Moony Geekazoid

つれづれにプライベートや思考を書き流しています



May 2005

本サイトの掲示板を管理人の日記化してしまう気は更々無い物の、blogは私的な日記だからと、ここに自分を晒してしまっている愚行…。(結局、誰かに聞いて貰いたくて、瓶の中にメッセージを入れて流す行為に似ているような気がします。)その結果ゲスト様にご心配をおかけしてしまい、その上暖かく励ましを頂いた事には本当に有り難く感謝しております。が、しかし、そんな自分がとても情けなくて、サイトを放置して、逃げ出したくなったりもしています…(^^;) それは、恩を仇で返す事だと分かっているのですが、かなりネット中毒な私にとって、皆様の暖かさから頂いた力を以ってネットに距離を置く事は、ある意味卒業なので、良い事でもあるような気もします。

弱っている時、リラックスしたり頑張り過ぎない事は良い事でもあると思うし、「人間とは不完全なもの…」と割り切って、力を入れ過ぎずに生きる事は大切ですが、そちらの方向へ思いっきり自分をリリースすると、振り子は元に戻ろうとするものなのでしょうか…。その振れが大きかった分、本当は、みっともないのが大嫌いで、しっかり生きようとしていた昔の自分に戻ろうとする事に加速が付くのかもしれません。

実は、母が亡くなってから、プチ欝、プチ引き篭もり、プチアルツハイマー…等を、ちょっと自覚しておりました。でも、無理やり立ち上がる事を少々避けて、それでもいいや、無理しないでいこう…と、自分を許してきました。

でも、段々自分が許せなくなり、ネットに長く居過ぎた事でネットの闇を見尽くしてしまった所為もあって、少々その歪さに耐え切れなくなり、パソコン画面よりも大空を見あげる事が多くなりました。仮想世界への逃避より、現実の小さな幸せが見つけたくなった…と申しましょうか…。

要因は過去に沢山転がって居たと思いますが、このスイッチを入れたのは、伯父の死だったかも知れません。その気にさせたのは、三原順の「はみだしっ子」を再読したからかもしれません。そして、今、ローマの皇帝かつ哲人であったマルクス・アウレーリウス(A.D.121〜182)という書いた「自省録」という本を読んで、バシバシとボディーブロウを貰っています。彼は、ローマの皇帝です。ですからその言葉は負け犬の遠吠えではありません。そして哲学者ではないから、他人に教えを説く言葉でもない。「自省録」は、自分の為の日記のような書物なので、全て自分に対して語っている言葉でなのですが、それがとても深いんです。自分を含めた全ての教師、反面教師を冷静に見て、冷静に消化し、冷静に言葉にして、妥協せずに冷静に自分語る事で消化を試みる…そういう言葉です。そして、それがまた、頷く言葉ばかりなのです…。それらの2000年近く前の言葉は、完全に現代へ通じていて、人類全員が、自分に向かって語るべき真実の言葉のような気がする程です。内容の無い私のような人間が、人に対して何かを語るなんて、最高の恥のような気がして来てしまい、単なる閲覧サイトにしようかと考えてしまっている程です…。

気が向いたら、パソコンに触りますが、少々ネット落ちするかもしれません。
皆様から頂いた励ましをしっかり生かす為にも、ネットへ逃げず、少々自分に向き合いたいと思っています。(その過程を此処に書く事もあるかもしれませんが…。)

ウェブ拍手や、ブログ、掲示板で元気付けて下さった方々、本当にありがとうございました。m(_ _)m
弱音を吐かずに絵を描いて済まそうと思い描いたのに、それをUPしてしまい…。強がってコメント不可にしたものの、結局多くの方にご心配をおかけした結果になりました事、申し訳なく思っております。

母と仲が良く、家族ぐるみで一緒に旅行に出かけていた優しい伯父の死でしたが、それ以上に母の事と全てが重なってしまいました。時間経って客観的に見られるようになっても居ましたが、喪失の実感も湧いていた所でした。病院での伯父の死の床、通夜、葬式、火葬等、半年前の事と全て同じように流れていき…。母の時の事がフラッシュバックされ…。現実に一連の事が目の前で行われ…。この半年間、母の死を理性で納得していたのに、感情がどうにもならなくて…。

それに、全てが同じ様に見えて、たった一つだけ違っていた事が、鮮明に浮かび上がって来てしまったのでした。
続きを読む


悲嘆を映す鏡


母が一番仲の良かった伯父(母の兄)が亡くなった途端、母の死が現実の物として根付いてしまいました。伯父の残された家族を見て、初めて、自分達の姿を客観的に見たような気がしたからでしょうか…。

昼間は、車の車検の事で忙しくしていたものの、今、うちに家族が居ないし…。夜に犬と二人きりになったら、ちょっとやばくなったので、絵を描きました。

私の心の中の子供の部分が、今、こんな顔している…。


私の死に様って、どんなだろうな…。
半年前に母を亡くし、昨日伯父を亡くしたので、つらつらと考えてみました。
その時、あの世から私を迎えに来てくれそうな人は、幸いにも何人かいるような気がしますが、やっぱりまだ考えたくありません…。

とにかく、まだ生きているうちは、生き様を考える方が大切だと思いました。
人からの貰い物を欲するばかりの様な、はしたない人生は送りたくないです。寧ろ人に与える事が多い人間でありたい…と、思っています。少なくとも give & give and take... かな。
こんな私だから、絶対、セールスには向いていないのですよね…。報酬という観念は理解できても、物を売って利益を…というのが、罪悪にさえ感じる…;。金銭が絡んでいなくても、無心する事をはしたないと感じるし、貰って当たり前だったり、やって貰って当たりだという顔をしている人を見ると、人格の欠如にさえ感じます。歴史、国際関係、人間関係…どれをとってみても、そういうものには、熟成を感じません。未熟や成り上がりの安っぽさを感じ取ってしまうのですよね…。何気に、どっかの国の事とかも入っていたりしますが、こういう事には、今までにも結構頻繁に遭遇していて、悲しい思いをする事が多いです。人間が驕りや甘えやエゴに陥りやすいものだからかもしれません。

自分自身で頑張って立つ為に、あえて自分に慢心を許す事があっても、他人や何かの対象がある「関係」の中では、甘えや驕りを相手に押し付ける事のないようにしたいなと思います。そんな恥かしい者にならないように、自分を律して生きないと…。


一日は長し されど 一生は短し

メソポタミア文明の遺跡で発掘された粘土板に書かれていた楔形文字の言葉だそうです。5000年前の世界最古の詩といわれるものなのに、驚く程的を射ていて、新鮮です。人の一生は短くて、まさに夢や幻のようであると思いますが、一日として人に与えられた24時間は皆平等…。それを有効に活用して、しっかり生きる事は、その人の心がけ次第だと思います。一日の積み重ねが一生であるなら、一日を無為に生きる者は、同じ短い一生であっても、その価値を下げてしまうでしょう。 

頑張り過ぎず、ほどほどに頑張って、自分の為に生きる…。
それが、基本だと思います。しかし、自分の為という意味を間違えずに、自分で自分を支える為の“自信は時として必要”だけれど、上に書いたような“慢心を人に押し付ける事のないように”心しながら、一日を大切に生きたいなぁと…思いました。それが、私の素敵だなぁと思う生き方だからです。少しでも近づけるように頑張ろうっと…。

母と伯父の死を機会にそう思ったので、ここにしっかりと書き留めて置きたいと思いました。

昨年11月末に亡くなった私の母の、実の兄にあたる伯父が亡くなりました。
母のお葬式や納骨法要の時等に、お会いしたばかりだというのに…。
菩提寺が浅草にあるので、実家の代々の仏様のお清めのお食事は、いつも同じ古い料亭なのですが、人数の関係からか同じお部屋の事が多いのですよね…。だから其処は、昔からの親戚の思い出がいっぱいつまった場所なのですが、今回も鮮やかな思い出がまた一つできてしまいました。母の納骨法要の時は、その伯父とお隣同士に座ったので、小さい頃、母の車と伯父の車2台で、色々な所にドライブに出かけた時の思い出話など沢山したばかりだったのでした…。ほんの数ヶ月前まで、あんなにお元気だったのに…。

今回は、足の切断手術をする為に入院なさっていたのですが、金曜日の手術を控えて、体力は万全だったそうなのです。でも、本人は足の切断をとても嫌がっていたそうで…。ところが月曜日あたりに、痰が絡んで急に呼吸不全に…。そのまま、一進一退を繰り返し、とうとう水曜日に。最期も、孫一同と実の妹が到着して、皆に囲まれたら、あっという間だったとの事。

足を切断していたら、年齢も考えるに、その身体的負担や心理的負担は相当なものだったと思われます。とてもゆっくりお話しする温和な方でしたが、母とも似ているのですが、少し頑固で、格好や姿勢を気にする人だったかな…。
そんなお人柄でしたので、なんだか、格好良く、ご自分で幕を引かれたような亡くなり方でした…。

そんな事情で、掲示板やメールのお返事、また他サイト様に私が残した書き込みにお返事して下さったお礼等…。少々遅れますので宜しくお願い致します。

私は、有料翻訳ソフトを購入して使ったことはないのだけれど、ネット上にある自動翻訳サイトを利用した事は、3回程ある…。3回というのは、使ってみて「やっぱり駄目だ」と結論づけるまでにかかった回数。私の経験では、翻訳ソフトを使うと余計分からなくなる…(^^;) というのが、本音。ならば、使わない方が手っ取り早いという事になったのだ。

その逆も勿論あって、日本語が英語になる時もおかしな事になる。実は、この間、自サイトへのリンク元を辿ったら、うちのサイトの小説が、笑いの対象になっていた。中には、日本語にはLとRの違いが無い事を知っている人がいて、解説してくれていたし、みんな自動翻訳ソフトの不味さは知っているようで、良心的ではあったが、訳が偶然顔文字的なものになってしまっていたようだ…(^^;)。

次にご紹介するサイトは、その迷訳の最たるものではなかろうか…。
ローマの三ツ星高級のホテルなのであるが、散々な事に…。
日本の国旗をクリックするとその迷訳が読める。イギリス国旗の英語訳と比べてみると、その違いがよく分かると思われる。

http://www.hotelturner.com/


ご参考までに、無料翻訳サイトは、以下。…。
時々、お茶目な爆笑訳をやらかしてくれる…ほのぼの系。それでも多くの人の役に立つからサイトが存在するわけで、私はそれに対して決して否定的なわけではないし、ここでは、役立つ情報として、リンクする事にする。(本サイトには、正に役立ち情報として載せている。)

@Nifty翻訳
エキサイト翻訳
Lycos翻訳

小学生の時、医者の端くれだった父から、「メズーラ・オブロンガータ」の話を聞いたことをふと思い出した。別名、命点とも呼ばれ、そこを刺されると人間は死んでしまうそうだ。丁度、脊髄から頭部に至る辺りにあり、昔「必殺仕事人」か何かで、そこに畳針を指していた仕事人が居たような記憶もある。
その専門用語である「メズーラ・オブロンガータ」という“音”が不思議に頭に残っていて、奇妙な憧れとともに、私の中のダークな世界と結びついている。父から聞いた時は、医学的な話として聞いたので、私の中では一応は理性的な認識になっているものの、その先に広がる断崖絶壁の底はダークな死の世界…といった風景なのだ。メズーラ・オブロンガータ、一突きで人が死に至るポイント…。なんとなくその“音”の記憶と共に、知性と禁断を両方一緒に授けれらたような気がする。

あれは私の幻想だったのだろうかと、「メズーラ・オブロンガータ」と打って検索したら、一件も引っかからなかった。でも、オブロンガータという言葉で検索したら“Oblongata”というスペルである事が判明。それで、延髄 (=Medulla Oblongata)の事であったと分かった。
以下参照
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/anatomy/anatomy/anatomy16b-1-1.html

01fd258d.jpg旦那から、サハラ砂漠で駱駝と一緒に写っている写真がメールで届きました。旦那は理科系の仕事をしている人に珍しくフランス語も喋るので、その辺りでも気に入られて、帰して貰えないみたいです(^^;)。この間はサウジ人にも気に入られたらしく、旦那が担当しないと、仕事回さないとごねた人も居たとか…。わりと外人受けするのかしら…(^^;) って、仕事の上の事ですけれどね…。

サハラの砂は、鉄分があるのか、赤いですね。なんだか、空も砂の色を映してピンク色だなぁ…。

今日、そんな写真が届くとは知らず、アラビアのロレンスことT.E.ロレンスの書いた詩を読んで、じわ〜〜っと来ていました。(アラビアの砂漠は、サハラ砂漠とは違って、もう少しブッシュが生えているそうですが…)
ロレンスは、同性愛者と言われていて、その詩も彼が愛した少年に捧げた物だと言われています。戦いの途中で少年は病に伏し、死んでしまうのですが…。
以下は、英文のものを、私が日本語に直した拙訳です…。


S.A.へ

君を 愛していた
それゆえ この手で怒涛の群集を率い
この天空の星々の間に わが遺書を したためた
君に 七柱の尊き家の自由を もたらすため
其の時が 来たら
君が わがために 瞳を輝かせるかも知れぬ その自由を

死は さながら この道を行くわが下僕だった  
われらが近く寄り添い 君が待つのを見るまでは
君が 微笑んだ その時
悲しい羨望のうちに 死が われを凌駕した
そして 君を連れ去った
その静寂のなかに

歩き疲れた愛は 君の身体をまさぐった 
われらの束の間の報酬
われらだけの一瞬の永遠
大地のやわらかな手が 君の身体を見つける前に 
君の亡き骸の上で
盲目の虫けらどもが 肥え太る前に

人々はわれに懇願した 聖なるその家を成すようにと
君の思い出のために
それなのに その金字塔をわれは粉々にし 打ち捨てた
そして今
小さきもの達が そのあばら家を繕いに這い出す
かつて 君への贈り物であった
壊れてしまった幻影の中で



砂漠の空の星々に遺書をしたためるという壮大な死の決意をなす程の愛…。凄いなと思います。純愛ですよね…。
下のページは、私が、アラビアのロレンスに付いて、歴史や人物の観点から述べた論文ですが、よろしかったら読んでみて下さい。私が惚れてしまった男です。

http://homepage3.nifty.com/albireo/zippy/lawrence.htm

某様の日記を拾い読みしていたら、三原順さんが亡くなった事を知りました。
もうずっと前だったんですね。どうやら、私がアメリカに居た頃だったので、気が付かなかったみたい…。
昔、花とゆめに掲載されていた「はみだしっ子」シリーズが好きでした。
でも、三原順さんと聞いて、真っ先に思い浮かんだのが「だから旗振るの」という題名…。話の筋自体は、覚えていないのですが、その題名を思い出しただけで、胸が締め付けれそうになって、涙が出そうになります。ストーリーを覚えていないのに、体が覚えているんだなぁ…。なんかとても不思議な感覚でした。

なんだか、最近、昔の漫画を思い出す機会が多くて、古き良き時代を思い出します。真面目や繊細が当たり前の頃…。そういう時代に多感な時期を過ごせた事がとても幸せだったと思います。なんだか、今は、真面目が格好悪いような時代ですものね…。私もまさにはみだしっ子でしたが、そういうものを肯定してくれる作品が身近にあったのって、かなり支えでした。なんだか娘に買って送ってあげたくなりました。真面目で、かっこ悪くて、一生懸命が素敵だって、親がいくら言って聞かせても、実感なんて湧かないだろう世代に生きる我が娘…。彼女はとっても生き辛いと思いますね…。

私が、はみ出したり、アブノーマルだったりする事に僅かな自尊心が持てたのは、漫画があったからかも…。親に相談する事なんてなかったし…。父はお酒が好きだったから、帰りが遅くて殆ど顔を合わせなかったし、母は習い事ばっかりしていたような…(^^;)。誰が私の自尊心を育ててくれたのだろうな…。寧ろ親には傷付けられた事が多いような気がするから、自分と漫画だったりするかも…(笑)。だから、漫画が好きなのかも…ちょっと寂しいな。(苦笑)

留学している娘からの電話の声が元気がないと、私も異様に落ち込みます。電話に出ている時は、二人で落ち込んじゃあかん!と、必死で声を明るくしてますが…。そう簡単には、あっちに行かれないし、友人関係の事なんて、どうしたらいいのだか…(^^;)。

16歳というのは、かなり複雑な年頃、やっぱり好きなものを見つけて、その仲間を作るのが一番手っ取り早いと思うのですが…。彼女が好きなのは、ハリポタ、ダレンシャン、テニプリ…。でも、以前それらを好きと言ったら、馬鹿にされた事があったそうで、それ以来ヒタ隠し…っていう人。それが一番いけない思うのだけれど…トラウマになっているらしいのです。私が必死にはっぱかけて、彼女もめぼしい人に声をかけたりするそうですが、カナダにもオタクは居ても、逆に娘が付いていけない程だそうで…(^^;)

後は、日本人仲間がいるのですが、それも問題で…。娘の英語力だと、誰も留学生だと思ってくれないらしいのですが、つまり、彼女は留学生特有の言葉の悩みを抱えていないわけです。何かの共感というのが連帯感を生むわけで…。留学生仲間からどっか外れているのですね。

じゃあ、現地の子という手もあるのですが、そこそこ付き合っているものの、留学生が多い学校なので、留学生への偏見というものが確実にあるそうで…(^^;) まあ、アジア人というのは、永住権をもっていない限り、なんとなく外側に居なくちゃならないような雰囲気はありますね。そして、別の国の留学生の仲間に入る事もあるそうですが、決定的に入り込めない言葉の壁がある…(友達同士が、その国の言葉で話し始めればもうアウトです。)

私は、アメリカに住んでいた時は、この日本人という立場を大いに利用して、昼間は、我が家は近所のアメリカ人の子供達の遊び場(日本の珍しい玩具(アニメ系ゲームとか)に寄って来る)、 夜は、その親たちと文化交流みたいに結構楽しい毎日だったのですが、娘の場合、学校の勉強はあるし、学生が文化好きな大人ばかりじゃないし…。やっぱり一個人として、人付き合いと、文化の違いをも乗り換えなくてはならない…。しんどいのが分かるだけに、私も辛くて…。ため息ばっかり…。かと言って、帰ってきなさいって言えないし…。帰ってきても行く学校があるわけじゃないので…。
学校変えようかなぁとか、同じ学校区のもう少し勉強が楽な学校に変えてもらおうかなぁとか…(一応勉強は、ついていっているものの、ストレスは少ない方がいいので…。)ホストファミリーもあまり良い人じゃなくて、一人もののオバサンが、恋人つれこんじゃってるし…。どの辺あたりまで許容するのかが、一番の問題…。ああ、頭痛いです(T^T)。

娘らしい電話がかかってくる度、一つため息をついてから、電話に出るなんてなぁ…(^^;)  この無力感ってどうしたらいいんだろう…。下の日記では、「小さな幸せを見つける感受性」なんて書いたのですが、こんなにドヨ〜ンとしていると、彼女にも悪影響を与えかねない…。私が足ひっぱってどうするんだよぉ…。

このページのトップヘ