Moony Geekazoid

つれづれにプライベートや思考を書き流しています



February 2013

『ライフ・オブ・パイ』の淡々とした謎かけに色々考えさせられている。
あのオバマ大統領も原作者に手紙を書いたという。
でも、分からないからこそボディーブローみたいに後からじわじわ効いて来るんだろうな。

作中でストレートに効いたパンチは以下だった。
「人生に別れはつきものだ。だが本当に悲しいのはさよならを言えないことだ。」

確かにそうだ。相手にとっての自分の重みを人間は言葉にして聞きたいから。
…でも、神や自然や動物は語らない。
自分自身が神経を研ぎ澄まして感じ取るしかない。

『ライフ・オブ・パイ-トラと漂流した227日』を観て来た。
コマーシャルを見て、「どうせトラが死んで泣く羽目になるんだから、行かない!」
と二の足を踏んでいたが、3D映像が綺麗そうなので映画館に足を運ぶ事に。

なんだ、死なないしぃ! よくある動物感動モノとは違う…かも。
それに子供向けというより、深いし難解だし…。

見終わって、意見が真っ二つに分かれた。
自分が信じたいほうを信じる事が大切なんだろうな。

にしても、あのお涙頂戴動物映画風のCMは本来の観客を減らしたと思うから、残念。

varlentine私事が本当に色々ありましたが、
ゆっくりですが、また書き始めてみようと思います。
萌えのスイッチをONにして、長く続けられるといいな。

写真は、家人にあげたチョコレート。
(ケーキやアイスクリームではありません!)
実は自分が食べたかったから選んでしまいました。

オーストリアの精神科医であり心理学者のヴィクトール・フランクルは、「自己を忘れて何かに没頭できるかどうかで、すでに小さな自分を越えている」と言っている。つまり精神的無意識は自己超越であり、本当の自分に出会う方法なのだと。

彼はアウシュビッツの収容所にいた人物だ。身体的拘束の中で、自分だけの精神的な砦を築き、その中で没頭し、自分の置かれた状況を越えた…のだと思う。これを日本語で表すのであれば、『無我』とでも言うのだろうか。

昨年までの私は、時間的拘束もさることながら、精神的に余裕がなかった。自分自身の事なら己の覚悟の問題だが、家族の事はどうしても最善を願ってしまう。こちらは、『無私』と言えるかもしれない。この二年間、自分の事は全て後回しにして来たから…。

でも今は違う。もちろん逝ってしまった命に胸が疼く事もあるし、実家を処分したりとやる事は山積みだが、もう身内の未来や病気の事で気を揉み、足掻く事はない。心の整理も時間管理も全て自分自身に左右されるだけだ。

2月から、何かに“没頭”すべく準備を始めた。現在は、スビリチュアリティについて学んでいる。冒頭のヴィクトール・フランクルもその講義で紹介された人物である。

スビリチュアリティとは“人智を超えた何か”だと定義されている。最近は欧米を中心として医療現場におけるスビリチュアリティも重要視されるようになって来ており、特定の宗教に限定されない領域で、精神医学や心理学からのアプローチがなされている。一般人の場合だと、宗教は嫌いだが、“宇宙の大きな力”や“絶対的な存在”は信じていたり、“自然への畏敬の念”を重視する人々が好む分野らしい。(降霊術などを中心とするスピリチュアリズム(心霊主義)とは一線を画すので注意。)

自分が書いたキャラクターにも、大いにそういう面を入れて書いたし、彼自身を求道者のように描いてきたが、それがそういう分野だとは知らずに書いていた。だから、今回学んでみようと思った次第である。

今はアロマや香を焚いたり、キャンドルを点したりして、自分自身への手当てを行っているところだ。身の回りにたくさん生花も飾って手入れをし、土鍋でご飯を炊いたりと、“スローライフ”が身に沁みて心地よいと思われる毎日である。ひたすら慌ただしくて、いつも自分自身の事を後回しにしていた昨年までの反動なのかもしれない。

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