舛添都知事が「辞任はしない。
9月の定例議会まで待って欲しい」と涙で訴えているそうだ。

8月のリオのオリンピックでは、
当然、次のオリンピック開催地の代表者が参列する筈だ。
つまり、舛添都知事はこの世界的な晴れ舞台に立ちたいのだろう。

常に「格」がどうのと発言し、ヒエラルキーに拘る彼なら、
都政などより、オリンピックでの晴れ舞台の方が
よっぽど大事な事に違いない。


古来、日本には「恥の文化」というものがあり、
恥を知って潔しとする気風は、武士道精神に脈々と受け継がれて来た。
けれど、舛添氏には、武士の血は一滴も流れていなさそうだ。

海外にも「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。
「富める者は与える義務がある」事を“誇り”と捉える考え方である。

でも、舛添氏は、一銭も身銭を切る事を良しとせずに、
都民の税金を恥ずかし気もなく使うのだから、全く逆の人間だ。

舛添氏の学生時代のあだ名は「ねずみ男」だったとか。
ねずみ男は、ケチで金が第一主義の「さもしい男」だ。

そのうえ舛添氏は言い訳がましい。
きっと恥も誇りもないのだろう。
そんな彼が都政ヒエラルキーの頂点に居座ろうとする事に
多くの人が拒絶反応を起こすのは当たり前だ。
それが日本人的な普通の感覚だろうと思う。

でも、舛添氏にはそれが理解できない様子である。
そんな人が、都知事をしていることはもちろん、
オリンピックで挨拶するなんて、日本の恥だ。

…ていうか、彼のルーツって本当に日本人なの?