくれました。
一応告別式も無事に済ませたようですが、姑が突然いなくなった後の手続きを、娘夫婦と妹夫婦が手分けして一つ一つ進めているようですが、何も分からないし伝え聞いていなかったので、大変な思いをしているとか。姑もあと1年は頑張ると言っていたので、事業の跡継ぎにも何も話していないとか。諸手続きにも期限があるのでそれまでに片付けなければならないようです。
そのことを戒めとして教えて頂いたことに感謝して、ご冥福をお祈りいたします。
合掌
1月も終わろうとした29日朝早く、「娘の嫁ぎ先の姑が亡くなった!」との電話が入ったとお嫁さんが知らせてくれました。「え〜〜ッ」と言ったまま、言葉が出ません。
娘の姑は確か私より10歳近くお若かったはず、それに早くご主人と別れ、2人の子どもをお育てになり、まだ現役でバリバリ仕事をされていて、とてもお元気にされていたはず。亡くなるなんて夢にも思っていませんでした。
あまりにもショックで、でも当時の私は歩くのもおぼつかないほど弱っていましたので、駆け付けることも出来ない状態でした。
夕方やっと婿さんに電話出来、その時の様子をお聞きしました。
婿さんの話では、娘は当日はパートの早番で家に居なかったそうですが、まだ婿さんは仕事に行く前だったので、家に居たので良かったのだそうですが、トイレに入った母親から呼ばれたので、トイレにって見たら「息ができない苦しい」と言われたとか。急いで横にして心臓マッサージをしたり、人工呼吸をしながら救急車を呼んだそうです。姑は「呼ばなくてもいい」と言ったとか・・・・・でも救急車が駆けつけたときにはもう呼吸がなかったとか。一応病院に連れて行かれ、死因を確かめて頂いた結果、心不全だったそうです。
あまりにも呆気ない旅立ちで、娘夫婦も呆然としているようでした。
私たち世代から見れば、あまりにも見事でそうありたい素晴らしい旅立ちですが、残された子どもたち始め親族は只々驚きと戸惑いと言い知れぬ悲しみの中で、慌ただしく別離の儀式の準備をこなさなくてはならず、本当に大変なことだったようです。
お通夜・告別式とも、私は参加できず息子夫婦や三男夫婦・孫娘が弔問に行ってくれました。
一応告別式も無事に済ませたようですが、姑が突然いなくなった後の手続きを、娘夫婦と妹夫婦が手分けして一つ一つ進めているようですが、何も分からないし伝え聞いていなかったので、大変な思いをしているとか。姑もあと1年は頑張ると言っていたので、事業の跡継ぎにも何も話していないとか。諸手続きにも期限があるのでそれまでに片付けなければならないようです。
そのことを戒めとして教えて頂いたことに感謝して、ご冥福をお祈りいたします。
合掌
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2024年02月25日
サクラ
お嫁さんがせっせとお世話をしている鉢植の10月サクラ。昨年の9月ごろからいまだにずっと咲き続けています。
昨年の春咲いてくれ、そしてまた、9月ごろ咲いたので、次は今年の春だと思っていましたが、9月に花開いてから、次々と蕾をつけては咲き続け、とうとう年越しをして先日の雪の中でも咲き続けてくれているのです。一体どうなってるんでしょう。
暖冬だとはいえ、花だけで葉っぱが全然ありませんので、木の養分は合成されていないのではないかと思いますが・・・・・お嫁さんは花が終わったら肥料をして少し枝を切ってやろうと思うと言っていますが、まだかわいい蕾もありますので、花が終わりそうもありません。もう4ヵ月も咲いているこの桜。どうしてあげるのが良いのでしょうか。どなたか教えてくださいませんか?
昨年の春咲いてくれ、そしてまた、9月ごろ咲いたので、次は今年の春だと思っていましたが、9月に花開いてから、次々と蕾をつけては咲き続け、とうとう年越しをして先日の雪の中でも咲き続けてくれているのです。一体どうなってるんでしょう。
暖冬だとはいえ、花だけで葉っぱが全然ありませんので、木の養分は合成されていないのではないかと思いますが・・・・・お嫁さんは花が終わったら肥料をして少し枝を切ってやろうと思うと言っていますが、まだかわいい蕾もありますので、花が終わりそうもありません。もう4ヵ月も咲いているこの桜。どうしてあげるのが良いのでしょうか。どなたか教えてくださいませんか?
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2024年02月24日
ボールペン
お嫁さんが「頂き物だけれど、私はすぐになくすから、おかぁさん良かったら使って」と、わたしには似つかわしくない高級そうなポールペンを渡してくれました。頑丈な木のケースに入ったいかにもお高そうなもの。「貰ってもいいの?」「おかぁさんはなくさないから、長く使ってもらえるからどうぞどうぞ」
確かに私はめったにものを無くしません。戦後の何もなかった時を経験していますので、物は捨てられないし、無くすこともしない習性が身についているんでしょうね。早速百均で購入した今年の手帳に挟み込みました。2月の予定を記入しましたら、とても使い心地が良いのです。さすが高級ボールペンだけあるんですねぇ。インク部分が無くなったら新しいものを挿入できるようにもなっているようです。長く大事に使わせて頂きますね。有難う!
確かに私はめったにものを無くしません。戦後の何もなかった時を経験していますので、物は捨てられないし、無くすこともしない習性が身についているんでしょうね。早速百均で購入した今年の手帳に挟み込みました。2月の予定を記入しましたら、とても使い心地が良いのです。さすが高級ボールペンだけあるんですねぇ。インク部分が無くなったら新しいものを挿入できるようにもなっているようです。長く大事に使わせて頂きますね。有難う!
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