Moony Geekazoid

つれづれにプライベートや思考を書き流しています



February 2005

やっぱり「おめでとう。」と言われるのは、娘に言われるのが一番嬉しいかなぁ…。でもそれ以外の人に言われるのって、もうこの歳になると、「また歳をとってしまった…ToT」というへタレた気持ちの駄目押しにしか思えなくって、実はあんまり嬉しくないのです。(^^;) なんだか残りの年数と今までの年数を目算して、焦りとか溜息しか出てこなかったりするんですよ。もっと素敵に歳をとっていれば、きっと笑顔で「ありがとう!」っと素直に言えるんだろうけど、そういう自分にならなきゃって、思うのですけれどね…(^^;)

でも以前、確か学校の先生だったと思うのですが、「お母さんが命がけで生んでくれたのだから、誕生日というのは、親に感謝する日だ…。」と教えてくださった事があったので、その事に関しては、毎年感謝することにしています。(“命がけ”というのは、昔は、お産で亡くなる人も少なくは無かったからです。)

今年は父から「祝ってあげようか?」と予定を聞かれ、結局2日に食事に行く事になっているのですが、今日は朝から、花束が2つ宅急便で届いたんですよ…。(一つは、ダンナから、一つは友人から。)それから、もう一つ、金一封の速達の封書がダンナの親からも…。天邪鬼の私は、こ、これは何かのプレッシャー作戦??とか、穿ってみてしまうのですが、ここは素直に感謝すべきなんでしょうね…(笑)。素直に有難く感謝致しますです。はい。m(_ _)m
…という事で、小言を言われてるより、この手の無言のサポートに弱い私は、不良主婦の汚名を返上して、真面目な主婦になろうと、一応(?)心に誓ったのでした。(すぐ忘れそうだけど…;)

最近の国内のインーナショナル・スクールは、大体このインターナショナル・バカロレア資格を取得するためのコースを設置している。この資格はスイスの定めた資格であって、日本では一般に、有名大学進学への有効な資格としてしられており、最近新設されたばかりの日本国内のインターナショナル・スクールはこのIBコース設置認定校である事が“売り”になっているところも有るほどだ。また、日本人が海外に作ったインターナショナル・スクールにも、なんと日本人ばかり集めて、このIBコースで猛勉強をさせているところもある。これなどは、外国に行って勉強するメリットがどこにあるのかも疑問なのだが、実際日本の進学校を辞めて、この手の学校に行っている子もいるようなのだ。この手のインターナショナル・スクールは、多分親達から、日本の私立ブランド的な価値基準で見られているように思う。「これからは英語」であり、海外のブランド校に行く事は、日本のブランド校よりずっと価値がある…。そう思う親も多いことと思う。(実際は、「これからは中国語」だという事で、今日本では、中国系インターナショナル・スクールが流行りだそうなのだが…、それはさて置き。)

アメリカで小学校を2年、中学でイギリスに一年、現在高校をカナダで過ごしている我が子にとっても、現在このIB資格取得は大きな問題となった。なぜなら、「資格」とは名が付いていても、なんのための資格なのか、私たちにはさっぱり見えてこないのだ。先ず、留学ジャーナルの説明会では、「大学には、大勢の人が出願するので、その人がIBコースを取得しているのか、いちいちチェックしない。先ず見るのが、Aという最高点の成績評価がいかに多くあるかであって、自分がIBコースを取得しているかどうかは、エッセイによってぐらいしかアピールできない。」との事。まあ、学校によっては、きちんと見る事もあるようだが、大方の学校はそこまでチェックしている時間がないそうだ。 一方大学の側にも確かめてみた。殆どの海外の大学が、「IBは、進学に関係ない。IBの中で採った成績で、よい物があれば、その学科は2年生からスタートできる。」との事。 では、日本の大学は…と、トップの学校を聞けば、他もそれに準じているだろうと思って、東大と北大に電話してみた。いずれも、高校3年間海外に居て、高校を卒業していれば、IBを取得していなくても、帰国生受験は出来るとの事…。もちろん、取っている子の方に軍配があがるのかもしれないが、IBコースを設置していない学校だってあるのだから…。

う゛〜ん。一体何のためにあるんだ…。そして、何故、日本のインターナショナル・スクールはIB、IBと騒ぐのだろう…。確かに日本の高校のレベルは海外でもトップクラスだから、もしかして、IBぐらい取っていないと、日本の高校のレベルには追いつかないのかも…。という気は確かにする。でも、大学進学の試験制度がない海外で、大学関係者も特に必要がないと言っているものが何故そんなに騒がれるのだろう…。

娘は、日本の中学を卒業して、カナダの高校に行った一年目で、一応試験をうけて、このIBコースにいる。(正確には、IBコースに入る為に必須のenrichment クラス。IBコースは娘の上の学年から)クラスには、カナダの中でも優秀な子ばかりだから、当然、最初はビリ…。半年経った今、やっと真ん中くらい。…でも、勉強は物凄く大変そうなのだ。ヒ〜ヒ〜言っている。せっかくカナダに行って、青春も謳歌せず、勉強に明け暮れていていいのかなぁ…と、親としてはかなり疑問だ。(普通の親と違うかもですが…;)
それで、旦那のカナダ人の友達夫婦にメールしてみた。以下がその答えである。彼女の答えは、かなり私が考えていたものと似ていて、モヤモヤしていたものをスパッと取り払ってくれた。以下、私信であるけれど、添付したい。ちなみに彼女もその旦那も弁護士である。(個人名は消してある。)
以下は、そのe-mailです。(英文)

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銀座のシティーバンクに用事があったのですが、ぐずぐずしていたら夕方になってしまいました。でも、あの銀行は夜でも開いているし、明日の天気予報が雪だというので、仕方がないので行くことに…。
相棒はあちこちで忙しなく用を足すし、無口な奴ですが、一人で行くよりはましです…; 途中、たこ焼き屋さんで夕食…。犬の生活でショッピングの後、美味しいブラウニーパフェを食べました。
相棒は、一応オス…だから、デートと言えるのかな…。デートの相手はコーギー犬の愛犬。本当の旦那は今日は仕事で夕食はいらないらしいので、散歩がてらに銀座に行ってなんか食べようと思ったのですが、犬連れなので、結局そんな物しか食えませんでした。(有楽町のソフマップの隣のレストランは、テラスの中は犬OKなのですが、一人で行くのも余計侘しいので…;)

銀座って、なんだか行くたびに高級ブランド店が増えている気が…。これではハリウッドのロデオドライブも真っ青…; うちの犬ったら、カルティエに入ろうとするわ、シャネルやロンシャンの前でウンチするわ…。あ、もちろん、店の前の歩道にある植え込みの部分ですが、なんか微妙な気分でした…; うちの子、10回はウンチする犬なんですよ…お尻を拭いて、拾う度に嫌になります。(ToT)
何回目かのウンチの為にうちの愛犬がしゃがんだ場所が、ブルックス・ブラザーズの前でした。なんかワシントンDCみたいな入り口…。この間まで無かったのに…。実はレスタトが愛用しているというブルックス・ブラザーズを生で見るのは初めてでした。犬連れでは入れないので、ショーウィンドウからもの欲しそうに覗いて見てましたが、なんだか普通のいいとこの坊ちゃんが着る様な、大人しい服なのですね…。まあ、派手な男がああいう大人しい服を着るのも余計目立つかもですが…。

日曜日など、銀座の歩行者天国には、犬がかなり沢山集まりますが、流石に平日の夜の銀座…。犬には一匹も会いませんでした。やっぱり、ちびっと侘しかったです。
お食事中でしたら、大変失礼致しました。m(_ _)m

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この写真に写っているキチャナイのが、よく見れば誰あろうアレキサンダーを演じたコリン・ファレル…(辛)


アレキサンダー大王は、実は私の小学生の時からの憧れの人です(笑)。その頃まで戸川幸夫の動物物語ばかり読んでいた私が、彼の話を読んでから歴史物語が大好きになり、今まで尾を引いています。そんな意味で特別な歴史上人物の一人なんです。
そんな私が見ても、アレキサンダー大王の描き方は、私の認識と似ている…という感じで、あまり違和感がありませんでした。彼はナイーブ且つ屈折している感じがあり、夢追い人…というイメージを持っていたからです。だから映画『キング・アーサー』を“西洋ファンタジー”を求めて観に行って、「もしかして『もののけ姫と七人の侍(戦国武将編)』を観てしまったのだろうか…?」と思った時のような、拍子抜け感はありませんでした。映画も全体的に緊張感がありましたし…。

彼が、母親や父親が幻影に悩む一人の人間である…という事、また、多分、周りの人の手に負えないところが多大にあった…という部分の描き方は、私には全く正統で良かったと思うのですが、やはり「アレキサンダー・ザ・グレート」そして、ゼウスの息子と呼ばれた歴史的に輝く人物として、どこかに手の届かない神々しさを秘めていて欲しかったのですよ…。

(以下は、コリン・ファレルファンには気分が悪い文章かと思います。続けてお読みになる場合は、責任はとりかねます。手裏剣は飛ばさないで下さいね。)

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2月16日“京都議定書”が発効した。
私が第一号から受信している“小泉内閣メールマガジン”には、「日本は、世界の先頭に立って地球温暖化対策を進めていきます。」とある。なんて清清しい姿勢の日本!と思われる方も多い事だろう…。
一方、京都議定書の参加を拒否したアメリカは、最低の国だと揶揄された。

この一見美しい環境保全の協定の裏側に、各国の利害関係が蠢いているのをご存知の方は、どれくらい居るだろうか…。そして、その最大の不利益を出すのが当の日本である事を…。

まず、この議定書の核である二酸化炭素。これは、議定書では地球温暖化の原因とされ、その二酸化炭素の排出を減らす為に、この議定書が発効するのであるが…。第一に、未だどの科学者も二酸化炭素が地球温暖化の原因であるとつきとめてはいない…。確固たる証拠はどこにもないのだ。

そして議定書では、この二酸化炭素の排出基準が設けられ、それを超えた国が、二酸化炭素の排出権を買う。排出権とはものの言い方の問題で、要は、罰金だ。
つまり、二酸化炭素を基準以上排出した国は、基準を満たしている国に対して罰金を支払うのである。 しかし、アマゾンの森林を焼いているような開発途上国には排出削減目標を達成する義務はかかってない。京都議定書を批准していないのである。日本を含めた先進国中の二酸化炭素の排出量だけが対象となっている。

はっきり言ってしまえば、その罰金を払わなければならない最大の国が日本とカナダなのだ。勿論アメリカもその中に入るが彼らは参加しなかった。(ブッシュが途中で抜けたから。)

…で、どこにその罰金を払うかと言えば、ヨーロッパ諸国なのである。
何故?? ヨーロッパはEUとして統合したから、西ヨーロッパ諸国が二酸化炭素を多く排出していても、統合によって加わった東ヨーロッパ諸国の排出量が少ないから、平均してしまえば、全く基準以下なのだ…。

つまり、この京都議定書は、二酸化炭素対策を殆ど何もしなくても済むヨーロッパに対して、日本とカナダが罰金を払う…。というシステムなのである。
このお金は、勿論日本の血税!! はっきり言って環境保全の美名の下に行われた略奪に近いものがある。それを分かっているアメリカは参加を拒否したのだ。

何故日本は、そんな物に参加したのか…。
答えは、この議定書の名前にある。『京都議定書』…。
8年前にこの議定書が採択されたのが京都の国際会議場だった。日本で行われた会議。そして、環境保全の美名…。そのあたりから、もうすでに罠に落ちていたのかもしれない。
そして、時の総理大臣は、橋本龍太郎…。現在、歯科医師会からの一億円献金問題で槍玉に上がっている彼だが、彼の功名心も作用したと思われる。なぜなら、世界中が参加する環境保全調停に日本の名前と自分の名前が残るのだから…。

“小泉内閣メールマガジン”には、「日本には太陽光発電や燃料電池、低公害車など優れた環境技術があります。こうした技術を各国へ普及し、地球規模での温暖化対策に貢献していきたいと思います。」とあった。
これを達成するのには時間がかかるし、大幅な削減は見込み薄である。現段階で、二酸化炭素を一番排出しているのが、火力発電所である。原子力発電所の建設が二酸化炭素削減の一番の道なのだそうだ。そうすると美しい日本の漁村が又一つ消え、そこの住民が泣くのである。そうしなければ、京都議定書によって、国民の血税が濡れ手に粟のヨーロッパへ流れる。カナダはご存知のとおり、土地がある。原子力発電所の建設は日本よりもっと容易であろうと思われる。

日本はこんな事を決めてしまって良かったのだろうか? 
ヨーロッパに流れる分のお金を、日本国内にかけて、環境を守る事だって、世界に貢献する事だってできた筈である。

先日、うちの旦那がアメリカ出張の時、入国審査で「CO2の仕事だ。」と答えたら、その係官が「京都議定書にアメリカが参加しなくて、申し訳ない。」と謝ってきたそうである。うちの旦那に謝られてもしかたがないけれど、アメリカ人の中でさえ、京都議定書に参加しないのはアメリカの恥だと思っている人も大勢居るようだ。もちろん、地球環境を考え、その為に何がを実践するのが、人間として大切だけれど、この議定書に関しては、なんだか環境保全の美名の下に行われた究極の“日本バッシング”だと思えてしかたがないのである。

この事は、うちの旦那の周りでは常識になっている。旦那は、その事を確認する為に、CO2の国際シンポジュウムに参加して来た。一応この記事は、その話を元に書いている。

この映画の出来云々の前に、映画作りの姿勢として、かなり不味い事をやったな…と思ったので、先ずそれについて…。この映画の最大の見せ場の一つがシャンデリア落下の場面だから、最大の小道具として、シャンデリアをあげることが出来ると思う。このシャンデリアのガラスを提供したのが、あの有名なスワロフスキー社。私もあのガラス細工の小物が大好きなので、海外に行ったとき必ず覗くショーケースの一つなのだが…。 このスワロフスキー社が、この映画のスポンサーなのか協賛なのかはさて置き、プロジェクトに深く関わっている事は間違いないと思う。その証拠に落下シーンを撮影した後、完全に修復してお持ち帰りになったとか…。たぶんその後は、同社の客寄せパンダに使われる事は間違いない。
だが…そのスワロフスキー社の名前が、映画の中でちゃっかり登場してしまっている。かの会社の伝記映画ならまだしも、そういう事ではなく、かといってサブリミナル効果という程に奥床しくはなく、又『ティファニーで朝食を』程度に大々的テーマなわけでもなく、パロディーでもない。明らかに、社名だけを意味も無く映し出している場面がある…。な、なんなんだ?あれは? スポンサーへのお気遣い? はたまたサービス? 映画の中に、体よくコマーシャルを入れてしまっている…。これは、うちの旦那も気がついたらしいが、あれは、かなり観客無視、芸術性無視…。かなり萎えてしまったのであった。正にガラスの璧(=玉)“で”瑕(キズ)を作った映画という感じだろうか…(笑)。

まあ、そういう事が全く気にならない人もこの世の中に沢山存在するから、今後はその事は抜きで話を進めようと思う。

まず、ミュージカルとは…という話から。ミュージカルの重要な要素の五分は、その名前のように音楽だろう。そして、後の五分は、その臨場の実体験にかかわるのだと思う。つまり、目の前で人間が実際に演じる事を目撃するわけで、その視覚的な素晴らしさは、臨場によって至福の興奮へと高められる。つまりバーチャルリアリティーではなくて、実際の体感なのだ。
では、映画は…。言うまでも無くバーチャルリアリティーだ。いくらサラウンドシステムが進化しようと、3D映画が開発されようと、スクリーンから一歩引いて、現実に立ち戻ろうとすれば、いとも簡単に心は「引いて行く」のである。それをさせないものは、しっかりしたストーリーであり、登場人物への感情移入だ。

反対にミュージカルのストーリーは、殆どがあらすじに近いものがある、ストーリーは単に見せ場を繋ぐものであって、時に単なる説明でさえありえる。寧ろ複雑なものは敬遠される。あくまで、見せ場は歌であり、踊りであり、観客を実体験に巻き込む事である。…つまり何が言いたいかと言えば、求められる要素や魅せる要素が全く違うが故に、ミュージカルのストーリーを映画に持ち込めば、「シラケしまう人」は必ず出てくると信ずる。一度このミュージカルを見てその興奮に身を置いた事のある人間なら、それに映像の素晴らしさが加わって、イメージが拡大されて良いのかもしれない…。しかし、映画から見た人間は、多分、主人公に感情移入できないだろうし、その深みも感じないだろうし、心情理解も出来ないに違いない…。実際、私は、登場人物の誰をも魅力的には感じなかった。もともと無理があるのだ。

その辺、映画化にはかなりの無理があるのだと承知した上で、さらに話を進めるなら、多分、ミュージカル『オペラ座の怪人』のファンなら、かなり素晴らしい出来だったのではあるまいか…。確かにその映像は、とてつもなく美しかった。特に、太陽光の元での映像より、蝋燭の光に映し出された物が大好きな私にとっては、堪らない映像美だった。以前『ヴァン・ヘルシング』で、舞踏会のシーンだけは唯一見る価値があると書いた事があったが、『オペラ座の怪人』の映像の全てが、それに匹敵するくらいだったと言っても過言ではない。地下水路のゴンドラは、『ルートヴィッヒ 神々の黄昏』を彷彿とさせたし、帰宅後も、数時間…いや、夢の中でも頭が痺れていたように思える…。見る価値は十二分にある映画だった。映像の他に、さすがにウェバーの音楽は文句無く最高だったし、出演者が「口パク」でなく、実際に歌の実力がある俳優を使ったのも良かったと思う。(唯一ファントムは、ロック系歌手の経験者との事で、息が長く続かない部分を人工的に加工してあったのがちょっと気になったが…。)

…つまりだ。映像を見て、歌と音楽に酔い、ミュージカルだと割り切って、ストーリーを気にしなければ最高だったと思う。

…しかし、カテゴリーは『映画』なのだ。上に書いたように割り切れずに、映画鑑賞の常で必死にストーリーを追い、登場人物を見つめていったら…。この映画を嫌う人もかなり多いと思う。

また、その最大の要因が、私は、戸田奈津子さんの字幕にあると思った。
彼らの歌う歌詞は、台詞の一部であるようでいて、一応“韻を踏んだ詩”になっている。ところが、戸田さんは、見事に“普通の会話言葉と寸分違わず”に、字幕をつけて下さった…(^^;) あれでは、台詞を単に歌で歌っている「臭い芝居」にしか見えない人が多かっただろう…。そう思ってしまったら、ミュージカル程臭いものは無い。鼻に付いたら最後、逃げ出したくなるに違いない…。
歌の場面では、もっと歌らしく、少しでも意図的に訳を違えて、もう少し「詩的」に訳せばいいのに…。そう思いながら、私は臭い&安っぽい字幕を読んでいられなくなって、見ないことにした…。そうしたら、かなり救われたのは言うまでもない。戸田さんは、以前『ロード・オブ・ザ・リング』でも物凄く叩かれていたけれど、あんなに本数をこなしていたら、単に英語を翻訳しているだけの「流れ作業」なのではないか? 映画字幕は、単なる翻訳ではなくて、演出の一部だと思う。もう少し映画をしっかり見て、本質を捉え、映画の演出のも勉強して字幕を作ればいいのに…。(原作のある場合は原作と、日本の原作ファンの為に翻訳も読むのが必要だと思うが、そういう真摯さは、彼女は忙しすぎて発揮しようにもできないだろうし…。)最近は、実力があると思われる字幕翻訳者も出てきているから、彼女には早く引退して頂いた方が、日本の映画普及の為だと思う今日この頃である。

この映画を楽しむコツは、映像と音楽に集中して、字幕を極力見ない事だ。字幕を見て、細かいストーリーや主人公の感情を追おうとすると、もしかして、ムカついてしまう原因になるかもしれない…。映画ではなく、ミュージカルだと割り切って見る事が、この映画を見る全ての人の幸福に繋がると信ずる…(笑)。

最近ずっと、車のコマーシャルで使われていた歌が気になっていた。聞いた事が無いはずなのに、とても懐かしく、情熱的で…。魂を引っ掴まれた程心惹かれていたので、旦那に何度も何の歌か聞いていたのだけれど、旦那も知らなかった。
それが『オペラ座の怪人』のミュージカル曲だと知って、ちょっと鳥肌ものだった…。絶対CDを購入すると思う。映画版かミュージカル版かは、決めていないけれど…。ウェバー万歳!

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