本サイトの掲示板を管理人の日記化してしまう気は更々無い物の、blogは私的な日記だからと、ここに自分を晒してしまっている愚行…。(結局、誰かに聞いて貰いたくて、瓶の中にメッセージを入れて流す行為に似ているような気がします。)その結果ゲスト様にご心配をおかけしてしまい、その上暖かく励ましを頂いた事には本当に有り難く感謝しております。が、しかし、そんな自分がとても情けなくて、サイトを放置して、逃げ出したくなったりもしています…(^^;) それは、恩を仇で返す事だと分かっているのですが、かなりネット中毒な私にとって、皆様の暖かさから頂いた力を以ってネットに距離を置く事は、ある意味卒業なので、良い事でもあるような気もします。
弱っている時、リラックスしたり頑張り過ぎない事は良い事でもあると思うし、「人間とは不完全なもの…」と割り切って、力を入れ過ぎずに生きる事は大切ですが、そちらの方向へ思いっきり自分をリリースすると、振り子は元に戻ろうとするものなのでしょうか…。その振れが大きかった分、本当は、みっともないのが大嫌いで、しっかり生きようとしていた昔の自分に戻ろうとする事に加速が付くのかもしれません。
実は、母が亡くなってから、プチ欝、プチ引き篭もり、プチアルツハイマー…等を、ちょっと自覚しておりました。でも、無理やり立ち上がる事を少々避けて、それでもいいや、無理しないでいこう…と、自分を許してきました。
でも、段々自分が許せなくなり、ネットに長く居過ぎた事でネットの闇を見尽くしてしまった所為もあって、少々その歪さに耐え切れなくなり、パソコン画面よりも大空を見あげる事が多くなりました。仮想世界への逃避より、現実の小さな幸せが見つけたくなった…と申しましょうか…。
要因は過去に沢山転がって居たと思いますが、このスイッチを入れたのは、伯父の死だったかも知れません。その気にさせたのは、三原順の「はみだしっ子」を再読したからかもしれません。そして、今、ローマの皇帝かつ哲人であったマルクス・アウレーリウス(A.D.121〜182)という書いた「自省録」という本を読んで、バシバシとボディーブロウを貰っています。彼は、ローマの皇帝です。ですからその言葉は負け犬の遠吠えではありません。そして哲学者ではないから、他人に教えを説く言葉でもない。「自省録」は、自分の為の日記のような書物なので、全て自分に対して語っている言葉でなのですが、それがとても深いんです。自分を含めた全ての教師、反面教師を冷静に見て、冷静に消化し、冷静に言葉にして、妥協せずに冷静に自分語る事で消化を試みる…そういう言葉です。そして、それがまた、頷く言葉ばかりなのです…。それらの2000年近く前の言葉は、完全に現代へ通じていて、人類全員が、自分に向かって語るべき真実の言葉のような気がする程です。内容の無い私のような人間が、人に対して何かを語るなんて、最高の恥のような気がして来てしまい、単なる閲覧サイトにしようかと考えてしまっている程です…。
気が向いたら、パソコンに触りますが、少々ネット落ちするかもしれません。
皆様から頂いた励ましをしっかり生かす為にも、ネットへ逃げず、少々自分に向き合いたいと思っています。(その過程を此処に書く事もあるかもしれませんが…。)
弱っている時、リラックスしたり頑張り過ぎない事は良い事でもあると思うし、「人間とは不完全なもの…」と割り切って、力を入れ過ぎずに生きる事は大切ですが、そちらの方向へ思いっきり自分をリリースすると、振り子は元に戻ろうとするものなのでしょうか…。その振れが大きかった分、本当は、みっともないのが大嫌いで、しっかり生きようとしていた昔の自分に戻ろうとする事に加速が付くのかもしれません。
実は、母が亡くなってから、プチ欝、プチ引き篭もり、プチアルツハイマー…等を、ちょっと自覚しておりました。でも、無理やり立ち上がる事を少々避けて、それでもいいや、無理しないでいこう…と、自分を許してきました。
でも、段々自分が許せなくなり、ネットに長く居過ぎた事でネットの闇を見尽くしてしまった所為もあって、少々その歪さに耐え切れなくなり、パソコン画面よりも大空を見あげる事が多くなりました。仮想世界への逃避より、現実の小さな幸せが見つけたくなった…と申しましょうか…。
要因は過去に沢山転がって居たと思いますが、このスイッチを入れたのは、伯父の死だったかも知れません。その気にさせたのは、三原順の「はみだしっ子」を再読したからかもしれません。そして、今、ローマの皇帝かつ哲人であったマルクス・アウレーリウス(A.D.121〜182)という書いた「自省録」という本を読んで、バシバシとボディーブロウを貰っています。彼は、ローマの皇帝です。ですからその言葉は負け犬の遠吠えではありません。そして哲学者ではないから、他人に教えを説く言葉でもない。「自省録」は、自分の為の日記のような書物なので、全て自分に対して語っている言葉でなのですが、それがとても深いんです。自分を含めた全ての教師、反面教師を冷静に見て、冷静に消化し、冷静に言葉にして、妥協せずに冷静に自分語る事で消化を試みる…そういう言葉です。そして、それがまた、頷く言葉ばかりなのです…。それらの2000年近く前の言葉は、完全に現代へ通じていて、人類全員が、自分に向かって語るべき真実の言葉のような気がする程です。内容の無い私のような人間が、人に対して何かを語るなんて、最高の恥のような気がして来てしまい、単なる閲覧サイトにしようかと考えてしまっている程です…。
気が向いたら、パソコンに触りますが、少々ネット落ちするかもしれません。
皆様から頂いた励ましをしっかり生かす為にも、ネットへ逃げず、少々自分に向き合いたいと思っています。(その過程を此処に書く事もあるかもしれませんが…。)