Moony Geekazoid

つれづれにプライベートや思考を書き流しています



アメリカの有名な予言者(FBIの捜査にも協力)が、
北朝鮮がアメリカ軍基地のある厚木だか横須賀だかに、
核爆弾を落とすと予言したそうである。

中国も国力の及ぶ範囲を強引に広げようと躍起だし、
韓国もヒステリックに日本を責め立てる…。
なんだって日本の隣国はこんなのばかりなんだろう。

そのうえ、国内では高齢化が進んで、
認知症老人が起こす事故が多発していて、
未来ある子供の命さえ、彼らの手で奪われている。

これじゃどんなに経済政策をしたって、
国民は未来への希望が持てないし、
お先真っ暗な気分から抜け出せない。

そんな中、橋田壽賀子氏が
自分が認知症になったら、安楽死させて欲しいと言ったそうだ。
http://a.msn.com/01/ja-jp/AAkG87S?ocid=st

その気持ちが凄くわかる。
私もマジで老害になりたくない。
誰か(何か)の役に立てなくなったら、人は終わりだと思う。

福祉機器が発達して、障害者が他人の手を借りずに、
機械の力を借りて独りで様々な事ができるようになる日も近い。
ブレイン・マシンと呼ばれるインターフェイスを使えば
念じるだけで物が動かせるようになるそうだ。

だが、これらは身体が不自由でも脳が健全なるがゆえに
上手く使いこなせる代物だ。
認知症で脳の機能が破壊されたら、それを使いこなす事はできないし、
身体は頑強なままならば、暴力をふるったりして、
薬物依存者とあまり変わらない状態になる。
これでは、生きる凶器に近い。

自分で自分がコントロールできなくなり、
誰かに負担を強い、誰かの迷惑になり、
まして社会の害になるくらいなら安楽死を選びたい。

経済的に無駄だし、社会の無駄。
その無駄の分を若い人達の未来の為に使って貰いたい。
凄くそう思う。

この先の高齢化社会で、
老人達の為の介護費用が若者たちを苦しめるのは必至だ。
そんな老害にはなりたくない。
だから安楽死を願う本人の安楽死を認める制度を作って欲しい。
本気でそう思う。

トランプ氏が大統領に決まった。
(正確には、まだ逆転の可能性もあるのだそうだが…)
イギリスもEU離脱に多くの票が集まった。

両方とも、有り得ないと思われていた結果だ。
グローバル社会とは、逆行している流れである。

そして、投票したのは、どちらの国も、
『地方在住・保守・白人・高齢』の有権者が大多数だという。
端的に言えば、昔は羽振りが良かったのに今は貧困者。
過去の栄光を忘れられない、格差社会の落伍者達だ。
老害の国粋主義者とでも言おうか…。

アメリカ人は、元々、ネイティブアメリカン(インディアン)が
住んでいた時に侵入して来て、土地を奪い取った人達の子孫だ。
しかも、アフリカから黒人を誘拐してきて、こき使った人々である。

イギリス人や日本人が国粋主義を唱えるならまだしも、
アメリカ人が、移民や黒人に文句を言える立場なんだろうか?
彼らが白人至上主義を謳うなら、まず原住民に土地を返して、
自分たちは元のヨーロッパへ帰ってからにしろ!って話である。

その辺の矛盾は大いに感じるが、それはさて置き…。
日本でも最近、国粋主義の匂いを感じる機会が多くなった気がする。

ちょっと前に流行った、「シン・ゴジラ」と「君の名は」。
日本人が持っている奇跡のような力の存在を、もう一度信じてみたい。
そんな潜在的な欲求を満足させる映画だったように思う。
ここに、私は国粋主義的な匂いと願いを物凄く感じたのだ。


もう一度、強いアメリカ。
もう一度、大英帝国。
もう一度、日本の底力。
各国がそんな思いに駆られるのは、中国の台頭が原因のようにも思われる。

思えば、第一次世界大戦前のイスラム圏も凄かった。
オスマントルコに代表されるように強大な力を持っていた。
それ以前も、ヨーロッパの一部がイスラム色に染まっていた時代もある。
ところが、今は貧困に喘ぐイスラム教徒が多い。昔は羽振りが良かったのに…。
つまり、彼らも過去の栄光を忘れられない、格差社会の落伍者なのだ。

だから、彼らも、「もう一度、イスラム帝国」なのである。


やっぱり、これらの原因は、格差社会が生んだものだと思われる。
資本主義が飽和状態になった現代、
富が富を生み、貧困が貧困を生む連鎖が発生している。
貴族と平民が存在していた時代のような格差を生んでしまったのだ。

じゃあ何故、今まで自由競争が成り立っていたのか…。
それは大戦が人々の富を奪い、皆がゼロからスターとしたからだ。
だからって、戦争を起こすわけにも行かないし、
共産主義国家も一党独裁国家と姿を変え、格差構造を生んでいる。
共産主義の理想から離れて、非人道的な事さえ罷り通ってしまっている。
共産主義も資本主義と同様に得策とは思われない。

じゃあ、どうしたら良いのかなんて、私が言えることではない。
それこそ世界中の経済学者の頭脳を集めたって、
良い解決策は見つかっていないのだから。

只ひとつ言えることは、
みんな自分が可愛いって事だ。
そして、みんな同じことを言っているんだって事だ。

でも、みんな同じだって事に気付いていないみたいだ。



ところで、旦那が、アメリカ大統領選挙直後から、
十日間ほどアメリカに出張に行っていた。
行くまでは、クリントン派だったのに、
帰ってきたら、すっかりトランプ派になっていた。

TVを見ながら、いちいちトランプ氏を擁護するのだ。
いちいち良いように解説してくれる。
トランプを支持した知識人たちは、
メキシコとの間に本当の壁を建設するとは思っていないそうだ。
あれは比喩であり、
壁を作るのと同じような政策をとるという意味だと理解しているとの事。

事実、円は安くなり、株は上がった。
妹もけっこう儲けたらしい…。
旦那も自分の会社に有利だと喜んでいた。
…う゛〜〜ん、理想と現実が乖離している。複雑。

昨今は日本でのハロウィン・イベントが盛況だ。
こんなにメジャーになったのは、ここ5.6年じゃなかろうか?
娘が大学時代に外国人の友達と六本木でパーティをやった頃は、
少なくとも外国人絡みのイベントだった気がする。
(川崎のハロウィンだって、そんなにメジャーじゃなったような…)

私が最初にハロウィンを体験したのは、
旦那のアメリカ赴任に同行した1998年だった。

アメリカでもかなり安全とされている地域だった事と、
10月31日の翌日が、土曜日で学校が休みだった事もあって、
我が家には、100人を超える子供たちがやってきた。
(正の字を書いて、しっかり数えていたので確かな数だ。)

あらかじめお菓子を買いそろえてあったのだが、
全く足らず、自分たちの為に買ってあったチョコレートバーや
コーンフレーク(小箱)まであげた事を覚えている。

それが最初の年だったから、次の年にはもっと沢山お菓子を買った。
アメリカ人の友達も出来て、親も一緒に仮装して、
子供たちの「トリック・オア・トリート」に付き合って、
一緒に家々を回ったりした。
でも、家を留守にしていた分、前年ほどは、お菓子は必要なかった。

とにかく、それらの思い出があまりに楽しくて、
私も娘もハロウィーンが大好きになった。
私立中学の受験の時でさえ「ハロウィン・パーティをやる」学校が
学校選びの決め手となったほどだ。
当時、ハロウィーンを祝う場など、日本にはなかったからだ。

ところが、娘はその私立中学で登校拒否になり、自主退学。
結局、イギリスに留学した。

すると、イギリスではハロウィンのイベントは無かった。
ハロウィンよりメジャーなのが、
ガイ・フォークス・デイ(Guy Fawkes Day)だった。
(それが何か気になる人は、検索して下さい。)

…それは余談だが、とにかく、ハロウィン好きが高じて、
カリフォルニアやフロリダのディズニー・リゾートにも
わざわざハロウィンの季節に行ったりしている。
娘はTDLのホーンテッド・マンションのキャストも経験し、
パリのディズニーランドにもハロウィンの時期に行った。

兎に角、我が家は、
クリスマスよりもハロウィンが大好きだったりする。

ちなみに、我が家はこんな感じの飾り付け。
http://blog.livedoor.jp/lestat227/archives/52220753.html

今年は、忙しくて飾りつけをしなかったが、
先日、なんとか東京ディズニーランドへ行って来た。
この、闇に浮かび上がるオレンジ色の光の加減が大好きだ。

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ある先生によると、
3.11以降、文学作品の質が高くなったそうな。

思えば、豊かな森に居た猿が、大地溝帯が裂けたことで、
その森に戻れなくなって以来、人類は進化してきたわけで…。

全ての生き物が災害や悲劇やストレスを起こった時に、
それに対応すべく進化してきた事を考えれば、

3.11が,日本人の中のなんらかの進化のスイッチを
押したとも考えられなくもないのかもしれない。



今の世界経済は、どん底で、打つ手が無くなったと言われている。
どんなに経済政策をしても上手くいかないのは、
人々が「今日より明日が良くなるという希望」を持てないからだそうだ。

今の日本人には、願いや祈りを現実のものにする力の存在を信じたいという、
潜在的な欲求があり、人々はそれに飢えているのだと思う。

「シン・ゴジラ」と「君の名は」は、
日本の未来に向けての、自分たちの力を信じたくなるような、
希望を持ちたくなるような映画だった。
そんなところに大ヒットの秘密があるのかもしれない。

前回、TVドラマ「IQ246」に触れたので、IQ繋がりの記事を。

私が小学一年で受けた知能テストの結果は、IQ135だった。
これは、アメリカだったらGATE (Gifted and Talented Education)
を受講できるスコアではある。
で、子供の頃のスコアと30以上の差が出る事は稀だそうだから、
相当腐ってはいても、今でも平均程度は維持しているだろうと自己診断している。
(ボケが来てるから、平均以下かもしれないが…(-"-))

私の娘は、数値では示されなったが、小学校入学時の面接で
「満点でした。上位1%の中に入っていました。」と、言われた。

そんな娘は、中学の時、登校拒否になった。
私は彼女のこれからの方向性を探るべく、
以下のスクールの4日間の体験講座を見つけて、娘を連れていった。
http://www.suku-suku.co.jp/

そこは、平たく言えばIQを伸ばすような練習をしている教室だ。
そこでテストを受け、「空間把握の能力は低いが、
言語知能指数はとても高い」というテスト結果を頂いた。
先生曰く「このスクールで、継続して訓練している子供でも、
言語知能指数は、あなたのお嬢さんには及ばない」とのこと。
(その結果も、娘を単身留学させた一因になっている。)

しかしながら、娘は4歳半まで、言葉が喋れない子供だった。
単語の返事は、たまに返っては来るが、
言葉のキャッチボールをしている感覚は全く無く、
聞く者にとって、娘の話す言葉は、ほとんど意味を成していなかった。

ところが、4歳半の時、突然、長いセンテンスを喋り出した。
あたかも、今まで繋がっていなかった一番重要なシナプスが
突然繋がったかのようだった。
その途端に、言葉の能力が完成した。そんな感じだ。
多分、それ以外の情報網は、全てしっかり発育していたのだろう。

その後の言葉の発達は順調だった。
というより、順調以上だったかもしれない。
8歳で、主人の仕事についてアメリカに行く事になったのだが、
娘は、たった三ヵ月で、ESL(外国人の為のクラス)から、
現地の子供たちと同じクラスへ編入できる事になった。

半年程度の滞在で、「アメリカで生まれたのかと思った」と言われ、
日本人の子供たち専門の日本人家庭教師には、
こんなに早く英語が喋れるようになった子は見たことがないと言われた。

但し、彼女は、「語学が苦手だ」という。
彼女は、自分自身の感覚だけで言葉を習得するので、
授業を受けて習得した他の言語(スペイン語)の成績はB程度だ。
(とはいえ、スペイン語で言ってる事は大体理解できるらしい。)

そして、娘は海外の大学院を卒業している。
どんな世界ランキングで常に20位以内にはランクインする名門大学だ。
5位ぐらいに入る事だってある。
歴史上にも名前が出てくるから、日本人でも耳にした事はあると思う。
(娘の、中高大、大学院留学に際しては、留学斡旋会社は一切使わず、
私が自分で調べ、アレンジし、手続きの全てをやった。)


一方で、娘は、ADDという発達障害があるとの診断を受けている。
栗原類さんが、自分はADDだとカミングアウトしているが、
娘もなんとなく、あんな感じだ。
ADHDとか、アスペルガーとかで検索すれば出てくるが、
有名人や、天才と呼ばれる人物が、その傾向を持っている事は多い。
そして、繊細な感受性を持ち合わせている人が多い気がする。

娘は天才とは程遠いが、少々偏った能力の持ち主である事は確かだ。
一方で、注意力散漫のところもあるので、とても誤解されやすい。
いわゆる有名な投資会社やコンサルティング会社に務めるエリートや、
クイズ番組を席巻する頭脳明晰なメンサ会員とは、全く違うタイプだと言える。
脳機能の偏りを考えると、ちょっとサヴァン症候群に近いのかも知れない。

「IQ246〜華麗なる事件簿」の第一回目を見た。

普段、殆どドラマは見ないんだけど、
写真で見たディーン・フジオカ氏の髪型と
メガネ男子ぶりが気になったので見てみた。

真ん中のブリッジ部分を長い指で押さえて眼鏡を直す。
この仕草、漫画好きなら、それだけで「萌え」だ。
それだけじゃなく、少女漫画そのままの完璧な美男子。
しかもドSっぽい執事役とは…。
「萌え」を知る人がキャスティングしたとしか思えない。

先日見た、オールスターなんとか祭では、
土屋太鳳ちゃんのマラソンの頑張りっぷりがとても好印象で、
以前見たドッキリTV風の番組でも、
細やかな気遣いの出来る人柄に好感を持っていたので、
録画予約しておいたのだ。

もちろん、主役の織田裕二氏も好きな俳優の一人だ。
ドラマは見てなかったが、「踊る大捜査線」は映画館で見た。

…で、実際に見てみたら…
織田裕二氏のしゃべり方が、ひっかかった。
もちろん、役作りなんだろうけど、
なんか「相棒」とか「古畑任三郎」(ドラマは見ていないけど)に似ている…。

あの喋り方に、最後まで耐えられるかなぁ(-"-)。
それに、IQが高い人達って、もっと繊細な気がするから、
イメージに違和感もある。

まあ、いいや、執事の賢正を見るだけでも楽しいそうだ。
中谷美紀さん演じる監察医も、良い感じのキャラだったし…。
オタクらしく、脇役に注目するのもありかも。

先日、オーストラリア人を車で送迎する機会があった。
私がアメリカに住んでいたのは20年近く前であり、
過ごしたのは2年半で、その後英語を使う機会は殆どゼロ状態。

そのうえ、私は車の運転がけっして得意ではない。
日本ではペーパードライバーに等しく、
最近少し運転する機会が増えて来た程度。

しかも初めての道だから、ナビ頼みで焦りまくり…。
「一人だけで運転する場合、自分の知らない道は絶対に走らない」
それが、運転が下手くそな私の信条だった。
それなのに、急遽、そうなってしまった。


下手くそドライバーが、知らない道をナビを見ながら行く。
それだけでも、未体験なのに、それをしながら、
英語のヒアリングとスピーキングを同時やらねばならない。

オーストラリア人は、ひっきりなしに話しかけてくる。
当然、普段の自分のキャパを超えていた。


人間には脾臓という臓器がある。
普段は使われない臓器だが、緊急の事態に陥った時、
予備のタンクのような働きをして、血液を放出し、酸素供給を補う。

きっと私の脳は、脾臓でいう所の緊急事態に陥ったのだろう。
そうしたら…
脳のある部分に閉じ込められていたものがパカッと出て来た。
そんな感じの事が起こった。


突然、英語がスラスラ出て来た。
と、同時に、私は右側車線を走ろうとしていた。
つまり、反対車線を走ろうとしていた。
走る前に気が付いて事なきを得たが、
アメリカに住んでいた頃の自分の感覚が降りて来た感じだった。

「アメリカで育ったの?」と聞かれた。
確かに、彼女の英語はオーストラリア訛りだった。
eightはアイトと聞こえるし、ownerはアイナーと聞こえた。
それにしても、私が英語圏で育ったと思うなんて…マジっすか?

途中ホテルに立ち寄った際、「出来る限り早く戻る」
と言い捨てて駆け出そうとした彼女に
私は、咄嗟に"Don't be in a hurry!" と叫んでいた。

youとかneedとかを使うほうが丁寧な事は知っていた。
でも、悠長に言っている間に彼女は走り去りそうだった。
だから、気持ち的には「制止」したかったのが本音だった。
「時間はあるよ」と付け加えようとした時には、
遠くで"OK!"と答える彼女の声は、私には聞こえたものの、
私の言葉が届く場所に彼女は居なかった。

叫んでから、"Don't rush!"の方が良かったかなぁと
漠然と思っていた。
そして、一人我に返ってハタと考えた。
そんな言い回しってあったっけ? 習った記憶さえない。
帰宅してから、調べてみた。どちらも正しい英語だった。

そんな言い回しを覚えていて、突然口をついて出た事に
自分で吃驚した。


もう20年近く英語を使う環境にない。しかも勉強もしていない。
50歳半ばで、日本語でさえも、なかなか出てこない昨今なのだ。
なのに、20年の時を一気に飛び越えてあの頃に戻ったかのような…。

自分のキャパを超えて、無理を強いた事が、
使っていなかった脳の部分を刺激して、
脳の中の一つの倉庫の扉を開いたかのような体験だった。

この話を友人にしたら、
アメリカに住んでいる親戚を訪ねた時、
長年アメリカで英語を使って過ごしていたその人が、
日本人だらけの車内で日本語だけで喋っていたら
突然、左車線を走りだしたそうだ。
つまり、似たような事は誰にでも起こるらしい。

英語をしゃべる時の脳と日本をしゃべるときの脳は、
使っている部位が違うのかもしれない。
それで、今まで閉じていた倉庫の蓋が突然開いたら、
英語圏用の脳に、丸々シフトしてしまったのかもしれない。

忘れたようでいて、脳は覚えているのだ。
学んだ記憶すらないような言葉でも、
どこかにinputされていて保管されているのだ。
その取り出し方が分からなかっただけで、
刺激さえすれば、保管用倉庫の扉は開くのだ。
人生後期に差し掛かってる私の脳も、捨てたもんじゃないと思った。


最近TVで70歳を超えても脳が発達するという番組を見た。
ドラムなどをやると、小学1年から6年に成長するぐらいの
急激ですさまじい発達を遂げるという。
目で楽譜を読み、両手と足を同時に、そして別々に使って演奏するドラムは、
普段やらない事を、脳に無理強いさせるが故に、
脳の使っていない部分の機能を刺激し、発達させるのだそうだ。

年齢を理由にずっと語学から遠ざかっていたけど、
老化した我が脳みそも刺激すれば、動いてくれるのだと分かって、
また勉強してみようかなという気になって来た。


偶然、3年目の最終回という「ジョブ基礎」というNHKの英語番組を見たら、
結構、面白かった。得るものも多く、レベルも自分に合ってる感じ。
10月から新番組として、始まるというので見てみようかな。

そう思って、NHKのサイトを見たら、
英語力測定テスト2016というのがあったので、やってみた。

以下はテスト結果がテキストでコピペできるようになっていたので、それを利用。
↓↓
[英語力測定テスト2016(応用編)]あなたの得点は90点/150点、順位は2694位/27924人中です。

満点には程遠いけど、参加者の上位1割の中に居た事になる。
文法嫌いの感覚的英語にしては上出来かも…。

得点レベル別の「あなたにぴったりの英語講座」というのでお勧めされた
「ニュースで英会話」というのも面白そうなので見てみよう。
オリンピックの選手村予定地に近い所に住んでいるので、
ボランティアとかやれれば面白いかもしれない。

だけど、教科書とか買って真剣にはやらない事にする。
頑張り過ぎると、負担に感じるようになって続かないから。
毎週一回、番組は見る事。録画はしない。流し見もOK!
取りあえず、TVの視聴予約だけはセットしたぞ!

(脳トレに漢検は真剣にやってみようかな…。)
(歳をとるにしたがって、段々日本の事が好きになってきた。)

脳に良いので、オマケ。
このチョコレートおいしそう。
http://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/the-chocolate/

image
「アメリカン・アイドル」というTV番組の頃から注目している、
私の大好きなアダム・ランバート(前記事1前記事2)が、
これまた私の大好きなクイーンと組んで、ここ数年活躍中。
なんとも夢のようなワクワクするマリッジだ。

で、彼らが来日!
行くっきゃないと、数分で売り切れたチケット争奪戦を制し、
昨日22日、家族で行ってきた。

客層はまさに老若男女。女性6割、男性4割。
20代から70代位まで満遍なく居る感じ。中心層は4,50代。

客席がキラキラしてると思ったら、叶姉妹も観に来てた。
(そして、アダムにいじられていた(笑)。)


もぉおお〜超絶よかった!
何度も鳥肌立っちゃった!


スクリーンには、フレディや先日亡くなったデビッド・ボウイも映し出され、
フレディの歌声も聞こえて、涙なしには見れない心憎い演出。
レーザーやスモークや炎や金色の紙吹雪をふんだんに使った豪華なステージ。
アダムの美声は、相変わらず迫力あって素晴らしかったし、
ロジャーの親子とのドラムの叩き合いもカッコよかった。
でも、その夜一番素敵だったのは、ブライアンかも。
天体物理学の博士号も持つブライアン。超格好良いわ〜(惚)!

伝説のフレディ・マーキュリー(今年はちょうど生誕70年、没後25年)は
作曲、楽器演奏、パフォーマンス、歌唱力、全てに於いて別格だと思うけど、
"Who Wants to Live Forever"を力強くも透きとおった声で歌い上げ、
Rock Legendのブライアンとロジャーを、あんなにも楽しそうにキレッキレにさせた
アダムも凄いなって、つくづく思った次第。


で、帰り際、グッズ売り場に長蛇の列が出来ていて、2時間待ちは必至。
(調べたら、どうやら開演前も同じような混雑だったらしい。)
これは無理!と諦め、丁度ついでもあったので、本日出直した。

…ということで、グッズだけを買いに、もう一度日本武道館へGO!
演奏中なら空いてるかも…と思ったら案の定ガラガラで、ホッ。
(最終日だし、売り切れも多かったけど…)

音漏れが聞こえて来て、彼らの熱気を感じながら、
上の写真のとおり、グッズをゲットしました。イェーイ ♪
(画像はクリックで拡大可)

三日経ったが
余韻が全然覚めなくて困っている。
気分はまさに以下…

手を取り合って このまま行こう
愛する人よ
静かな宵に
光を灯し
愛しき 教えを抱き

何処何処に行かない?と聞かれたから、
忙しいと答えた。
それだけでは素っ気ないし、真実味がないと思って、
○○、××、これこれしかじか…と、
2行程度で収まるように、予定を列記した。

人は往々にして、他人の行事には興味がないので、
詳しくは書いていない。
忙しいという事の証明みたいなつもりで軽く触れた。

そうすると、決まって、
私も、△△、□□、あーだこーだと、
自分が如何に忙しいかを書いてくる。
私は、自分が書いた事に上書されたような気分になる。

暇だから誘われたのかと思っていたのに…。
そんなにも忙しいのに、時間を割いて誘ってくれたのかな?
こっちも大変だけど行かなければいけないのかと
申し訳なくもなるけれど、どうも違う気がする。

誰だって、忙しい時もあれば、比較的時間がとれる時もある。
そういうのは当たり前の事であって、至極当然のこと。
でも…
どうも他人より自分が大変じゃないとピリリと反応してしまうようだ。
そして、自分の事項で上書きしないと気が済まないみたいなのだ。
たまにそんななら、ニュアンスの書き間違いって事もあるけど、
100%の確率でいつもだから、こちらとしては
なんだかやり込められた気分になる。


○○行ったよ。△△行くよと、頻繁にメールが来るから、
いいねぇ! どうだった?など、
私は一つ一つに反応して返事を返す。
それが、人の話をちゃんと聞いているという合図になると思うから。
でも彼女は、私が行事を書いても、九割がた反応しない。

殆どの場合、一切無反応で、
私は△△、□□行きました。やります。
返って来るのはそれだけ。
つまり、こちらを無視して、上書きして、それだけ。
これも、毎度毎度の事。

無反応で上書きだけだと、否定されたような気がする。
気のせいだろうか?
だから、邪推したくなる。
私の些細な行事が相手を少なからず刺激しているのだろうかと。
だとしたら、それはその人の心の底に隠れた競争心なのではないか?と。
些細な事にピリピリ反応して、爆発的に怒るから、なおさらに…。



他人と比べて、他人を見下ろしたとしても、
自分の人生自体が向上するわけじゃない。
そんな事で得た自己評価や自己肯定は虚しいだけだ。
そんな負の感情は美しくないし、むしろ人生を汚す。

自分自身の力で得た満足感を大切にしていく事が
ひいては自分自身の人生を一歩一歩行く事に繋がる。
私は、そう思っている。

とと姉ちゃんがまた変な事になってきた。
分かりやすい「悪」を出してきて、
大衆誌を馬鹿にし、常子たちが上級で正義とでも言いたげな描き方。
ちょっと反吐が出そうだ。
そんなに簡単に線引きできるものではない。
前の記事でも書いたが、色々と極端過ぎて共感できない事が多い。

読者の味方だか、言論の自由だか知らないが、
剣をペンに持ち替えて、「天に成り代わって成敗!」的な
正義の味方になったつもりで感違いをしている
批評家やジャーナリストも、世の中には多い気がするし…。

星野さんとの再会エピソードが楽しかっただけに、
いっそう見る気が削がれる。
私は恋愛ドラマは好きじゃないし、恋愛を扱っただけの
ドラマや映画は殆ど見ないけど、星野さんと子供たちに癒されていた。

確かに、批判を撥ね付ける業者ばかりではなく、
批判を糧にして自分を見直す事に役立てる人もいる。
私も批判された時、その中に非常に正しい指摘があり、
社交辞令では得られないような貴重な意見を頂いたと感じた事もあった。

でも、多くの場合、ペンや言葉は武器になってしまう。
人(正しくは人の心)も殺せるのだと思う。
ジャーナリストは、言葉だけで、誰かを路頭に迷わせ、
死に追いやることも出来る。それを、自覚するべきだ。
シャルリー・エブド誌の事件でも、モヤモヤしていたけれど、
何を言っても許される的な、やり過ぎの自由でさえ、
ジャーナリズムの名の下では、まかり通ってしまう事も多い。

ドラマの中の常子たちのやっている事は、
今のネットに溢れている「口コミ」とは違う代物だ。
今のようなダイバーシティへの理解が高い世の中で、
個人個人の様々な意見として存在し、それを見る側が取捨選択する。
そんな風潮がまだ未熟な社会が、常子たちの生きた時代だ。

それは、まさに消費者の購買力を人質にとって、
業者を脅しているような形態だと思う。
今の世界でいう所の、検査機関や検査基準。
そんなものの「成り代わり」のつもりで金儲けしているのは、
いかがなものだろう。
本気で世の役に立ちたければ、無料で配ればいい。
今の時代で言えば、「NPO」にするべきだ。
又は、非公開で会員だけで情報を共有するとか。

とにかく、公開処刑のような事をするのは、欠席裁判に等しい。
そんなことをせずに、業者に直接問うて、改善を促せばいい。
それをやった後で、駄目な場合のみ、公けにすればよいだろうに。

ジャーナリズムって、片方からだけの批判であってはいけないと思う。
あくまでも、中立の立場から見なければいけないと思うのだ。

批判しっぱなしで、あとは無責任だったら、
単なる「批判のための批判」と同じだ。単なる口だけだ。
批判された者が改善を試みたら、それ【も】記事にしないといけないし、
批判された側に起こった被害【も】記事にしないといけない。
それをしなかったら、公平や中立とは言えない。

それをしなかったら、業者の事も思っている等という台詞を吐かせてはいけない。
あんなのが女性目線だとしたら、女性の一員として大変気分が悪い。


批判のための批判といえば、政治家にもそういうのが多い。
批判と突っ込みだけは得意だが、肝心の政策が無い…みたいな。
ジャーナリストって、それに似ていると思ったり…。

蓋を開けてみたら頭が足りないとも思われる鳥越氏のような人が、
ジャーナリストを名乗るのだから、
批判だけなら、誰でも出来るよなぁ(日本語さえまともなら)
とも思ってしまった。

私のようにネットで独り言を吐き出している個人とは違う。
彼らは、読者や視聴者からお金を貰って、
ジャーナリズムの舞台の上から獲物を狙って、ナタを振り下ろす。
なんだか、禿鷹みたいな人達だと思った。


同じ文章にするのなら、誰も批判せず、傷付けずに、
人に夢や力を与えられる、小説の方がずっとずっと良いと思った。
色々と考察して、真理を探究する、論文の方がずっと良いと思った。

また、戦場などに行って、見たままの窮状を
言葉の脚色無しに、ありのまま伝える戦場カメラマンや報道カメラマンの方が、
ずっと公平な目線のジャーナリストだと思った。

「とと姉ちゃん」は、高畑充希さんの輝きに救われているようなドラマだ。

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