岩田温の備忘録

政治学者岩田温の備忘録です。

『東京新聞』のマッカーサー書簡に関する記事は事実誤認だ。

 2016年8月12日に『東京新聞』が「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法」否定の新史料」と題した記事を掲載した。新史料といいながら、どうせ決定的な内容にはならないだろうと思って読んでみたら、案の定、全く大したものではなかった。大した記事ではないどころか、記者の誤解からか、事実誤認まで含む酷い記事だった。書簡の解釈は『東京新聞』の自由だが、事実誤認に関しては訂正すべきだ。
 事の経緯を確認しておこう。
 岸内閣の下で開催された憲法調査会の会長高柳賢三は、1958年にマッカーサーに手紙で「戦争と戦力の保持を禁止する」条項を日本国憲法に挿入しようとした発案者が誰なのかを尋ねた。幣原喜重郎がマッカーサーに頼んで戦争、戦力の不保持が決定されたのか、それとも、マッカーサーが幣原喜重郎に命じたのかを尋ねたのである。
 このマッカーサーの返信を堀尾輝久東大名誉教授が「発見」したというのが『東京新聞』の報道である。
 なお、この「発見」されたという返信には次のように綴られていた。

「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです。首相は、わたくしの職業軍人としての経歴を考えると、このような条項を憲法に入れることに対してわたくしがどんな態度をとるか不安であったので、憲法に関しておそるおそるわたくしに会見の申込みをしたと言っておられました。わたくしは、首相の提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」

 書簡の内容については、のちに触れるが、まずはこの書簡の発見が大発見であるかのように語られていることが、おかしい。
 この書簡の発見があたかも一大発見であるかのように記事は次のように指摘している。

「堀尾氏は五七年に岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため五八年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。高柳は「『九条は、幣原首相の先見の明と英知とステーツマンシップ(政治家の資質)を表徴する不朽の記念塔』といったマ元帥の言葉は正しい」と論文に書き残しており、幣原の発案と結論づけたとみられている。だが、書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった。」


 『東京新聞』を素直に読んだ人は、高柳賢三とマッカーサーとが憲法の制定過程について書簡を交わしことは知られていたが、「具体的に何が書かれているかは知られていなかった」と思うだろう。
 だが、これは事実とは異なる。書簡の中身は既に知られていた。昭和39年に憲法調査会が発行した「憲法制定の経過に関する小委員会報告書」に、高柳の質問に対するマッカーサーの返信が次のように報告されている。

「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにとの提案は、幣原首相が行ったのです。首相は、私の職業軍人としての経歴を考えると、このような条項を憲法に入れることに対して私がどんな態度をとるか不安であったので、憲法に関しておそるおそる私に会見の申し込みをしたといつておられました。私は首相の提案に驚きましたが、首相に私も心から賛成であるというと、首相は明らかに安どの表情を示され、私を感動させました。」(前掲書、336頁)


 若干訳文が異なるが、同じ手紙であることは明らかだ。従って、「書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった」という『東京新聞』の記事は事実と異なるものだといってよいだろう。
 また、次の指摘も、世論を誤って導く可能性のある指摘だ。

「堀尾氏は「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」と話す。」

「史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する「今の憲法は戦勝国の押しつけ」との根拠は弱まる。」

 残念ながら、これらの指摘が意味を持つのは、この書簡の中身が、今回初めて明かされた発見であった場合に限る。だが、既に、この手紙の中身は周知のものだった。この書簡が存在していることを前提としながらも、「押しつけ憲法」であるとの議論が展開されてきたのだから、今回の書簡の公表によって「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」と断言することは出来ないし、「『今の憲法は戦勝国の押しつけ』との根拠」が「弱まる」こともない。
 この手紙の存在は、憲法の制定過程に興味を持つ人間なら、知っていた話なのだ。「書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった」との指摘は、事実誤認であるから、速やかに訂正すべきであろう。
 それでは、この書簡をどのように解釈すべきなのか。

続きは メルマガでお読みください。 

 ≪講演会のお知らせ≫


①政治学者岩田温の講演会を松本市で開催します。


演題「日本型反知性主義~日本のリベラルは何故おかしいのか~」

都知事選挙に立候補した鳥越俊太郎氏は、NHKの番組で「日本を攻めてくる国はありえない」「(攻めてくる国があるというのは)妄想だ、虚構だ」と主張していました。本当に憲法九条を守っていれば、日本は平和でいられるのでしょうか?
日本を取り巻く国際情勢、極めて強引な憲法解釈と自衛隊の関係など、初心者にも分かりやすく解説します。

日時  9月18日(土)14時30分から16時30分
参加費 3000円
場所  松本市駅前会館
お申し込みはこちらからよろしくお願いいたします。会場の都合上、残席わずかなのでお早めにお申し込み下さい。満員になり次第、締め切りを終了させていただきます。

②大阪勉強会のご案内


 東西冷戦の終結ともに「共産主義」は終わったと思われていました。ところが、日本においては共産党の勢力が根強く、参議院選挙でも民進党と共産党が協力する「民共協力」が実現しました。

 平和を愛する政党を自称する共産党は、自衛隊の訓練のことを「人殺しの訓練」と言ってみたり、自衛隊を「憲法違反だ」と主張しています。また、民主主義国家に天皇の存在は相応しくないとの考えも捨てていません。

 果たして、この「平和を愛する政党」を自称する共産党が掲げる共産主義とは、いかなる思想なのでしょうか。また、世界の共産党はどのようなことを行ってきたのでしょうか。そして、我が国の日本共産党の歴史とはどのようなものなのでしょうか。

 共産主義、共産党について全く知らない初心者から、共産主義思想に造詣の深い方にまで愉しんでいただける、知的で愉しい講演会です。
 

演題  「学校では教わらなかった共産主義の真実」
日時  10月15日 14時から17時 (90分×2)
場所  貸し会議室 大阪研究センター江坂

受講費 5000円 
参加申し込みはこちらからお願いいたします。 


 

現在、オン・ラインのライティング・ゼミを開始しました、ゼミ生を募集中です!!どうぞご参加ください。


 

どうして憲法九条があると平和が守られるのだろう?

 小学校の頃から疑問に思っていたことがある。

 憲法九条があるから、日本は平和だという理屈だ。小学生の私には、全く理解できなかった。自分自身が身を守る術を持たなければ、平和ではなくなると感じるのが常識だと思ったからだ。だが、小学校でも中学校でも憲法九条の平和主義は素晴らしいと教えられた。

 どのように考えてみてもおかしいのだが、平和憲法があるから、日本が平和である、という奇妙な論理が当然のように語られてきた。

 何故、日本が戦力を持たないから、相手が攻め込まないという因果関係が成立するのだろうか。

 例えば、日本を攻めてくる国など存在しないことが確実である場合、確かに日本は平和だといってよい。しかし、これは、何も平和憲法が存在するから、攻めてくる国がないのではない。攻めてくる国がないから、偶然、平和憲法を持った我が国が平和であるに過ぎない。要するに、平和憲法があるから、我が国が平和であるという因果関係を証明したことにはならない。

 平和憲法があるから、日本が平和であるという因果関係を成り立たせるための理屈はありうるのだろうか。突き詰めて考えれば、こういう因果関係の可能性がありうるだろう。

 日本を攻め込もうとした国家があったとき、「こういう武力を持たない日本のような国家に攻め込むのは、人の道に反するから止めておこう」、あるいは、「平和国家に攻め込むのは可哀想だからやめておこう」と相手に思ってもらえるから、日本は攻め込まれないという論理だ。すなわち、平和憲法を守っていれば、攻めかかろうとする相手の憐憫の情に訴えることができるから、日本は平和だということだ。あるいは、攻め込んだ場合に、他国や国際社会から、「平和国家を侵略するなど、余りに酷いことはやめよ」との声が沸き上がり、攻め込んだ相手が猛省せざるを得ないから、日本は平和だという理屈だ。

 どちらも現実離れした主張のようだが、実際に社民党の福島瑞穂氏は、次のように主張している。

 

「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」

(『産経新聞』平成二十四年八月三十一日付)


 

(続きはメルマガでお読みください。今月号は「鳥越俊太郎論 日本型反知性主義の象徴 )

 ≪講演会のお知らせ≫
政治学者岩田温の講演会を松本市で開催します。

演題「日本型反知性主義~日本のリベラルは何故おかしいのか~」

都知事選挙に立候補した鳥越俊太郎氏は、NHKの番組で「日本を攻めてくる国はありえない」「(攻めてくる国があるというのは)妄想だ、虚構だ」と主張していました。本当に憲法九条を守っていれば、日本は平和でいられるのでしょうか?
日本を取り巻く国際情勢、極めて強引な憲法解釈と自衛隊の関係など、初心者にも分かりやすく解説します。

日時  9月18日(土)14時30分から16時30分
参加費 3000円
場所  松本市駅前会館
お申し込みはこちらからよろしくお願いいたします。会場の都合上、残席わずかなのでお早めにお申し込み下さい。満員になり次第、締め切りを終了させていただきます。


 

現在、オン・ラインのライティング・ゼミを開始しました、ゼミ生を募集中です!!どうぞご参加ください。


 

文章の書き方を教えない不思議な日本の義務教育

 学生に限らず社会人でも、文章を書くのが苦手だという人が随分と多い。聞いてみると文章の書き方を指導されたことがないという。振り返ってみると、私自身も文章の書き方を教わったことはなかった。

 夏休みに「読書感想文」を書けといわれたことはあったが、肝心の書き方を教わっていなかった。だから、何をどのように書くのか、本当に苦労した。正直に言ってしまえば、嫌な記憶しかない。原稿用紙の使い方の指導はあったが、こうして書いてみようという指導を受けたことはなかった。本当におかしな国語教育だ。確かに40人近い生徒・児童に文章の書き方を教えるのは大変かもしれないが、それにしても、あまりにもおかしな状況が続いていると思わざるを得ない。

 今回、友人からの御提案を頂き、オン・ラインでライティング・ゼミナールを開講しようと思ったのは、本を読む愉しみ、自分の言葉で表現する愉しみ、仲間と一冊の本について語りあう愉しみを一人でも多くの人に実感してもらいたいと思ったからだ。

 私は本を読み、語り合うのが最も上品な大人の愉しみだと考えている。別に本を読まなくても生きていける。生きるために必要なのは、酸素であり、水であり、食料だろう。本は生きるためには必要ではない。だが、人間が人間らしく生きようと願ったならば、やはり本は必要だ。


(参考までに「教養としての読書」についての私見を語ったものがあるので、興味のある方はご覧ください。)


 

 何故、人は生きるのか、善き社会とは何か、歴史の真実とは何か。


 多くの人々が悩み、考えてきた問題をもう一度考え直す。本を読むとは、著者と対話し、格闘するということだ。中には、何も考えずに漠然と娯楽小説を読むのが好きという人もいる。だが、私はこういう本の読み方が好きではない。やはり著者と対話し、時には対決する覚悟をもった読書のほうが、刺激的なのだ。

 ゼミナールの中身を濃いものにしていきたいので、少人数制とさせていただいた。

 読書し、自分の言葉で表現することを愉しんで欲しい。僕も一緒に愉しみたい。

 全国でこういう試みがあるのか知らないが、せっかくネットが普及したのだから、共に高めあっていく場を設けたい。
  • ライブドアブログ