Moony Geekazoid

つれづれにプライベートや思考を書き流しています



May 2015

苦手な人に出会った。
その人はほとんど笑顔を作らない。笑う時は鼻で笑う。
人の話には相槌も打たずに、自分の話を始める。
人前でも平気でひそひそ話さえする。
その日だけ機嫌が悪いのかと思おうとしたが、いつもそうだ。

うっかりそのグループとのお茶に参加したら、自慢話の応酬で中身はゼロ。
もちろん私自身の話は、殆ど控えた。
今までそんなものに遭遇した事はなかったが、
まさか年功序列のようなヒエラルキーでもあったのだろうか…

よく観察するとその人達と距離を置いている人もいる。
自分もそうしようと思った。

想いを遺して癌で逝かなければならない人がいる。
才に恵まれ励み、発信する力もありながら及ばなかった人もいる。

昨日そんな報われてしかるべき知人に会い、そんな知人の話を聞いた。
今日は私の心がどうしようもなく痛い。不条理の容赦の無さが突き刺さる。

現在の私は単に幸運なだけで、誰かの痛みの上に乗っかっているのだ。
だからこそ浮かれたり奢ったりせず、今の生活と幸運に感謝し、
怠惰を慎み無為に過ごさず、一瞬一瞬を丁寧に生きなければいけない。

そうしなければ、幸運という代物に愛想を尽かされるだろう。

前々回の記事の「西洋古版本」つながりで、
「ヴァチカン教皇庁図書館展」というものに行ってきた。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/150425/vc.html
開期は、7月12日まで。

1462年にグーテンベルグが印刷した「聖書」に始まり、
デューラーが挿絵を描いた「黙示録」、
ボッティチェリの挿絵の「ダンテの神曲」等、有名な本が並ぶ。
英国史上最も有名な書物収集家スペンサー伯爵(ダイアナ実家)が築いた
スペンサー文庫からの一冊などもあった。

なんと、重々しい鎖に繋がれた本も。
昔、書物は貴重だった時代。盗まれないように
机と椅子が一体化した台に、“本は太い鎖で繋がれていた”そうな…。

特に美しいのは、彩色された書物だ。
書物を買った貴人が、手描きで挿絵に彩色させたり、
自分の家の紋章が書き込ませたりと、オリジナルの加筆を施したものである。
その中でも、一人一人が自分自身の物を所有していたという「時禱書」には、
貴人が自分だけのために、美しい枠を描かせ、美しく装丁させたりしていた。
身を飾るための宝石とは異なるが、心を磨くための宝物と呼ばれるに相応しい、
優美な書物たちだった。
(時禱書は、いつか字書きネタで使ってみたいと目論んでいる。)

「夏も近づく八十八夜…」
初夏に行われる茶摘みを歌った歌だ。
八十八夜は、現在の五月の初め。
という事で、新茶を買いに行った。
…で、今飲みながら書いている。
とても美味しい。
甘くさわやかな春を頂く。
ああ、…日本人に生まれて良かった。
落ち着きます。癒されます。

前回に続き、宗教と科学の絡みで、またちょっと書いてみる。

世界最古の薬局と言われるフィレンツェの「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」。
個人的に、フィレンツェで一番印象に残っている場所だ。
「ドミニコ会」の修道僧が作ったもので、いわば教会付属の薬局だ。
ドミニコ修道会の教義である、癒しの実践のために、
彼は自ら薬草を栽培して、薬剤や鎮痛剤等を調合していた。
創立は1221年。あのルネサンスの偉人達が生まれる遥か以前から在った事になる。

1612年、正式に薬局として認可。薬局の初代薬局長も聖職者でありながら
植物学のみならず科学的な知識も駆使し、研究所の名声を高めたそうだ。
前回の記事に書いた西洋古版本も、植物や液体の精製の図が描かれているので、
そういった類いに関係のある本だと思われる。

有名な大聖堂のオレンジと同じ色の屋根が並ぶ遠景が素敵な街だが、
街中を歩くと、フィレンツェは意外にあっさりとした風情だった。
(ルネサンスの天才たちが闊歩していた街と考えれば素敵なんだけど…)

でも、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、毒々しくてインパクトがあった。
入り口が分かりづらくて、何度も前を通り過ぎて、やっと発見。
なんだか、大昔の科学実験室に迷い込んだような不思議な感じだった。
(旅行時には、フィレンツェの丘の花を使ったポプリや石鹸などを購入。)

映画でも、あのハンニバルが香水や石鹸を買うシーンで使われたが、
裏で毒薬も作っていたのではないか? とさえ思える不思議な薬局だ。
http://smnovella.com/ ←公式HP)


現存する最古の処方は1381年。修道院でローズウォーターが販売された。
当時ローズウォーターは消毒効果があると信じられており、
ヨーロッパ全土をペストが襲った際には家々の殺菌にも使われたらしい。
貴族たちはワインを薄めたり、薬を飲む際の水代わりにも使ったそうだ。
現在の販売しているものも、当時のレシピを忠実に再現しているという。

それが、日本(東京、関西、九州、北海道等)でも購入可能だ。
http://www.santamarianovella.jp/ ←日本店の公式HP)
で、家族で銀座店に行って、母の日のプレゼントを買って貰った!

R0005535s DSC_0068s(←クリックで拡大)
↑                       ↑銀座店入り口
写真、左が夏に重宝するボディパウダー。
緑ラベルのボトルが「ローズウォーター」。
アロマキャンドルの「クラシカ」

ローズウォーターは、かなり濃厚な薔薇薔薇薔薇〜な香り。
現在では、殺菌効果には??だが、化粧水(保湿効果あり)として、
お風呂に垂らしたり…と、薔薇の魔法を心ゆくまで楽しめる優れもの。

アロマキャンドルの「クラシカ」は、
「王妃の水」と称されるオーデコロンの香りが楽しめる。

その「王妃の水」は、オーデコロンの原点とされるものだ。
“ケルンの水”と直訳されるオーデコロンも、この「王妃の水」のレシピを元に、
18世紀にケルンで生産されたものが広まったと言われている。
元々は16世紀にカテリーナ・ディ・メディチのために調合され、
彼女がフランスのアンリ二世のもとに嫁ぐ際には、
専用の香水調合師をフィレンツェから連れて行ったと逸話も残っている。
その後ブルボン王朝の貴婦人たちの間で大流行したらしい。
500年間ずっと作り続けられてきた高貴な香りが、この「王妃の水」なのだ。

「王妃の水(商品名:サンタ・マリア・ノヴェッラ)」を試香紙につけて貰った。
最初はベルガモットがトップノートとして香り、
その後、後から甘い花々の香りが遅れて匂ってくる感じ。
香りが何層にも重なっているような、深さと繊細さがあった。
イメージは、ボッティチェッリの名画、『プリマヴェーラ(春)』。
同じ、フィレンツェのウフィツィ美術館所蔵の名画がもし薫ったら…
まさにこの「王妃の水」の香りがするのではないか?
様々な春の息吹が、一瓶の中に詰め込まれている。そんな芳香だった。
(市販の香水の倍ぐらいのお値段だったので、買わなかったが…(^◇^;))

当時と同じ香りを嗅げば、一気に妄想タイムトリップも可能。
化粧品メーカーやオーガニックコスメのお店は色々あるけれど、
歴史的な現物で癒しを楽しめるというのは、なかなか優雅。
まさに、癒しの芸術品を扱う薬局だ。

旦那は、ほぼ週一で世界を飛び回っている。
国家元首に会ったりで、人生の総まとめを謳歌している様子。
彼と会うのは週2日あれば良いほうだ。
娘も一人暮らしを始めたら、彼氏ができて人生の春を謳歌中だ。
私には、いつも一緒の愛犬がいるから寂しくはないけど、
自分の人生を謳歌しているかというと…疑問符が付く。
…で、長年の夢に挑戦してみようと思う。同時に、起業も思案中。
両方とも、好きな事や今まで勉強した事が全て役立つので◎。
二兎追う者は…というけれど、行き詰った時の切り替えにはGOODかと。

「世界的」などと形容が付くものは、ほとんどが大袈裟だろう。
だけど、最近、世界的流行を実感したことがある。トマトジュースの飲み方だ。
昔、国際線の飛行機の中でトマトジュースを注文すると、「塩は要る?」と聞かれた。
だから塩とレモンを入れてもらっていた。どの航空会社も皆そうだった。
最近は「胡椒は要る?」と聞かれるようになった。胡椒とレモンで供される。
ソース(日本のウスターソースみたいな奴)を入れる人もいる。
「塩が欲しい」というと、手元に用意されていないらしく、後で渡されるようになった。
これって、やっぱり世界的傾向なんじゃなかろうか?

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↑(クリックで大きくなります。)

写真の下側の本は、我が家にある約400年前の書物である。(上は18世紀末の詩集)
往時、本は選ばれた人間のみが手にできる貴重な物だった。
どんな人物が読んでいたのだろう…
暫し想像を巡らせば、古書は我々を優雅なる知の世界へと誘ってくれる。

1ページ目を開くと、題名の下の方に「M DC XIX」と書いてある。
このローマ数字は「1619年」を表している。つまり、ガリレオの時代の古版本だ。
(ローマ数字の読み方は、ここを参照の事。)

その約200年前にはグーテンベルグの活版印刷が発明されているので、
これは、手書き写本ではない。 題名は 「 Magia (魔術) 」。
17世紀まで殆どの書物がラテン語で書かれていたが、この本もラテン語だ。
全く読めないけれど、挿絵を見ると内容は自然科学っぽい。
昔は、科学は魔法に匹敵するものだったのだろう。

…って、魔女狩りのある時代に、魔法書っていいの?
と思ってしまったが、科学は人の役に立つ奇跡として扱われ、
魔女とは人を惑わす者という分類だったのかもしれない。

実際、当時の科学者の殆どは、神学校出身者だったという。
積分の求め方を考案したトリチェリも、イエズス会の学校を出ている。
彼は、あのガリレオの弟子でもあった。ガリレオは科学者であり哲学者だ。

ついでに言うと、「それでも地球は回っている」と言って火刑にされたのは、
ガリレオではなく、ジョルダーノ・ブルーノだったそうだ。
彼も科学者であり哲学者でもある、ドミニコ会の修道士だった。

現代では、科学と宗教は相反するものとして扱われる事も多いが、
当時は、神の教えを学ぶ神学と、人間を問う哲学と、自然の摂理を知る科学は、
表裏一体の究極の求道だったのかもしれない。

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プラハのストラホフ修道院の図書館。
2013年に私が撮影した写真を貼っておく。
「哲学の間」(1782年頃)と「神学の間」(1679年頃)があったが、
写真は「哲学の間」。

日本で古い書物の宝庫というと、文京区の『東洋文庫』もおすすめ。
併設の小岩井農場直営カフェでは、「マリーアントワネット」というセットあり(1日10食限定)。

また、丸善日本橋店3Fの『ワールド・アンティーク・ブック・プラザ』では、大変高価な稀覯書を販売している。高価な本を実際に手に取って見れるのも魅力。

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