相模原市の知的障害者施設殺傷事件の報道を見て胸が痛んだ。
意思の疎通ができない、重度の患者を狙った犯行だという。

最初に犯行を仄めかしていた衆議院議長宛の手紙では、
犯行後の無罪釈放まで視野に入れている事などから、
少々考えの足りない妄想型短絡思考の人間の犯行だと思うと共に、
単なる殺人事件というよりも、テロに近い思想を感じた。

また、犯人に精神的な病歴があったり、麻薬常習者だったとの事から、
それについて考える事は、無駄な事かもしれないが、
私なりに感じた事を書いてみる。



実は、私の娘には、社会生活に大きな支障は無いものの、
多少の生き辛さを抱える程度の軽度の発達障害がある。
その関係で、知的障害児通院施設に併設された幼稚園に通っていた。

娘には仲の良い肢体不自由児の友人がいた。
そして彼らの明るさや頑張りに、私もどんなにパワーを貰ったかしれない。


だからこの事件を、"全ての障害者"に向けたものだと考えると
解釈に大きなズレが生じるように思う。


その点をしっかり踏まえた上で、私の感じた事を書いてみる。
娘が通った施設で私が実際に見た"重度の知的"障害児とその親たちの様子は悲惨だった。
彼らは自分だけの世界に住んでいて、自分以外の誰も認識することが出来ない。
そして、その親達は、意思も通じない、どう扱って良いか分からない子供たちを
必死に世話をしていた。どんなに頑張っても「感謝される事」はないのだ。

身体が大きくなると力も強くなるし、暴れる事も多いので、
親だけでは対処しきれなくなる。
寄宿制の入所施設は、体の良い「閉じ込め」だと感じた思い出がある。

その親達は頑張って働いて、その子供の入所費用を工面していた。
その子の兄弟姉妹は、親の死後にその子の面倒を見る事になり、
結婚もおぼつかないのだと聞いた。

普通なら被害者名を公表するのに、遺族の意向として、
被害者名が発表されないのも、"重度の知的"障害者が、
"他の障害者と同じ括りで語れない"事を、暗に示しているようにも思う。
これは、第三者が行った線引きではなく、当事者である家族が望んだ線引きなのだから。


だからって、殺して良いわけは、断じてない。
だけど、その状況を真剣に憂えば憂うほど、
出口の少なさを痛感し、極端な出口の一端は、
ひょっとして犯人がとった行動に近づいてしまうかもしれない…。
そんな気がして、胸が酷く痛んだ。


福祉。それは素晴らしい制度だ。
近年、医療が大きく進化して、
人間が滅多に死なない世の中が、もうそこまで来ている。
未来ある人達の命を救えるから、それはとても素晴らしいことだ。

反面、この少子高齢化の時代に、高齢者は今にも増して長生きをし、
後期高齢者の医療費は跳ね上がり、
それを支える若者たちが貧困や格差社会に喘いで、生きる希望を削がれていく。
もし、このまま行ったら、日本は確実に破綻する。



人間はその技術力をもって、自然淘汰に抗い、
身体的弱者でも生き続けられる世の中になった。
弱肉強食の食物連鎖の中で、弱った人間が、
サーベルタイガーに喰われてしまうような原始時代は遠い過去だ。

現代の医療現場では、可能な医療を施さなければ、殺人と見なされてしまうから、
植物人間になろうが、医師は処置を施す。

そんな理由から、私の知人は、一人で倒れ、家族が駆けつけなかった所為で
措置を施され、一年の植物人間状態を経て、家族に見舞われる事もなく、
たった一人亡くなった。別の知人が遺族に問いただしたら、そう語ったそうだ。



倫理と尊厳は同じように見えて、どこかで食い違っている。



…というわけで、今の世では、働き手は弱者の福祉を支えなければならない。
それは、助け合いを重んじる人間の社会では当たり前と言えば当たり前だ。

けれど、一人の働き手で二人の弱者を支えなければならない時代が
もうすぐ日本にやって来る。これは決して当たり前の状況ではない。

その負担と、先の不安から、若者は無気力になった。
逆に、先の事を考えなくて済む老人が元気になった。
若者は現状に喘ぎ、未来に不安を抱えているのに、
その心配をしなくてすむ人々が、手厚い介護を受けている。
そんな社会に未来はあるのだろうか。


私は、若い世代に負担を掛けたくないから、
誰の役にも立たなくなったら、さっさと天国に行きたい。
(だからこそ、生きている以上は、誰かの役に立ちたいと思って生活している。)
そう思う、私みたいな中年は少ないのかな。
「ガン検診100%」なんて公約に掲げて、生き残る事に執着している
某都知事候補のような頓珍漢な老害が増えていく事に、誰も不安を感じないのかな。



倫理観に基づいて、犯人を人非人呼ばわりするのは簡単だ。
けれど、この事件は、普段直視したくない闇を暴き出したように思う。

若者が、生き生きと働き、未来への希望に目を輝かせているのなら、
もっと弱い人達をおおらかな目で見る事もできるかもしれないが、
今の世の中はそうではない。

福祉で支えられる側の層が肥大化し、
それを支える事を強いられる若者が疲弊していく時代に向けた、
警鐘のように思えて仕方がなかった。