郵便配達や郵便局窓口の方々、郵便物のご紹介のお仕事の方、みなさん、いつもご親切にしていただいてありがとうございます。
最近、あれこれと郵便局のお世話になる機会が多く、かねてより親切にしていただいている方や、ここのところお世話になっている方、夜の窓口の方々と接しているうちに、あることを思い出しました。
専売公社というものがあって、タバコや塩、そして切手などを取り扱うお店が限られていた時代、私の母方の祖父母が小さな駄菓子屋をやっており、切手やタバコなどを販売する権利を持っていたのでした。
どこどこの地域にある赤いポストのあるお店、と言えば、駅からタクシーで間違いなく祖父母の家まで走ってくれる時代でした。
そんな頃、祖父母のところへいくと、店番をさせてもらうことがしばしばありました。お店のたたずまいは、あの「三丁目の夕日」の映画に出てくるようなもので、タバコや切手は小さい窓口で売っていました。こちらは中は半畳ぐらいの畳敷きで、そこに座ってお客様に対応するのです。
子どもの頃に、切手を売った経験のあるのは、珍しいのではないでしょうか。
私が民営化されても郵便局に親近感があるのは、そんな子ども時代があったことも影響しているのかも知れません。
伊東朔は、最近、パソコンで作曲する時間が長く、ピアノやヴァイオリンに触れる時間が短くて、私としてはあれこれと心配しているところです。けれども、ちょっとしたきっかけで、その人のために即興的にピアノ曲を演奏するということになると、スイッチが入るようです。
ある郵便局の方と懇意になって、伊東朔に興味を持っていただいたので、お休みのときに日頃のお礼もかねて、その方のための演奏をしました。
大変喜んでいただきました。ものすごく喜んでいただいて、こちらが驚いたぐらいです。感動が覚めません、と言って、翌日にはご自宅で栽培している野菜を持ってきてくださいました。
野菜と言えば、ルタンリッシュ音楽ホール津を応援してくださっている音楽関係の方も、ここのところ、無農薬野菜や新鮮な果物を届けてくださいます。
野菜の値段が高いときに、たくさんの新鮮な野菜を毎日食べさせていただいて、子どもたちも幸せです。もちろん、やはり鮮度と味がスーパーのものとは違いますので、どれを食べても、おいしい、と子どもたちが言います。
ありがたいことです。
伊東朔が郵便屋さんにお聴かせしたのは、10歳半ばで初めて自分で作詞作曲した曲と、その人の印象で即興的に創作した曲、そしてちょっと前に小さい子のために即興的に作ったメロディがハ長調の「ドレミファソラシド」の曲の大人バージョン、最後に、そのときに音を指定してそれを使っての即興演奏でした。
私は、伊東朔のいつものフレーズが余り出てこないことに気づき、シンプルながら創意に満ちた演奏だと思って、楽しめました。
また、ハ長調の「ドレミファソラシド」は、小さい子、同年代の女の子、今回の男性の大人の方、というように3回目でしたが、伴奏や間奏の入れ方が、聴いてくださる人の年齢に合わせていることに感心させられました。
いろいろとアレンジのできるバラード風の曲なので、「どれみふぁバラード」とでも名前をつけて、今取り組んでいるCD作成に入れてもいいかなと考え始めているところです。
この曲で特に面白いのは、終わり方で、伊東朔は曲の終止へのこだわりが強いのです。けれども、ドレミファソラシドという「しばり」があるので、毎回、工夫をして収めています。和音の付け方やリズムの形など、よくも瞬間に考えるものだなと思います。
そういうことが、郵便屋さんにはストレートに伝わったようです。
これだけできる子どもがどうしてあまり知られていないのか、と大変、不思議がってもいただきました。
東京や関西では、聴いていただく機会があるとすぐにとてもよい反応があるのですが、津では、聴く前から、そんなことができるはずがないという先入観で切り捨てられておしまいなんです。それにやったところで、どうせ親が作っているのだろう、とか、何が起こっているのかわからない、という受け止めがほとんどなんです。
なんとかならないかなあ。
東京へ行けばもっとチャンスが広がるのだと思いますが、本人がまだその気にならないので、今しばらくは、伊東朔が本当に聴いていただきたいと思う方だけに演奏しているという状態が続くような気もしています。
100人の演奏を1000人が聴く演奏もいいですが、一人のためのその場限りの音楽も、同じ価値を持つと、私はあらためて思うこのごろです。
そういえば、このようなことを、かつて指導していたいろんな団体でよく言っていたものでした。
最近、あれこれと郵便局のお世話になる機会が多く、かねてより親切にしていただいている方や、ここのところお世話になっている方、夜の窓口の方々と接しているうちに、あることを思い出しました。
専売公社というものがあって、タバコや塩、そして切手などを取り扱うお店が限られていた時代、私の母方の祖父母が小さな駄菓子屋をやっており、切手やタバコなどを販売する権利を持っていたのでした。
どこどこの地域にある赤いポストのあるお店、と言えば、駅からタクシーで間違いなく祖父母の家まで走ってくれる時代でした。
そんな頃、祖父母のところへいくと、店番をさせてもらうことがしばしばありました。お店のたたずまいは、あの「三丁目の夕日」の映画に出てくるようなもので、タバコや切手は小さい窓口で売っていました。こちらは中は半畳ぐらいの畳敷きで、そこに座ってお客様に対応するのです。
子どもの頃に、切手を売った経験のあるのは、珍しいのではないでしょうか。
私が民営化されても郵便局に親近感があるのは、そんな子ども時代があったことも影響しているのかも知れません。
伊東朔は、最近、パソコンで作曲する時間が長く、ピアノやヴァイオリンに触れる時間が短くて、私としてはあれこれと心配しているところです。けれども、ちょっとしたきっかけで、その人のために即興的にピアノ曲を演奏するということになると、スイッチが入るようです。
ある郵便局の方と懇意になって、伊東朔に興味を持っていただいたので、お休みのときに日頃のお礼もかねて、その方のための演奏をしました。
大変喜んでいただきました。ものすごく喜んでいただいて、こちらが驚いたぐらいです。感動が覚めません、と言って、翌日にはご自宅で栽培している野菜を持ってきてくださいました。
野菜と言えば、ルタンリッシュ音楽ホール津を応援してくださっている音楽関係の方も、ここのところ、無農薬野菜や新鮮な果物を届けてくださいます。
野菜の値段が高いときに、たくさんの新鮮な野菜を毎日食べさせていただいて、子どもたちも幸せです。もちろん、やはり鮮度と味がスーパーのものとは違いますので、どれを食べても、おいしい、と子どもたちが言います。
ありがたいことです。
伊東朔が郵便屋さんにお聴かせしたのは、10歳半ばで初めて自分で作詞作曲した曲と、その人の印象で即興的に創作した曲、そしてちょっと前に小さい子のために即興的に作ったメロディがハ長調の「ドレミファソラシド」の曲の大人バージョン、最後に、そのときに音を指定してそれを使っての即興演奏でした。
私は、伊東朔のいつものフレーズが余り出てこないことに気づき、シンプルながら創意に満ちた演奏だと思って、楽しめました。
また、ハ長調の「ドレミファソラシド」は、小さい子、同年代の女の子、今回の男性の大人の方、というように3回目でしたが、伴奏や間奏の入れ方が、聴いてくださる人の年齢に合わせていることに感心させられました。
いろいろとアレンジのできるバラード風の曲なので、「どれみふぁバラード」とでも名前をつけて、今取り組んでいるCD作成に入れてもいいかなと考え始めているところです。
この曲で特に面白いのは、終わり方で、伊東朔は曲の終止へのこだわりが強いのです。けれども、ドレミファソラシドという「しばり」があるので、毎回、工夫をして収めています。和音の付け方やリズムの形など、よくも瞬間に考えるものだなと思います。
そういうことが、郵便屋さんにはストレートに伝わったようです。
これだけできる子どもがどうしてあまり知られていないのか、と大変、不思議がってもいただきました。
東京や関西では、聴いていただく機会があるとすぐにとてもよい反応があるのですが、津では、聴く前から、そんなことができるはずがないという先入観で切り捨てられておしまいなんです。それにやったところで、どうせ親が作っているのだろう、とか、何が起こっているのかわからない、という受け止めがほとんどなんです。
なんとかならないかなあ。
東京へ行けばもっとチャンスが広がるのだと思いますが、本人がまだその気にならないので、今しばらくは、伊東朔が本当に聴いていただきたいと思う方だけに演奏しているという状態が続くような気もしています。
100人の演奏を1000人が聴く演奏もいいですが、一人のためのその場限りの音楽も、同じ価値を持つと、私はあらためて思うこのごろです。
そういえば、このようなことを、かつて指導していたいろんな団体でよく言っていたものでした。