お手伝い

2018年08月31日

いけだの里の夏祭り

介護用品








この地区に今年オープンした特別養護介護施設「いけだの里」の夏まつりがあり、お手伝いに行ってきました。
といっても夏まつりは今年で4回目です。特養が出来る前に、介護施設がありましたが、その時からですから。



入所者さんと職員









私たち「健康友の会・池田班」は、毎回フランクフルトを焼いて販売しています。今年もフランクフルトの係りでした。




暑い









3時から開始でしたが、準備がありますので、2時集合。今回は8人の会員さんが参加してくれました。
消防署が来て点検してサァ開始です。



作業開始








ガスに火を点け鉄板の上にアルミの大きなお皿を乗せて、その中で焼きます。昨年は冷凍のまま焼いたので、中心が冷たかったからと、今年は一度茹でて完全に解凍してから焼くことに。年々、上手になっていきます。



フランクフルト








焼けたものにケチャップとカラシをつけ、2本と3本づつ入れたパックを作って発泡スチロールのケースの中に。
私が一番高齢なので見ているだけ。みんなテキパキと焼いたりパック詰めをしたり・・・・・どんどん焼けていきます。



開会式








3時になり開会式。手の空いている人が集まりました。施設長やこの地区の自治会長のご挨拶があり開会です。



作業開始かき氷と綿菓子








暑い日でしかも火を使うのですから大変です。お隣では施設の職員さんが焼きそばを焼いていますし、後ろのテントでは子どもたちがかき氷と綿あめを作っていました。



中華ちまきと飲み物








100本焼いたところで一休み。でもたちまち売れてしまいましたので、追加であと50本焼くことに。交流室では落語や二胡の演奏もあったようですが、見に行く暇もありません。



盆踊り一緒に









150本完売したところで、後片付け。売り上げの計算をして係りの人に。
全部がすんだところで最後の盆踊りが中庭で行われました。
地区の民謡部の人たちが先導を務め、職員さんや子どもたちも輪に入ります。池田班からも踊りに加わり盆踊りを楽しみました。
焼きそばやフランクフルトをお土産にそれぞれ家に。
暑かったけれど、楽しい時間でした。


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2014年01月14日

配食初め

新年初めての配食に行ってきました。
地区内の一人暮らしのお年寄りで、買い物や食事の支度がままならない方に、甲府市では社会福祉協議会が中心になって食事をお届けしています。食事は業者に委託して作ります。その食事が公民館に届けられ、地区のボランティアが利用者の方にお届けするのです。


配食用

2時45分ごろ公民館に食事が届きます。私の担当は木曜日、それも第1と第2の2回だけです。いま、お二人の方にお届けしていますが、その時間には待たれていて受け取ってくださいます。お届けしながら安否確認もすることがボランティアの使命でもあります。
いつまで出来るかわかりませんが、お届けできるうちは続けたいと思っています。


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2013年02月17日

昔話の歌

知ってる?



「池小応援団」に登録して、初仕事!を仰せつかりました。2年生4クラス約90人が音楽室に集まって「昔話の歌」を一緒に歌うことになりました。


覚えよう







用意した歌は「うさぎとかめ」 「浦島太郎」 「牛若丸」 「大黒様」 「一寸法師」 「花さかじぃさん」の6曲でした。打ち合わせの時に歌詞カードをお渡ししておきましたら、先生が1曲づつ模造紙に大きく印刷してくださいましたので、子どもたちとその紙を見て歌うことが出来ました。


大きく





今の子どもたちは殆ど昔話の歌なんて知らないと思っていましたら、予想外に知っている子がいて、驚きました。どうやらテレビの子ども番組で、放映してるようです。でも、「大黒さま」と「牛若丸」は知らない子がかなりいましたので、この2つはお話もしてみました。
「6つ歌うけれど、どれか一つ覚えて帰ってほしいから、どの歌がいいか聞きながら決めておいてね」とお願いして歌いました。どの歌も一緒に歌う子がいましたが、とくに「うさぎとかめ」はかなりの子たちが歌えました。


うさぎとかめはなさかじぃさん






6曲歌ったところで、各クラスの担任の先生がこの中の話の読み聞かせをしてくださいました。それぞれクラスに分かれて、「浦島太郎」や「一寸法師」の話の読み聞かせをじっと聞き入っていました。



一寸法師浦島太郎




読み聞かせが済んだところで、「どの歌を覚えたいか」と挙手をしてもらい先生が数えてくださいましたら、「花さかじぃさん」に決定。皆で歌いました。6番までありますので、2年生の柔らかい頭にはすらすら入り、歌い終わる頃は全員が歌えるようになっていました あ〜ァ なんて吸収の良いこと こんなノーミソが欲しいよ〜ゥ。


読み聞かせ




丁度時間になり、各クラスの代表が感想を言ってくれました。「楽しかった」と言ってもらい嬉しくなりました。私も大いに楽しめた45分間でした。



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2012年04月19日

同級会2

私達の学年は、小学校入学時455人・卒業時436人 この数字からもわかるように終戦時は3年生でしたから、疎開児も多かったんでしょうね。その同級生全員が同じ中学にそのまま進学しました。だから小・中学校同級会というわけです。そして中学卒業時は330人でした。この頃は機業の町吉田は「ガチャマン」というぐらい景気が良く、中学生は立派な働き手でしたから、家の経済を助けるために機屋に住み込みで働き、学校には行けない子どもも多かったのです。Eさんはそんな「永欠生徒」も皆、拾い出してくれました。

全員が席に着き、たったお1人だけ出席して下さったK先生を拍手でお迎えして、式典が始まりました。その司会をさせて頂きました。が、ずっこけて居る私ですから、いきなり開会の言葉を飛ばして「会長挨拶」なんて言ってしまう大失態・・・・・お陰で堅苦しい式になりませんでしたが・・・・・

尺八






静岡県で病院長をしているOさんが、尺八でこの会を寿ぐ曲の演奏をしてくれました。その後亡くなった同級生109名のお名前の奉読・黙祷を捧げました。 ここで恩師(85歳)のご挨拶を頂きました。小中学校を通じて今、お元気な恩師は後4人しか居られませんが、その先生達も皆、90歳近く長い間座っているのも困難だとのことで、Eさんが先生のお宅をお訪ねしてお写真を写し、それをスライドで会場に流しました。小学校の遠足・中学校の修学旅行・運動会の様子なども写されて、会場が懐かしさで一杯になりました。

恩師宴




私たちが中学3年生の時、校歌が制定されたのですが、詩は生徒達から募りました。亡くなったHさんの詩が殆ど採用されましたが、その他に3名の作詞者が出席していましたので、その人達の紹介をして、そのうちの1人Mさん(コーラスの指導をしています)の指揮で全員で歌いました。そして皆さんが待っていた乾杯!は岡山県から参加してくれたTさんにお願いしました。ここで司会は放免。 宴会の司会と代わらせて頂きました。

ギターハモニカ南洋踊り






宴会では小笠原の母島から来てくれたKさんの南洋踊り・ギターの演奏・ハーモニカなど、趣味の域を超えた素晴らしい舞台でした。その後はカラオケ・皆さんとても歳とは思えないほどの美声でした。宴も終わりの頃、埼玉から来ていたAさんがマイクを手に「今回で終わりだとあまりにも淋しい、何とか次回、77歳の喜寿にでも又、開いて欲しい」と会場に呼びかけました。「幹事をしてくれる人はいませんか?」 誰の返事もありませんでしたら2〜3人の名前を挙げました。多分このうちの誰かがまとめてくれるかもしれません。
   
カラオケ



今回幹事のEさんが名簿を新しくしてくれましたので、次回幹事の作業はかなり楽だと思います。又元気に皆さんと会いたい! 同級生っていいものですねッ。


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2012年04月18日

同級会

学年全体がめでたく?75歳!になったのを記念して同級会が開催されました。3年前までは各部落で幹事を担当していましたが、1順したのを期に今回は地元にいるEさんを中心に幹事をお願いしました。

町名



Eさんは幼くしてご両親を亡くされ、働きながら妹と弟の面倒を見た、という大変な苦労をされた方ですが、それだけに同級生想いで、第1回の同級会から何かと関わってくださっていました。それで白羽の矢が立ったのです。学年の同級会としては今回は第10回目でした。

準備




幹事を一任され、さぞご迷惑だったと思いますが、本当に細やかな心配りをして頂き、無事にこの日を迎えられました。その陰には並々ならぬ奥様のご協力がありました。事務局と会計さんと3人が、3ヶ月前頃からは、毎日のようにEさんのお宅に行っては打ち合わせをしたようです。そのたびにお茶出し・時には食事を出していただいたり、嫌な顔を見せずいつも笑顔で迎えてくれたそうです。

75歳


75歳にもなると、我儘を言う人もいて、席順はクラス・それも6年生の時のクラスにしろとか、中学2年生のときが良いとか、挙句の果てには仲良し同士が隣りになるようにしろとか・・・・・そんな電話も入ったようですが、電話の応対は大抵奥様がしてくれたそうです。そのたびに時には陰で泣いたこともあるとか・・・・・

会場




県外の人に95通封書で出し、その中には富士山の絵葉書も入れたとか、受付時間に間に合うように電車やバスの時間を調べ、宿泊する人のためにビジネスホテルの電話番号まで通知してあり、こんなに細やかな心配りは、陰で奥様の気配りがあったのだと思われました。

受付


県内には往復はがきを210通出したそうですが、それだけ出しても返ってきた郵便は5通だけだったそうです。 富士吉田市内は半分以上が番地の表示が変わったそうですが、それも全部のお宅を歩いて確認したそうです。

集合写真



3人のほかに、宛名書き・名札作り・席順・前日の会場の準備・当日の駅の出迎えなどに、10名以上の方たちが手助けしてくれました。皆さんのお陰で、100名近くの同級生が、遠くは岡山県や小笠原の母島からも来て下さり、旧交を温めました。 その様子は又明日書き込みます。


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