月曜日にターナー展に行った。
通常は月曜日が休館なのだが、最終週だったのでその日は開館日。
水彩画を習い始めた身には、大半が水彩画の展覧会は有難い。
連日予定が立て込んでいる中、半ば無理矢理駆け込んだ。
彼の色使いが特徴的だった。
殆どの絵が茶色と青が基調なのだ。
遠景は、ローシェンナとウルトラマリンで構成されている。
油彩であっても絵の具の透明度を生かすグレーズ技法を駆使していた。
絵の中核になるにしたがって、それらの色に赤みが差してくる。
その赤みはたぶん陽の暖かさを象徴しているのだろう、
朝日の栄光を浴びているように輝いている。
そして手前の影はバーントシェンナとウルトラマリンが混ざり合って深い。
(水彩では黒の絵の具は使わずに、青と茶を混ぜて微妙な黒を出す事が多い。)
ターナーがいちばん多用したのはクロームイエローだという。
これが、彼独特の光の色だ。もっと強い光はそれに白が加わる。
そして、鮮やかな赤は極力控えられて、
本当にシンボリックなものだけに、極少量使われている。
たとえば「水葬」という絵は、中心部に手をかざして隠してしまうと
青と茶だけの世界だ。
緑色は彼がいちばん使わない色かも知れない。
木々でさえ、辛うじて緑がかっている程度である。
彼は崇高なものを描き出そうとしたという。
だからか、絵の中の大気も光も質量を持って世界を圧している。
軽い透明感とか鮮明さには縁遠い。
印刷物やネット上の絵は発色が鮮やかなので分かりにくいが、
実際のターナーの絵は、霧を通して見る陽光さながらに
何もかもがシェンナ色に透けている。
たまに本の挿絵として依頼されたらしい色鮮やかな絵が混じっていたが、
なんだか恐ろしくターナー的ではなかった。(もちろん美しいけれど)
もう一つ興味深かったのは、ターナーが水彩画でも下塗りをしている事だ。
ウォッシュと呼ばれる、色を均一に薄く塗る技法で最初に紙に色を付ける。
下塗りの色は、インディゴが多かったようだ。(たぶん)
ターナーは、青い紙の上にも絵を描いていた。
黄土色の紙を使うのが一般的のように思うが、
彼は闇に光を置く感覚で色を置いていたのかもしれない。
とにかく、茶と青がターナーの絵の基本なのは間違いないだろう。
壮大な構図に物凄く繊細な注意力を注入したような絵の数々は
素人では真似られるべくもないが、ターナーの色を自分なりに分析してみて
僅かながらでも自分の絵に取り入れて、巨匠に近づきたいものである。
通常は月曜日が休館なのだが、最終週だったのでその日は開館日。
水彩画を習い始めた身には、大半が水彩画の展覧会は有難い。
連日予定が立て込んでいる中、半ば無理矢理駆け込んだ。
彼の色使いが特徴的だった。
殆どの絵が茶色と青が基調なのだ。
遠景は、ローシェンナとウルトラマリンで構成されている。
油彩であっても絵の具の透明度を生かすグレーズ技法を駆使していた。
絵の中核になるにしたがって、それらの色に赤みが差してくる。
その赤みはたぶん陽の暖かさを象徴しているのだろう、
朝日の栄光を浴びているように輝いている。
そして手前の影はバーントシェンナとウルトラマリンが混ざり合って深い。
(水彩では黒の絵の具は使わずに、青と茶を混ぜて微妙な黒を出す事が多い。)
ターナーがいちばん多用したのはクロームイエローだという。
これが、彼独特の光の色だ。もっと強い光はそれに白が加わる。
そして、鮮やかな赤は極力控えられて、
本当にシンボリックなものだけに、極少量使われている。
たとえば「水葬」という絵は、中心部に手をかざして隠してしまうと
青と茶だけの世界だ。
緑色は彼がいちばん使わない色かも知れない。
木々でさえ、辛うじて緑がかっている程度である。
彼は崇高なものを描き出そうとしたという。
だからか、絵の中の大気も光も質量を持って世界を圧している。
軽い透明感とか鮮明さには縁遠い。
印刷物やネット上の絵は発色が鮮やかなので分かりにくいが、
実際のターナーの絵は、霧を通して見る陽光さながらに
何もかもがシェンナ色に透けている。
たまに本の挿絵として依頼されたらしい色鮮やかな絵が混じっていたが、
なんだか恐ろしくターナー的ではなかった。(もちろん美しいけれど)
もう一つ興味深かったのは、ターナーが水彩画でも下塗りをしている事だ。
ウォッシュと呼ばれる、色を均一に薄く塗る技法で最初に紙に色を付ける。
下塗りの色は、インディゴが多かったようだ。(たぶん)
ターナーは、青い紙の上にも絵を描いていた。
黄土色の紙を使うのが一般的のように思うが、
彼は闇に光を置く感覚で色を置いていたのかもしれない。
とにかく、茶と青がターナーの絵の基本なのは間違いないだろう。
壮大な構図に物凄く繊細な注意力を注入したような絵の数々は
素人では真似られるべくもないが、ターナーの色を自分なりに分析してみて
僅かながらでも自分の絵に取り入れて、巨匠に近づきたいものである。