妹・森本美砂さん

2018年11月13日

拉致問題・舞台劇

南アルプス市にある桃源文化ホールで、拉致問題を取り上げた演劇がありましたので、見に行ってきました。
拉致と言えば皆さんは、横田めぐみさんをすぐに思い浮かべることと思いますが、この地区にお住いだった山本美保さんも拉致された疑いで、特定失踪者になっています。
山本美保さんは、二男と中学校で同級生でしたから、とても他人ごととは思えず、ほんの少しですが私にできることで応援し続けていました。
その関係で、特定失踪者問題調査会で山本美保さんを必死で探し続けている双子の妹、森本美砂さんからこの演劇鑑賞のお誘いを受け、観劇に行けたのでした。

横田めぐみさんのことは、もうご存じでしょうから、今日は山本美保さん失踪の概略を資料から転載いたします。



美保さんの事
















・山本美保さん 昭和39年生まれ・失踪当時20歳
 山梨県内の看護学校に通っていたが改めて大学へ進学することを決め、受験勉強の最中であった。1984年(S59)6月4日、図書館へ行くと言ってバイクで出かけたまま失踪。甲府駅前にバイクが置かれているのが発見された。4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたと警察から連絡が入る。家族が柏崎周辺を尋ね歩いたり、柏崎の新聞社が「たずね人」として載せ情報提供を呼びかけるなどして協力してくれたが、何の手がかりもつかめなかった。
 失踪半年後の11月6日から無言電話が4年半ほど続く。ほとんどは数秒で切れるものだったが、失踪から3年4か月後と3年6か月後のその2回の電話は10〜15分ほどじっとこちらの様子を聞いているようだった。3年6か月後の電話ではすすり泣くような声が聞こえた。
 世に拉致問題が報道されるようになり、柏崎の海岸が拉致の現場として流れた。美保さんのバックが何の縁もゆかりもない柏崎の海岸で発見されたことが不可解であったため、「美保ももしかしたら拉致されたのでは・・・」と胸騒ぎがするようになった。
 平成14年11月には地元の方々、友人などにより支援団体が立ち上げられ、今現在に至るまで救出活動は続いている。



34年前
















また、家族からのメッセージとして、こんな言葉も載っていました。

美保ちゃん、元気でいますか?
あなたがいなくなって34ねん。救出活動を始めて16年になります。
もっと早く助けられると思っていましたが、長くかかってしまい本当にごめんなさい。
これまでの活動により、今、拉致問題が国際的に大きな人権問題として取り上げられ、解決に向けた国際的な連携が強くなっています。
再会できるのは決して夢ではありません。
どうか信じて、気持ちを強くもって、待っていてください。
必ず助け出します。


そして会場でも、妹の森本美砂さんが皆さんに訴えました。

姉がいなくなって34年、地元の皆さんや高校の同級生が立ち上がってくださって支援活動を始めて16年、必死で姉を探し続けています。
この間、県内外で署名活動をしたり、ニューヨークでの国際シンポジュウムで発言させて頂いたり、オランダでの国際刑事裁判所への申し立てなどにも参加させて頂きました。
全国には800名を超える拉致被害者がいると言われています。
どうか皆さん、この演劇を通して拉致問題に関心を持っていただき、救出活動にご理解とご協力をお願いします。

この後、「めぐみの誓い」−奪還ー が劇団・夜想会の皆さんでの上演がありました。    次回に続きます。



leltugo123 at 00:30|PermalinkComments(3)