とと姉ちゃんがまた変な事になってきた。
分かりやすい「悪」を出してきて、
大衆誌を馬鹿にし、常子たちが上級で正義とでも言いたげな描き方。
ちょっと反吐が出そうだ。
そんなに簡単に線引きできるものではない。
前の記事でも書いたが、色々と極端過ぎて共感できない事が多い。

読者の味方だか、言論の自由だか知らないが、
剣をペンに持ち替えて、「天に成り代わって成敗!」的な
正義の味方になったつもりで感違いをしている
批評家やジャーナリストも、世の中には多い気がするし…。

星野さんとの再会エピソードが楽しかっただけに、
いっそう見る気が削がれる。
私は恋愛ドラマは好きじゃないし、恋愛を扱っただけの
ドラマや映画は殆ど見ないけど、星野さんと子供たちに癒されていた。

確かに、批判を撥ね付ける業者ばかりではなく、
批判を糧にして自分を見直す事に役立てる人もいる。
私も批判された時、その中に非常に正しい指摘があり、
社交辞令では得られないような貴重な意見を頂いたと感じた事もあった。

でも、多くの場合、ペンや言葉は武器になってしまう。
人(正しくは人の心)も殺せるのだと思う。
ジャーナリストは、言葉だけで、誰かを路頭に迷わせ、
死に追いやることも出来る。それを、自覚するべきだ。
シャルリー・エブド誌の事件でも、モヤモヤしていたけれど、
何を言っても許される的な、やり過ぎの自由でさえ、
ジャーナリズムの名の下では、まかり通ってしまう事も多い。

ドラマの中の常子たちのやっている事は、
今のネットに溢れている「口コミ」とは違う代物だ。
今のようなダイバーシティへの理解が高い世の中で、
個人個人の様々な意見として存在し、それを見る側が取捨選択する。
そんな風潮がまだ未熟な社会が、常子たちの生きた時代だ。

それは、まさに消費者の購買力を人質にとって、
業者を脅しているような形態だと思う。
今の世界でいう所の、検査機関や検査基準。
そんなものの「成り代わり」のつもりで金儲けしているのは、
いかがなものだろう。
本気で世の役に立ちたければ、無料で配ればいい。
今の時代で言えば、「NPO」にするべきだ。
又は、非公開で会員だけで情報を共有するとか。

とにかく、公開処刑のような事をするのは、欠席裁判に等しい。
そんなことをせずに、業者に直接問うて、改善を促せばいい。
それをやった後で、駄目な場合のみ、公けにすればよいだろうに。

ジャーナリズムって、片方からだけの批判であってはいけないと思う。
あくまでも、中立の立場から見なければいけないと思うのだ。

批判しっぱなしで、あとは無責任だったら、
単なる「批判のための批判」と同じだ。単なる口だけだ。
批判された者が改善を試みたら、それ【も】記事にしないといけないし、
批判された側に起こった被害【も】記事にしないといけない。
それをしなかったら、公平や中立とは言えない。

それをしなかったら、業者の事も思っている等という台詞を吐かせてはいけない。
あんなのが女性目線だとしたら、女性の一員として大変気分が悪い。


批判のための批判といえば、政治家にもそういうのが多い。
批判と突っ込みだけは得意だが、肝心の政策が無い…みたいな。
ジャーナリストって、それに似ていると思ったり…。

蓋を開けてみたら頭が足りないとも思われる鳥越氏のような人が、
ジャーナリストを名乗るのだから、
批判だけなら、誰でも出来るよなぁ(日本語さえまともなら)
とも思ってしまった。

私のようにネットで独り言を吐き出している個人とは違う。
彼らは、読者や視聴者からお金を貰って、
ジャーナリズムの舞台の上から獲物を狙って、ナタを振り下ろす。
なんだか、禿鷹みたいな人達だと思った。


同じ文章にするのなら、誰も批判せず、傷付けずに、
人に夢や力を与えられる、小説の方がずっとずっと良いと思った。
色々と考察して、真理を探究する、論文の方がずっと良いと思った。

また、戦場などに行って、見たままの窮状を
言葉の脚色無しに、ありのまま伝える戦場カメラマンや報道カメラマンの方が、
ずっと公平な目線のジャーナリストだと思った。

「とと姉ちゃん」は、高畑充希さんの輝きに救われているようなドラマだ。