大学院時代にエドマンド・バーク研究に、何故か嫌気が差した時期に書いた三島由紀夫論。完璧なものではなく、かなり激しく荒っぽいものですが、一つの文章にまとまっているので、敢えて、これをメルマガに収録しておきました。


『三島由紀夫と私』 

 三島由紀夫とは何者だったのか――。
 三島事件とはいかなる意義を有するのか――。
 恐らく我が国が我が国であり続ける限り、極めて重大な問いであり続ける、すなわち日本を真剣に根源的(ラディカル)に問う限りは、避けては通ることのできないのがこの問いである。この問いに対して私が向き合うようになったのはそう昔の話ではない。この問いに向き合い始めることとは、恐らく、遠く長い模索の旅路の出発地点に立ったに過ぎないのだが、この出発地点に立つまでの期間とは、今にして振り返れば長き遅疑逡巡の日々であった。
 三島由紀夫は好きになれなかった。いや、正確を期するならば、深く理解しようとしなかったといってよい。三島由紀夫の作品も、そして思想も思索の対象とはなりえなかったのである。
 私が左翼であったためではない。
 むしろ左翼を蛇蝎のごとく忌み嫌ってきたし、ささやかな人生を通して左翼に対して一片のシンパシーすら寄せたことがない。他者から見れば過激な反共主義者にして、日本主義者であったはずだが、私の中に三島由紀夫の姿は存在していなかった。
 思い返してみると、江藤淳の影響を受けていたことが大きいのであろう。
 江藤淳が小林秀雄との対談において三島事件について言及する箇所は有名である。

小林 三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
 江藤 そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか。
 小林 いや、それは違いでしょう。
 江藤 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
 小林 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
 江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
 小林 いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。
 江藤 吉田松陰と三島寺由紀夫とは違うじゃありませんか。
 小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。
江藤 ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども……。
小林 合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。
江藤 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどと思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。
小林 いえ。ぜんぜんそうではない。

「歴史について」との題が付けられたこの対談は、この部分以外では話がかみ合っており、極めて味わい深い対談となっているのだが、実に唐突に起こる激しい応酬である。宮崎正弘が後年対談に立ち会った編集者に聞いたところ、紙面上では取り繕われているものの、実際には「怒鳴りあい」であったという 。
吉田松陰、堺事件と同列の系譜として三島由紀夫を捉える小林に対して、江藤は断固たる調子で否定する。三島事件は「非常に合理的、かつ人工的な感じが強く」、「リアリティが感じられ」ないというのだ。
この対談を読んだ当時、高校生であった私は、江藤の指摘に強く共感したのだ。三島事件を直接知る由もない私は、三島が「楯の会」なる私兵集団を組織し、かのような終末を迎えたことに極度の人為性と究極的虚偽を見たのである。

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