そんな恋ならいらねぇよ。

「恋愛がしたい」と思っている。 そのための行動もしているつもり。 でも、どういうわけか、うまくいかない恋ばかり。 「恋愛経験値」の数だけは増えて行くけれど… その中の、本物っていくつありますか?

「どういう相手が好みなの?」と聞かれて、あなたは何を挙げますか?

私の場合は、今はこう答えている。
「私を好きになってくれて、大事にしてくれる人」と。
これは何も、「だから好きになってくれれば別に誰でもいいんです」というわけでは断じてない。
ただ、私にとっての幸せな恋愛というのは、私を好きでいてくれる人を、私を大事にしてくれる人を愛し抜くことだと、そう思っているからそれが全てなのである。
もちろん、「私もその人を好きになれたら」という条件は加味されるけれど、私はそもそも「人間が好き」な方だと思うので、自分に興味を持ってくれる人がいたらある程度その人と真剣に関わろうとする。
そうすれば、「何があっても絶対に好きになれない人」って、なかなかいない。
人間、情に流される。
それは決して悪い事じゃない。

こんな私も過去にはいくつかの条件はあった。
だって、できればイケメンがいい。
だって、できれば優しい方がいい。
だって、できれば面白い方がいい。

でも、顔は歳を重ねれば皆一様に爺さんと婆さんになるわけで。
ある程度、ごく普通の環境で暮らしていれば、人並みの優しさは身についているわけで。
例え話術に長けていなくても、その人にこちらが興味を持って見さえすれば、面白くも見えたりするわけで。

結局、「好きになった人がタイプ」これに尽きるのだ。

若かった当時、私は憧れの港区民になりたかった。
六本木で飲み歩くことをある種ステイタスのように思い、通い詰め、歩いて帰れる距離に家が欲しくなった。
そうしていざ住んでみたはいいけれど、「六本木徒歩圏内」という条件で探したその部屋はたいして気に入りはせず、いつからかあんなに好きだった六本木にもあまり足を運ばなくなった。
そんな経緯から、「今回は別にどこでもいいから、気に入る部屋を探そう」と思い、都心へのアクセスが良い場所であれば土地にはこだわらずに見つけた今の部屋は大層気に入り、住むまでは足を踏み入れたことさえなかったこの場所を、今ではとても愛している。

目先の条件だけで飛びついてみたものの、「…あれ?」ということは、意外と多い。

高校生の時に私は見ず知らずの、たまたま同じ電車で通学していたというだけの他校の男子に突然の告白を受けた。
その時私は絶賛片想い中で、よく知りもしない人に興味を持つことなどありえないと思い、即断った。
今なら、なんてもったいないことをしたのだろうと思う。
その片想いは結局実らなかったし、とりあえず友達になるくらいしておけば、別の楽しい高校生活があったのかもしれなかった。
そしてその後、同じ高校の後輩からの告白を受け、さすがにその片想いが実らないことにうすうす気が付いていた私は「この人が忘れさせてくれるかもしれない」という淡い期待を胸に、それを受け入れることにした。
だが結局、私は「やっぱり片想いだけど忘れられない」という理由で、その彼に別れを告げた。
今思えば、後にも先にも、私を他のどの男よりも大事にしてくれていた彼氏だったように思う。

いずれも、「後悔」とまでは感じていないけれど、振り返ってみると、「あの時の自分、結構勿体ないことしてたよなぁ」くらいには思ったりする。

人の価値観は、変わる。
今、「絶対にここだけは譲れない」と思っている条件だって、数年後にもそう思っている保証はないのだ。
自分のことだって、人には決してわからない。

恋を考えすぎて、頭でっかちになっていやしないだろうか。
結婚を望むばかり、条件ばかりで男を見てはいないだろうか。

恋愛にだって、柔軟性は必要。
「私、こうこうこういう人じゃないと好きになれない」という想いは、「だから、それが全部当てはまっているあの人しか、私にはいないの」という想いに繋がる。
結果、苦しい恋愛を強いられることもある。

「私、別に割と誰でも好きになれるからな~」くらいにのほほんと構えていた方が、恋は楽しい。
「今はこの彼のことがものすご~~~く大好きだけど、ダメになったら他もいるだろうし」くらいに思っていた方が、余裕も出る。
(もちろんそれは彼の前ではおくびにも出さず、「私あなたしかいないの♡」という可愛い女を貫く。)
結果、激しい束縛や彼への執着は産まない。
なので、男から追われることになる。
このスパイラルをモノにしたら、あとは向かう所敵なしである。

自分で自分の首を絞めるのが好きなら、いつまでも勝手にやっていればいいですがね。
私はおかげで、最近とっても気が楽です。


このエントリーをはてなブックマークに追加

まぁなんだか、一気に胡散臭いタイトルになってしまいましたが。
私はこの巷でいう「引き寄せの法則」、本当に信じている。
宇宙のパワーがどうのだとか、潜在意識がどうのとか、専門家は色々なことを言うのだけど、まぁ私は専門家ではないのでそれはどうだか詳しいことは知らない。
ただ、「自分に起こることは全て自分が引き寄せているもの」だと、実際の経験から感じているからこそ、信じている。

先日、去年くらいに付き合っていた元カレと、とある流れで会うことになった時の話。
私は彼の方から振られた身で、当時はなぜ振られたのか納得もできないまま、いつかはやり直せることを期待していた。
だがしかし、女というのは得てして男よりも変わり身が早いものだというのは本当の話で、別れてから半年後に誘いを受けて私が思ったのは「やった!嬉しい」ではなく、「なんで今更?」だった。
あわよくばヤリたいだけか、などと多少勘繰りつつも、別に「絶対嫌」とも思わなかったので、誘いに応じることにしたのだが。

当日、ドタキャンされた。
理由は仕事だったけれど、私は「あぁ、やっぱり」と思った。
なんとなく、私が気乗りしていなかったことが一因だと、そう感じた。
だって、付き合っている頃、約束を破ることなどなかった彼だったからだ。
ちなみに振られた時にも、「まぁこれで一生の別れではないな」という、「またいつか会うことになる」という、願望ではなくて確信めいた「何か」を感じたので、私はあっさり彼からの別れを受け入れたという経緯がある。

こんなことが、他にも例を挙げればきりがないほど、私は経験している。

例えば、私は過去に高校、専門(大学含む)、各種資格試験や就職試験なども数えれば、10回くらいの受験経験があるが、落ちた経験はゼロである。
そのどれも、私は「落ちるわけがない」と思っていた。
「思うようにしていた」のではなく、「受かることしか考えていなかった」のだ。

例えば、私はよく様々なライブなどに足を運ぶのだが、そのチケットを受け取る瞬間まで、頭の中で「とてもいい席のチケットを受け取る自分」ばかり想像している。
その会場の座席配置やステージ構成などの前情報があるのだとすれば、自分が「あの位置で観たい」と思うブロック名や座席番号まで、なるべく詳細に希望を持って、「チケットが届いて、封筒を開けてみたらその席が書かれていて、喜んで一緒に行く友人にそれを知らせているところ」までも想像してみたりする。
これで、まんまその希望そのもののブロックのものが届いたことが1度だけあるけれど、鳥肌が立った。
でも、同時に「ほら、やっぱり。私に遠い席のチケットなんか来るはずないんだわ」とも思った。
そのまんまのチケットは来なくとも、その方法で、私はまぁまぁどこに行っても結果いい席でいろんなアーティストのライブを観ることができている。
ライブハウスやアリーナクラスならまだしも、ドームクラスでも最前列が届いたことは1度や2度ではない。
1番「あれこそは」と思っているのは、とあるライブのバックステージツアーを当てたことである。
私は当時、そのグループに心底ハマッており、どうにかして当てたかった。
楽屋やステージ裏を見学でき、実際にライブをするステージ上に上げてもらったり、メンバーと話したり握手ができたりするというその夢のようなイベントを何が何でも当てたく、私は申し込んだ瞬間から「すでに当選したかのように」生活をすることにした。
当たってから焦らなくて済むように、なるべくイイ状態の自分でメンバーに会えるようにと、当たる前からダイエットを始め、当たったら何を話すか、何を着て行くか、具体的に妄想を繰り返して、当てた時はやっぱり、「うん、そうだよね」と思ったことを覚えている。

私はおかげで「運がいいよね」と言われることが多々あるけれど、運は自分で作っているから当たり前だと思っている。
逆に言えば「運がないからさぁ」という人のことは、「まぁ、そんなこと言ってるからそうなんでしょうね」と思っている。

「運命なんて、自分でつくるもの」なのだと、思ってしまえばいいのである。

引き寄せの法則というのは、すなわち、「あなたの思考がその現実をつくっているのだ」ということ。
恋愛においてももちろんあてはまることで、例えば「浮気を常に心配されている女はやっぱり浮気を毎回されるし、疑わない女の相手ほど、浮気をしないもの」なのだというデータがあることは前にも述べた。

辛い状況をつくっているのは実は自分だなんて、なんてアホらしいのだ、と早く気付くべきである。

「私はこの人と幸せになるんだ」と。
「私はあの人と付き合えるんだ」と。
「私はあの人と結婚するんだ」と。

思いこんでみるところから、まずは始めてみるといい。
途端にモテ出したりする。

だって「幸せな思考」で生きている女には余裕がある。
周りにも優しくできるし、斜に構えたりせず、いつもおおらかな心で笑っている。
「私はどうせダメ」だなんてどこかで思っている女は、その卑屈さが対人関係にも漏れ出てしまうので、一緒にいる人は離れて行くだろう。
だって、心地良くないから。

なんだっていいから、自分の都合のいいように解釈してみればいいのだ。
別に誰に迷惑をかけるわけでもないのだから。

自分を真っ先に幸せにできないと、誰のことも幸せになどできない。
自分を愛せないものに、人のことは愛せない。

「自分を愛する」ということはつまり、自分が幸せでいることを維持することだ。
ネガティブな感情で、勝手に自分を不幸にするな。

「チケットが当たらない自分」を想像するよりも、当たったことを想像していた方が楽しい。
どうせ当たるなら、いい席であった方が嬉しい。
そんな単純な、「こうだったらいいな」を妄想するだけで、私は幸せでいられたし、実際現実にできたりした。

イイコトだけを考えて生きていれば、実際に悪いことが起きない限りは幸せだ。
悪いコトばかりを考えていれば、実際にイイコトが起きない限りはずっと不幸なままだ。
どちらのほうが、生涯全体でみた時に幸せ度数が高いかは、火を見るより明らかである。
恋愛をうまくいかなくさせているのは、実はあなたのその思考なのかもしれない。
「自分磨き」も大事だが、「思考のスイッチの切り替え」も、訓練してみるといいかもね。

このエントリーをはてなブックマークに追加

つい先日出掛けた合コンについて、愚痴っている友人がいた。

『俺らまだ結婚とか全然考えてないんだけど、そーいうの大丈夫ぅ?』とか言ってくんだよヘラヘラしながら。いい訳ねぇだろ何しに来てんだよこっちは暇じゃねぇんだよ帰れよって叫びそうになったわ」

ごもっとも、である。
歳の頃は男女共に30前後が揃っていたらしい(私はその場には不参加)。

更に友人は続ける。

「結婚とか、したいとは思ったことないの?って訊いたらさ、なんつったと思う?そいつ。『40過ぎた位に20代とかの子とできればいいんじゃない?とは思うかなっつーんだよ、平然と!!!アホか?しがない中小企業のサラリーマンがさ、しかもブサイクがさ、できるかそんな世の中甘くねぇわって言ってやりたかったわマジで」

友人は、よくぞこらえたものだと思う。

ハイ出ました、男女の結婚観のズレ。
まぁここまであからさまに、妙齢女子を目の前にして口に出してしまう男はなかなかいないが。
(おそらくタダのモテない男の僻みというか開き直りも含まれていると予想。「俺は相手がいないんじゃなくてしない主義ってだけなんだよね」的なタイプ。まぁ女にもそのテのタイプは存在するけれど)。


私はこういう「男の理論」を耳にするたびに、常々思う。

「いいよね、本当に男はそれでやっていけんだからね」と。
思ってしまう、どうしても。


若い方が良しとされる女社会では、そんな言い分は通用しないのだ。


だがしかし、今は女である身の私でも、思う。
「もし男だったら、40位までは独身でもいいかもなぁ」と。
だって自由。
だって、面倒なことなんてひとつもない。
仕事をして自分ひとり食べていければ良くて、好きなことをして暮らせばいい。
そんなの最高なんじゃないか、と思う。

でも、だからこそ、私は思うのだ。
20代、30前半くらいで、結婚を決意する男って凄いよな、と。
男には男の「早く結婚をしたい理由」というのも確かにあることだろう。
「家庭を持つことで一人前の男として社会に認められたい」だとか、それとも純粋に「この子をお嫁さんにしたい」だとか、「親を安心させたい」だとか、「家のことを守ってくれる人を見つけて、仕事に打ち込みたい」だとか。
けれど、そこにはきっと、「今付き合っている彼女の年齢」や、「彼女からの無言のプレッシャー」なんかも、決してゼロではないと思う。
言わば、「愛する女のために覚悟を決める」、というような意味合いがとても強いのではないかと思う。


だから私は、若くして結婚を決めた男ってとても魅力的だと感じる。
(別に既婚者と付き合いたいという意味では断じてなく)
その覚悟や決意こそ、男の色気なのだと私は思うからだ。
イイ歳をして遊び続けてチャラチャラと趣味や食や女に金を注ぎこむような男なんかより、まだこれからいくらでも遊べたのかもしれないけれど、汗水流して文句も言わずに毎日妻や子の為に稼いでいる男の方が、例えどんなに見た目はくたびれていたとしても、男として、人間としての成熟度は俄然高いはずだ。


冒頭に述べた合コン相手の男の思考には別に問題はない。
結婚をまだ考えていないことは個人の自由だし、それを咎める気はない。
40過ぎて結婚したい気分になった時に20代の女と結婚することを夢見るのも悪いことじゃない。
夢だけで終わらせず、本当にそうなる可能性だってあるのだし、勝手にしてくれて構わない。

ただ、その一言でこの男は自分の魅力を大幅にダウンさせていることに気付いていないところが残念極まりない。

「俺はまだそんな覚悟決めれる程の男じゃない」と、自分の不甲斐なさや情けなさを公表しただけである。
更に言えば、「場の空気も読めない男」認定までかっさらって行ったわけで、まぁある意味、なかなか凄いとも言える。



男から見たら「イイ歳して結婚できていない女」はきっと可哀想に映るのだろう。
そして「絶対に結婚に焦っているはず」とも思うのだろう。
そしてそれはあながち完全に間違えてもいないわけなので、それはよしとしよう。
けれど、男だって見定められている。
そのことをお忘れなきよう。

別に男を敵とは思っちゃいないが、勘違いはしてもらいたくない。
「男が女を選ぶ側」だったのは、男しか稼ぐことができなかった時代のオハナシでしかなくなった。
今は、女だって、男を選ぶ側でもある。


…と、女には自信を持っていてほしいし、男には多少の危機感は持っていていただきたい。

女だって、結婚には覚悟を決める。
「そろそろ覚悟を決めたい」と思って活動している女たちにとって、「覚悟を決めたくない男」なんてつまらないだけなのだ。

このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ