岩田温の備忘録

政治学者岩田温の備忘録です。

安倍総理と「リベラル」―自衛隊を憲法に明記する意義―

 自民党の総裁選で改めて安倍総理に注目が集まっているためだろうか。このところ、一気に安倍総理に関する書籍が出版されている。面白いのは、マスコミでは批判的に論じられる安倍総理を高く評価する、あるいは、高く評価するであろう(まだ発売されていない本もあるため)本が多い点である。

 少なくとも三冊の本が8月から9月にかけて出版される。

 

・阿比留瑠比『だから安倍晋三政権は強い』

・八幡和郎『「反安倍」という病』

・小川榮太郎『徹底検証 安倍政権の功罪』

 

 興味があったので手始めに阿比留瑠比氏の『だから安倍晋三政権は強い』を読んでみた。産経新聞に連載された原稿が中心となっているが、今読んでみても古くない内容ばかりだ。

 安倍総理を支持する内容ばかりではなく、逆に、反安倍を説く政党、マスコミ等々の論理の根拠がいかに薄弱であるかについても指摘されており面白い。

 

 驚いたのが、最後のあとがきにかえてのところに拙著『「リベラル」という病』から日本型リベラルについて批判した部分が引用されていたことだ。

 

 冒頭部分はこうだ。

 

「政治記事を書くうえで、ずっと違和感を覚え、どうしてそう言うのか意味不明なので極力、使わないようにしてきた言葉がある。それは「リベラル」である。本来は「自由を重んじること」や「自由主義的な様」のことのはずだが、政界では明確に違う意味で使用されている。」

 

 阿比留氏も「リベラル」という言葉が随分とおかしな意味で使用されていることに驚いていた一人のようだ。この違和感は大切だろう。

 

端的にいえば、「リベラル」というよりも、ただの「左翼」ではないか?との違和感だ。

 

そして、拙著から「リベラル」に対して「辛辣」とされる部分が引用されていた。

 

「日本でリベラルを自称する人たちには、顕著な特徴がある。それは、現実を見つめようとせず、愚かな観念論に固執することだ」

 

 「日本列島の中で『リベラル』たちは、他の世界のリベラルとは異なる独自の退化を続けた。(中略)特殊な退化を続ける日本の『リベラル』をガラパゴス左翼と呼ぶことにしたい」

 

 拙著で繰り返し指摘したのは、憲法九条を守ることはリベラリズムとは何の関係もないということだ。九条を守っていれば平和がおとずれるというのは、政治思想というよりも一種の信仰に近い。何故なら、それは信者以外には理解不能な非論理的な教え、すなわち教義に他ならないからだ。

 

さて、今回の総裁選で安倍総理は自衛隊を合憲と位置付けたいとの思いを明らかにしている。

 

「現在、自衛隊が合憲である以上、無意味だ、無根拠だ」とわかったようなことをいう人がいるが、こういう人のわかったような論理に騙されてはいけない。未だに憲法学者の多くは、自衛隊の存在そのものが違憲だと主張しているのだ。この部分から目を背けてはいけないのだ。

 

当然の話だが、国防のため、あるいは被災地で救援のために汗を流す自衛隊は日本国民の誇りだ。

 

ところが、共産党の政治家の中には、自衛隊の存在を敵視する人々が少なくない。

 

鴻巣市の共産党の市議らは自衛隊が参加するイベントに注文をつけ、イベントの中止に追いやった。「商業施設で子供たちに迷彩服を試着させるのは違和感がある」との市民の声が根拠という。まことに愚かしい話だ。仮にこの人たちが被災した時、迷彩服姿の隊員に救助してもらうのは違和感があるといって、救助を拒むのだろうか?

 

一度譲歩すると更に要求してくるのが共産党のようで、さらには、航空自衛隊機の航空ショーについて、「戦闘と切り離すことはできない」として中止を求めたという。こちらに関しては、良識ある市民がこのような要求を受け入れられないとしているようだが、こうした自衛隊を敵視する人々の根拠の一つに「自衛隊は違憲だ」という見解があることを忘れてはいけない。未だに共産党は自衛隊は違憲の存在だと解釈し続けている。

 反自民のためであれば、こうした共産党とも協力を辞さないというのが立憲民主党だ。自衛隊を敵視する人々と連携する政党に国政を委ねられるはずがない。
 

 自衛隊を憲法に明記するという安倍総理の判断は、我が国の政治状況を改善するための一歩なのだ。


現代日本における「リベラル」の特徴


詳細については拙著『「リベラル」という病』を参考にしてほしいが、「リベラル」の特徴を論じた部分を参考までにブログに掲載しておく。




 日本でリベラルを自称する人たちには、顕著な特徴がある。それは、現実をみつめようとせず、愚かな観念論に固執することだ。極めて反知性主義的な態度だといってよい。


例えば、「リベラル」は「平和憲法を護れ」と絶叫する。

だが、本当に守るべきものは、日本の平和そのものではないのか。憲法も含め、ありとあらゆる手段を用いて、日本の平和を守ることが重要なのではないか。彼らが神のごとく崇め奉る「平和憲法」にわずかでも手を触れようとすると、自分たちの全人格が否定されたかのように興奮するが、冷静に考えれば、憲法それ自体が平和を担保するものではないのだから、平和のために憲法を見直すことがあっても異常なことではない。

また、「平和憲法を護れ」という人々は、自分たちの反対者を「戦争を好む人々」であるかのように非難するが、本当に積極的に戦争をしたいと願う人々など日本に存在するのだろうか。彼らの望みもまた日本の平和であり、この日本の平和を守るための手段が異なるだけなのではないだろうか。

さらに言えば、「平和憲法」は手段として本当に有効であったかの吟味もなされなければならないだろう。「リベラル」は「平和憲法があったから日本は平和だ」というが、本当なのだろうか。日本には自衛隊あり、日米同盟によって強力な米軍が駐留していたから平和であっただけで、「平和憲法」とは無関係ではなかったのか。

「リベラル」はこうした冷静な議論を徹底的に避ける。

知的な議論を避け、「平和憲法を護れ」のスローガンに終始する態度は、「リベラル」というよりも、「反知性主義」といったほうが適切だろう。まるで現実を見ないで、自分たちの希望的な観測に耽溺(たんでき)する。客観的に言えば、見たくない現実から目を背けているだけだ。彼らは作られたスローガンに拝跪するばかりで、知性を働かそうとしない。知性による説得を無視して、虚構と妄想の仮想世界こそが現実の世界であるかのように主張する。

自分たちの虚構、妄想の世界を否定するような冷静で論理的な批判に対して、正面から返答することができないから、「リベラル」は大袈裟な表現で国民を脅す。例えば、集団的自衛権の行使が可能になれば、「徴兵制がやってくる」「戦争がはじまる」という馬鹿馬鹿しい批判があった。だが、現実に集団的自衛権の行使が容認されたが、日本は戦争もしていないし、徴兵制も導入されていない。事実が大切だ。彼らの主張は極端で非現実的な主張であったのである。だが、彼らは自分たちの妄想じみた非難が的外れであったことを反省することはない。自分たちの言葉そのものを信じていないという意味で、彼らの反知性主義は相当深刻である。

彼らが現実を見ないのは、彼らが愛してやまない日本国憲法を誰が作ったのかという事実から目を背けていることから明らかだろう。日本国憲法を作ったのはGHQだ。GHQが作った憲法草案を日本政府案として発表せよと強制されたというのが歴史の真実だ。長年、「リベラル」は、この事実を無視してきた。だが、最近では、日本国憲法の起草者が本当は日本人だった。などという見解を作り上げ、日本人の手によって日本国憲法が作られたという歴史的事実の改竄にまで及ぼうとしている。彼らの愛してやまない日本国憲法が、彼らが憎悪してやまないアメリカによって強制されたというのだから、やりきれない思いになるのは理解できる。だが、事実に耐え切れないからといって、歴史の改竄に手を染めていいということにはならない。(『「リベラル」という病』より)

ベストセラーから読み解く平成30年・シドニー・シェルダン『血族』から読み解く平成3年

 狂気の独裁者ヒトラーはユダヤ人を蛇蝎の如く嫌っていた。ユダヤ人こそが諸悪の根源であると妄想していたヒトラーは、全てのユダヤ人を抹殺してしまおうと企み、大量殺戮を実行した。ホロコーストである。だが、ヒトラーの反ユダヤ主義は、彼の独創の産物ではなかった。シェークスピアの『ヴェニスの商人』に見られるように、ヨーロッパでは古来より偏見にもとづく反ユダヤ的感情が存在していたのである。

 数々のベストセラーを執筆したシドニー・シェルダンの『血族』は、ポーランドの小さなゲットーと呼ばれるユダヤ人居住区に住む男の末裔たちの物語だ。男の名はサミエル・ロッフ。ゲットーから飛び出すのが夢だった。医師を目指し粉骨砕身し、ついに独学で病を治す「血清」を作り上げた。薬は飛ぶようにうれ、たちまちサミエルは裕福になる。自分の子供たちが二十一歳になると次々と外国に向かわせた。長男にはアメリカ、次男にはドイツという具合に、フランス、イギリス、イタリアへと移住させ、その地で製薬会社を作らせた。一代にして巨大なロッフ・ファミリーによる「帝国」を築き上げたのだ。

 サミエルは会社の経営に対して一つの哲学を持っていた。株が他人渡ることを極度に警戒し、ロッフ家のみで経営していくという方針を曲げなかったのである。

「共同経営という考えが好きになれないね。うちの仕事なんだから、他人に首を突っ込まれたくないんだよ」(上巻223)

一族による株の持ち合いというサミエルの掟は、代々引き継がれることになった。

サミエルの曽孫、サム・ロッフは社長として辣腕を振るっていたが、登山中に事故に遭い、あっけなく死んでしまう。サム・ロッフの死が物語の発端である。

 独、仏、英、伊。それぞれロッフ家の末裔が支社長を務めていたが、彼らの多くには同じような悩みがあった。それは自分自身の資産の大半を占めるロッフ家の株式を売買出来ないことだ。世間からは資産家のように思われていたが、実際に自由に使える金が少なかった。

 ―株式の売買さえ出来れば。

 サミエルの遺した掟が彼らの手を縛ってしまった。

 突然の父の死に呆然としていた一人娘エリザベスは、父が遺したアタッシュケースから、一通の報告書を発見する。「極秘」文書だった。文書に目を通したエリザベスは驚愕する。世界中の様々な場所で起こるロッフ社の事故、不祥事、大損害は、偶然によるものではなく、会社の最高幹部の中の裏切り者によって惹起された出来事に他ならないことが記されていたのである。

 報告書の最後のページには見覚えのある父の文字で次のように記されていた。

「株を公開させるための汚い圧力だ。裏切り者を罠にかけろ」。

 こうしてエリザベスの孤独な闘いが始まる。一族の中に存在する裏切り者を探し出すための闘いだ。

 一連の事件を担当することになった敏腕刑事オルニュングは考えていた。会社が他人に乗っ取られることを警戒し、家族経営を守るべくロッフ社憲章なる掟を作り上げたサミエルには先見の明があったのは確かだ。しかし、その一方でこのロッフ社憲章という掟こそが犯罪の源ではないのか。

「数億ドルの財産を相続させておきながら、株主一人の反対でもあれば一ドルも使えないというのだから、憲章自体が犯罪を内包していると言えなくもない」(下巻 194)

 かねてより尊重されてきた掟が、一族を犯罪へと巻き込んでいく。

 平成三年の日本は、戦後、一言一句に到るまで変更されることのなかった鉄の掟に苦しむことになる。憲法九条の問題である。

 平成二年の八月二日、独裁者サダム・フセインの命によってイラク軍がクウェートに侵攻。サダムの野望に対して如何に国際社会が如何に対決するのかが問われていた。サダムは米ソ冷戦が終結し、力の空白地帯が生まれたと判断し、クウェート侵攻を決断した。こうした問題を放置すれば、世界秩序は乱れ、軍事力による併合が平然と行われる混乱状態が生じてしまう可能性が否定できなかった。

 サダムがアメリカの軍事介入がないと信じた一つの理由は、アメリカのイラク駐在大使エイプリル・グラスピの不用意な発言だった。平成二年七月二十五日、サダムと会った際、イラクとクウェートの争いに関してアメリカは「格別の見解は持たない」とグラスピは発言したのだ。「格別の見解を持たない」ということは、この問題に関してアメリカが不介入を決め込むのではないかとサダムが判断してもおかしくはない。

 イラク軍のクウェート侵攻直後、「砂漠の楯」作戦が展開されるが、到底「楯」とは言い難い貧弱な部隊しか米軍は展開できなかった。米軍が世界最強であることは疑いようのない事実だが、その戦力は世界中で拡散しており、戦力を中東に展開するまでには時間がかかったのである。仮に、サダムがクウェート侵攻直後に、サウジアラビアにまで侵攻する電撃作戦を展開した場合、米軍は揚陸拠点を失うことになったかもしれない。

 クウェート問題は些末な問題ではなかった。我が国の原油の七割を供給する中東情勢は累卵の危うきにあったのである。

八月一四日、電話でブッシュ大統領が海部総理に呼び掛けた。

 

「こんどの事態は、第二次大戦以来の国際政治の分水嶺だ。日本も、われわれの共通の利益を守るということに完全にコミットしているというシグナルを送ることが、いま世界にとって重要だ。そういう意味で、日本が掃海艇や給油艦を出してもらえば、デモンストレーションになる。日本が米国に完全にコミットしていることを世界に強く知らせることが大事だ。ソ連でさえ、海軍による貢献を示唆している」

以下は note メルマガサロンvalu でお読みください



【講演会のお知らせ】

岩田 温『「リベラル」という病』出版記念講演会


主催

一般社団法人日本歴史探究会


演題

「リベラル」という病

講演概要

平成30年1月に発売された岩田温『「リベラル」という病』をテキストとし、著者自身が同著を解説していきます。


講師

岩田 温(一般社団法人日本歴史探究会 代表理事 / 政治学者)

来場特典

岩田温 最新刊『「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義』(彩図社)を1冊プレゼント


お申し込み方法

(1) Peatix (「先払い」対応)

(2) Googleフォーム




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