毎月社内の経営幹部や購買関係者に発行しているニュースレター(NL、日本語版と中国版)の後記。今月が私が上海で発行する最終号。
編集後記 「怒りと絶望から始まる旅もある」
来月号から、編集責任者をxx(私)からxxさんに交代します。私自身はNLの発行に携わることはしばらくありませんが、新しいチームを叱咤激励宜しくお願いします。
米国駐在時にNLの発行を始めました。最大の目的は、調達部門が積極的に情報発信をすることで、開かれた組織にすることです。グローバルで様々なアドミサービスが利用できるようになっている昨今、我々調達部門が企業内組織という立場の甘えを排して、それらとの競争に耐えうる一流のサービスを提供できるようになるためには、我々のパフォーマンスを正しく評価してもらうことが第一歩です。
「私が」出来ることはしれています。電子メイルを一日5千通処理するIT企業の経営者や、2万もの仏像を彫った仏師がいますが、それくらいが個人でやれることの限度でしょう。でも、あらゆる大きなことの実現にはまず「私が」一歩踏み出すことが必要なのも事実です。
私(たち)は結果を出さねばならない。なぜならプロだから。結果さえ出せばいいわけではないし、結果は手段を正当化しない。しかし、結果に結びつかない努力は意味が無いどころか、多くの場合有害ですらあると思います。
Steve Jobsが、日本企業や日本人を「海岸に打ち上げられる無数の魚の死骸の群れのようだ」と形容しましたが、旅順要塞やガダルカナルで埋め草となった人々と一体何が違うのでしょうか。時間は万人に公平に与えられ一人一人は優秀かつ努力の量は決して負けないのに、スポーツでもビジネスでも負けてしまう。悔しくないですか?私は、アメリカでも中国でもとても悔しいです。
負けるには負ける理由があります。そして、私や私のチームは絶対に埋め草にならないのだと強く決意しています。大きい組織のなかでは小さな決意に過ぎませんが。
こう考えるように至ったのは実はルーツがあります。まだ20代の頃ですが、部の忘年会で上司から「お前は汗をかいていない」と怒られました。私はびっくりしました。というのは、その年は全体の数字の1/4を私の担当分野から稼いでいたからです。しかも先輩がメンタルでやられてしまったので、その担当も引き継ぎながらです。続けて「A君は毎晩11時過ぎまで仕事しているのにお前は何だ」と言われました。
私はxxxx(勤務先)には若いうちに腕を磨くために入りましたから、自分自身は「ワークライフ・アンバランス」でいいと思っていたし、厳密には5年とか10年という単位でバランスを取れば良いと今でも思っています。その当時、事業部から要求された、どうやってこの一休さんの殿様の宿題のような目標を達成できるか、電車でもフロでもありとあらゆることを考えて、試行するという事を繰り返していました。やれと言われたことをしないこともあったし、ここでは書けないようなこともしました。視界にはただ自らの責任を果たすという一点があって、労働時間という概念すらありませんでした。それでも、「汗をかいているようにみえないとダメ」なんだというのは結構衝撃でした。
その後、会社に来なくなった先輩に続いて、私が一番仲良くしていた歳も同じ同僚が自ら命を絶ちました。徹夜で明け方に完成させた資料をコピー機の脇に積んだまま。私はお通夜で彼のお姉さんに胸ぐらを掴まれて、どうして救ってあげられなかったんですか、と責められました。今でも思い出すとどうにかなりそうです。
結果を出さなければならない。それは、報われる努力をしようという事です。
結果を出すためには時に命を削るような思いをするでしょうが、命を削ることそれ自体には何の意味もありません。その酷薄なまでの真実が、我々を時間から解放し、本当の意味で自由にしてくれます。
「アマは和して勝つ、プロは勝ちて和す」というプロ野球監督の言葉があります。例えれば、ニューヨーク・ヤンキースのメンバはものすごく極端な個性の集まりです。だがとても強い。私自身もスケールは小さいなれど米国と中国で、small winsを重ねる過程でチームワークが強固になる事を学びました。
結果には原因があります。小さな(たった100元のCRでもいい)勝利を重ねる過程で、「あいつは俺と投げ方が違うけど、あのスライダーはさすがだ」「あいつは嫌な奴だけど、あいつがいなけりゃ負けていた」と互いを認め尊重し合うようになります。
「勝ちて和す」チームには、自由、創造性、多様性があります。野茂の投げ方、イチローの打ち方だってヘンテコですよね。オープンな関係は合理的な議論を通じて科学や実験との親和性も高いです。一方で、形式、精神主義、均質性、空気を読む、等とは相いれないでしょう。イチローはオリックス時代に監督から打ち方を修正するよう強要されていたのは有名な話です。
そして、勝ちて生まれた絆は、共通の目標と互いの尊敬に基づいたものなので、とても強い。さらに個人がプロとして自立しownershipを持って試合に臨むので、局地戦でも簡単には崩れません。
調達の世界で先進的な企業は幾つかあります。GE、P&G、IBM・・。私(たち)だってプロの端くれなんですから、彼らが手の届かない存在ではありません。常に自らの価値を問い続け、ヘンテコな投げ方や打ち方でもいいから自分の頭で考えて、圧力に屈せず実行していけば、着実にワールドシリーズに近づいていけると、そう実感もしています。
上海のチームはまだプロの入り口にたったばかりのルーキーですが、small winsを着実に積み上げています。あとは、皆さんからの厳しい視線のなかで、試合を重ねていくだけです。
私自身は、ワールドシリーズを目指して、一歩ずつ進んでいくつもりです。人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶと思っています。よい仕事に選んでもらえるよう、精進を続けます。私を指名する(選ぶ)のが私をここまで育ててくれたxxxxであれば嬉しい限りです。
ルーク・スカイウォーカーは旅に出たが、その父アナキンはそうではなかった。命=時間です。限られた時間を、安寧と引き換えのダークサイドに落ちることなく、頭と身体を存分に使って旅を続けていきたい。怪獣のバラードの怪獣が海を目指し、「アルケミスト」の羊飼いの少年がピラミッドを目指すのとおなじように、私が私を突き動かす限りは。
※参考文献、引用等
・「ほぼ日新聞」(糸井重里)
・「イシューからはじめよ」(安宅和人)
・「リーダーシップの旅」(金井壽宏、野田智義)
・「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ)
編集後記 「怒りと絶望から始まる旅もある」
来月号から、編集責任者をxx(私)からxxさんに交代します。私自身はNLの発行に携わることはしばらくありませんが、新しいチームを叱咤激励宜しくお願いします。
米国駐在時にNLの発行を始めました。最大の目的は、調達部門が積極的に情報発信をすることで、開かれた組織にすることです。グローバルで様々なアドミサービスが利用できるようになっている昨今、我々調達部門が企業内組織という立場の甘えを排して、それらとの競争に耐えうる一流のサービスを提供できるようになるためには、我々のパフォーマンスを正しく評価してもらうことが第一歩です。
「私が」出来ることはしれています。電子メイルを一日5千通処理するIT企業の経営者や、2万もの仏像を彫った仏師がいますが、それくらいが個人でやれることの限度でしょう。でも、あらゆる大きなことの実現にはまず「私が」一歩踏み出すことが必要なのも事実です。
私(たち)は結果を出さねばならない。なぜならプロだから。結果さえ出せばいいわけではないし、結果は手段を正当化しない。しかし、結果に結びつかない努力は意味が無いどころか、多くの場合有害ですらあると思います。
Steve Jobsが、日本企業や日本人を「海岸に打ち上げられる無数の魚の死骸の群れのようだ」と形容しましたが、旅順要塞やガダルカナルで埋め草となった人々と一体何が違うのでしょうか。時間は万人に公平に与えられ一人一人は優秀かつ努力の量は決して負けないのに、スポーツでもビジネスでも負けてしまう。悔しくないですか?私は、アメリカでも中国でもとても悔しいです。
負けるには負ける理由があります。そして、私や私のチームは絶対に埋め草にならないのだと強く決意しています。大きい組織のなかでは小さな決意に過ぎませんが。
こう考えるように至ったのは実はルーツがあります。まだ20代の頃ですが、部の忘年会で上司から「お前は汗をかいていない」と怒られました。私はびっくりしました。というのは、その年は全体の数字の1/4を私の担当分野から稼いでいたからです。しかも先輩がメンタルでやられてしまったので、その担当も引き継ぎながらです。続けて「A君は毎晩11時過ぎまで仕事しているのにお前は何だ」と言われました。
私はxxxx(勤務先)には若いうちに腕を磨くために入りましたから、自分自身は「ワークライフ・アンバランス」でいいと思っていたし、厳密には5年とか10年という単位でバランスを取れば良いと今でも思っています。その当時、事業部から要求された、どうやってこの一休さんの殿様の宿題のような目標を達成できるか、電車でもフロでもありとあらゆることを考えて、試行するという事を繰り返していました。やれと言われたことをしないこともあったし、ここでは書けないようなこともしました。視界にはただ自らの責任を果たすという一点があって、労働時間という概念すらありませんでした。それでも、「汗をかいているようにみえないとダメ」なんだというのは結構衝撃でした。
その後、会社に来なくなった先輩に続いて、私が一番仲良くしていた歳も同じ同僚が自ら命を絶ちました。徹夜で明け方に完成させた資料をコピー機の脇に積んだまま。私はお通夜で彼のお姉さんに胸ぐらを掴まれて、どうして救ってあげられなかったんですか、と責められました。今でも思い出すとどうにかなりそうです。
結果を出さなければならない。それは、報われる努力をしようという事です。
結果を出すためには時に命を削るような思いをするでしょうが、命を削ることそれ自体には何の意味もありません。その酷薄なまでの真実が、我々を時間から解放し、本当の意味で自由にしてくれます。
「アマは和して勝つ、プロは勝ちて和す」というプロ野球監督の言葉があります。例えれば、ニューヨーク・ヤンキースのメンバはものすごく極端な個性の集まりです。だがとても強い。私自身もスケールは小さいなれど米国と中国で、small winsを重ねる過程でチームワークが強固になる事を学びました。
結果には原因があります。小さな(たった100元のCRでもいい)勝利を重ねる過程で、「あいつは俺と投げ方が違うけど、あのスライダーはさすがだ」「あいつは嫌な奴だけど、あいつがいなけりゃ負けていた」と互いを認め尊重し合うようになります。
「勝ちて和す」チームには、自由、創造性、多様性があります。野茂の投げ方、イチローの打ち方だってヘンテコですよね。オープンな関係は合理的な議論を通じて科学や実験との親和性も高いです。一方で、形式、精神主義、均質性、空気を読む、等とは相いれないでしょう。イチローはオリックス時代に監督から打ち方を修正するよう強要されていたのは有名な話です。
そして、勝ちて生まれた絆は、共通の目標と互いの尊敬に基づいたものなので、とても強い。さらに個人がプロとして自立しownershipを持って試合に臨むので、局地戦でも簡単には崩れません。
調達の世界で先進的な企業は幾つかあります。GE、P&G、IBM・・。私(たち)だってプロの端くれなんですから、彼らが手の届かない存在ではありません。常に自らの価値を問い続け、ヘンテコな投げ方や打ち方でもいいから自分の頭で考えて、圧力に屈せず実行していけば、着実にワールドシリーズに近づいていけると、そう実感もしています。
上海のチームはまだプロの入り口にたったばかりのルーキーですが、small winsを着実に積み上げています。あとは、皆さんからの厳しい視線のなかで、試合を重ねていくだけです。
私自身は、ワールドシリーズを目指して、一歩ずつ進んでいくつもりです。人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶと思っています。よい仕事に選んでもらえるよう、精進を続けます。私を指名する(選ぶ)のが私をここまで育ててくれたxxxxであれば嬉しい限りです。
ルーク・スカイウォーカーは旅に出たが、その父アナキンはそうではなかった。命=時間です。限られた時間を、安寧と引き換えのダークサイドに落ちることなく、頭と身体を存分に使って旅を続けていきたい。怪獣のバラードの怪獣が海を目指し、「アルケミスト」の羊飼いの少年がピラミッドを目指すのとおなじように、私が私を突き動かす限りは。
※参考文献、引用等
・「ほぼ日新聞」(糸井重里)
・「イシューからはじめよ」(安宅和人)
・「リーダーシップの旅」(金井壽宏、野田智義)
・「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ)