2016年08月03日

手錠

 「本物の手錠は内側が刃になっていて逮捕されたものは血を流して痛みに耐えなければならない」という話を幼い頃に友人兄から聞かされて驚愕したのだが何故か今朝それを思い出して「んな訳ないだろ」とひとり呟いた。あの話のソースはどこだったのだろうか。


今月もライヴがたくさんあります。

8月6日(土)
新宿ソウルキッチン
弾き語りソロ

 競演はヨシノリアキ、吉田和史、ICHIKA(敬称略)。昨年秋に一緒に演奏したよっぴーさんと今度は弾き語りで競演ですFrom仙台。吉田和史さんは前回もソウルキッチンでご一緒しましたがとても良い音楽である。ICHIKAさんとは初めてだけど何度か会った事あるな。


8月9日(火)
高円寺mission's
山崎怠雅グループ

 競演は熊のジョン、Vladivostok Powder Genocide、山崎怠雅グループ、WATANABE、吉田俊介(敬称略)。熊のジョンは南部君のバンドか。他は初めての皆さん。なんだかんだ言ってこのバンドのホームはこのお店という気がしております。何も言わなくてもいつもの音にしてくれる。耳栓なんてもって来るんじゃないよ。


8月12日(金)
荻窪Club Doctor
鳥を見た

 今回は自主企画です。青い部屋から始まって高円寺mission'sに出続け、今は荻窪Club Doctorが多くなってきましたこのバンド。競演はエクサピーコとグンジョーガクレヨン。組原さんに会うの久しぶりだなあ。嬉しいなあ。嬉しいのでベルボトムじゃないやつになるでしょう。


8月26日(金)
前橋Cool Fool
弾き語りソロ

 3年半ぶりにCool Foolで歌います。群馬県は前橋の地獄の酒場。「◎ 酒と泪とサワダとイマイとあとなんか ◎」というイベントのようです。僕は「あとなんか」に含まれております。


8月29日(月)
荻窪Club Doctor
山崎怠雅クインテット

 「フィクション」「モノリスと海」のレコーディングメンバーによるクインテット演奏。5月以来です。前回このバンドでドクターに出た時、僕高熱出しててひいひい言いながらの演奏だったのだけどこの日は健康体で望みますよ多分。そしてその日と同じ競演です。らいむらいととご一緒します。


 実は翌日8/30にはソウルキッチンで井上揚水ナイトに出るんだけどらいむらいとのお嬢ことムライさんとはそこでも競演です。なんだなんだ。

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2016年06月21日

酔臥路上君莫笑

 先週から左側頭部がズキズキ痛くてそれと同時に右手の痺れが止まらないのだがこれはなんだろう。昨年から似たような症状があって病院に行ったらストレスですね、とか言われてそのままだったのだがここ数日特に酷い。老化でしょうか。かつて日本では40歳を過ぎると初老と呼ばれたという。つまりそういうことか。人はこうして枯れ、朽ちて行くのである。

 5/25
 高円寺mission'sにて自主企画「生れて、すみません。」を主催。ソロから始まって魔術の庭、鳥を見た、YTG、YTQと5ステージ出ずっぱりで都度楽器も衣装も替えて、みたいな事を。お客さんは喜んでくれたみたいだけど尋常ではなく疲れたので(主に搬入と着替え)来年はやりません。タイトルは太宰から。昔太宰の事が大っ嫌いだったんだけど年月を経て自身のカスっぷりに直面するにつけ他人とは思えなくなってきた。

 5/27
 渋谷マウントレーニアホールにて「真夜中のへヴィロックパーティーVol,5」に出演。学園祭みたいで楽しかったな。ベテランや人気者の演奏が終わった明け方3時半にガラガラの客席にゴウゴウと爆音が響く様は寒々しくも美しかったと思う。今回誘ってくれたサミー前田さんが「明け方の法政学館って感じだったねえ」って言ってて、「真夜中の」「へヴィロック」つったらそういう風にしたいじゃんか、とちょっと嬉しかった。

 6/3
 大久保ひかりのうまで「AN INCIDENT AT A STREET CORNER Vol,29」。もうこのタイトルでイベント初めて10年以上で29回目か。30回目は何しようかね。今回は僕と福岡林嗣さんのデュオ、穂高亜希子さん、夜光虫の3組。僕は久しぶりに人前でピアノを弾いた。

 6/5
 新宿スモーキンブギにてサヴァン道。サヴァン道は今年レコーディングを行う予定。この日の演奏も荒っぽかったけどお客さんには楽しんで貰えたんじゃないかな。ベースアンプがACE TONEのやつで電源入れるとロゴが赤く光るかっこいい楽器だった。見た目がこれで音がもっと好みだったらいいのになー。ジャンクを探して中身総取替えかなあ。

 6/7
 渋谷ラママで弾き語り。どるたんさんや高井つよしさんと久しぶりに競演。初めて競演したミチヲさんがとてもよかった。もう一人の初めましての敏さんはチバさんと知り合いらしい。世の中狭いね。

 6/16
 池袋鈴ん小屋で弾き語り。この日は競演がみな一度ご一緒したことのある人ばかりで和気藹々としていた。徳網正宗君、雨宮弘哲君、中田真由美さん。鈴ん小屋は音がとても良くてそれぞれの歌い手の個性がとてもよく伝わってきた。雨宮君の阿佐ヶ谷の歌、胸に迫るものがあった。落涙しそうになったけどメイク落ちるからガマンした。

 6/18
 高円寺U-hAでバンド編成。バンドで出ます、ってお店に返事した後でいつものメンバーがスケジュール上参加不可であることが判明。ということでこの日だけの編成。伊藤昭彦(Ag,Cho)、浅野廣太郎(Sax)、小泉真一(Dr)そして僕は歌いながらベースを弾いた。自分の歌をベース弾きながら歌うの初めて。とーっても難しかった。たぶんもうやらない(笑)。この日はとても暑くてサウンドチェック終わった後居酒屋行って、メイクしてるの忘れておしぼりで顔バーッと拭きそうになった。あぶない。



 そんな調子でたくさん演奏していますが今月は後3本ライヴがあります。

★6/24(金)高円寺mision's
 ※山崎怠雅グループで出演。出番は21:40ごろ。

★6/25(土)高円寺HIGH
 ※The Hardy Rocksのワンマン。灰野敬二(Vo)、川口雅巳(G)、山崎怠雅(G)、なるけしんご(B)、片野利彦(Dr)。

★6/29(水)高円寺mision's
 ※生音イベントで弾き語りをします。

 みなさまで是非。

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2016年05月10日

もう一度人生を

 前回、昔話に絡めて酔っ払いの独り言みたいなことをグダグダ書いたら色んな人が読んでくれて、共感してくれる人、腹を立てる人、色々いらっしゃったわけなんですが、自分でよく読んだらこれロックの定義、じゃなくて、非ロックの見分け方、みたいな話だよね。もっとがんばります。

 そんな前回のブログから早1ヶ月以上が経ち、色々やったし、自身の状況もドンドン変わっている。1ヶ月なんてあっという間だ。本当に。これをたった12回繰り返したら1年が終わり、1年を10回くらい繰り返したらめっきり老け込んで、それを8回くらい繰り返したら死んでいくのだから人の一生とはちっぽけなものである。

 最近は先輩と演奏することが多かった。4月1日に鬼平ユニットでトシさん(石塚俊明さん)と久しぶりに演奏し、25日には5月で閉店する新宿URGAで藤井君のユニットのライヴにヤマジカズヒデさんが参加し僕もベースを弾いた。28日には灰野敬二さんとの新バンド「The Hardy Rocks」でギターを弾いたし、月があけて5月1日には野澤享司さんと久しぶりに一緒に演奏した。かつて自分がリスナーとして接していた人々と一緒に演奏するというのはなんだか不思議な感覚なのだが、永く続けているとこういうこともあるのだなあ、とシミジミする。5月2日に競演した河嶋浩二さんも年齢は先輩だけどお互い初めて会った気がしなくて楽しかった。
 また、4月29日には久しぶりに小泉真一と同じステージに立つことができた。2009年の5月、捻転時計のワンマンライヴの直前に交通事故に遭って以来、彼がドラムを人前で叩く事はとても少なかったのだけど、今回湾ステージを共に演奏出来た事はとてもうれしかった。事故の直後に病院に行った際、顔に残った痕が生々しく、話しかけても碌に応答も出来ず、目の前のコップすら掴むことの出来なかった彼の姿を見て、もう二度と一緒に音楽を奏でることが出来ないのかと思い涙が止まらなかった。あれから7年が経ってこういう時間が迎えられたのは本当に尊いことである(とはいいつつ、最初のお見舞いの数週間後に行ったら言語だけはすっかり回復していて、だけど全然脈絡なく下ネタばかり言い続けているのを見ておれの涙を返せ、って思ったけど)。


 先日、音楽も、人格も否定されるような事を言われまくって落ち込んだ(というか、それだけ相手を怒らせたこちらが悪いのだけど)。薄っぺらい人間性、薄っぺらい音楽、と。言われなくても分かっている。だけどこれしかやれることはないし、人生で唯一やめることなく続けている事なのだよ。




今月、下記の気の狂った企画を行います。
アコースティック弾き語りソロから始まり、ベースを弾き、エレキを弾き、歌う。
ステージが進むに従ってメイクが落ち、疲弊し、声が出なくなっていくさまをお楽しみ下さい。


★2016.5.25(水)
高円寺Mission’s 9th anniversary & 山崎怠雅企画
「生れて、すみません。」

@高円寺Mission's

出演:
山崎怠雅
(弾き語りソロ)
鳥を見た
(なかおちさと、東郷生志、浅野廣太郎、山崎怠雅)
魔術の庭
(福岡林嗣、ルイス稲毛、諸橋茂樹、山崎怠雅)
山崎怠雅グループ
(なるけしんご、片野利彦、山崎怠雅)
山崎怠雅クインテット
(伊藤昭彦、小池実、浅野廣太郎、井上順乃介、山崎怠雅)

転換DJ:
ハナヲ(from ジンギス・パンチ)

OPEN 18:30
START 19:00

CHARGE:
前売1日券 ¥2,000 / 当日 ¥2,500
20日間通し券 ¥3,500 [+1Drink ¥500]


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2016年04月07日

親父な小言

 ずーっと昔の話。
 当時の友人のバンドを手伝っていた時ライヴハウスに提出するセットリストを目にして強烈な違和感を感じた。曲名の横に曲調や音響・照明への要望を書くところがあるのだが、バラード、ポップ、ロック、と書いてある。曲調=ロック、とはこれ如何に?と。書いた人に聞いた所「8ビートでミディアムテンポ、ディストーションギターが鳴る曲なのでロックでいいんじゃないの?」との事。その要素=ロックではないんじゃないの?と問い質しても、じゃあロックってなんなのさ?タイガがそれをきちんと説明できなければその質問自体ナンセンスでしょ?と返された。確かに。若き日のわたくしは答えることが出来なかったのです。あれから20年くらい時間が経って自分なりに言葉に出来そうなので書いてみる。

 そもそもロックは50年代に白人(ビル・ヘイリー)がリズム&ブルースを盗用したのが始まりで、それをエルヴィス達がよりポピュラーにして、数年遅れでそれらを聴いていた若者達がイギリスでバンドを始めて世界を席巻して、アメリカ人も再度それらを受容して拡張し、全世界的に広まったという経緯がある。元々が黒人音楽の猥雑さ、ワイルドさを如何に再現するかがスタートだったので(昨今の若者がヒップホップに憧れる構造に似てる)、少なくとも上記の「拡張」迄の段階では黒人音楽に対してどのように自覚的な態度をとるか、というのがロックにおける大命題であった。例えばブルース・ロックはロックンロールがポップに展開したものをよりハードコアに先祖帰りさせたものだし、プログレッシヴ・ロックがブルースを全く感じさせないのはロックのフィールドで如何に黒人音楽の影響を感じさせないものを作り出すか、ということに意識的だったからだろう。
 この黒人音楽に対する距離感、という要素は恐らく70年代末のパンクまで連綿と続いている。それは既成のロックへのアンチを標榜したニューヨークやロンドンのパンクス達が意外にも平均年齢が高く、元はサイケデリックを演奏していたり、パブでリズム&ブルースを演奏していた連中だったことが証明している。

 これはロックに先立つこと数十年前にやはりブルースから派生したジャズにも同じ事が言える。コンダクトされる音楽からより自由な表現を目指して60年代にはフリージャズに行き着いたミュージシャン達が目指したのはブルースから遠く離れることだったのではないだろうか。

 つまりは結局ブルース。ブルースに対してどれだけ意識的になっているか。それがロックかどうかの分かれ目だと思う。これは別に精神論なんかではないし、異論反論オブジェクション多々ある事は重々承知の暴論だと思う。だけど僕はこの意見を曲げる気は全く無い。

 例えばおじいちゃんがジャズのレコードで踊っていて、お父さんはウッドストック世代、息子はヒップホップ、みたいなアメリカ人は上記のような事は考えないだろう。何故なら身体感覚で分かっているから。自分が夢中になっている音楽の後ろに気の遠くなるほどの時間をかけて積み重ねられた情報量が存在している事を。
 日本に生まれて文脈を知らぬままに結果のみをただ受容し続けた僕らが物事を理解する為には無い知恵絞って考えるしかないのだ。

 だから上っ面だけ8ビートでエレキが景気よく鳴ってたとしても、そこにブルースが入っていなければそれはロックじゃないのです。ブラシで4ビート叩いてウッドベースがぼんぼん言っててもジャズじゃないのです。で、どこでその違いが分かるのかって聴かれたらいっぱい音楽聴いてくださいとしか言いようが無い。カップめんしか食べたこと無い人にちゃんと出汁取ってるかどうかなんて判断できないでしょ?

 つまりそういうこと。

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2016年03月18日

また来ん春

週刊山崎怠雅

 3月11日(金)
 高円寺misson”sにて山崎怠雅グループ+高円寺mission”s共同企画「散歩する惑星 Vol,3」。今回は僕の歌唱活動の原点である早川義夫さんに出演して頂くことが出来た。イベントの最後に僕たちと早川さんで「いい娘だね」と「堕天使ロック」を演奏。一生忘れないと思います。
 競演はキャスバリズムと殺生に絶望。両者気合の入った良い演奏、良い夜。

 3月12日(土)
 昼過ぎに飛行機に乗り沖縄へ。この日は那覇Barドラミンゴで弾き語り。サトチエさんとチバ大三さんに誘ってもらって実現。沖縄に行くのは20年ぶり3回目。地元の人が言うにはグローバリゼーションの波が押し寄せてだいぶ変わった、ということなのだがやはり本土とは全然違う空気。
 この日聴いたチエさんの「風景」という曲の一節に深い感動を覚えた。僕が言いたい事をチエさんは一行くらいで全部言ってた。もう自分は歌わなくていいんじゃないかな、とすら思った。

 3月13日(日)
 午前中からチバさん、チエさんと沖縄市に移動。途中でおいしい沖縄そばを頂きつつコザへ。この日はZIGZAGというライヴハウスで演奏。昔ながらのライヴハウスの雰囲気。山田ばさらさんにも再会。僕のあとに出演していたEyokoさんがとてもよかった。終演後宿に戻ろうとするも土砂降り。沖縄の雨は冷たくないけれど激しい。翌日帰京。3日間の滞在で4食の沖縄そば。

 3月16日(水)
 池袋鈴ん小屋で弾き語り。昨年7月のグンジョーガクレヨン・谷口マルタ正明さんとの競演以来2度目の出演。この日の競演には昨年にもご一緒したmemekoちゃんもいたし、かつて捻転時計で何度か対バンしたquizmasterのメンバーだった白倉新之助さんもいた。二人とも昼間の予定がいっぱいでサウンドチェックには間に合わなかったけれど、それを感じさせないとても良い演奏だった。誰だって日々の生活は本当に大変だ。それでも一生懸命に自分が良いと思うことを続けていれば必ず誰かの心に届くはず。それを信じてる。



 今週末は福生の老舗ライヴハウスでジンギス・パンチのレコ発イベントです。

2016/3/20(日)
@福生チキンシャック
open 18:30 start 19:00
\2,500(w/drink)

【出演】
ジンギス・パンチ
VATO
ちょんのま解放戦線


lenoir at 13:27|Permalinkclip!

2016年03月11日

ぷりぷり

 5年なんてあっという間だ。
 14時46分、当時住んでいた町の立ち食いそばを食べ終ろうとした時に猛烈な揺れ。女性の悲鳴。床に落ちて砕け散る瓶の数々。ひっくり返りそうなどんぶり。
 駅から出るように呼びかけるけたたましいアナウンス。ロータリーの中央に集まって不安そうにする人々。
 諦めて帰ろうとしたら街のあちこちにひどい地割れ。45度くらいに傾いて通行の邪魔をする電信柱。垂れ下がる高圧電線。そして地割れの間から吹き出す泥水。嗅いだことのない臭い。繋がらない携帯。
 急いでバスタブに水を溜めたが徐々に濁りはじめて最後には出なくなった。その後半月水道も下水も使用できず仮設トイレに行くのが手間でトイレを我慢する癖がついてから今でも抜けない。
 当日の夕方窓の外を見ると数km先のコンビナートが燃え上がっている。赤黒く染まる空。大きな音と共に上がる火柱。
 繰り返し流される悲惨な映像。この世の終わりとしか思えない不穏な情報。なんの救いにもならない能天気なCM。
 絶望。

 「風化させてはいけない」とか言ってるやつが一番忘れてるんだろ?。こちらは思い出すだけで足がすくんで景色や音や臭いが蘇ってしまうよ。

 本当は他人事だと思っている奴に限ってさも当事者のような顔をして偉そうなことを言う。この5年で学んだことはそれだ。




プリプリしてばかりいないで音楽の事を考えよう。今日はこれです。

★2016.3.11(金)
高円寺mission's
山崎怠雅グループ&高円寺mission's共同企画
「散歩する惑星Vol,3」

出演:
早川義夫
殺生に絶望
キャスバリズム
山崎怠雅グループ

OPEN18:30
START19:00
ADV \2,000 / DOOR \2,500 + 1drink(\500)

 高円寺Club mission'sと僕のハードロックバンド、山崎怠雅グループの共同企画「散歩する惑星」第3回が開催されます。
 昨年の第1回ではドラびでおこと一楽儀光さん、第2回では割礼の皆さんをゲストにお迎えしましたが、今回は早川義夫さんをお迎えしてお送りします。
 僕は20年くらいバンドやって自作の歌を歌っていますが、そもそも自分が日本語で、自分の言葉で歌を歌おうと思ったきっかけは早川さんの歌を聴いたからなのです。今回、このバンドで早川さんとご一緒出来ることを嬉しく思います。
 また、他にもmission'sではもうおなじみのキャスバリズム、そして以前から何度か競演して大好きになった殺生に絶望も出演します。
 とても良い夜になります。
 きっとこの日は他の場所でもたくさんの価値あるイベントが行われている事でしょう。だけど僕らも負けずにがんばります。
 宜しくお願いします。


 早川さんとセッションもするかも。

lenoir at 13:39|Permalinkclip!

2016年03月10日

もてないおとこたちのうた

 「人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ。」という台詞、高倉健さんが出演していた煙草のCMのものだったと思うのだがここ最近ほんとにそうだよな、って思っている。誰かに対してというより自分も含めて誰もがそう。

 年末位に話せば分かると思っていた相手に苦言を呈した所「色々言われて傷ついた」と騒がれて本当に疲れたので関わるのをやめた。その時はそれこそ裏切られたような気持ちだったのだけれど、よく考えたらこちらが勝手に期待していただけだったのだ。
 
 そういう相手に対して働きかけようとした自分の責任であってそれ以上でもそれ以下でもない。シンプルな話である。もっと言えばこの世に存在する事象の殆どは自分の責任であり自分が招いたことである。良い事も悪い事も。



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 今年に入ってからブログを全然更新していなかったのですが演奏は続いております。もう10本くらいやったのかな。野暮用で海外に行ったりとかバタバタしててさ、ライヴ本数減るかな、と思ってたらむしろ増えてる。大丈夫だろうか。去年も減らそう減らそうって思ってたのに結局98本。減る減る詐欺。
 だけどコレ読んでる人に分かって欲しいのは一本一本のブッキングに意味があって同じライヴは二度とない、って事。誘ってくれた人の思い、演奏する人の思い、その場その場に色々な人の大切な思いが込められている。
 とりあえずさ、明日のライヴには来てみてよ。友達誘ってもいいし、一人でふらりと来てもいいし。
 いつもやってるし、いつでも見られるし、とか思ってると急にいなくなっちゃったり、死んじゃったりするからさミュージシャンって。


★2016.3.11(金)
高円寺mission's
山崎怠雅グループ&高円寺mission's共同企画
「散歩する惑星Vol,3」

出演:
早川義夫
殺生に絶望
キャスバリズム
山崎怠雅グループ

OPEN18:30
START19:00
ADV \2,000 / DOOR \2,500 + 1drink(\500)

 高円寺Club mission'sと僕のハードロックバンド、山崎怠雅グループの共同企画「散歩する惑星」第3回が開催されます。
 昨年の第1回ではドラびでおこと一楽儀光さん、第2回では割礼の皆さんをゲストにお迎えしましたが、今回は早川義夫さんをお迎えしてお送りします。
 僕は20年くらいバンドやって自作の歌を歌っていますが、そもそも自分が日本語で、自分の言葉で歌を歌おうと思ったきっかけは早川さんの歌を聴いたからなのです。今回、このバンドで早川さんとご一緒出来ることを嬉しく思います。
 また、他にもmission'sではもうおなじみのキャスバリズム、そして以前から何度か競演して大好きになった殺生に絶望も出演します。
 とても良い夜になります。
 きっとこの日は他の場所でもたくさんの価値あるイベントが行われている事でしょう。だけど僕らも負けずにがんばります。
 宜しくお願いします。


 早川さんとセッションもするかも。

lenoir at 16:09|Permalinkclip!

2015年12月29日

I've been waiting so long

 Twitterにも書いたのですがジミヘンのBBCセッションで「Hey Joe」途中で止めて「sunshine of your love」を演奏し始めるやつ、もう何回聴いたかわからないし、クリームも全然好きなバンドじゃないけど、聞き返してたら何故か涙が出てきた。例えようもない美しさを感じたんだけど何故だろう。
 「Hey Joe」に関してはたぶんもう演奏し飽きたのだろう、という位グダグダで、チューニングは狂っているしテンションは低いしであまりよい演奏ではない。しかし1コーラス目が終わるや否や唐突なエンディングに続いて「こんなしょうもない曲はヤメだ。エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルースに捧げる」と告げて「sunshine of your love」を演奏し始める。さっきまでのグダグダはなんだったのだろう?と思うほどの素晴らしいテンション。ヒットソングなんてもういいでしょ?今は数ヶ月前に解散した尊敬する友人達の曲を演奏したいんだよ、というTV番組なのに段取り無視の乱暴狼藉。それを聴いていたら何故か涙が出たのだ。
 多分そこにあるのは音楽、そしてそれを奏でる人間への誠実さ。人の心を打つのは誠実さ、それそのものなのだろう。
 振り返って自分。果たして誠実な演奏をしているだろうか。他者に対して誠実でいるのか。まったく自身がないのだけれど、ぬるぬると足跡を残し続けている。今年もよく演奏しました。

2015/01/01 フビライ・パンチ 高円寺mission's
2015/01/08 チバ大三&山崎怠雅 荻窪Club Doctor
2015/01/09 灰野敬二サポート 青山月見ル君想フ
2015/01/16 弾き語りソロ 新宿御苑前RUTO
2015/01/22 山崎怠雅グループ 高円寺mission's
2015/01/23 鬼平+石塚俊明+田中眞紀子+山崎怠雅 学芸大学APIA40
2015/01/25 弾き語りソロ 野毛ボーダーライン
2015/01/27 魔術の庭 荻窪Club Doctor
2015/01/29 鳥を見た 荻窪Club Doctor
2015/02/02 藤井政英+南部輝久+山崎怠雅 高円寺mission's
2015/02/05 セッション 高田馬場jetrobot
2015/02/08 弾き語りソロ 亀有KID BOX
2015/02/09 鳥を見た 高円寺mission's
2015/02/12 弾き語りソロ 新高円寺STAX FRED
2015/02/20 弾き語りソロ 高円寺Uha
2015/02/25 魔術の庭 新大久保アースダム
2015/02/27 山崎怠雅グループ 吉祥寺Planet K
2015/02/28 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/04/03 灰野敬二&山崎怠雅 渋谷ラストワルツ
2015/04/05 弾き語りソロ 亀有KID BOX
2015/04/09 弾き語りソロ 高田馬場jetrobot
2015/04/12 弾き語りソロ 大久保ひかりのうま
2015/04/17 弾き語りソロ 神保町視聴室
2015/04/19 弾き語りソロ 市川アルマナックハウス
2015/04/22 ジンギス・パンチ 高円寺mission's
2015/04/23 鳥を見た 四谷アウトブレイク
2015/04/24 山崎怠雅グループ 巣鴨獅子王
2015/04/25 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/05/04 山崎怠雅&アキラ&南部輝久 高円寺Studio DOM
2015/05/07 魔術の庭 高円寺ショウボート
2015/05/16 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/05/18 山崎怠雅グループ 高円寺mission's
2015/05/20 山崎怠雅クインテット 高円寺Uha
2015/05/22 鳥を見た 高円寺mission's
2015/05/29 弾き語りソロ 荻窪ドクターズバー
2015/06/11 山崎怠雅&アキラ&南部輝久 高円寺mission's
2015/06/12 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/06/16 弾き語りソロ 大久保ひかりのうま
2015/06/25 山崎怠雅グループ 高円寺mission's
2015/06/26 魔術の庭 新宿URGA
2015/06/27 弾き語りソロ 戸頭はこカフェ
2015/06/30 弾き語りソロ 大久保カフェアリエ
2015/07/01 弾き語りソロ 千駄木Bar isshee
2015/07/04 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/07/07 鳥を見た 荻窪Club Doctor
2015/07/10 灰野敬二&山崎怠雅 渋谷LUSH
2015/07/11 弾き語りソロ 高田馬場jetrobot
2015/07/13 ジンギス・パンチ 高円寺mission's
2015/07/14 弾き語りソロ 池袋鈴ん小屋
2015/07/17 山崎怠雅ヨッピーあをい 巣鴨獅子王
2015/07/28 サヴァン道 高円寺mission's
2015/08/04 鳥を見た 荻窪Club Doctor
2015/08/05 弾き語りソロ 亀有KID BOX
2015/08/07 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/08/11 山崎怠雅クインテット 高円寺Uha
2015/08/21 山崎怠雅&井上順乃介 巣鴨獅子王
2015/08/23 弾き語りソロ 阿佐ヶ谷ヴィオロン
2015/08/24 Fuzz野Dub彦 江古田フライングティーポット
2015/08/26 山崎怠雅&アキラ&南部輝久 新大久保アースダム
2015/08/29 山崎怠雅クインテット 吉祥寺曼荼羅
2015/09/01 鳥を見た 荻窪Club Doctor
2015/09/06 弾き語りソロ 荻窪ドクターズバー
2015/09/07 弾き語りソロ 高円寺mission's
2015/09/10 弾き語りソロ 渋谷LUSH
2015/09/12 弾き語りソロ いわきバロウズ
2015/09/13 弾き語りソロ 福島C-moon
2015/09/19 なかお山崎Duo 新宿ソウルキッチン
2015/09/20 山崎怠雅クインテット Dues新宿
2015/09/23 藤井政英 新宿ソウルキッチン
2015/09/25 山崎怠雅グループ 高円寺mission's
2015/09/28 山崎怠雅&アキラ&南部輝久 高円寺mission's
2015/09/29 鳥を見た 高円寺mission's
2015/09/30 魔術の庭 阿佐ヶ谷YellowVision
2015/10/03 弾き語りソロ 亀有KID BOX
2015/10/08 Electric Solo 高円寺mission's
2015/10/11 サヴァン道 神戸新開地・壱番☆食堂
2015/10/11 サヴァン道 十三クラブオォーター
2015/10/14 セッション 高田馬場jetrobot
2015/10/16 あをい+ヨッピー+アキラ 巣鴨獅子王
2015/10/17 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/10/21 坂口諒之介レコ発 東高円寺UFO CLUB
2015/10/22 魔術の庭 高円寺mission's
2015/10/24 弾き語りソロ 市川アルマナックハウス
2015/10/30 弾き語りソロ 高円寺Uha
2015/11/07 弾き語りソロ ひかりのうま
2015/11/10 サヴァン道 高円寺mission's
2015/11/14 弾き語りソロ 荻窪ドクターズバー
2015/11/16 高原朝彦Duo 千駄木Bar isshee
2015/11/21 山崎怠雅クインテット 高円寺Uha
2015/11/22 山崎怠雅グループ 福生チキンシャック
2015/11/26 山崎怠雅グループ 渋谷Lamama
2015/11/28 弾き語りソロ 新宿ソウルキッチン
2015/11/29 サヴァン道 いわきソニック
2015/12/04 怪獣トーク 黄金町試聴室その2
2015/12/05 弾き語りソロ 戸頭はこカフェ
2015/12/08 魔術の庭 新大久保アースダム
2015/12/20 魔術の庭 阿佐ヶ谷ロフトA

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2015年11月24日

eve (2)

 フェスタが終わり、なんとなく燃え尽きたような気分になっていた頃に年が明けたら受験の準備をするのでバンドを辞めたい、とBから申し入れがあった。彼との関係は良好だったので特に揉める事もなかった。年明け1月の月刊ライヴでの演奏を最後に彼は脱退し、センターにも来なくなった。

 同じ頃に活動を始めたのが「eddy」だった。TMさんと「フォーク」をやろう、と言って始めたデュオ(このユニットは1999年の初頭まで活動した)。この辺りから自分より年上のミュージシャン達とのセッション等も増えだした。

 ベーシストが抜けてWと二人になり、バンドは活動を止めた。しかしながら僕は演奏を続けたかったし、Wは生まれて初めて学校の外で広がったコミュニティを手放したくなかったようだ。同時期によくセンターで顔を合わせていた女子達のバンドが解散した。ドラマーとギタリストが抜ける形で。僕らは彼女らに声をかけ新たなバンドを組んだ(こうした離合集散は当時僕らの周りで頻繁に起こっていた)。1996年の春だった。

 初心者のバンドによくある話で最初はコピー曲を練習し上達したらオリジナルを…というのを僕らも考えていた。しかしある時期からベースのYさんが練習に来なくなった。と、時期を同じくしてWがドラムスクールを辞めた。曰く、もう習う事はない、と。
 最初は何が起こったのかわからなかった。2年弱で「習う事がない」状態には上達していないし、Yさんも事情を聞いたところで何も話してくれない。
 結局他の女子メンバー経由で分かったのは女性に免疫の無かったWが暴走しYさんに告白するも振られ、諦めきれずにストーキングを始めた、という事だった。
 ショックだったと同時にある種の諦念を抱いている自分もいた。わずか数年のバンド活動ではあったけれど自分にとってはかけがえのない時間であり、「場」であった。だが他人にとってはそうではなかった、というだけの話である。2回ほどライヴをやった後、バンドは消滅した。

 時期を同じくしてセンターが無くなる、という噂が聞こえだした。当時の青島都知事が「都市博」を中止にしたしわ寄せで、お台場に移転する、というのである。まるで当たり前のようにあり続けると思っていたものたちが、次々と変わり始めた。

 バンドが消滅した後も友人たちと「音楽室」を利用したかったのだが、件のストーキングを窘めたところ逆恨みされて利用申請の書類をWにすべて持ち逃げされてしまった。本人はバンドが消滅したのだから申請書類は無効、なので持っている自分がどうしようとお前には無関係だ、と言っていたが、共通の友人に「山崎が利用できなければそれでいいんだよ」と漏らしていたのを聴いているのでまあ「復讐」なのだろう。分かり合えないことというものも、ある。季節は夏になっていた。

 センターの閉鎖、移転がその年の11月になることが決まった。そして飯田橋最後のフェスタも10月に行われることがアナウンスされた。

 その頃、センターのロビーや図書室で受験勉強をしている浪人生がいた。マッシュルームカットのような髪型で少しふっくらした顔だちなので幼く見えるが一つ年上だった。彼が勉強しに来ているのにそのすぐそばで僕達は騒いでいたので大層鬱陶しかったらしい。何かの用事で彼が受付カウンタ付近に来た時に東郷さんと雑談を交わし、その流れで僕とも話すようになった。浪人中なのでバンドをやっているわけではないがベースを弾いているという。名前を石川君と言った。そんな感じで言葉を交わしてるうちに試しに一緒に演奏してみようという話になり、キャンセル枠や平日昼間で音楽室が空いている時になんとなくセッションをするようになった。特に彼の演奏に感銘を受けたりした事はなかったものの性格がとても良かったので仲良くなって行った。

 石川君の話が出たなら外山君の話もしなければならない。センターに出入りしている面々の中で最も付き合いが古い友人。というのもセンターに通いだすずっと前からの友人で、彼もまた僕と同時期にバンドを初めて練習場所を探した末にセンターにたどり着いたのである。当時隆盛だったメロコアを演奏していたのだが、元々はメタルやハードロックを聴いていた。

 9月の頭頃、バンド活動をしていなかった僕は唐突に自分のソロの音源を作ることを思い立った。実は夏になる前にも宅録でカセットテープを製作したのだが打ち込みのドラム音源の音が本当に不満で、やはりバンドサウンドはせーので演奏してなんぼだよな、とか思っていたのである。僕の歌を外山君のバンドに演奏してもらってギターと歌で自分が参加するというアイデアを思い付いた。前年にリリースされたニール・ヤングとパール・ジャムの共演作「ミラー・ボール」のイメージがあった(尤も、そのアルバム自体はあまり刺激的ではないものではあったのだが)。
 ある日曜日、外山君と僕は何故か葛西臨海公園の芝生に座っていた。ビールを飲んでいたような気もするが定かではない。とりとめのない話の後「音源を作りたいので演奏してほしい」と伝えた。すると彼は「OK!やろうよ!オレがドラムを叩くよ」と答えた。当初の予定と違ったけどそれもまたよしだ。

 一発録りに頑なにこだわっていたのでベーシストが必要だ。その頃よく一緒にセッションをしていたベーシストは志川君、東郷さん(今ではドラムしか演奏していないが、かつてはベーシストでもあった)、Hという同年代の青年。このHという人物が伝説的な虚言癖で、それだけで別に記事が書けるので省くが、とりあえず自分の音源で演奏を任せたい相手ではない。東郷さんも自分のバンドを2つとセンターの職員の業務で忙しそうだ。という事で石川君に頼むことになった。

 数回のリハの後、3時間くらいで3曲を録音した。悪くないと思った。外山君のドラムはパワーや安定感はないものの歌心があった。石川君は今迄一緒に演奏したことのないスラップベースのスタイルを僕の曲に取り入れた。なんとなく録音した曲以外の曲も演奏し出して、以前のバンドのレパートリーも復活させるようになった。

 何度かリハに入っているとフェスタの出演バンドに空きが生じたから演奏しないか、という話が来た。録音の為のユニットだったはずがバンドになって行った。おかげで石川君はもう1年浪人するハメになった。
 バンド名を決めてくれ、と言われたけれど長く続けるバンドになると思っていなくて喫煙所に転がっていたペットボトルを拾って「これ、バンド名ね」と言った。誰も文句を言わなかった。この日から僕ら3人は「安曇山水」になった。

 前年よりも規模を拡大し、2日間に渡って行われたフェスタの1日目のトップに出演した。全曲自分のオリジナル曲。もうこのころにはそれが当たり前になっていた。PAは再び近藤さんだった。もうあれこれ注意されることはなかった。

 1か月くらい後に最後の月刊ライヴが開催され、音楽室常連のバンドが揃って出演した。安曇山水も出演した。これが飯田橋のセンターで演奏した最後になった。その数日後、センターは閉鎖された。最終日、頻繁に出入りしていたメンバーが皆集まり、別れを惜しんだ。ちょっとした卒業式のようだった。いつもは僕らに偉そうに振る舞うNさんが嗚咽していた。この人の事が本当に分かったのはこの時だった。
 みな口々にセンターが無くなっても友達でいよう、と呼びかけ合った。お台場に移転しても変わらず通おう、と。職業や年齢を超えてお互いの傷をなめ合うように寄り添い合っていた仲間たちは、それからも変わらず付き合い続ける。そうみんな信じていた。


 その後お台場に移転したセンターは立地の悪さと有料化が利用者の減少に拍車をかけ2004年に廃止された。

 安曇山水は飯田橋でのセンター閉鎖後、都内のライヴハウスに出演し始め、2001年の3月まで活動した。最後の1年ちょっとはサイドギターが加入した。現在山崎怠雅グループでベースを弾いているなるけしんごである。

 職員だったNさんはその後も付き合いは続き、一年位バンドを組んだこともある。山崎怠雅グループのドラムの片野君はその時のメンバーである。

 東郷さんとは数年連絡を取らなかったり、仕事がない時に毎日のように彼のオフィスで駄弁ったりしていた時期を経て、2008年から鳥を見たで一緒に活動している。

 もう一人の職員だったIさんは2003年頃、若くして亡くなったという話を聞いた。

 外山君は麻布でスタジオを経営しつつ、作曲家としてアイドルに楽曲を提供したりしている。

 石川君は音楽活動から一切身を引きダイバーの仕事をしている。

 ただ、
 あの頃に周りにいたバンドは皆解散し、彼らの消息はわからない。
 そして
 あの時に夜遅くまで語り合った沢山の「友人」達とはすぐに連絡を取らなくなり今はどこで何をしていることやら。


 まあ、そんなもんだよな。

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2015年11月18日

eve

 生まれて初めてバンドを組んだのは1993年の事。音楽的にどうのこうのと言うよりは親しい友人となんとなく、というのが正直な所ではある。同時期にやはり友人、知人同士で「誰それと誰それがバンドを始めたらしい」という話題がちらほら出ており、それを自身でも実行しようと思うような切欠は沢山あったような気がする。
 音楽の話を通して親しくなったMと、その前から親しかったWに声を掛けた(このWが実は藤井政英君の同級生だった事が今年判明)。Mが最近覚えたギターを弾いて歌い、Wには初期費用があまり掛らないドラム(スティックだけ)をやらせて、僕は空いたパート、かつ家に楽器があったという理由でベース。とりあえず飯田橋にあったスタジオを1時間だけ予約して各々個人練習したのち、生まれて初めてのリハを行った…ガッカリした。勿論三人ともバンド演奏初体験、そして楽器自体が初心者。まともなサウンドになる訳がないのだが、まだ子供だったので何故お手本通りにならないのか全くわからなかった。ちなみに演奏した(しようとした)のはT.REXの「Get it on」。
 上手くいかない事があると他人のせいにする。その2年前からギターを始めていた僕は偉そうに他のメンバーを糾弾。Mはコード弾き中心のリズムギターに専念してリードは僕が弾く事に。Wにはドラムスクールに通ってもらう事に。色々と酷い。
 そこで問題になるのがベース担当の不在。周囲にベーシストは皆無。無い知恵を絞って出した結論はピアノを弾ける奴に左手でベースラインを弾かせるという案。ドアーズもそうだしZepだって曲によってはそうだ、という乱暴な理屈で加入させられたのがBだった(彼もイニシャルはMなんだけど紛らわしいのでBassのB)。
 気を取り直して課題曲を見直した。「Get it on」はなんか上手くいかないので「Jeep star」に。あとキンクスの「You Really Got Me」とVUの「White light White heat」の3曲。まったく出鱈目な選曲だ。

 その頃別の友人からこんな話を聴いた。曰く、飯田橋の駅ビルの中に無料でドラムセットなどの楽器を使える場所がある、と。即ち東京都青少年センター(以下センター)である。
 元々は「青少年」達が盛り場などに屯して非行に走らぬ様に行政がその代わりになるような場所を提供する、という感じのコンセプトで作られた施設。とはいえ「青少年」達が大人のそんな目論見通りに利用する訳もなく、ここを待ち合わせ場所にして夕方集合し数時間駄弁った後繁華街へ流れるという事が多かった(1階の植え込みの陰で煙草を吹かしたりしていた)。
 そのセンターに「音楽室」があった。月3回まで無料で利用出来て、ドラムセット、ギター&ベースアンプ、キーボードが常設してある。なので周辺の若者達(主に学生)がバンド練習で使用する為に毎月争奪戦になっていた。スタジオを借りたら1時間3000円掛かる所がこの施設ならタダになる。早速僕らはこの施設を利用する事に決めた。1994年になっていた。

 秋の学園祭を最初のライヴとする事に決め、春から練習を始めた。最初は相変わらずガチャガチャと騒音を立てるだけだったが月3回練習をしているとそれなりに纏まってくる。レパートリーも少し増えた。
 月3回センターに足を運んでいると職員とも顔なじみになってくる。特に親しくなったのはNさん、Iさん、Tさんの3人。それぞれギタリスト、ベーシスト、ドラマーだった。N、Iの両氏は体育会系出身で、ほぼ初対面の僕達に命令口調で話し暴言を吐くので最初の頃は苦手だった。もう一人のTさんは元々センターの利用者で、年齢は僕より10歳くらい上。東京都の施設の職員なのに後ろの髪の毛だけを長く伸ばし他の部分は切り揃え眼鏡の奥の眼光は鋭く、話し始めると謎の理屈で畳み掛けてくる変な人だった。3人並べる都合で回りくどくイニシャルで書いたが彼が現在でも鳥を見たで共に活動する東郷さんである。当時は格闘老人(けんかじじい、と読む)というバンドで活動していた。


 秋の初ライヴを終え、その後の予定の決まっていない僕らは、それでも毎月3回練習をしていた。そんな時、東郷さんから「音楽室」の利用者を集めてホール(センターの中の多目的ホールというでかい会議室みたいな部屋)で年明けにライヴイベントをやるので出演しないか、と持ちかけられた。勿論引き受けた。このバンドでは2回目のライヴである。
 トップで出演した職員によるバンドを始め、他の出演者は皆年上だった。だけど僕らが一番古臭い音楽をやっていた。対バンが「次はバラードやります。Mr.Childrenが好きな人には気に入ってもらえると思います」というMCをしてて「そういうもんじゃねえだろ」と思った。

 そのライヴが終わった頃からボーカルのMとギクシャクしだした。一挙手一投足が鼻につきだした。お互い若さ故という部分もあるし当時彼に感じた事は今思い出しても憤るけれど、その後僕が取った行動は恥ずべきものだった。残りのメンバー2人を説得しMを馘にした。陰険なやり方だ。1995年も春を迎えていた。

 3人編成になると同時にBが「俺、鍵盤でベースライン弾くのかっこ悪くてやだよ。ベース買うよ」と言って楽器を買った。見た目は普通のロックバンドっぽくなった。
 レパートリーも少しずつ変化した。英国のバンドの曲が減り、ニール・ヤングの曲などが増え始めた。日本語のロックも演奏し始めた。コピーを数曲演奏しつつ、練習に自作の日本語曲も持って行くようになった。

 年明けに出演した企画ライヴはほぼ毎月続いていた。「利用者同士の交流」を目的として東郷さんが「月刊ライヴ」と銘打って開催していたのだ。まだコピー中心で演奏力も不安な僕らは次の月刊ライヴを目標に練習を続けた。
 その少し前から他の利用者とも交流が生まれ始めた。東郷さんの学生時代のバンドメンバーだったTMさんもその一人だった。体育会系ではないが先輩風を吹かせてあるべき論で上から物を言う人だった。ただ、そういった類の人が僕の周りに居なかったので、また凄い自信たっぷりにあれこれと言われたのでミュージシャンを続けている人というのは凄いな、目の付け所が僕らとは違うな、と素直に感心していた。顔を合わせる度に音楽の話をして、ギターを一緒に弾くようになった。

 6月の月刊ライヴで3人編成になって初めて人前で演奏した。この日に初めて対バンしたバンドのメンバーにはその後も長く交流が続いた人もあった。その中にHさんという青年がいた。ギターが上手く、また目が大きく男前だったので彼がステージに上がると女子高生達が黄色い声援を上げた。そのHさんがアコギを弾いている横で歌を歌っていたのが松崎ナオさんだった。既にソニーからのデビューが決まっていたか、決まる前だったか、記憶が定かではないが彼女もまた女子高生達の憧れだった。ちなみにHさんとはその後数年に渡り交流が続くのだが、ナオさんとは対バンこそすれ、殆ど言葉を交わさずあまり付き合いは無かった。
 更に本当に余談だがこの日の客席にはその後POLYSICSに加入するSさんも居たのを思い出した。

 月刊ライヴに何度も出演していたら、秋にはセンターのロビーなどを含む全館をあげて「神楽河岸ライヴフェスタ」(以下フェスタ)という大イベントを行うので出ないか、みたいな話になった。実は前年のフェスタに観客として行っており是非やりたいと思っていたので嬉しかった。
 大きなイベントなので今迄以上にちゃんとした演奏内容にしたかった。それまで演奏していたコピーを殆どやめ、自作の曲を演奏することにした。「無駄」というタイトルの6部構成の長い曲を演奏することにした。そもそもその1年くらい前に初めてジャックスを聴いて以来、バンドでも自分の言葉で自分の気持ちを歌うべきだろう、という気持ちが高まっていたのもある。

 11月18日の土曜日、とても晴れた日にフェスタは開催された。僕らは普段ロビーとして使用されている場所に組んだ「メインステージ」と飯田橋駅に繋がる「みやこばし」の上に設置されたステージの2箇所で演奏した。他に駅ビル一回の「区境ホール」にもステージが組まれ、音量の控え目なポップスなどが出演していた。TMさんのユニットもこちらに出ていた。
 プロのPAの人に音響を任せるのは生まれて初めてだった。その頃使っていたハグストロムのフルアコがピーピーとハウるのを見かねたエンジニアから「もう少し高域を絞った方がいいんじゃないの」と指摘された。僕はその的確なアドバイスに腹を立てたのを覚えている。またボーカルマイクの使い方(真っ直ぐに声を入れないと拾わない)や、歌詞が不明瞭な点なども指摘された。全て言われて当然の事なのに不愉快だった。何故か。バカだから(人間の最も愚かな行いとは自分の正しさ「のみ」を信ずる事だろう)。
 この時、自意識過剰な子供にこうして手取り足取り指摘してくれたエンジニアがGOKサウンドの近藤さんである。その後20年近く経って灰野敬二さんのライヴの現場で再会し、更には自分のアルバム(フィクション)のマスタリングまでお世話になるとは思っていなかった。


 自分がリーダーを務めるバンドで、自作の曲を歌い、ファズギターを鳴らす。それを人前で初めて行ったのが1995年11月18日。今日からちょうど20年前である。この日から僕の人生は割とひと続きになり「自分はずっと同じ事を続けていて」周りの環境が移ろって行く、という感じ方になった。


 続きはまた書きます。上で紹介しかしてない人の話とか、まだあるので。


 そしてこの週末に松崎ナオさんと20年ぶりに対バンをするので少しばかり気負っています。

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2015年10月13日

呪い?

 という訳でサヴァン道(チバ大三・浅野廣太郎・モンジ・山崎怠雅)初の関西遠征2days終了しました。聴きに来てくれた皆様、競演の皆様、会場の皆様、ありがとうございました。今は帰りの新幹線です。

・トピック

1.
 出発2日前に10/11神戸のホテルを1日間違えて予約していたことが発覚。キャンセルして取り直そうとするも3連休の中日なので会場(新開地一番星食堂)の近くのホテルは通常の3倍位の値段。諦めて三宮に泊まることに。サウンドチェックの後、ホテルを楽屋代わりにすればさぞ楽だろう、という目論見は脆くも崩れ去る。

2.
 最終日の復路は新幹線(ぷらっとこだま)にしようと思い予約する際、「最後の日だから昼間はメンバーと酒でも飲もう」と夕方の便を予約。しかし後から他のメンバーは翌日朝が早いので2日目の夜中にバスで帰るという事を知る。なんてことだい。

3.
 往路は飛行機、と決めていたのだが節約の為に朝一番の羽田発を予約。楽器を預ける都合等もあり自宅を4:20に出発。起床は3:45。最早朝ではなくて深夜。身体がとてもきつい。

4.
 そんな早い飛行機に乗った為、朝8:00位に神戸に着いてしまう。お店は何処も空いておらず暇を持て余すことに。24時間営業の神戸ラーメンのお店に行くが、そのアッサリした風味とは裏腹に脂が多く胸焼けする。

5.
 そんな事をしていたら本格的に身体がしんどくなってきたのでネットカフェに入る。どうにか休息を取る事が出来たが、神戸まで来てネカフェに行く事の虚しさと敗北感。しかも安くない。

6.
 ネカフェに二時間以上いたが入り時間まではまだまだ時間がある為、南京町《中華街)に足を運ぶ。が、時は3連休の中日。全ての店には大行列が出来、観光客でごった返し食べ歩きどころではない。あまりの人の多さに機嫌が悪くなってきたのでせめて町の中心にある豪奢なあずまやを見物して帰ろうと思ったら工事中。脱力。

7.
 泣きながら(嘘)三宮駅まで戻り昼食をとる店を探す。通りがかった海鮮丼店に入る。ネタの鮮度は低く、量は少なく、タレの味が濃い。美味しくない。その後すぐにチバ・浅野組に合流した所、彼らは別の店でやはり海鮮丼を食べたらしく「美味かったよ!」と言われ悶々とする。

8.
 夜は神戸新開地一番星食堂にて演奏。全5組それぞれ40分目安で、という話だったが始まってみると皆30分足らずで終わる。結局予定時間よりも1時間以上早く演奏が始まり、早く終わった…。

8.
 翌日、チバ・モンジ組、浅野・怠雅組に分かれて行動。僕と浅野さんは楽器が重いので十三のホテルやロッカーに置きに行こう、と十三へ。僕がホテルに向かおうとしていたら十代の時にお世話になった恩師(以下先生)に会う。実は最終日、上記「2」の理由から数年前に大阪に転居した先生に会う約束をしていた。今日も十三に用事でもあるのかな、と思ってると話がかみ合わない。で、驚愕の事実。僕が最終日だと思って伝えた日にちが1日間違っていたのである。己の粗忽っぷりに膝から崩れ落ちる。とはいえ、逆に日にち間違えてたのにピンポイントで会えたのはミラクルだよね、という事で浅野さんと先生と僕でネギ焼きの元祖「やまもと」へ。美味。

9.
 先生と別れ、周りの友人達に何度も勧められた西成の「難波屋」という立ち飲みに向かう。御堂筋線の動物園前から歩いて阪堺線の軌道を越えたあたりからディープな空気に。軽い緊張とともに難波屋にたどり着くとそこには「本日貸切」の貼り紙が。軽い絶望。踵を返し新世界へ。

10.
 夜は十三club warterにて演奏。ベースアンプの音量が急に上がったり途切れたりする。面白いんだけど普通に演奏するのには向かない。inputが2つあったのでもう一つの方に変えても結局同じようにブツブツなる。DIを替えてもダメ。本番になるとモンジ君のドラムの音量が上がり、ドラムに合わせてブツブツ言う。どっかの接触だろう。最後の手段でエフェクトリターンに突っ込んだら解消。なのでinputが内部でダメになってたみたい。やはり自分のアンプ買わないとダメだな…。演奏の評判はよかったけど。

11.
 最終日。とりあえず観光客らしいものを食べようと自由軒の名物カレーに足を運ぶ。定休日は月曜日。だがしかし連休明けで振替休日…。軽い絶望。なので梅田でインデアンカレー食べました。


 という事で色々ありましたがどうにか全てのやることは終わり今帰路です。こだま号なので東京に着くのは夜ですが。


 今週は重要なライヴ、興味深いブッキングがあります。

 明日10/14は浅野さんが2009年から続けてきた企画「忘れたいのに思い出せない」の最終回。YouTubeには第1回の時の動画がまだあるね。今迄毎月第一木曜だったのが何故最終回だけ明日なのかというと、明日があしりれらの命日だから。もう1年か。という事で僕は弔いの演奏をするつもり。皆んな一緒だと思う。

 金曜日10/16は巣鴨獅子王であをいちゃん、よっぴーさん(イレイサーズ)、アキラさんとの演奏。前回あをい・よっぴー組との演奏の際にアキラさんが見にきてくれて、実はあをいちゃんを以前から知っていた事が判明。じゃ次は一緒にやろうよ、みたいな。よっぴーさんは仙台から駆けつけます。

 土曜日10/17は新宿ソウルキッチンにて弾き語りソロです。てあしくちびるの河内伴理君が2年ぶりにソロで歌います。元々彼は優れたメロディを紡ぐシンガーソングだったのだがてあしくちびるで活動を始めてからは意図的にメロディや情緒性を排除した表現に向かっていった。そんな彼が久しぶりに一人で歌うのだからこれはもう来るしかないのだ。僕と伴理君の他、柿崎タカヒロ君やエドックスドロウ改めflying bed氏も出演します。必見。

 っていうかさ、月に何本もライヴやってますけど、それぞれ違う意味があって、重みがあって、一つとして消化試合なんてない訳です。だから本当は全部「必見」なのよ。
 それは僕に限らず本気で取り組んでる連中は皆、命削って、寿命減らしながらやってるんだから、いつでもやってるから今度でいいや、っていう考えは捨てておくれ。

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2015年10月11日

モレ

 今日から神戸、大阪とサヴァン道の遠征。今ちょうど羽田から離陸した所。神戸に向かう飛行機は小さな機体なのでよく揺れる。飛行機事故で死んだロッカーと言えばロニー・ヴァンザントとかランディ・ローズとか色々いるが、もしこの機体が墜落したら僕もその系譜に加えて貰えると嬉しい。スターじゃないけど。


月刊山崎怠雅

9/12〜13

 秋田の鬼平さんに誘われて福島2days。鬼平さんとは2009年に群馬の音楽喫茶虫の音で知り合った。歳は向こうがちょっと上だけど好きな音楽が近い。鬼平さんは元々ジミヘンからブルースに行って、今は民謡とか瞽女歌に影響受けたオリジナルを歌ってる。変なチューニングとかもする。
 鬼平さんは僕にとって政敵っていうような存在なのかも。きっと目指す所はほぼ同じだけどやり口が全然違う。だからこそある時は共闘できるし、そうでない時もリスペクト出来る、しあえる。愛とは、友情とはそういうものであって欲しい。
 今回の福島遠征は2日間。1日目はいわきバロウズ。昨年独唱パンクで行ったいわきソニックの系列である小さなバー。共演は詩織さん、geruさん。geruさんの歌が心に沁みた。終演後、お店の人がピザを焼いてくれた。ピザ、普段食べないけどとても美味しかった。
 二日目は鬼平さんの車で福島市に移動。道中好きなミュージシャンの話とか、嫌いなミュージシャンの悪口とかで盛り上がった。以前からFacebookでおちょくってたミュージシャンが僕との共演はNGと表明していると聴いて爆笑した。この日はC-moonという、福島市内で一番大きなお店。競演は地元の若者達。何か大切なものを伝える事が出来たらいいなあ。17年前に一緒にバンドをやっていた友人が聴きに来てくれた。奥さんが熱を出したので飲みには行けないと言う。いや、来てくれただけで感謝だよ。とても大切な友達。

9/19

 新宿ソウルキッチンにてなかおちさとさんとデュオ。二人ともアコギ。もうだいぶ前からずっと言ってますがなかおさんは歌詞とメロディの人なのである。今回のデュオでさらにその思いを強くした。

9/20

 9月頭にリリースされた編集盤「アンソロジー」のレコ発。来て頂いた皆様ありがとうございます。昨年「モノリスと海」のレコ発と同じくDues新宿にて。さらに昨年と同じく外はお祭りだった。

9/23

 新宿ソウルキッチンで藤井政英君のソロに4曲参加。ダンエレクトロのベースをヌルヌル弾いた。翌週への布石り

9/25

 高円寺Mission’sにて山崎怠雅グループのライヴ。この日はずっと温めていた企画「灰野敬二+グンジョーガクレヨン・LAPIZ TRIO・山崎怠雅グループ」の3マン。お客は多くなかったけど歴史に残る夜になったと思う。っていうか灰野さん、組原さん!ラピスさん。みんな還暦越えてあのエネルギー。ああいった先輩方がバリバリ現役であるうちは我々などいつまで経っても下積みである。くそう。終演後は真夜中まで横山玲さんと呑んで話す。玲さんの口から「冨士夫ちゃんも言ってたよ」という言葉を聞くと胸が張り裂けそうになる。

9/28

 南部輝久君、アキラさんとのトリオ@高円寺Mission’s。いよいよ単なるブルースロックになってきた(笑)。よく飲み、よく語る。

9/29

 二日続けてMission’s。もう住んだ方が楽なのではないか。南部輝久君と藤井政英君のデュオに3曲ほどベースで参加。藤井君の曲は同世代としてとてもしっくりくるので好き。だから彼の曲にどういったベースが必要か、よくわかる。本人にも喜んでもらえてたらいいなあ。あと、終演後藤井君が僕の髪を撫でている写真があるのだがゲイカップルに見える。いや、ゲイっていうかオカマの彼女を愛でる男、か。
 この日のラストは鳥を見た。久しぶりにSGベースでぶるんぶるん言わした。

9/30

 阿佐ヶ谷yellow visionにて魔術の庭アコースティック。OAに坂口諒之介君。録音を経て歌が良くなった。ギターはメタクソてましたが。この日は客席にフリクションのRECKさんが。10代の時からファンなのですが面識がないので緊張。その思いを伝えたくて何か話したかったのですが、結局交わしたやりとりは
僕「あ、トイレ待ってます?」
R「いや、どうぞ」
僕「ありがとうございます」
だけだった。情けない。
魔術の庭の演奏は2時間以上の長丁場。轟音がない代わりに福岡林嗣さんの詩情が浮き彫りになるよいステージだったと思う。家が遠い人にはごめんなさい。

10/1〜2

 灰野敬二さんの「奇跡」に参加。ジョン・ケージの「4分33秒」への回答。演奏しない、事に対して徹底的に肉体で演奏する、というアンチテーゼ。88鍵のグランドピアノを88人の指で弾く。結果、潜り込む人、吊るされる人、子供の動員など阿鼻叫喚。結局センサーが反応せず「奇跡」は起こらず。しかしながらあまりに途方もない試みにこれだけの人数の人が共感して参加した事実が美しい。
 「奇跡」は起こらなかった。それもまた人間らしい話である。

10/4

 半年に一度のお楽しみ、亀有KID BOXでの「亀有フーテナニーvol,5」。出演はビリビリ焼きそば、ロットン瑠唯、朱音、僕。全員生音の弾き語り。ビリビリ焼きそば君は20歳を過ぎたばかりの青年。真摯なアコギ弾き語りなのに歌い方がちょっとビジュアル系なのが面白い。ロットン瑠唯ちゃんは4年前にオーストラリアから来た女の子。英語混じりの歌が不自然じゃない。洋楽みたい。朱音ちゃんは昨年知り合ったミュージシャン。テクニカルなギターに歌謡味溢れる歌。大好き。この日はよく飲んだなあ。

10/8

 高円寺Mission’sでelectric solo。エレキ弾き語りではなくて、エレキギター独奏。途中ちょいちょい歌いましたが。どうなのかな、これ。自分で録音聞く分には好きなんだけど。初の試み。


 そうこう言っているうちにもう神戸に着きそう。あと15分。そしてとてもトイレに行きたいのにシートベルト着用のサイン。ビール2杯飲んだからだな。窓の外はまだ雲海。漏らすわけにはいかない。

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2015年09月14日

フネ

 7月から続いていた坂口諒之介君の録音関連が一段落。僕も頑張ったが彼もよく頑張った。泣くまで追い込まれても挫けずにやりきった。別に思い出作りに付き合ったわけではないのでこれで終わりではない。この音源を引っさげてのライヴ活動、そしてさらに次の作品。今回のものよりも良いものを作らなければ意味がないので大変だ。ある一定のレベルに到達すると今迄見えなかった事がクリアになる。なので自ずとハードルも上がっていく。毎回最高傑作を作るつもりでやるのだから当たり前の話。
 この事だけに限らず、一つの事が終わるとそれを踏まえてさらに大変な事が起こるのだから人生は苦闘の連続である。ラクになる事なんてない。対処の仕方が上手くなって耐性がつくだけだ。しんどい事の方が遥かに多いのだ。

★月刊山崎怠雅

8/21

 巣鴨獅子王で井上順乃介君とデュオ。僕はベースをもりもり弾きながら歌った。古い日本のロックなど。最後は高瀬大介の曲で締めた。これが友情というものだ。

8/23

 阿佐ヶ谷ヴィオロンで弾き語り。elgaさんと二人会。お互いの曲に歌詞を付け合う、とかelgaさんのステージに全曲参加とか、やることいっぱい。楽しかったです。
 ステージでウイスキー呑んでたらお店のマスターに叱られました。郷に入れば郷に従え。僕が悪かったです。

8/24

 江古田フライングティーポットで久しぶりに演奏。横井義明さんと片野君との3人でDub的なやつ。バンド名はFUZZ野DUB彦。演奏中コンセントが数回抜けて結局最後は直で弾いてました。終演後に行った台湾屋台がなんとも言えない店で実によかった。

8/26

 南部輝久君とのアキラさんとのトリオ@新大久保アースダム。いつもよりちょっとブルージーだった。

8/29

 エルカセット主催のカレーロックフェスティバル@吉祥寺曼荼羅。山崎怠雅クインテットで出演。一年に一回、十回目の開催。続ける事は美しい。エルカセットの皆さんとも17〜18年位の付き合い。みんな元気で頑張ろう。

9/1

 鳥を見た企画「psychedelic summer series」最終回。今回は女装は無し。宍戸幸司さんの弾き語りが本当に素晴らしくてドキドキした。川口さん達もカッコよかったなあ。Twitterにも書いたのですが、鳥を見たの事をサイケだとかヘヴィロックだとか言ってるけどステージでつい荒ぶってしまうなかおさんを見てて、実はパンクバンドなのではないか、と。

9/5

 河内伴理君と朝から待ち合わせして千葉の山奥にアリランラーメンを食べに行く。最初竹岡の梅乃家に行こうとしてたのだがなんと休業中。勝浦タンタン麺かアリランラーメンだったらどっちですか、との伴理君の問いに迷う事なくアリランラーメンと答える。携帯の電波も怪しい山奥で啜るラーメンは絶品であった。

9/6

 チバ大三さん主催「生々アワー」@荻窪ドクターズバー。弾き語り4人。よく飲みよく語る。

9/7

 高円寺Mission’sに急遽弾き語りで出演。よく飲みよく語り若者に腹をたてる。

9/10

 渋谷LUSHで弾き語り。久しぶりにミヤザキナオコ&たけちゃんと共演。「スノードーム」を一緒に歌う。いい歌だなあ。対バンにRyo Hamamotoも居て楽しかったです。



 で、昨日今日と福島二箇所で秋田の鬼平さんとツアーしてました。その事はまた後日。

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2015年08月19日

遠くへ行きたい

 気がつけば前回のブログからもう一ヶ月。月日が経つのは本当に早い。前回「週刊」って日々の報告を載せたけど「月刊」になるかも。

 とにかく慌しくてライヴも一杯あるし、その間にあれこれやる事があるので丸一日休み、というのが全くない。で、何をしてるのかと言えば一番忙しいのは友人の坂口諒之介君の録音関連。10/7に彼の初のフルアルバム「船はまた壊れる」がリリースされるのですが、そちらのプロデュースを担当しておりほぼ毎日録音や打ち合わせで奔走しております。とてもよいものが出来ますので(録りは終わって後はmixのみ)お楽しみに。
 あと、リリース関連だと9/9に僕の編集盤「アンソロジー」が発売されます。過去のアルバムから数曲と新録音が2曲でなんと1000円。まあ、安くしたからと言って売れる音楽ではないのだけど。間口を広げることも悪くはなかろう、と。なのでこちらは販売店Onlyでライヴの物販はしませんよ。


月刊山崎怠雅

7/24

 6年振りにフジロック。体力も時間もお金も無いのにMotorheadが出るって聞いて駆けつけた。なので1日だけ。レミーカッコよかったな。カッコ悪い所が一つもなかった。そういうものにわたしはなりたい。

7/28

 チバ大三さんの新バンド「サヴァン道」のライヴ。僕はベース。ドラムにモンジ君、サックスに浅野さん。録音聴いたらケンカみたいな演奏で面白かった。自分のベースの弾き方が明らかにレミーを意識しすぎててバカだなー、って思った。対バンのghettoが綺麗だった。ブログでゲロとかクソとか書いてるけどピュアな人達だった。

8/4

 荻窪club Doctorで鳥を見たの録音を兼ねたイベント。競演はAlbedo Fantastica+内田静男さん、グンジョーガクレヨン。Albedo Fantasticaはsachikoさんとヒグチケイコさんのユニット。色っぽくて素敵だった。グンジョーはなんと中尾勘二さんがドラム。だけどサウンドはいつものグンジョー。組原さんと前田さんの音が強靭だからなんだろうな。即興なのに垂れ流す所は一つもなくて毎回揺るがない「バンドサウンド」。心の底から尊敬しています。
 鳥を見たはグンジョーの後で触発されたのかワイルドな演奏になった。あと、僕は組原さんに触発されて女装しましたがもう当分しません。

8/5

 亀有KID BOXでよしだよしこさんと競演。今迄ご一緒した先輩の中では初めてのエレック出身。ライヴを拝見するのは初めてだったのだけど、ある時はジョニ・ミッチェルのようであり、ある時はアン・ブリッグスのようであり、だけど声も世界観も唯一無二のよしださんのもので、要するに僕はとても心を打たれたのです。もっと沢山話したりしたかったんだけど、なんか恥ずかしくて。

8/7

 新宿ソウルキッチンで弾き語り。トップで出演したベース弾き語りのリンさんがとてもよかった。7eo君にも久しぶりに会えて嬉しかった。音子さんはお母様が観に来ていて、そういう関係の母娘はよいなあ、と思った。この日は不愉快な事もあったんだけど、自分の演奏がその影響でタイトになったのでよしとします。

8/11

 高円寺U-hAで山崎怠雅クインテットのライヴ。対バンの殺生に絶望は過去2回競演してるんだけど大好きである。なんだか縁が無くてお客としてはなかなか見に行けないんだけどもっと聴きたい。音楽好きなんだろうな、っていうのがとても伝わってくる。もう一組の対バンだった蓮理さんはグランジ的なコード進行の弾き語り。お菓子を作るのが好きらしい。バナナのパウンドケーキを頂いた。(゚Д゚)ウマー!!


 大体その間の日々は録音や練習をしておりましたよ。

 今週金曜日8/21は巣鴨獅子王で井上順乃介君とデュオをやります。いつだったか飲んでる時に彼が「怠雅さん、そろそろブルースとかやらないとダメですよ。ルーツもしっかり見せて行きましょうよ」みたいなことを言って、彼から具体的に持ちかけてくることはあまり無いので嬉しくて「じゃこの日空けといて!」「いいですよ!」みたいなやり取りをして、後日ブッキング決めた旨伝えたら「え?呑むだけじゃなくて演奏?」みたいな反応でお前何なんだよ!ってなりましたが結局演奏します。二人で。順之介ファンの皆様お楽しみに。出番は21:30です。
 日曜日8/23は阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでelgaさんと二人会です。elgaさんとはソウルキッチンで知り合ったのですが家が比較的近所なのでそのうち何か一緒にやろうと言っていて実現しました。直線距離は10kmくらいなんですが、電車とバスで1時間以上掛かるのはなぜだろう。この日は僕の曲に彼女が歌詞をつけ、彼女の曲に僕が歌詞をつけ、というやつをやります。
 週明け8/24月曜はとても久しぶりに江古田フライングティーポットで演奏します。片野君と横井義明さんでDUBを鳴らします。FUZZも踏みます。
 8/26水曜は新大久保アースダムでアキラさん南部君とのセッション。大きな音を出したいです。ハードコアな対バンなので楽しみです。
 8/29土曜は吉祥寺曼荼羅でエルカセット企画カレーロックフェスティバルに山崎怠雅クインテットで出演。今回は第十回らしい。第一回も出演したなあ。当然カレー食べ放題です。



しーらないーまーちーをー
あるいーてーみーたーいー
どーこーかーとーおーくへー
いーきーたーいー

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2015年07月19日

ラストネバースリープス

 台風の影響で数日続いた雨も上がり今朝はとても強い日差しである。洗濯物が溜まっており全部洗って干したら手持ちのハンガーやピンチが足りなくなった。つまり過去最大量の洗濯物を干したということ。ベランダの柵に夥しい量のベルボトムがぶら下がっている様は異様である。
 雨のせいにしてはいるがこんなに溜まってしまう前にコインランドリーで乾かすとか、薄いものは部屋干しするとか、他に方法があった筈なのに切羽詰まるまで行動しないのは悪い癖である。いつからこうなってしまったのか。そんな事を考えていたら軽い熱中症になったらしく、頭痛と吐き気と眩暈が。反省も大事だが今目の前にある問題に注意を払わなければ。

★週刊山崎怠雅

 7/13
 高円寺Mission’sでジンギス・パンチ。ドラムに南部輝久君。南部君のドラムは痛快である。別にメンバーチェンジした訳じゃないけどね。太田君も孫六も皆、まだメンバーですよ。

 7/14
 池袋鈴ん小屋でグンジョーガクレヨンと谷口マルタ正明さんと競演。僕は弾き語りだけどラストの曲で組原さんに参加してもらった。とても楽しかった。組原さんはいつも本当に素敵な人。
 マルタさんとはしょっちゅう会ってるけどミュージシャン同士として対バンは6年ぶり位。前回よりもじっくりと聴けた。どの曲もとてもよかった。「Hey Hey My My」を日本語で歌っていた。奇しくも僕もこの歌の歌詞のことを考えていたのでびっくりした。

 7/17
 巣鴨獅子王であをいちゃんとヨシノ『イレイサーズ。以下よっぴーさん)とトリオでの演奏。カバー曲ばかりだけどでかい音で思い切り演奏した。アキラさんが来てくれたんだけどあをいちゃんと知り合いだったことが発覚。世間は狭い。この日よっぴーさんは19:00位まで仙台にいたので到着は演奏直前。 だけどバッチリでした。またやります。


 老いさらばえる前に死にたいとか、錆びつくより燃え尽きる方がいいとか、若い時にはそんな事ばっかり言ってたけれど、とりあえず不義理とか不孝とかは無いようにしないとなー、とぼんやり考えてる。



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2015年07月13日

明けない夜

 ブログをいつまで書かずに居られるかというチキンレースに参加していたのですが(嘘です)、約2ヶ月あいてしまった。その間何をしていたかと言えば大していつもと変わらないので以下箇条書き風に。

・5/18
 高円寺Mission’sにて山崎怠雅グループのライヴ。Mission’s8周年イベントの一環で。
 この日は初めて日比谷カタンさんと競演。僕らがゴウゴウ言わせた後にカタンさん。弾き語りだけどエフェクタ沢山で超エンターテイメント。終演後怪獣の話などしながらお酒を沢山呑む。

・5/20
 高円寺U-hAにて山崎怠雅クインテットのライヴ。U-hAでバンド形態は初めてだったけど録音聴くとバランスもよく、うまくいったみたい。

・5/22
 鳥を見たのライヴが高円寺Mission’sにて。久しぶりに「対バン」として灰野敬二さん。灰野さん何やるのかなー、って思ってたら前日位に電話が来てデュオをやろう、って(笑)。なので鳥を見たの後なかおさんのギターを借りて演奏。ベース弾いた後にギター弾くのってとても難しい。

・5/29
 荻窪のDoctor's Barで「AN INCIDENT AT A STREET CORNER VOL,25」。僕は弾き語りで競演はピーフラン、夜光虫、New blues project(福岡林嗣&川口雅巳)という、魔術の庭のメンバーそれぞれが別の事をやる夜。つくづく面白いバンドだな、と。

・6/11
 アキラさん、南部輝久君とのトリオで高円寺Mission’s。この組み合わせは2回目。前回より一丸となってバンドらしくなってきた。8月にまたやります。

・6/12
 新宿ソウルキッチンで弾き語り。山田庵巳さんと競演。対バンでMTRやエフェクタを使ってる人が居たのだが、庵巳さんが「電気なんか使ってるのが恥ずかしくなる演奏を見せてやる、と山崎怠雅君が言ってます」と人のせいにしたので狼狽した。が、彼も僕も本当にそう思ってたのは言うまでもない。

・6/16
 大久保ひかりのうまで弾き語り。この日はmemekoさんの企画で出演。競演はmemekoさんと雨本ふみさん。memekoさんの曲にギターで参加したり、僕の曲にクラリネットで入ってもらったり。たまにはいいものです。

・6/25
 山崎怠雅グループ+高円寺Mission’s共同企画「散歩する惑星 vol,2」。競演はキャスバリズム、ゴイゾン、そしてゲストに割礼。割礼との競演は5年振り。本当に素晴らしかった、ので我々は気負いました。若さ故。若くないけど。

・6/26
 魔術の庭のライヴ@新宿URGA。フリージャズのおじさん達とノイズ弾き語りの蓮尾さんが対バン。僕らの演奏の最後、福岡さんが盛り上がって床にギターを置いてノイジーなパフォーマンスをしていたらネックがポッキリ折れた。皆ビックリ。しかし一番ビックリしてたのは本人。
 最後の曲がOver hang party時代の「今、立ち現れる」という曲だったんだけど、この曲は20年近く前に僕が初めてかのバンドを知った曲なので、今自分がその演奏に加わっているのは感慨深い。

・6/27
 ちくわ朋彦君に誘われて茨城は戸頭のはこカフェで弾き語り。古いたばこ屋さんを改装した雰囲気のある素敵なお店。この日も山田庵巳さんと競演。都心から遠いのに沢山のお客さんが来ていて楽しかった。ちくわ氏と知り合って数年経つけどこの日の彼の演奏は今までで一番よかったです。

・6/30
 大久保のカフェアリエで「AN INCIDENT AT A STREET CORNER vol,26」。ライブハウスではないのでマイクもアンプも無しの完全生音。競演はかとうみほさんと波多野裕文さん。終演後波多野さんとブリティッシュフォークの話などで盛り上がった。楽しかったです。

・7/1
 千駄木のBar issheeで弾き語り。出るのは初めて。マスターのイッシーさんは小沢靖さんの後輩なんだそうな。僕も小沢さんが居なかったらケーブルやペダルを作っていなかったと思うし、ひいては音楽活動の内容も違っていたと思う。
 この日は転換DJとPAでスズキジュンゾさんが来ていて、Over hang partyの最後のギタリストと魔術の庭の現ギタリストが一緒にいるという状況。終演後はスレイドのDVDを見ながら楽しく過ごす。

・7/4
 新宿ソウルキッチンで弾き語り。この日は中々ブッキングが決まらず、僕の友人知人を賀句さんに紹介する形になったのですが、その1人であるMoMさんはそもそもずっと昔から賀句さんの友人だったそうで世間が狭くて怖い。

・7/7
 荻窪club Doctorで鳥を見たのライヴ。7.8.9月と3ヶ月連続でライヴレコーディングを行い、音源を作ります。お楽しみに。しかしながら録音ってことで気負ったのか、演奏硬かったなー。

・7/10
 渋谷LUSHで灰野敬二さんとデュオ。僕がアコースティックギター、灰野さんがボーカルで洋楽のカバーを歌う。昨年末から5回目だけど毎回緊張で胃が痛い。だけど自分だけの活動では得られないものが沢山あってとても充実している。20年位前にただの一観客として灰野さんのライヴに通っていた自分が、今彼とのデュオでライヴをやっているのはとても不思議。

・7/11
 高田馬場JET ROBOTで弾き語り。競演の若者がとても気に入ってくれた上にCDも買ってくれて駅まで一緒に帰ったのだけど、ツィッターで名前間違えて書かれていた。よくお笑いの人が「名前だけでも覚えて帰って下さいね」と言っているが、わたくしは30分演奏しておきながら名前をプレゼンする事すら出来ておらずひとり悶々とした。


 斯様にして十年一日の如く毎夜の様に音と言葉を紡いでいるのですが、諸先輩がたを始め、星の数ほどのミュージシャンが同じようにしている、ということだけでも皆様に認知されれば幸いです。みんな、身を削っておるのだから。


止まない雨はない
明けない夜はない

と言うが

この雨は止まないかもしれない
この夜は明けないかもしれない

そういう憂いを歌う人を信用してる。


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2015年05月17日

Bye Bye Blues Boy

 10代の頃、歌を歌いたくて、そしてその伴奏を自分でしたくてギターを始めることにした。その前から兄のアコースティックギターを勝手に触っては歌番組に合わせて1本の弦を弾いたりしていた(なのでベース歴のほうが長い、という見方もできる)のだけれど、コードを押さえてかき鳴らしたり、アルペジオを鳴らしたりしたくなったのだ。

 とりあえず手元には歌本みたいなのがあったのでコードさえ覚えれば後はどうにかなるのではないかと思い、兄に教えてくれと頼んだ。で、CとかGとかAmとかをさっそく画用紙に書いて壁に貼って覚えた。兄から借りたモーリスのアコギを学校から帰ってくると取り憑かれたように毎日弾いていた。頭も身体も柔軟だったのでドンドン上達した。多分技術的には10代半ばから20歳位までがわたくしの頂点だったのでは、と思います。今は貯金暮らし。それはともかくとしてとりあえず伴奏的なものは弾けるようになった。すると今度はリードに興味が出てくる。そのタイミングを見計らっていたのか偶然なのかある日兄が声を掛けてきた。お前に見せたいものがある、と。

 兄の部屋に行くとTVの中で巨漢の黒人がギターを携えて歌っている。数年前に深夜のTVで放送されていたものを録画したのだという(今では同じものがYoutubeで見られる)。1987年に行われた「B.B.King & Friends - Night Of Blistering Blues」である。BBを初めとしてアルバート・キング、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、エリック・クラプトン、ポール・バターフィールド、フィル・コリンズ、Drジョン等々、錚々たるメンバーでのセッション。今見るとBBのお山の大将的な仕切りっぷりが鼻に付いたり、そもそもクラプトンは嫌いなのでそこは早送りしちゃったりするのだけれど当時はただただ圧倒されていた。
 その時、ビデオを見ながら兄が僕に言ったのだ。ブルースをマスターすればこんな感じで誰とでも一緒に演奏できるんだよ…と。ビデオにはその言葉を理解するのに十分すぎる説得力があった。すぐに兄からペンタトニックを教えてもらいBBやその他のブルースギタリストのフレーズをコピーするようになった。

 だからBBのことは好きなミュージシャンっていうよりは、もはや当たり前のようにずっとそこにいる存在、みたいな感じで「生まれた時からずっといるおじいちゃん」だった。あれから僕はブルースが大好きになって戦前のものに手を出して、どっぷりになっちゃって。多分とても強く影響を受けているんだけれど知れば知るほど好きだからこそそれらを自分でやろうとは思えずに違うものになろうとずっと足掻いている。色んな所で言っているけれど全く違うもので同列になることが最大の敬意の表し方だと思っているから。

 また一人恩返しをせぬうちにあっち側に行ってしまったなあ、というのが正直な気持ちです。
 最近はあなたについて偉そうなことばっかり言ってたんだけど本当は大好きでした。
 
 ありがとうB.B。



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2015年04月30日

日程調整

 もう本当にスケジュール管理はきちんとしよう、と思った話。結構前から金曜日の巣鴨獅子王は決まってて、その翌日のソウルキッチンもかなり早い段階でfixして二日連続ってだけでもしんどいのに、木曜日の鳥を見たも決まって、うわー3連チャンかー、って思ってたらジンギス・パンチのライヴを引き受けちゃって気づけばその前日だったという。なんか一日か二日位は間が空くと思っていたのに。こんなものカレンダーをちょっと見ればわかること。
 そして身体への負担はステージで出す音量に比例する。なので爆音、爆音、爆音と3日続くとその時点でもう老人か、生まれたての子鹿か、というほどにフラフラになる。なので4連続ライヴの全日程が終了してから4日過ぎた今日もまだ身体中バキバキでダルさもあり、さらに一昨日寝違えて首が痛い為悲惨な状況である。
 メジャーのミュージシャンがホールクラスのコンサートを3DAYSとかやってるけれど本当にすごいと思う。多分そういう身体の使い方を身につけているのだろうな。まあ、彼らは機材運んだりとかはしないけれど。


 というわけで4/24は巣鴨獅子王で山崎怠雅グループのライヴでした。まだ新しいライヴハウスなので機材もヘタっていなくてバリッとした音がする。ギターアンプなんかはヘタってしまうとボリューム上げると音量変わらずに歪むやつとかあって(そういったアンプの歪みは好きなんだけれど、楽曲の都合上そればっかりというわけにはいかんのです)僕はパリパリしてる方が好きなのでこれはありがたい。この日は爆音一辺倒ではない演奏を心掛けた。終演後初めて聴いてくれたお客さんから「3人が仲良さそう」って言われたんだけどそうなのかなあ。
 翌日4/25は新宿ソウルキッチンで弾き語り。競演の皆さんは普段とは違ってロック系のシンガー。トップの高木栄一郎君は以前mission'sで会ったことがあった。いやらしさのない素敵な音楽だった。2番手のまコトさん、3番目の松井タカシさんはロックンロール系の弾き語り。松井さんは高木君が20代のころのアイドルだったそうで人の縁とは不思議なものである。激しい感じの音楽が続いたので最後に僕がしみったれたやつをやってよいバランスだったのではないでしょうか。楽しい夜でした。



 非常に慌しい日々が続き、やらなればならないことが山積みで、心穏やかに過ごせていない。7月くらいまでびっちりと予定が入っているのですが、ライヴの本数は減らしていくことになると思います。

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2015年04月24日

トムピリピ流儀

 すぐバレる嘘、というか駄法螺のようなものをつらつらと語って相手が何処で気づくかをニヤニヤしながら観察するという、まことに根性の悪い遊びをたまにやる。主によいネタが思い付いた時。
 先日は「さだまさしって本名は佐田山っていうんだよね。だけど佐田山マサシ、って「ま」が連なるから言いにくいでしょ。なのでデビューの時にさだまさしになったんだよ」っていうネタ。勿論デタラメである。さだまさしさんは佐田雅志だし、妹は佐田玲子さんである。だけど皆結構信じる。なのですぐにバラさないと、その人が他で恥をかくことになる。
 他にもナタデココは大王イカのシロップ漬けだとか、コンドームの語源は今度産む、だとか、色々あるんだけど、こういう事ばかり考えていないで、もっと新曲を作らないといけない。ミュージシャンですから。

 4/22
 前々日位に急遽決まり高円寺Mission’sで久しぶりにジンギス・パンチのライヴ。さらにレアなことに初代ドラマーの富士孫六が参加。ジンギス・パンチといい、YTGといい、この人は初代ドラマーっていう肩書きが多いな。彼のドラムとは久しぶりに合わせたけど、ボスボスと低いチューニングのスネアとか懐かしかったです。終演後は多量にお酒を飲む。

 4/23
 四ツ谷アウトブレイクで鳥を見たのライヴ。ハイネケンが協賛で生ビールが200円なので飲むしかないと思っていたが結局あまり飲まなかった。演奏前だし。結局5杯くらいかなあ。
 アウトブレイクのベースアンプがよそで余り見ないタイプのやつであまり音量を上げなくても潰れてものすごく歪んだ音が出た。なので何を弾いてもぶー、ブー、という下品な音がしてびっくりした。こういう音は大好きなのだが静かな曲では難儀したよ(´・ω・`)


 今日はこれから巣鴨獅子王で山崎怠雅グループのライヴです。21:00から。伝えたい歌があるのですよ。お待ちしてます。

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2015年04月20日

大事なものから順に失っていく

 あ、なんか大事なことを書こうと思ったんですが忘れたんで、あんまり大事じゃないのかも。

4/12

 谷口マルタ正明さんが新しく始めた大久保のひかりのうまで弾き語り。メインスピーカーがホームシアター用の細長いスピーカーなのが面白い。意外と音いいし。競演は木本周磨さんとデーモンズの皆さん。木本さんはポップな曲をかなりチューニングを下げたギターで歌う。綺麗な声だった。古いギルドのギターを使ってて、この日は僕もギルドだったので終演後は楽器の話をした。デーモンズは無力無善寺にいそうな感じ。

4/17

 神保町試聴室で弾き語り。早川義夫さんのライヴを聴きに来たことがあったけど、出るのは初めて。競演はふくいかなこさんと折坂悠太さん。ふくいさんとは直江実樹さんが共通の友人だったりして世間は狭いものである。折坂君は僕の周囲の友人達がこぞって絶賛していたので興味深く聴いた。全く新しい事はしておらず気をてらった所はないのに何にも似ていない素晴らしい音楽だった。年齢聞いたら平成生まれだってんで、おじさん死にたくなったよ(´・ω・`)

4/18

 下北沢アポロに直江実樹さん、石川寧さん、組原正さんのセッションを聴きに行く。組原さんキレイ。

4/19

 市川アルマナックハウスで弾き語り。競演はstill waterさん、布本孝さん、松浦湊さん。松浦さんとは3回目の競演。この人の音楽はとてもよい。トム・ウェイツの曲を一曲一緒に演奏した。


 


 最近思うのですが、ギター弾き語りでガットギター使う人増えましたね。昔は弾き語りと言えば鉄弦のフォークギターが主流だったけど、今はそうでもないみたい。折坂君もそうだった。七尾旅人氏あたりからの流れなのかな、と勝手に思っているのだが、いずれにしろ僕らのようなおっさん達が頑なになっているのを若い人達が軽やかに越えて行くのを見てるととても楽しく、また羨ましい。そして自分も年取ったなー、って思う。

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Profile

山崎怠雅

ミュージシャンです。
お酒大好き。

2007年「Fairy Tale」発表。
2010年「Reset」発表。
2012年「サイレン」発表。
すみません。全て売り切れ中です。

2013年12月25日「フィクション」発売。
2014年9月10日「モノリスと海」発売。
2015年9月9日「アンソロジー」発売。

今やっているバンド、今までやったバンド
・安曇山水(1996〜2001)
・eddy(1995〜2006)
・sekt(2005〜2006)
・巛(セン 2001〜)
・捻転時計(1999〜2009)
・ヤブレカブロドバイバイ(2004〜)
・S.R.I.(2006〜2009)
・ジンギス・パンチ(2008〜)
・鳥を見た(2008〜2017)
・The 不謹慎ズ(2008〜2010)
・山崎怠雅グループ(2011〜)
・Hardy Soul(2013〜2014)
・魔術の庭(2014〜2016)
・サヴァン道(2015〜)
・The Hardy Rocks(2016〜)
・ニューアクション(2016〜2019)
・The Silence(2016〜)
・バラナンブ(2017〜)

その他セッション等多数。
2002年からアコースティックギターの弾き語りも始める。

公式Twitter
https://twitter.com/taigayamazaki1

個人的なつぶやき
https://twitter.com/taigayamazaki

Facebookページ
https://www.facebook.com/taigayamazaki123

阪神ファンです。

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