Moony Geekazoid

つれづれにプライベートや思考を書き流しています



March 2015

地下鉄サリン事件から20年が経った。
事件現場として必ず流れる映像は、ブルーシートの見える空撮。
私は20年前、そのすぐ横の横断歩道を子供の手を引いて渡った。
まさに事件が起きているまっただ中だったので、
何が起きているのか知る由もなく、人々が慌ただしく動く光景と、
救急車とブルーシートだけが、やけに目に焼き付いている。

家人は事件直前の地下鉄に乗って出勤したし、
私は子供と事件後の電車に乗るべく家を出たが、
電車には乗れず、事件には巻き込まれなかった。
けれど、とても身近でそれは起こったのだった。

なぜ事件は起きたのか。それは当事者以外に知る由もない。
けれど、その手の番組を見て、浮かび上がってくる若者達の像がある。
「自分自身で考える事や決定は避け、迷わずに進める一本道を示して貰いたい。」
「その道を肯定できるような仲間や、自分を認めてくれる誰かが欲しい。」
「何かの庇護の胎内で、生きる不安から遠ざかり、とにかく満たされたい。」
そんな姿だ。

思えば私も若い頃、京都などの尼寺に出家したいと思った事がある。
生きるのが下手で、決断する事も怖い。
間違った決断をして人生を誤りたくない。
あれこれ悩まされる事もなく、崇高な生き方ができる一本道はないか?
そこで思い浮かんだのが、尼寺への出家だった。

実際の人生は、岐路の連続である。
人は岐路で悩み、決断をして、勇気を奮い起こして一歩を踏み出す。
誰も助けてはくれない。結果というものもついてくる。失敗だってある。

そういったものの連続に立ち向かえるエネルギーの源は、
誰かから与えられる無償の受容だけだ。
失敗しても完璧じゃなくても、無条件で認めてくれる人の存在。
それは多くの場合、子供が親子関係の中で経験する原体験だ。

人間は関係性を築く動物だからか、
誰かに認められる、何かに受け入れられる事が、満たされる事と
同意語になることが多い。
それを親や家族から得られない場合、同類が一緒に群れて、
自分の居場所を得ることで満足を得ようとする。
ようするに大人に成りきれていないのである。

今まで、経済格差に注目していたけれど、
自爆テロやオウムのような、宗教絡みで命を蔑ろにしている事件を見ていると、
その人が得られる愛情の差異や、そこに根を張る生エネルギー樹の強弱も、
格差の大きなファクターなんじゃなかろうか? と、思い始めている昨今である。
やっぱり、All you need is LOVE. これに尽きるのかなぁ…

当時の三島由紀夫が川端康成よりも年上だったら、
ノーベル文学賞をとっていたかも…というニュースを見た。

彼の割腹事件は、私の幼心にも生々しく残っているが、
三島の小説は「潮騒」しか読んだ事がない。

…という程度の甚だしく無知な私なのだが、
先日、高校の国語の先生をしていた方が、
「貴女はキラッキラの文章を書く。三島に似ている」と真顔で仰った。
彼は三島のファンなのだそうだ。

とても有難い事だが、マジっすか?
その言葉を 1/100 に受け取るとしても、
思いっきり勘違いしてもいいですか?
…で、慌てて三島の本を買った私です;。

TVをつけたら、F1をやっている。
相変わらず、川井ちゃんと今宮さんの声が聞こえてきた。懐かしいなぁ。
私がF1に夢中なっていたのは、アイルトン・セナがいた時代だった。
彼が亡くなった時、ホンダの本社まで花を手向けに行ったっけ…。
今年は、セナが黄金時代を築いたマクラーレン・ホンダが復活したんだよなぁ。
でも、私は直接レースを見に行ったことはない。
悔しいことに、旦那の今回の出張は、マレーシアGP観戦が主な目的らしい。
会社の接待とはいえ、何度もF1観戦してるって、激しく羨ますぃ〜ぉお!

捻りがなく、伝わって来るものもなく、
情緒や深みというものが首を傾げたくなるくらいに
欠如している文書を書く人を極たまに見かける。
文章を書く事をたくさん勉強して来たというし、
言葉は文句なく素晴らしくてとても読みやすいのだけれど…

「どうしたら文章がうまくなるか?」という質問に、
村上春樹氏が答えたという言葉が、やけに腑に落ちた。
「文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、
ある程度は練習でうまくなりますが、
基本的にはもって生まれたもので決まります。
まあ、とにかく頑張って下さい。」

IMGP9058ss

機会あって、生まれて初めて猫カフェに行ってきました。足の短いマンチカンが激可愛かったっす。

IMGP8906s R0003733s
マンチカン           メインクーン
    (クリックで、大きくなります。)

川崎市の中一殺人事件。一番悪いのは犯人だが、当事者たちの親も釈然としない。
いくら片親で仕事が不規則だろうと、子供の大怪我や不登校や夜遊びを
知らない筈はなく、その件で学校に助けを求めるチャンスを自ら握り潰している。
加害者の親も早々に弁護士なんか付けて、インタビュー受けたり普通じゃない。
被害者は友人から愛され、万引きを強要されても拒否する健気な少年だったのに。
彼は、不甲斐無い大人達の手で殺されたのと同じではないか?
同じ親として大人として、何か出来なかったのかと心が痛む。やりきれない。

このページのトップヘ