古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、人間が「中間的存在」であると指摘した。「中間的存在」とは、人間が神と野獣の中間に位置するということだ。これは善と悪との間を揺れ動く人間の定めを明らかにしているものだ。神は善き存在であって、悪しき存在にはなりえない。その逆に、野獣は善き存在になろうと努力することがない。虎が目の前の草食動物を食べようとするとき、善や悪の問題を考えないのは当然だ。野獣は善く生きようという意志を持たないからである。
神でも野獣でもない人間は、善く生きようとすることも出来るし、悪く生きようとすることも出来る。そして、残念ながら完全なる善にも完全なる悪にもなりえない。善き人も時に誤るだろうし、悪しき人も時には善き行いをすることもあるだろう。善と悪の間を彷徨うのが人間の定めに他ならないのである。
人間が中間的存在である限り、善にも悪にもなる。私は善く生きようとする人々が時に誤まったとしても、それを殊更に批判する気にはなれない。誰でも間違いはあるし、私自身も清廉潔白な人生のみを歩んできたとは言えないからだ。
しかし、偽善者は性質(たち)が悪い。彼らはそもそも善く生きようなどと思ってはいない。善く生きているように思われようと口先だけの美辞麗句を並び立てているだけなのだ。孔子は「巧言令色鮮し仁」と喝破したが、これは時代を越えた真実を表した一言である。
「リベラル」が隆盛を極めている状況において、偽善者たちは「リベラル」を演じている。だが、時代が変われば彼らの仮面は変化するだろう。戦前の日本に生まれていたならば、現在「リベラル」を騙っている人々の多くが「愛国者」の仮面を被って堂々と天下の大道を歩んでいたであろう。
よくいえば「機を見るに敏」というのだろうが、その本質は信念なき機会便乗主義者(オポチュニスト)に過ぎない。風の流れるままに漂うボウフラのような存在なのだ。
彼らの正体が白日の下に曝され、多くの人が偽善者の甘言に誑かされないでほしいと願いまとめたのが本書である。読者諸賢が僅かでも参考になる部分があれば幸いである。
以上は『偽善者の見破り方』のあとがきより抜粋しました。
【講演会のお知らせ】
岩田温 大講演会〜偽りの「正義」が日本を亡ぼす〜
【内容】
6月8日(土)に、『偽善者の見破り方 リベラル・メディアの「おかしな議論」を斬る』
※会場の都合により、
※前売りの段階で定員に達した場合、
【日時】
6月8日12時半開場
同13時開演
同14時半終了
【場所】
(東京都文京区湯島1-7-5)
【参加費用】
前売り 2000円(6月7日24:00までにお申し込みの方を、「
当日 2500円
【前売り券購入方法】
1)下記アドレスまで、2)をご記入のうえ、
kinoshita@eastpress.co.jp
2)件名を【『偽善者の見破り方』講演会参加】とし、【氏名(
【問い合わせ先】
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