▼日本 東京都台東区 高崎家

年も押し迫ったある日のこと……

「あら日向、とうとう夜逃げしてきちゃったの? 案外頑張ったわね〜〜」
「……そんなわけないじゃない」

母・月美の笑えないジョークで出迎えられ、日向は久方ぶりに実家の敷居をまたいだ。

「そりゃそうよね〜。天下の新人王さんが、夜逃げなんかできるわけないか」
「…………」

先日の“プロレス大賞”選考会において。
高崎日向ことシャイニー日向は、本年度の最優秀新人賞……いわゆる新人王を獲得したのである。

「……別に、私の実力じゃないし」
「そんなことないんじゃない? たぶんだけど。ま、新女だからってのはあるかもね〜」

ベストバウトはWARSに、ベストタッグはJWIに……といったバランスから、新人王は新女に定められたのだ、という口さがない声もあるのは確かだった。

――あんなものはただの政治的なアレなのです。ぜ、ぜんぜん欲しくなんかなかったのです。

ルームメイトの美沙からもさんざん嫌味を言われたが、無理もなかろう。
いいかげん話題をそらす日向。

「お父さんは?」
「もちろんジムよ。今年は大晦日もあるしね〜〜」
「あぁ……」

日向の父で現役レスラーの《オリオン高崎》は、大晦日の格闘技大会での試合が決まっている。

「……勝算あるの?」
「う〜ん、ぶっちゃけ無理でしょうね〜。だって、相手はチャンピオンだもん」
「……だよねぇ……」

父の対戦相手は、国内最大のMMA(総合格闘技)団体の世界チャンピオン。
そんな相手とレスラーが、ふだんどおりの巡業をこなしながら、MMAルールで対戦するというのは無謀というしかない。

「なんで、そんな無茶するんだろ……」
「ま、団体の事情よね〜」
「……なるほど」

身も蓋もない話だった。

「でも、それだけじゃないと思うけど」
「え?」
「あ、そういえば、何しに帰ってきたわけ?」
「……それ、最初に聞く話だよね」

もとより、夜逃げしてきたわけではない。
ちゃんと会社の許可を貰って出てきたのである。

「お母さん、昔使ってたマスクあるでしょ」
「あぁ、この間(理沙子記念興行で限定復帰した際に)使ったわねぇ」
「あれ、ちょっと貸してほしいんだけど」
「へぇ? マスクウーマンに転向するってこと?」
「……一晩だけ」

大晦日の“ルチャ・フィエスタ・メヒカナ”に出場しようというのが日向の魂胆。
されど会社的な意味で、シャイニー日向としては顔を出しにくい。
そこで、一夜限りの覆面レスラーデビュー……というわけだった。

「ふ〜ん……まぁいいけどね。あんまり汚さないでよ?」
「っ、汚さないよっ」
「……だといいけど」

もちろん、このときの日向は知る由もない。
“ルチャ・フィエスタ・メヒカナ”に参加したばかりに……
思いもよらぬ惨劇に、巻き込まれることになろうなどとは。