Moony Geekazoid

つれづれにプライベートや思考を書き流しています



September 2004

昔から、クラスメイトがH話し始めたら、消える人。
でも、「“上質な”…H本」って読みたいんですよ。
昨今のBL ボーイズ・ラブ小説を2冊程読んで、ごみ箱に捨てました。
男は、男。凛としてなきゃ。
やっぱり、登場人物が、魅力的でなければ駄目!!
綺麗ONLYでは、駄目…。(出来れば「漢前!!」な男女が好み)
だから、アン・ライスのVCが好き。

下で書いた、『燃えよ剣』も結構濡れ場があるし、
私の好きな『眠り狂四郎シリーズ』もかなりエロい…。
でも、あの筆の力強さと、魅力的な人物描写は、絶対“文学の域”
これらの小説の色気は、「漢らしさの色気」だから!!
やっぱり、「オトコの色気」が読みたいのです。
女に置き換えても読めちゃうような、女男の色気じゃなくて…。

やっぱり、戦いや冒険に身を置く、美しい男が好き。
そいつに男色があったら、萌えますね。
相手は、華奢で、思索型の美青年でしょ!! 
どこか男らしく、ストイックなエロティシズムが薫るような
ストーリーやイラストが書けたらなぁ…。と、高望み中。

stylish, sexy, intelligent, rich and full of depth
decadence, sensuality and mythology

↑は、私が、イラストやストーリーの中追求したいと思っているものかも。

http://www.sourcenext.com/cp/0409/24_shiba.html

↑のサイトを見て、「売り切れ」の文字に呆然としてしまった。

私、メールでお知らせが来た時は、只『燃えよ剣』の朗読CDを想像していたから、チェックしなかった。

ところが〜〜〜
朗読しているのが、渡辺謙 だぁあああ!!!

しかも、資料データベースまで付いていた!!


司馬遼太郎原作『燃えよ剣』は、大好き!!
私の中では、いい男の聖書みたいなもの。
最近のNHKは、途中まで見ていたけど、毎週同じ時間にTVをつけるなんて、殆ど出来ない私は、結局最近見ていない…。
でも、司馬遼太郎先生!の『燃えよ剣』と、『新撰組血風録』は、大好き〜!!
才能あって、戦いに身を置いた美男、そして、滅びの美学…。正に理想。(このあたりチェーザレ・ボルジアとかなり被る)

本はいいけど、CDはと思ったら、
渡辺謙さん朗読なんて!!NHKの大河ドラマ『独眼竜正宗』で惚れたあの謙さん!!白血病に倒れた時は、どんなに残念だったか…。でも『ラスト・サムライ』で復活!!いい俳優だよ〜。
私は、真田広之と並んで、日本では最高部類の俳優だと思っていたので、『ラスト・サムライ』は至福の映画だった。(この二人をキャスティングした人、凄すぎ!!)

あ、また脱線。

『燃えよ剣』を渡辺謙が朗読なんて!夢のようなCD−ROMじゃんか〜〜!
土方や、沖田の遺書の画像もあるし…。

それが、3,980円だったなんて…。(ToT)
と、暫く涙に掻き暮れた…。

因みにアマゾンでは、\4.494
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002JUHYI/
在庫ないので、キャンセルの可能性あり。
・・・・2000年に出た商品だからなぁ…。sigh


ところで、時々覗いている某所様で、見つけたもの。
『戦う男の制服図鑑』 ↓
http://www.kinokuniya.co.jp/nb/bw/seifuku2.htm

ああ、軍服フェチには、たまりませんvvv(特に、ナチ、英海軍の上官あたりが好みvv)
健全内容なのに、腐女子心を擽る・・・。と思ったら、著者様は、BL系のイラストレーター様だそうだ。
これも、欲すぃ。か、金がぁ…。

剣士、騎士、戦士…。こういうのにメチャ弱い奴…;
これが、気概に溢れた策士であれば、なお良しvvv
かつ、美しい人なら、最高…。あはは。ビョーキ。(でも、治らね〜〜;)

毒吐き注意

俳優のサイトをやっていた時は、癒し系サイトを目指していた気がする…。
嵐をやった人にさえ、「その人なりの事情が、あるんだろうから…。」と、弱腰だったし。
でも「悪いモンは悪い!」と、妹に背中を押されて、断固とした態度をとったけど、その時のストレスたるや…言ったほうが疲れてしまった。もともと事なかれ主義だんだよね。私は。
電車の中で痴漢にあったら、妹は「サツに突き出す」タイプ。私は、「逃げる」タイプ…。そう言ったら分り易いかも…。
だから、マジで、癒し系サイトを目指してた。それに、普段の私も、人に対してそんな感じ…。

…だったんだよね。この日記を書き始めるまでは…。
昔、中学生の頃日記を書いていた時は、至極真面目に自分を見つめて、かなり倫理観にのっとった日記だった。その年頃にしては、男の子の事は無しだったし…。(友達同士では、あの人素敵〜とか言ってたが、男の子の問題は、多分自分にとって、あまり重要な問題では無かったらしい…。異性で興味があったのは、アニメ主人公と、外国人スターだった。←なんというか、オタク系だね。 でも、ラブレターは何通か貰ったから、ちょっと見は、一応秋葉にいる男性オタク(私のオタクのイメージ)をそのまま女の子にしたようなタイプではなかったと信じてる…。^^; おとなしい系ではあったけど…。ああ、脱線。)

ところが、この日記…。
自分を見つめているのだろうか?? 違うなぁ…。
少なくとも、不特定多数の人が見ていると思うからか、どっちかというと世間に対して吼えているような気もする。
完全毒吐き。 今まで、どこか自分が我慢してきたのが、もうそんな必要はないぞ、ぶちまけちまえ〜〜!!って、感じで、自分で、自分を、許可してしまったような気がする。

そのきっかけの一つがアン・ライス。
今まで、何処が好きかといって、只好き!の段階だったのに、サイトでいつも考えさせられていたからか、あの「野蛮の園」の自己解放=ワイルド=善 という図式に乗せられてしまった。
そして、やおい。実は、私は、やおいは嫌いではなかったけれど、推奨派ではなかった。だいたJUNEも同人誌も読んだことなかったのだから…。単に知っているだけ…くらいだった。
だから、絵に描いた事も、文章で描いた事もなくて…。ところが、書いたら快感だった。う゛〜〜ん。まさに「野蛮の園」。野蛮の園ってこれか!!って感じ。

で、健全スチュサイトと一緒にして置く事が申し訳なくなって、サイトを分けた。

そのあと、掲示板の日記カキコの人への応対…。
すこしなら、全然OK。でも程度ってものがあった。メールも多かったし…。
「単刀直入に言っては傷つくだろう。でも、分って貰いたい…。」
ところが、オブラートに包む事…。それは、甘かった。とにかく、言うべき時に、はっきり言う事の方が、もしかして平和的解決だったのかもしれなかったとは、後で気付いた。

曖昧な、事なかれ主義の、平和主義者…。私は、これだったのだが、それって、ホントに平和なのか? 少なくとも自分の心中は穏やかなのか? 我慢は美徳なのか? もちろん社会に於いては、ある程度は必要だ。でも、海外は??日本も、自分にあった仕事を求めて、転職が当たり前の世の中なのに??? 

そうだけれど…。ネットは趣味だろう?
そして、ある程度、熱狂という渦の非常に危なっかしい世界だろう?
読んで下さっている方と同じ、ネットに生息する者として言わせて貰えば、どんなに礼儀正しく、ネットマナーがあっても、やっぱりネットは、「完全に健全」とは言いがたいところがある。
ビジネスサイト以外の殆どの個人サイトは、自己解放のためにやっているのだろう? まさに「野蛮の園」なんじゃないのか??
そんな中で、事なかれ主義やってるって、もしかして、私は馬鹿だったのか?

こういう言葉が渦巻くようになり、私は、健全なスチュサイトから離れた…。
つまり、公が対象という事はやめて、ある程度独特のカラーを持つ事に決めた。

そして、この日記を書き始める…。
出てくるは、出てくるは、毒、毒、膿、膿…。
今まで、事なかれ主義の おっとり系な私は何処へ? 
 
やぱいなぁ…。境界を越えたのかしら?
だから、せめて知性から離れたらアカンと思う。
オバタリアン(死語だけど)と、区別する唯一の砦…。

ああ、しがみ付いてます。
で、今日も詩を書きました。


秋月夜

煌々と 深々と
冷月の雫に 秋の葉が濡れ
透明な溜め息を 密かに漏らす

光の蒼に 紅葉も青褪め
月の女神の 睥睨に
肩寄せあって 頭を垂れる

儚い命を 今静かに閉じゆく
慈しみの 秋の
その蒼白き手に 全てを委ね

蒼よ 蒼 優しい翳
蒼よ 蒼 優しい光


この詩は、さる絵師様の「秋の百合が原」という絵に捧げました。

世の中には、凄い絵の才能を持った人が居ると思う。
デッサン力、構図、表現力、色使い、メッセージ性、雰囲気…。
ホントに凄い。
どれも持っている人もいれば、どれか特出している人もいて、多くの場合、プロと呼ばれる人。
又は、プロと呼ばれなくても、なんらかの理由で、その職についていないだけで、才能がある人…。
やっぱり、そういう絵を見ていると、自分が全く足元にも及ばない事がわかる。
また、真似をしようとしても、無駄な事が分る。
つまり、自分の絵の参考にはならない…。その、凄い人にしか描けないから…。

今回の考察は、そういう人の絵は、対象外としている。
こういう名言がある。
「貴方が持っている才能を使いなさい。一番美しい声の鳥しか鳴かなかったら、森は静かになってしまうだろう。(作者不詳)」
"Use the talents you possess; for the woods would be silent if no birds sang except the best (Anonymous)"

ところが、私には才能も無い。あるのは「いい男」を描きたいという衝動のみ(笑)!!
まあいいや…。とにかく、お金をとっていないし、全くの素人として、ネットを賑わせる意味だけにおいて絵を描いている…。それを見た人が楽しんだり、べボなりに頑張っている姿を見て共感してくれたり、べボ絵を見て優越感に浸ってくれたらそれでいい…。

でもまあ、そんなヒヨッコなりに、向上したい気持ちはある。
…で、今回、お絵描きBBS本家の「塗り絵板」を過去ログを含めて、全部見てみた。
なぜ、お絵描きBBSを?と言われれば、理由がある。
上記に書いたとおり、あまりに素晴らしい人の完成画は、自分とレベルが違いすぎて参考にならないからだ。(もちろん、凄い人も、あの絵板に来ているけれど…。)
そして、何故「塗り絵板」の?と言われれば、元絵に左右されずに、塗りを見ることができるからだ。元絵のデザイン云々は、線画が苦手でも、塗りが上手い人もいるし、同じ線画を何人もの人が塗っているから、塗りだけに注目できるから…。それに、デッサンについては、多くの場合、他人が塗りたい衝動に駆られた線画が選ばれて塗られているから、そこでひとまず淘汰されるので、線画板は見る必要は無いと思った。


そこで気が付いた…。
私が目に留めて、良いなと思う塗りには、大きく分けて、単純な二つのパターンがあることに…。
一つは光の使い方。もう一つは、色の組み合わせ…。
今まで、私は、只単純に、説明的に色を置いて来たに過ぎなかったし、単純に光源の向きを考えて影を付けてきたに過ぎなかった…。
今回、人様の塗りを見て、自分に単純明解な好みがあった事に気が付いたのだ。
しかも、それを、自分の絵の中に使ったことがなかった…。
私の場合、イラストはイメージ通りに描けないし、多くの場合、偶然の産物に頼っている。塗り方も行き当たりばったりで、最悪…。だから、この単純で明確な、自分の好みのパターンは取り入れてみる価値があるなぁと思った。
もちろん、素晴らしい絵の中には、美しい線画と、丁寧な塗りのものがある。私は全くその技術は習得していないし、多分会得するには、数をこなさないと出来ない事だというのは分っている。その上、私には不可能…と思われる他人様の天才的な部分は、到底真似できないから、いきなり上手くなるとは思えない。

だから、上手くなる事自体に繋がる事は無いにしても、それを取り入れれば、少なくとも、自分の絵が自分の好みに近づくかもしれない…。それを目に見える形でしっかり表現できるかは、まだ試行錯誤が続くにしてもだ…。
悲しいかな天才的な部分が全く無い私は、そんな技術的な事でしか自分の力不足をカバーする事ができないから、とにかくトライしてみよう!!などと思った次第である。

ド素人の妄想イラストばかりな上に、試行錯誤の跡まで見せられて、ハタ迷惑もいいところなのは、承知の上なれど…。(笑)

メンヘル…。最初「メルヘン」と読み違えて首を傾げていたら、メンタル・ヘルスの略だったんですね〜。(^^;  人間生きている限り、それとは無関係ではいられないものの、メンヘル系を中心に扱ったサイトは、ヘルス=健康と言いながら、あまり心安らかには読むことはできないかなぁとも思います。といって、TVのニュースで、自殺系サイトで知り合った人が集団で…というのは、良く聞きますから、最近そうゆうサイトが多いそうですし、結構、影響を受けてしまう人いますよね…。

この間日記にも書いたけれど、イラスト系サイトで、包帯、眼帯、切り傷系のイラストが多いのには、本当にびっくりしたので、以前より目に触れる機会増えた事は確かじゃないでしょうか。単純に、芸術やファッションの流行かというと、そう捉えている人もいるにはいても、やっぱり、現実問題として真剣に悩んでいる人って多いと思いますし、現代ストレス社会の抱える大きな問題であると思います。

上記の“リストカットタトゥー”のサイトでは、リスカは「他人に見て気付いて貰いたいメッセージであり、心配されて甘えたいという理由からのもの」としているのですが、確かにそういう人もいるかもしれないけれど、自殺未遂する大半の人はそうじゃない気がします。寧ろ「他人に甘えられない」から、そこに至ってしまうような…。もっと甘えればいいのに自分を追い込んじゃう人が多いような気がするんですが、違うかなぁ…。

最近感動した言葉に、「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人達が、あれほど生きたいと願った明日(『カシコギ』趙 昌仁)」というのがありました。涙が出る程ジ〜ンと来たし、私の様に人生を無為に過ごしているおばさんには、とっても考えさせられる言葉でした。(いや、座右の銘にしなければ、人間失格かも。)
でも、だからといって、「生きたくても生きられない人も居るのに、自殺や自虐をしている人は『甘えている』んだ!」と、一喝するだけでいいのかなぁと思うのです。病床で家族の愛に看取られながら亡くなる人もいると思うのですが、その一方で、辛くて仕方が無いのに、『甘えている』と一喝されて、たった一人で死を選ぶ…。そういったケースもあるのではないかと思うからです。


私のリスカをした事がありませんから想像に過ぎません。でも、程度の違いはあると思いますが、どうやら血管まで切らない人もいるようなので、甘いとは思いつつ考えてみました。

自分を壊して無くしてしまいたい衝動と、そんな事をしてはいけないという倫理の間(はざま)。人間は、衝動と倫理の間に居る動物で、それに常に折り合いをつけなければいけないものではあります。でも、肉体的にもさることながら、その衝動と倫理の間のナイフのエッジに立つような極限状態…そしてどちらかに転ぶのは神のみぞ知る…そんなリスカに象徴される世界には、ある意味の超越感があるのではないか…と、想像は出来るのですよ。(←私は其処に踏み込めない人間なので、余計にそう思うのかもしれませんが…。) だって、本当に自殺したければ、もっと確実な方法があるわけですから…。多分、本当に死のうというより、生死の根本的な間で、自分の存在を物理的に確かめてみたい衝動もあるのではないかなぁ…などと推測してみたりしてます。今の世の中は、自分で自分の付加価値を付けることが難しい時代ですから、せめて自分の物理的存在に魂で触れてみる方法というか…。今は多様な世の中で、本当の価値のあるものなんか分からないし、そんな物を真剣に議論する事はダサい世の中ですからね…。話す機会なんてあまりないでしょうし、それより、やっぱり目で見て、痛みとして感じて、自分で自分を戒めたり、追い込んだり、その極限で一番大切なものを見極めたり…等という、どちらかと言えば、苦行的な自虐の中に精神開放的救いを求めている…そんな思いがあるのではないかなぁ…と。自分を追い詰めて、追い詰めて、自己破壊の後に来る自己解放…。居場所の無い自分が、別の世界へ行く入口…。悲鳴にも似た…。(ああでも、現実は多分、その後も何も状況は変わらないのだと思うし、偏見もあって状況はもっと悪くなるかもしれないけれど、そういうものを求めてしまうのではないかと…。)

そして、その感覚を知っている人は、話をしなくても、極限の体験をしているという点に置いて、完全に分かり合えるのだという人間関係が、メンヘル系ネットでの繋がりなのかもしれません。命への執着の希薄さは、多分、自分の価値を見出せないからだと思うのですよね。実際にそういう時代だし、そう簡単には誰だって見出せないのだけれど、現代の人は、自分の生活に追われているだけで終わってしまう程単純じゃなくなっているし…。反対にその手の複雑さを受け入れる程、社会は練れてないし…。いや実際は、多様化して来ているけど、「リスクを背負うのはいけない事だ」と言われながら育てられてきた現代人は、動けないのだと思います。だから、そちらの方向に何かを求めてしまうのかなぁ…。などと、つらつら考えました。

私はと言えば、中学生の時は、いつ電車に飛び込もうか真剣に考えている子でした。(^^;)実際に電車の人身事故を見てしまって、その悲惨さを知るまでは…。
理由は、今思えばとても馬鹿らしい理由でして、「ピアノを辞めたい…」という事。あはは。
辞めたいのに親に辞めさせて貰えなくて…。でも親に反抗できない。別にピアニストを目指しているわけではなかったので、本当にアホの極致の理由なんですが、当時は、親と学校くらいが自分の世界だったから、その辛さから自分を救い出すのは、それしかないように思えていました。それで死ななくて良かったよ〜ホントに。(ToT) 人間の生理学でいうと、思春期、20歳くらいの青年期、40代…この時が一番自殺が多いそうですね。つまり、ホルモン的に身体が変わるから…。よく「理由もなく死にたい」…っていうけど、ちゃんとした理由があるんですよね。知っていれば、それほど悩まなくてすむのに…。(^^;)

まあ、でもこの先の見えない日本。勉強して良い大学に行っても出世するとも限らないし、方向性に明確な答えもないから、人は皆迷走状態。絶対価値なんて何処にも無くて、周りばかりが凄く見え、自分ばかりが取り残されるような強迫観念。一方TVでは悲惨なニュースが多くて…。どうしたら、いいんでしょうね。ホント。(^^;)  だから、人は寄り添うのでしょうか? ああ、でもネットの世界って、簡単に虚構が作れるし、見分けが付かないと悲惨なことになる…。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が出版された当時、自殺者が急増したのだとか…。この本は私の好きな本ですが、虚構と現実の区別がつかない人が読むと自殺者を増やす結果になる本なのですよね…。そんな理由かからも、やっぱりネットのメンヘル系は、私はあんまり好きじゃないのですよ。虚構と現実の区別が付かない青少年が見たら、危ないなと思うからです。実際、娘が居た中学で、学校でカッターを持ってきて、腕を切っていた子が何人か居たのです。割りと他人事ではなかったので、真剣に考えてしまいました…。

そんなこんなで、その“リストカットタトゥー”のサイトですが…。
言いたい事はわかるが、そこに結びつけるものじゃないだろう…とか、そこまで断定しなくてもいいだろう…とか、そういう理由をつけて、商品まで売るなんて…どういう商魂?などと、反論したくなるような過激的発想のサイトではありますが、まあ、ファッション感覚の軽い気持ちの人だったら、この広告みて、リスカしたくなる人より、冷める人の方が多いと思うから、沢山あるメンヘル系サイトより、実数的にリスカに関与する人の数を減らせるかもしれないなどとも思いました。
実際、そのサイトのBBSでは、怒っている人が多かったですけれど、怒りは少なくとも自分の外側に発せられるもので、能動的なものですよね。だから、リスカに向かうような自分を責めたりする内側に向かう心を、外に向けているわけで、物議をかもした点では効用があったかも…などと、思ったりもしました。まあ、ちょっと断定的過ぎる広告文句だし、このタトゥーをしている奴がいたら、蹴り倒したい心境になるような気がしますがね…。

どうやら、これってコミケで売っていたようですが、あんな広告文句つけたり、リストカットとせずに、単に「傷口タトゥー」として、ハロウィングッズとして売ればいいのに…。と余計な事を思ってしまいました。だって、顔に貼ってあったら、フェイスペインティング系で、おしゃれでは??
以上、お節介オバサンでした。m(_ _)m

本日、レイトショーで、『I, Robot』を見てきました。
久々に「SFらしいSF」を見たような気がします。
また、最近は出演俳優に頼っているというか、出演俳優がでしゃばった雰囲気のある映画が多いような感じがしなくもないのですが、これはそうじゃなかった。
配役的にも『I, Robot』という題名を裏切らない内容だったし、最近ありがちな不要な程の派手さや、思い込みが強すぎて鼻に付くような雰囲気がないし、安易に妥協しない感じのストーリーだったし、私はとてもいい映画だと思いました。予告編を見た時は、ロボットの顔があまり好きではなかったのですが、見ているうちに結構「好み」(?!)だと思ったり…。(好みって、男の好みの範疇っす。^^;)

見終わった後、心地よい興奮や緊張感が残っていたし、もう一度見て、しっかり把握して色々考えてみたい気にもなりました。
サスペンス的なハラハラドキドキ感も丁度良くありました。この前見た『ヴァン・ヘルシング』のような、怖い物が目の前に急にドワッと現れる「脅かし」みたいなドキドキではなくて、手に汗握る感じもよかったかなぁ。
ホントに、主題は「古典的SF」なのに、全然古い感じがしませんでしたし!!
ヒーロー物のSFも好きなのですが、最近見た中では、ヒーローものは『スパイダーマン2』と『リディック』がよかったかな。でも、この『I,Rovbot』はヒーローものという感じではないです。またA.Iみたいに力みすぎて、イマイチこちら側に伝わってこない感じの大げなものも無くて、淡々と語るSF王道!!って感じだったかな。それでも、やっぱりハリウッド映画という臭いはありましたけどね…。
アイザック・アシモフの「われはロボット」にインスパイアされて出来た映画という事ですが、読んでみたくなりました。

なんか、全然辛口じゃないなぁ…。(^^;)わりと好きな映画だとこうなります。
期待が高くて、裏切られると、怒るし。
まあ、単純に良くない映画も、貶すけど…。
ケチつけようと思って、見に行って、予想以上に良いと、嵌ったり…。
まあ、誰でもそうだとは思いますけれどね…。

『I, Robot』同一の規格(ステレオタイプ)に見えたロボット達…。
実は、“diversity”に溢れたものであった、またはその可能性を秘めている…というメッセージが隠れていたうような気がしました。私は、映画の中のメッセージ性を言葉にしてしまうと、途端に映画の面白みやロマンがなるので、そのメッセージをとやかく言うのは嫌いなんですがね。(メッセージは個々に受け取ればいいものだと思うから…。)でも、あまりに露骨にメッセージを発している映画は逆に嫌いですね。『デイ・アフター・トゥモロー」は、ちょっとやりすぎで臭かった。(マイケル・ムーアは露骨過ぎて返って好きですが…。) かといって、何にも、心に意味が残らないのもあんまり好きじゃありません。

人間って、全てを相対的に見る動物ですよね。とにかく先入観や、他の人の評と、比べてみたり…。そもそもこの世に絶対基準なんてないですし、感覚は感情に左右されるので、この世の評価なんて殆ど、自分の中にある何かとの相対的なものでしょう。本当に自分の確固たる基準だけで、判断する人がいたら、それは、成功者であり解脱者ですよね。煩悩とは無縁の人。(笑)

昔、私が、サイトの掲示板に映画の感想を書いていたときは、その映画のファンの人や、出演スターのファンの人を存在を思って、けっして断定的に書けなかったんですよ…。誰かが気を悪くしたらいかんと思ったので…。
でも、今は、日記だと思っているから、思ったとおりに書いてます。だから断定口調。だって人に問いかけている訳ではないし、協調性を求められる「場」じゃないからです…。掲示板は、皆が使うから、他人に気を使うけど、此処は日記だから、全然使ってませんし、その必要なないと思います。

…で、今度、娘が学校とコミュニティー主催の、以下のことについて研究するキャンプに参加して勉強する事になりました。(一応、エッセイを書いて、学校で選ばれた上での参加です。)
『diversity』 (多様性)、これを考えるキャンプです。
彼女が居るカナダの学校は留学生が多く、考え方の違い、国民性の違い、宗教の違い…。このような大きな違いが極身近にあります。その他に、個々の個性や考え方の違いが加わって、本当に多様な世界。まあ、これは、世界中何処にでも当てはまることですがね…。でも、日本は島国で、ほぼ同一民族で暮らして来た民族だから、“偏屈な程に”協調性を美徳としますよね…。スマップの「世界にひとつだけの花」が流行っても、まだまだ日本という国は、毛色の変わったものを嫌います。そういう面では、私は、日本は後進国だと思ったりしてます。

話は逸れましたが、娘の学校では、多様性の存在だけを勉強しようという事だけでなく、多様性を「尊重する事」をもっとも大事な事だと勉強するんです。つまり、「違って当然」って事を受け入れる練習をするわけです。これは、差別ではありません。差別は根拠のない分類と、多くの場合上下の差までつけてしまう事ですが、こちらは「人間として、個々は違って当然」という意味の多様性です。広義では、それを「国際性」とも呼べるのではないかなぁ…。そういう観点から発しないと、きちんとした「国際性」は養われないと思います。

まあとにかく、先ずそういった「違いを踏まえた上」で、相手をしっかり「聞いて理解する」という事を養う事が大事だと思うんですよ。そういった事をせずに、自分と意見が違うからといって、直ぐに他人の意見を批判したり、否定したり、感情的になったりするのではなく、先ず、冷静に「その違いを受け入れる事」が全てにおいて優先されるというのが大事だという考え方です。

これって当たり前事なのですが、わかっていない人いますよね。
私は、この日記でで断定的に書いているのは、協調性を要求されていない日記だからなのですが、それさえも分らない人も居るんじゃないかな…。私は、ここで、誰かに問題提起して、討論をしたいわけでもないし、かなり一方通行に自分勝手に書いているわけです。日記って書き捨てですよね。自分の考えを纏めて、しまいこむというより、捨てていく作業に似ているような気もします。
だから、読み手が、自分と違う意見、もしくは同じ意見だと気軽に読み流してくだされば幸いなのですが、なぜか、それを心情的に許せない人もいるようですね…。腹が立つのかなぁ…(^^;) まあ、とにかく、ここは、メールや掲示板のように、相手を想定して、言葉のキャッチボールを楽しむ所ではなくて、個人の意見を書く、一方的な発信所だと認識しております。そんなこんなで、ダラダラと、嘘偽りなく心に浮んだ事をとりとめもなく書いているわけです。

まあ、今日は、何が言いたいかと言えば、「一寸の虫にも五分の魂」ってやつで、その魂って全て尊重されてしかるべき。その魂と同じように、「一寸の虫にも五分の“個性”」なので、identityや、unique性も尊重されてしかるべきという事でしょうか…。これって、戦争が無くなる第一歩のような気がするんですよ。なんでも統一しようとするから無理が出るのですから…。

あ、でもね。それを主張してばかりいると、また争いの種になるのですよ。それを主張してもいい場所と、協調性を考慮しなくてはならない場所を見極める「周りを見る目」を養わないと…。そういう「人間性」を養わないと自己中ばかりが横行してしまいます。日本は、今まで回りばかり気にして、外れる事を嫌った国民性でした。そして、最近やっと個性が叫ばれ出したわけですが、過渡期ですから、少し間違って自己中人間が増えてるかなぁと思っています。でも、もう少し立つと、もう一度回りも見れるようになって、落ち着いてくるかなぁと…私は案外楽天的に見てます。でもね。私だって煩悩の徒。頭でわかっていてもできない時はありますし、大体の人間は、個人の短い一生の中で、その問題が振り子のように揺れて、ラグランジュ点を探しているのだろうと思います。また人類の歴史の中でも、その繰り返し…。まあ、人類が居る限り続いていく問題だと思っているのですが…。

相手と自分の違いを認め、相手を理解し、相手を思いやる…。もし決裂するにしても、少なくともそういう努力は、最初にするべきだと…。あ、でも文化の違いを超えても、基本理念は同じです。だから明らかに悪いことや人に迷惑をかけた人は、別ですよ。(最近それが、大儀の名の下に横行する世界になりつつありますが…。)
ダラダラと何が言いたいかといえば、要はね、祈世界平和って事です…。

今日は、ちょっと長めに犬の散歩に行って参りました。
秋を感じる爽やかな良いお天気でした。

最近エンゼルパンダさんでサイトで詩を書かせて頂いています。
素敵なCG絵画が沢山あるサイト様ですが、絵に詩を募集していたので…。
http://www.hpmix.com/home/enpan/

ギャラリーにある絵に捧げた詩です。
一応、「絵の添え物」の詩ですので、でしゃばらない様に配慮して書いてあります。
詩だけで見ると、多分、物足りないか、分り難いかもしれません。
宜しかったら、絵をご覧になりながら、読んでやってください。


一作目は、『想い』という作品へ
イメージは、儚い命の童女が義父に実らぬ恋をする…って感じ。


夜露とともに消える運命なら

いっそこの想いに身を焼かん

小夜更けて 凍える静寂に身を委ね

遠い瞳に 想いを馳せ

遠い背中に 命で縋り

儚くも 哀しくも

ここにわが身を呪縛して

慈しみも望まぬ故に

只 只 身を切るこの想いを

飛雲の ひとひらに乗せて

遠くへ 遠くへ


( )内にルビを入れるとなんだか間抜けなので、運命(さだめ) 静寂(しじま) 縋(すが)りと読みます。


2作目は、『蝶たちの帰還』に寄せて…。
この絵は、光る蝶たちが、木に舞い寄っていく様を描いているものです。
私は、蝶を魂(詩の中では「夢」と書いています。)に見立てています。


現の幻に 命尽き
あえかなる一片に身をやつし
風に煽られ 息絶え絶えに
こうして 夢は帰って来る

久遠の鐘に 送られながら
小さな小さな夢たちは
背中に担う全てを断ち切り
わき目も振らず 悔いもなく

煌き 集まる夢の欠片
やがては 輝く道標となり
身を振るわせる大樹となって 
深く静かに 大地に根付く

この世を動かすのは 人の夢
破れてもなお 輝きながら
そうやって地球は廻る
哀しくも確かな 夢の揺り籠


凄く、素敵なサイト様なので是非〜♪
とても美しくてイマジネーションを刺激されます。
やっぱり、そういう対象がないと、私の場合は詩が浮んできません。

両方とも 10分程度で書きました。
私の場合は、詩が一番楽に出来ます。
その次は、ショートショート。長編は未だ挑戦した事がありません。
イラストは、一番、苦しみます。思ったとおり描けないから、
頭に描く、1/10も描けない…。あまりにもどかしくて、
これは、夢の中で、地面から30cm位浮いた状態で、
もがきながら、全然前に進めない感覚に物凄く似てます。
だから、余計悔しくて、描くのだけれど…。(無駄な事とは知りながら…。)

文章は、そうですね。思っているものの70%は書けるような気がします。
でも、ストーリーの構成は、全く別。ストーリーテラーとしては、全然未熟者です。
だって、行き当たりばったりで、ストーリーを決めるんですもの…。(最悪)

詩は、思ったまんま書くから、多くを望んでいないし、
辻褄が合わなくても、意味不明でも、感覚で書いていいものだからそのまんま。(笑)
あんまり悩まない。どうでもいいという感じで気楽だから、早くできるのかも…。
だから、いい加減なものが多いです。(^^;)

漫画が問題外に最悪。デッサン、構図、構成、台詞、ストーリー…。
絶対、一番難しいです。昔は描いたけど、もうやろうと思いません。
苦しすぎるよ。(笑)

という事で、意味不明の詩をUPしました…。


落ち込んだ時、不安になった時、今の状況じゃ駄目だ!と思った時など、人に聞いてもらう事だけで、元気になるっていう事もあるけど、相手が忙しかったり、相手の状態もあるから、結構気を遣います。

そういう時、ネットで遊んで憂さ晴らしをするのはいいけど、根本的には解決になっていないわけですし…。

私にみたいに日記を書いてると、少なくとも読み手に、読む読まないの自由があるから、読みたくなければすっ飛ばすか、ブラウザーを閉じちゃえばいいわけで…。読んで時間の無駄をしたと思った人がいたとしても、それを書いた人にぶつけるのは、方向違いという物だとも思います。お金を払った本にこんな事が書いてあったら、そりゃ怒るでしょうとも! でも自腹を切っての場所作ってるのは書き手のほうですから、この手の日記ぐらいは、自分の事や言いたいを吼えてもいいだろうと思ったりしてます…。(^^;) まあ要するに迷走飛行を文字にしちゃってるわけですけれどね…。そりゃウザッタかろうて…。

誰でもいいから捕まえて、人の迷惑顧みず、「聞いてくれ〜!」っていうのはちょっと虫が良すぎるのは常識ですから、悩み事や人生相談サイトじゃない限り、日記カキコはマナー違反だとしても、サイトテーマに合っていれば、他サイトさんへでも、情報や知識も提供したいと、私は思うのです。それに、情報や知識を頂くのもとても有り難いと思います。でも、中には、うざったがる人もいるらしいですね。「何知ったかぶりしてんだよ!」って…。信じられない事に、管理人さんが言わなくても腰ぎんちゃくさんが脅迫してくる時もあるんですよ、これが…。まあ、正義漢ぶっても、匿名のコメントは、要はブラックメールですから、低俗ですよね。そういうのは。
それはさておき、少々の私事を掲示板に書く事は、ネットの住人なら誰でもあると思いますよ。言いたいことの合間に、少々の罪悪感を感じながら、ちょっとだけ自分を織り込む…。なんてのは。天使様か神様じゃないのだし、そういうのは、私は人間的で好きだし、寧ろ当たり前だと思ったり…。

ああ、脱線してしまいました…。悩み、悩みと…。
でも悩みなんていうのは、詳細を書いたら本一冊できるくらい、誰でも持ってるかも。で、多くがゴミ箱に捨てたくなるくらいクダラナイものだったりするわけですよ。私もそうだけど、悩んでる時は真剣で、後で取るに足らない事と気が付いたり…。

要するに個々の悩みというのは、所詮他人事。でも他人事ながら、ある意味人類共通の悩みだったりする…。昔誰かが悩んでいた事だったりする…。そういう先人達が残してくれた言葉って、重みがあります。
そして、我々の凹んだ状態に元気をくれるのが、格言、名言だってりするわけです。

ちょっといいサイトがありました。
http://e-kotoba.net/index2.html
左のメニューの「ピッタリいい言葉」なんて、貴方の心理状態にあった言葉を表示してくれます。

ところで、最近ネットって、「大きな病んだ脳」って気がしてならないのです。
自分自身が、現実逃避的に使っているからかもしれませんが、現実社会のあらゆる現象のしわ寄せのような気がします。
夢中になるという事は、熱狂と同意語的なものだと思うのですが、「熱狂」とは字の如く、ある程度の「狂気」を孕んでいる事を、自分を冷静に見れる人間なら感じると思います。私は、それを「善」であり「よい事」だと思っていますが、とても壊れ易く繊細な感情なので、善が異様なものへと形を変えやすいような気がします。所謂「度を越す」という奴です。その辺にある意味危険を感じていて、私のセンサーは警報を鳴らし続けているのに、ネットから離れられない…。それで…。

あなたが毎日することは、
人生に意味を与えるもので
あって欲しい。

もし、そうでないなら、
なぜ、それを続けるの?

(英語)
What you do every day should
contribute to giving your life meaning.
If it does’t, why are you doing it?

(ドン・ハッチソン)

この言葉にちょっとドキッとしました。

2929e5cb.jpg昨日は、9.11でしたね。
『華氏911』の感想を書くと書いておきながら、まだ書かないですみません。

今日の朝、某サイトのお絵描きBBS(poo版)で、お絵描きしたものをUPします。
お絵描きBBSでは、ジャンルがあまりに違うので…。

馬の絵は10年振りくらいに描きました。(^^;)
パソ描きは初めてです。
背景は、死ぬほど適当だし、馬体も酷すぎ…。
まあ、修行中だから…という事にしよう。


ところで、本家のお絵かきBBSを覗いていると、最近の若者の萌え要素の傾向がわかりますね。
包帯と眼帯、切り傷を縫合した傷跡…。
まだ生傷を見せていないだけマシなのかな…。
包帯と眼帯で隠しているし、傷は治ってるし、血は包帯に滲んでるだけだし…。
でも、余計に人間っぽくて、痛々しい感じがするんですよね…。。
私は、ちょっとあれは苦手です。
見ていると、ホントに身体に痛みが走っちゃうので…。(^^A

逆に人外の者達&血は平気なんですよ。
現実から離れすぎているから、物語として綺麗に思えます。
モローのサロメが美しいと思えるのと同じような意味で…。

後は、体に直接チューブが入っているものがありますが、マトリックス系なのかな。
かわいい系では、メイド服、セーラー服、猫耳…。でもこれは、私には一生描けない世界でしょう。
剣や武器というのは、わかります。私も大好きだから!

人によって、色々萌えってありますね。
私の萌えは、翳のある美青年。人外モノなら最高!!ってところでしょうか…。
昔は美少年大好きだったのですが、最近は、17歳から27歳くらいが、絵にしたい対象。
物語の中でなら、オジサマも好みです。vvv
逆に耽美系の中では、イタイケナお子様を…っていうのは、イマイチ。そういうのは、17歳以上にして欲しい。自分の意志でそういうものを愛してしまうならいいけど、ショタ受けは駄目だな。私の守備範囲じゃない…。
(逆に女の話をすると、大人の女性は駄目。少女及び童女。又は、非情に男っぽい女性。女女したのが一番嫌い。)
又、男性に戻ると、胸板もうっすら筋肉が付いているのが好きかな。少なくとも剣の修行をした事があるような体躯が好み(つまり身体を鍛えた形跡は、あって欲しい。)ぺったりは駄目かも、お子様で遊んじゃいけない…という倫理感もあるけど、私は萌えません。
少なくとも、自分の意志を持って、耽美系情景にぴったりくる男(の子)じゃないと…。
眼は、鋭い方がいい。光が強ければ強いほど…。

あ、でもこれって、全部、物語の虚構の世界でのお話。
実生活では、健全な母親的目で、若者を見ちゃいますから…。

私の中では、虚構と現実がしっかり分かれてます。
だからこそ、虚構の世界を美しく保っていたい願いが強いのかも…。
現実は現実的過ぎるもの…。語るにつまらなさ過ぎるし。

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