東日本大震災から、本日で5年経った。
東京でも暫く身体に感じる余震が続き、不安な日々を過ごした記憶がある。
地下鉄も、街も節電で薄暗かった。
自分が被災したわけでもないのに、未来が真っ暗になった気がしていた。

現地での苦しみはいかばかりだっただろう。
映像だけでもすさまじいのに。もし、その場に居たら…。
私の想像など、遥かに及ばない出来事だっただろう。
「察するにあまりある」などという言葉も、この場合、とても失礼にあたるだろう。

震災の数日後だったか、西日本の友人からメールが届いた。
「西日本でも節電に協力しましょう」という内容を
チェーンメールで拡散してくれという主旨だった。

私は、「今はメールが繋がりにくいし、
安否確認のためにメールしたい人が居るはずだから、
メール回線を無駄遣いしないで!」と断って、
その友人にもメールを止めるように返事をした。

友人は、せっかくの好意なのに!と、とても憤慨していた。
それで暫く絶縁状態になってしまったほど、思いが噛み合わなかった。
でも暫くして、そのチェーンメールが悪質だとTVでも取り上げられていた。
(実際、東日本と西日本では周波数が違うので、そもそも意味をなさない。)

…そのぐらい、西日本と東日本でも感覚に差があった。
もちろん、日本中がパニックだったけれど、
東京と被災地でも、受け止め方の深刻さに大きなズレがあったはずだ。
当然と言えば、当然なのかもしれないが…。

その後、旦那が翌年2月に福島第一原発を視察し、
私は5月に研究旅行に行った。
娘は8月にボランティアに出かけた。
行って、見て、聞いて、何かしなくちゃ…。
そんな思いからだったが、みんな黙りこくって帰って来た。

その頃、書いた日記が以下だ。
http://blog.livedoor.jp/lestat227/archives/52215979.html
本日の、NHKニュースウオッチ9にて、
「あの日から5年津波の脅威を語り継ぐ」という特集で
言っていた言葉と、自分が書いた事が酷く重なっていて吃驚した。

田老地区の「たろう観光ホテル」が保存が決定し、
震災遺構の第一号となるという。
震災遺構は、次の世代への教訓の為に、私は必要だと思う。
私は傍観者だから、あの時、気楽にそんな事を思ったのだろう。
でも、現地の人々は5年かけて、やっと辿りついたに違いない。
同じ結論でも、重さは全く違うとは思っている。

日本全体の人口が減少し始めたという。
そして、一極集中化の歯止めが利かないという。
日本全体が、もう既に元通りには成り得ないところに来ている。
被災地でも、復興後に人々が戻って来るのかどうかが、
最大の焦点になってくるだろう。

日本のみならず、世界中が難局をむかえている。
最近とみに、一人の力の無力さを感じる。
平和を祈る人間の心と真逆に進む世の中の流れ。
その不条理さが重すぎて、跳ね除けられない。
無気力の渦の中から這い上がれない。
(特に、今週ずっと風邪をひいて熱っぽいから、なおさら…)

世を憂うより、もっと身近で小さな事に幸せを感じなきゃ。
なんだか、最近、花を見るのが好きになった。
物も言わず、健気で、凛とした立ち姿が美しいから…

以前、私が撮影した、田老地区の写真、
古いパソコンから探し出せたら、ここに貼ろうと思っている。
…とりあえず、本日中にUP。