そんな恋ならいらねぇよ。

「恋愛がしたい」と思っている。 そのための行動もしているつもり。 でも、どういうわけか、うまくいかない恋ばかり。 「恋愛経験値」の数だけは増えて行くけれど… その中の、本物っていくつありますか?

何度もこのブログ上でも述べている通り、私は結婚には興味のない子供だった。
「お嫁さんになりたい」などと想い描いたことなんてなかった。
男と付き合ったことはあっても、その先に「結婚」を描くようになったのなんて、本当にここ数年の話だ。
でも、そう。
そんな子供だった私でも、「なぜか」そんな風に思うようになってしまった。

周りの仲のいい友人が結婚していくところを横から眺めていて、思うようになったのか?とも思う。
けれど、確かに「結婚式」に参列すれば「幸せそうでいいなぁ、素敵だなぁ」とは感じるのだけど、おそらく私が憧れているものの正体は、「綺麗にめかしこんで、その場にいる誰もが自分たちを祝福してくれていて、隣には生涯を誓い合った相手がいる」という、その光景。
「その中心に私もいてみたい」とは思っても、実際にその後の生活を欲しいと思っているとは思わなかった。

私はいつだって(いや、誰もがそうなのだろうが)、「自分が本当は、何を欲しくて、どんなことがしたいのか」が大事だと思って生きている。

やりたくもない仕事なら辞めたらいい。
やりたいことを仕事にしたらいいんだ。
いたくもない人となら関わらなければいい。
一緒にいたい人だけを大事にしたい。

幸い転職に困ることのない資格を手にした私は、だから悩まなかった。
「なんかもうここ、嫌だな」と感じたら、すぐにその職場を離れた。
人間関係で悩んだ経験も、ほぼない。
幸い、職場での人間関係にはこれまで恵まれてきたし、そこまで嫌な想いをしたこともない。
友人関係であっても、「なんかこの人といるのは楽しくない」と感じたら、「友達」を辞めたりもした。

私は自分の気持ちに正直に生きよう、と、そう心から思っている。

でも、この「結婚」に関してだけは、どうやら本気で、自分がどうしたいのかわからない。


「そろそろしたい」とは思ってきたような気がする。
けれど、今すぐにしたいかと問われれば、そうでもないようにも感じる。
だって、今の生活に「嫌だ」と思うことはないからだ。
この生活を「辞めたい」とは、私は思っていないように思う。

確かに、友人たちは結婚したり、出産したりと、私とは異なる人生の時間軸のところに立っていて、私とは少し疎遠になったりもしている。
でも、幸か不幸か、「本当に仲の良い友人」たちのほとんど大半は未だ独身でいて、だから、友人と遊ぶにも困らないのである。

これはもう、「思わされている」のだ、と、そう思う。
出産の適齢期だから、女としての本能が、私に結婚を求めさせているのではないか、と。
なんだか本気で、そんな風に思う。

でも、本当にそれだけなのか。
私は、結婚を望んでいるわけではないのだろうか?

そんな風に、自分の心の奥へ、奥へ、もっと深く底へ、潜り込んでみたら、わかったことがある。

ただひとつ、私はもう、傷つきたくないのだ。
いくつもの恋を経験してきて、その数と同じだけの終わりも体験してきて、今思うことは、「恋することは、楽しいけれど大変」だということ。

仕事での失敗は、確かに凹むけれど、乗り越えることができる。
「やっちまった!!」って一通り凹んで、多少他のメンバーに迷惑を掛けたりもして、でも、「お互い様」精神で支え合い、励まされながら、また続けて行くのが仕事。
友達関係では、皆が互いにいいオトナになっているからこそ、それこそ小さい頃のように、むやみやたらに傷つけ合うようなことにはならないし、スルースキルだって身につけてきたから、ちょっとやそっとのことでは悩んだりしない。

でも、そんな風に「オトナだから」と、「経験を重ねてきたから」と、「何度も繰り返してきたから」と、そんなことくらいで「だからもう、簡単には傷ついたりしないから平気だよ」なんて、思えないのはたぶん、きっと、恋愛だけだ。

身も心も自分の全てをさらけ出したり、時にはぶつかり合ったり、愛してほしいと願ったり、受け入れてもらえた喜びを感じたり、その分傷ついたりするのって、恋愛だけなのだ。

「結構いっぱい、傷ついてきたんだから、もういいんじゃないかな」って、
そんな想いが自分の中にあって、だから、「結婚」つまり、自分の全てを受け入れて、認めてくれる存在と生きて行きたいと、そう願っているのだと思う。
もちろん、結婚してからも、その相手によって傷つくことがないとは言えないけれど、でも。
「この先どうなるかはわからないにせよ、一度は自分を選んでくれた相手」が欲しいのだ。

ただ穏やかに、自分を認めてくれている人と過ごす幸せが結婚かな、と、独身の私は想像してみたりする。
本当はその先に何があるのかだなんて全然知らないのだけど。
でも、そういう相手とだったら、その先にある何もかも、平気なんじゃないのかな、とも思う。


私が傷ついてきたのと、同じくらいの数だけ、私もきっと、人を傷つけてここまできたのだろう。
でも、そういう全てを持って、いつか出逢うその誰かを愛し抜きたいと、そう思う。
そこで清算できるんじゃないのかなって、思っている。
傷ついた分だけ、人に優しくできるというのはきっと、本当の話。
傷ついた分だけ、人に優しくすることで、本当の意味で傷は癒えるのだ。
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「どういう相手が好みなの?」と聞かれて、あなたは何を挙げますか?

私の場合は、今はこう答えている。
「私を好きになってくれて、大事にしてくれる人」と。
これは何も、「だから好きになってくれれば別に誰でもいいんです」というわけでは断じてない。
ただ、私にとっての幸せな恋愛というのは、私を好きでいてくれる人を、私を大事にしてくれる人を愛し抜くことだと、そう思っているからそれが全てなのである。
もちろん、「私もその人を好きになれたら」という条件は加味されるけれど、私はそもそも「人間が好き」な方だと思うので、自分に興味を持ってくれる人がいたらある程度その人と真剣に関わろうとする。
そうすれば、「何があっても絶対に好きになれない人」って、なかなかいない。
人間、情に流される。
それは決して悪い事じゃない。

こんな私も過去にはいくつかの条件はあった。
だって、できればイケメンがいい。
だって、できれば優しい方がいい。
だって、できれば面白い方がいい。

でも、顔は歳を重ねれば皆一様に爺さんと婆さんになるわけで。
ある程度、ごく普通の環境で暮らしていれば、人並みの優しさは身についているわけで。
例え話術に長けていなくても、その人にこちらが興味を持って見さえすれば、面白くも見えたりするわけで。

結局、「好きになった人がタイプ」これに尽きるのだ。

若かった当時、私は憧れの港区民になりたかった。
六本木で飲み歩くことをある種ステイタスのように思い、通い詰め、歩いて帰れる距離に家が欲しくなった。
そうしていざ住んでみたはいいけれど、「六本木徒歩圏内」という条件で探したその部屋はたいして気に入りはせず、いつからかあんなに好きだった六本木にもあまり足を運ばなくなった。
そんな経緯から、「今回は別にどこでもいいから、気に入る部屋を探そう」と思い、都心へのアクセスが良い場所であれば土地にはこだわらずに見つけた今の部屋は大層気に入り、住むまでは足を踏み入れたことさえなかったこの場所を、今ではとても愛している。

目先の条件だけで飛びついてみたものの、「…あれ?」ということは、意外と多い。

高校生の時に私は見ず知らずの、たまたま同じ電車で通学していたというだけの他校の男子に突然の告白を受けた。
その時私は絶賛片想い中で、よく知りもしない人に興味を持つことなどありえないと思い、即断った。
今なら、なんてもったいないことをしたのだろうと思う。
その片想いは結局実らなかったし、とりあえず友達になるくらいしておけば、別の楽しい高校生活があったのかもしれなかった。
そしてその後、同じ高校の後輩からの告白を受け、さすがにその片想いが実らないことにうすうす気が付いていた私は「この人が忘れさせてくれるかもしれない」という淡い期待を胸に、それを受け入れることにした。
だが結局、私は「やっぱり片想いだけど忘れられない」という理由で、その彼に別れを告げた。
今思えば、後にも先にも、私を他のどの男よりも大事にしてくれていた彼氏だったように思う。

いずれも、「後悔」とまでは感じていないけれど、振り返ってみると、「あの時の自分、結構勿体ないことしてたよなぁ」くらいには思ったりする。

人の価値観は、変わる。
今、「絶対にここだけは譲れない」と思っている条件だって、数年後にもそう思っている保証はないのだ。
自分のことだって、人には決してわからない。

恋を考えすぎて、頭でっかちになっていやしないだろうか。
結婚を望むばかり、条件ばかりで男を見てはいないだろうか。

恋愛にだって、柔軟性は必要。
「私、こうこうこういう人じゃないと好きになれない」という想いは、「だから、それが全部当てはまっているあの人しか、私にはいないの」という想いに繋がる。
結果、苦しい恋愛を強いられることもある。

「私、別に割と誰でも好きになれるからな~」くらいにのほほんと構えていた方が、恋は楽しい。
「今はこの彼のことがものすご~~~く大好きだけど、ダメになったら他もいるだろうし」くらいに思っていた方が、余裕も出る。
(もちろんそれは彼の前ではおくびにも出さず、「私あなたしかいないの♡」という可愛い女を貫く。)
結果、激しい束縛や彼への執着は産まない。
なので、男から追われることになる。
このスパイラルをモノにしたら、あとは向かう所敵なしである。

自分で自分の首を絞めるのが好きなら、いつまでも勝手にやっていればいいですがね。
私はおかげで、最近とっても気が楽です。


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まぁなんだか、一気に胡散臭いタイトルになってしまいましたが。
私はこの巷でいう「引き寄せの法則」、本当に信じている。
宇宙のパワーがどうのだとか、潜在意識がどうのとか、専門家は色々なことを言うのだけど、まぁ私は専門家ではないのでそれはどうだか詳しいことは知らない。
ただ、「自分に起こることは全て自分が引き寄せているもの」だと、実際の経験から感じているからこそ、信じている。

先日、去年くらいに付き合っていた元カレと、とある流れで会うことになった時の話。
私は彼の方から振られた身で、当時はなぜ振られたのか納得もできないまま、いつかはやり直せることを期待していた。
だがしかし、女というのは得てして男よりも変わり身が早いものだというのは本当の話で、別れてから半年後に誘いを受けて私が思ったのは「やった!嬉しい」ではなく、「なんで今更?」だった。
あわよくばヤリたいだけか、などと多少勘繰りつつも、別に「絶対嫌」とも思わなかったので、誘いに応じることにしたのだが。

当日、ドタキャンされた。
理由は仕事だったけれど、私は「あぁ、やっぱり」と思った。
なんとなく、私が気乗りしていなかったことが一因だと、そう感じた。
だって、付き合っている頃、約束を破ることなどなかった彼だったからだ。
ちなみに振られた時にも、「まぁこれで一生の別れではないな」という、「またいつか会うことになる」という、願望ではなくて確信めいた「何か」を感じたので、私はあっさり彼からの別れを受け入れたという経緯がある。

こんなことが、他にも例を挙げればきりがないほど、私は経験している。

例えば、私は過去に高校、専門(大学含む)、各種資格試験や就職試験なども数えれば、10回くらいの受験経験があるが、落ちた経験はゼロである。
そのどれも、私は「落ちるわけがない」と思っていた。
「思うようにしていた」のではなく、「受かることしか考えていなかった」のだ。

例えば、私はよく様々なライブなどに足を運ぶのだが、そのチケットを受け取る瞬間まで、頭の中で「とてもいい席のチケットを受け取る自分」ばかり想像している。
その会場の座席配置やステージ構成などの前情報があるのだとすれば、自分が「あの位置で観たい」と思うブロック名や座席番号まで、なるべく詳細に希望を持って、「チケットが届いて、封筒を開けてみたらその席が書かれていて、喜んで一緒に行く友人にそれを知らせているところ」までも想像してみたりする。
これで、まんまその希望そのもののブロックのものが届いたことが1度だけあるけれど、鳥肌が立った。
でも、同時に「ほら、やっぱり。私に遠い席のチケットなんか来るはずないんだわ」とも思った。
そのまんまのチケットは来なくとも、その方法で、私はまぁまぁどこに行っても結果いい席でいろんなアーティストのライブを観ることができている。
ライブハウスやアリーナクラスならまだしも、ドームクラスでも最前列が届いたことは1度や2度ではない。
1番「あれこそは」と思っているのは、とあるライブのバックステージツアーを当てたことである。
私は当時、そのグループに心底ハマッており、どうにかして当てたかった。
楽屋やステージ裏を見学でき、実際にライブをするステージ上に上げてもらったり、メンバーと話したり握手ができたりするというその夢のようなイベントを何が何でも当てたく、私は申し込んだ瞬間から「すでに当選したかのように」生活をすることにした。
当たってから焦らなくて済むように、なるべくイイ状態の自分でメンバーに会えるようにと、当たる前からダイエットを始め、当たったら何を話すか、何を着て行くか、具体的に妄想を繰り返して、当てた時はやっぱり、「うん、そうだよね」と思ったことを覚えている。

私はおかげで「運がいいよね」と言われることが多々あるけれど、運は自分で作っているから当たり前だと思っている。
逆に言えば「運がないからさぁ」という人のことは、「まぁ、そんなこと言ってるからそうなんでしょうね」と思っている。

「運命なんて、自分でつくるもの」なのだと、思ってしまえばいいのである。

引き寄せの法則というのは、すなわち、「あなたの思考がその現実をつくっているのだ」ということ。
恋愛においてももちろんあてはまることで、例えば「浮気を常に心配されている女はやっぱり浮気を毎回されるし、疑わない女の相手ほど、浮気をしないもの」なのだというデータがあることは前にも述べた。

辛い状況をつくっているのは実は自分だなんて、なんてアホらしいのだ、と早く気付くべきである。

「私はこの人と幸せになるんだ」と。
「私はあの人と付き合えるんだ」と。
「私はあの人と結婚するんだ」と。

思いこんでみるところから、まずは始めてみるといい。
途端にモテ出したりする。

だって「幸せな思考」で生きている女には余裕がある。
周りにも優しくできるし、斜に構えたりせず、いつもおおらかな心で笑っている。
「私はどうせダメ」だなんてどこかで思っている女は、その卑屈さが対人関係にも漏れ出てしまうので、一緒にいる人は離れて行くだろう。
だって、心地良くないから。

なんだっていいから、自分の都合のいいように解釈してみればいいのだ。
別に誰に迷惑をかけるわけでもないのだから。

自分を真っ先に幸せにできないと、誰のことも幸せになどできない。
自分を愛せないものに、人のことは愛せない。

「自分を愛する」ということはつまり、自分が幸せでいることを維持することだ。
ネガティブな感情で、勝手に自分を不幸にするな。

「チケットが当たらない自分」を想像するよりも、当たったことを想像していた方が楽しい。
どうせ当たるなら、いい席であった方が嬉しい。
そんな単純な、「こうだったらいいな」を妄想するだけで、私は幸せでいられたし、実際現実にできたりした。

イイコトだけを考えて生きていれば、実際に悪いことが起きない限りは幸せだ。
悪いコトばかりを考えていれば、実際にイイコトが起きない限りはずっと不幸なままだ。
どちらのほうが、生涯全体でみた時に幸せ度数が高いかは、火を見るより明らかである。
恋愛をうまくいかなくさせているのは、実はあなたのその思考なのかもしれない。
「自分磨き」も大事だが、「思考のスイッチの切り替え」も、訓練してみるといいかもね。

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