愛犬のZippyの事を書こう…。そう言いながら、そんな気持の時は、日記を書くよりも犬を撫でてあげたくなります。なので、結局ブログが御無沙汰でした。
本日、知人にメールをしたためた時に、気持ちを文章にしました。その一部を記事として残しておきたいと思います。

実は私の母も愛犬と同じような感じで亡くなりました。パーキンソン病というのですが、頭がハッキリしているのに身体がどんどん動かなくなる病気です。でも、一時呼吸が止まってしまって蘇生してからは、脳細胞の一部が死んでしまい子供のようになりました。でも、その方がずっと幸せだったと思います。自発呼吸が難しくなって喉を切開したので、食事も取れず、言葉も喋れなくなりました。愛犬も、そのうち癌によって喉が閉塞してくるのだそうです。母と同じ状況なんです。獣医によると、犬でも喉に穴を開けて呼吸を確保したり、食事の為に胃に穴を開けたりすることもできるそうです。ですが、そこまでして苦しみを長引かせますか?と聞かれました。

母の最期は肺炎でした。入院も長期になり、延命治療をしないという事になったんです。最期は呼吸が出来なくなって逝ったんですよ。…今、よくよく考えると、それは母の死を待っていた事になるのかもしれません。
動物は、そういう苦しみを回避するために、安楽死が許されているのだそうです。母の死を目の前にしただけに、安楽死は優しい行為なんだろうなと実感しています。
看病する側は、少しでも生きていて欲しいと願うのは当然だと思いますが、死にゆく当人にとっての幸せや安らぎを考えると、今回の試練に立ち向かう勇気を少しだけ母から貰ったような気がしました。

突然来る不幸に比べれば、まだうちの子は後悔しないだけの時間を積み重ねていく事が出来る分、幸せなのかもしれません。今はとても元気で全くそんな風には見えないのですけれど、時々出血したり、息苦しそうだったりします。言葉が言えない分、動物は不憫です。

愛犬の命が輝くように、そして一緒に私の命も輝くように、暫し大切に時を過ごしたいと思います。