Momo & Nicola -ドイツ留学記-

2006年3月から1年間、私なつるがドイツのバイエルン州、アイヒシュテットという小さな町に留学していた頃のことを、あらためて振り返りながら綴っていくブログです。 自由気ままな留学生活ではありますが、このブログを通してドイツの景色、食事、文化などなど、楽しんでいただけたら幸いです!

2006年3月~2007年3月までのドイツ留学記、
ついに完結致しました!!


書き始めたのが2014年11月で、現在は2017年8月…。
実に2年半以上かけて、10年前の思い出を綴っていたことになります。。(笑)

思っていたよりずいぶん時間がかかってしまいましたが、
絶対に書き終えるつもりではいたので、「これ、もう書けないんじゃない?」と躊躇したことはありませんでした。


最初から最後まで、すべての記事を読んでくださった方はほぼ0人だと思うのですが(笑)、
このブログの本来の目的は、「当時の思い出を、留学仲間を初め誰もが読める形で(写真と共に)補完する」というものだったので、
自己満この上ないですが、個人的にはここまで書き終えることができて本当に満足しています。

そして(自分で言うけど)10年前に自分が書いていた日記のすごさを痛感しました。
描写がとっても細かくて、よく毎日こんなに書けたなあ、と感心してしまうほど。

おかげで留学記を綴る上で思い出せなくて苦労した…なんていうことは一度もなく、
10年経っても日記を読めばこんなに鮮明に思い出せるんだなあ、ということに心底驚きました。

もちろん、日記を開かなくても覚えていることもたくさんありますが、
取るに足らないような出来事はどうしても忘れてしまうものなので。



10年前の思い出をこうしてブログで綴っている人なんて、あまりいないと思います。
できれば新鮮な情報を、鮮度を保ったままにお伝えするのが一番だよなあ、と思うし。

でも書きながら、
今書くからこそ、このブログには意味があったんだ、と個人的に感じる出来事がありました。


これはいつか日常のブログにも書こうと思いつつ全然書けていないのですが、
リアルタイムの私は1年ほど前からストレスで心身のバランスを崩してしまい、
主に乗り物に乗ることに恐怖を感じるようになってしまいました。

今まで普通にできていたことがある日突然できなくなり、
新幹線、ましてや飛行機なんて、もう一生乗れないかも…と本気で思ったこともありました。

家にいるだけで辛いのに、遠出とてもなんてできない。。
そんな状態だったのでできることも限られてしまい、
ひとまずブログの更新に力を入れることにしました。

日常生活では乗り物に乗ることが一時困難になってしまった私ですが、
当時のことを思い返しながらドイツ留学記を夢中で書いていると、
自然と元気が出てくることに気がつきました。

1人ではなかなか遠出できなくなってしまった私ですが、
このブログを書きながら、10年前の私と一緒にいろいろな場所を旅しました。
列車に乗って、飛行機に乗って。
一体いつ寝てたの!?と思ってしまう驚異的なスケジュールで。

当時自分が体験した出来事を、また一からなぞり、再体験しているような気持ちでした。

まるで別人みたいだけれど、
そういった経験を日記に綴っているのは間違いなく私自身で、
なんだか経験だけではなく、当時の自分の考えとか、忘れていた多くのものを思い出させてもらいました。

当時はこう思ってたのに、
日本に帰ってきてからいつの間にか周りの波にのまれて、
周囲に足並みを合わせることが幸せ、みたいに思ってしまっていたなあ、とはっとしたこともありました。

私は、私。

10年前は当たり前のように思っていたその言葉を、もう一度かみしめ、
自分に自信を持つ良いきっかけになったと思います。


そして自分のペースを取り戻しつつある私は、
今は飛行機にも新幹線にも乗れています。
もうひと踏ん張りかな、と思うところもあるけれど、
当たり前のようで当たり前ではないかけがえのない日常を、だいぶ取り戻すことができました。


そういう面も含め、10年前の留学記を最後まで書き終えられたことは、
自分にとって、大きな意味を持つ出来事だったと思っています。



10年という歳月はあっという間のようでいて、
やっぱりいろいろなイベントが詰まっていました。

留学仲間のレオナ、潤、リョウさんとは今でも思い出したように「アイヒ会」を開いたりするし、
アメリカ人留学生のジュリアンやスペイン人留学生のノエリアが、
日本に遊びに来てくれたこともありました。

潤はばりばりのキャリアウーマンとして働き、
レオナは海外青年協力隊の一員になったりCAになったり、さすがとしか言い様がないのですが、現在はばりばり子育て中。

私も私で結婚したりなんだりと、信じられないほどたくさんのことが起こった10年でした。



悲しいことですが、現在の世界情勢を見ていると、
留学当時は本当に平和だったなあ…とも思ってしまいます。

そのあたりの事情もあるので、無責任なことは言えませんが、
もし治安に不安がなくて(とは言え絶対的に安全な場所なんて世界のどこにもないと思いますが)、
留学するかどうかを迷っている状況の人がいたら、
私は「迷うくらいだったら行った方がいい」と言うと思います。

留学は得るものだけではありません。
留学するその時間、母国での時間を失うことになります。
「今母国にいたらこれをするのに、ここに行くのに」と思うことも、実行には移せません。
どれだけ重要度が低くても、高くても。

それでも行きたいと思ったなら、留学はする価値があると思います。
失うものがある一方、自分の行動次第で、得るものは何倍にもなると思うからです。

本編(?)でも何度も言っている気がしますが、
アイヒシュテットでの留学生活は、本当に大切な私の宝物になっています。



長くなってしまいましたが、最後に、この留学記を一記事でも読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
何かのお役に立てていたら幸いです。


いつの日か、留学仲間と一緒に再びアイヒシュテットに行くという夢が叶いますように!
留学生活とブログ更新を支えてくれたすべての人に感謝をこめて。


Liebe Grüße,
Natsuru

Letter from Daddy-Long-Legs(日常のブログ)

アイヒの中央広場、Marktplatz

潤と手を振って別れた私は、いよいよドイツを出国することになった。
そしてもっとも心配していた手荷物検査の瞬間がやって来る。

何が心配だったかって、ソフトケースで持ってきていたクラシックギター。

留学初期にインゴルシュタットで購入したは良いけれど、
これってどうやって持って帰ったら良いんだ??と疑問に思い、
帰国が近づいてからは周囲に相談しまくっていた。

結果、「手荷物扱いでいけるんじゃない?」という意見が主流だったので、
手荷物として飛行機に乗せてしまうことに。

もし「だめ」とか言われたら「ギターは私の恋人なのでこれがないと帰れません!」などと交渉するつもりだった(笑)

…のだけど、そっとX線の籠にのせたら、ギターは何事もなく通過(笑)


その他、鞄からPC出してと言われたりブーツを脱がされたりしたけれど、
とにかくギターが何の咎めも受けなかったことで本当にほっとした。


そしてこの頃、機内への液体の持込に制限がかかり始めた時期だったのだけど、
いつからかよくわかっていなかった私は手荷物の中の化粧品で引っかかった。
(今では当たり前になっているけど、規制はこの頃からだったんだなと思うとちょっと感慨深い)

「全部持込みたければ外で透明の袋買ってその中に入れてきて。ひとつだけならそのままでいいけど」と言われたのだけど、
メイク道具はけっこう残りわずかなものも多く、
何より袋を買うのがめんどうだったので、

「じゃあファンデーションだけでいいです。あとは捨ててください」
と言ったところ、
「え、本当にいいの!?」
みたいな予想外の展開に(笑)

そしてなんと後ろにいた係員が「じゃあ今回はこれで!」と持っていた袋をくれて、
結果、タダで全部持ち込めることに(笑)

そんなとってもラッキーな体験をしつつ、
免税店で買おうと思っていた化粧水を買って、あとは飛行機に搭乗するのみ。

あまり待った覚えも特になく、飛行機にもすんなり搭乗することができた。


隣の席に座ったのは、日本人のおじさん。
とても良い人で、私のギターを棚に上げるのを手伝ってくれた。
聞けば仕事で、南米から飛行機を乗り継いできたのだとか!

少しだけれど、お互い今まで行った国の話をしたりした。
そしてここで、「寒いところが好きなんですね」と言われ、初めて自分の好みに気がつく私(笑)
たしかにむかしから、なぜか惹かれるのは南国とかではなくて寒いところにある国だった。
今回行けなかった国々にもまた行ける機会が来るといいなあ、とも思いながら、
素敵な旅の出会いに感謝。


* * *


そして飛行機が離陸してから、私は別れ際に潤がくれた包みを開いてみた。
窓の下には、だんだん小さくなっていくドイツの街並み。

潤が私にくれたのは、留学時代の思い出が詰まった手作りのアルバムだった。

一体いつの間にこんなものを…!と驚きながら、じーんとしながら1枚1枚ページをめくった。

まだ肌寒かったドイツ到着時、
インゴルシュタットで飲んだビール、
周囲の視線を気にせず私が差し続けた日傘や(笑)、
水着で行った湖。
ネルトリンゲンでふざけてかけて写真を撮ったサングラス。

すべての写真に潤の面白コメントがついていて、
それがまたいっそう嬉しかった。

どうやら潤は、アイヒシュテットに残ると決めてから、
せっせとこのアルバムを作ってくれていたらしい。
レオナや私が部屋をノックした時は、あわてて隠していたのだとか。
そう言われてみると、潤がドアを開けるのが遅かったタイミングが何回かあった気がした(笑)

この贈り物は本当に本当に嬉しくて、帰国してからもいろいろな人に見せて回った。
新たに増えた、私の大切な宝物だ。



飛行機はそのまま順調に飛び続け、
日本時間の翌日昼、成田空港に到着した。


ついに留学生活が終わってしまったことはもちろん寂しかったけれど、
家族や友人との再会も嬉しくて、
何より、1年間ドイツでいろいろなことを体験した自分が、
またここから日本での生活を始めるのだと思うと、とてもわくわくした。

日本に帰ったらやりたいと思っていたことがたくさんあるし、
会いたかった人もたくさんいる。

これからまだ2年間も日本の大学に通えるのだと思うと、
それも楽しみで仕方なかった。

ずっと育ってきた東京だけれど、
目に映る景色が、留学前とは明らかに変わっていると思った。

まさに、新しい始まりの日だった。



幼い頃からの夢が叶った、貴重で大切で幸せな1年。
アイヒシュテットという、ドイツ、バイエルン州の小さな町での留学生活。

それを支えてくれたすべての人や物に感謝して、
この特別な経験を、生涯忘れずにいたいと思う。


Letter from Daddy-Long-Legs(日常のブログ)

留学の終わり~三月 257

帰国の朝。
アイヒシュテット・シュタット駅に、乗り慣れた単線がやって来た。

留学の終わり~三月 258

留学の終わり~三月 259

留学の終わり~三月 262

留学の終わり~三月 264

留学の終わり~三月 265

ひっそりとしたアイヒシュテット・シュタット駅は、
これまでどこかから帰ってくる度に私をほっとさせてくれた。
(時が経ち、この何もなかった駅周辺も今ではだいぶ開発が進んだとか)

そんな駅を出発する時はきっとしんみりしてしまうだろうなあ、と思っていたけど、
ここでもやっぱり実感がわかず、出発した車内ではプレッツェルをかじりながら窓外の景色を眺めていた。

留学の終わり~三月 008

留学の終わり~三月 009

留学の終わり~三月 016

乗り換えも至って順調。

無事ミュンヘン中央駅に到着した後、駅構内の売店で大好きなネギ入りバタープレッツェルを買い、
またしてもそれをかじりながら列車を乗り継いで空港を目指した。

ドイツの列車は急に1時間くらい停まったりすることもあるので若干心配していたけど、
13:30にはミュンヘン国際空港に到着。

早速チェックイン。

空港の体重計(重量計?)で量ってみたら私のスーツケースは今や24kg…。
制限は一応20kgまでなのでまずいかなあと思いつつ、
とりあえず挑戦してみたらすんなり預けることができた。
きっと飛行機も満席ではなくて、そこそこ余裕があったのだろうと推測。

出国審査までの間は荷物を整理したり、
遠方にいるはずのレオナやスロヴァキアのツザナがわざわざメールをくれて感激したり。


ここへ来てもまだ実感がわかない。

けれども、飛行機の時間は着々と迫ってきて、
いよいよ潤と別れ、出国ゲート(という言い方で正しいのだろうか、、)をくぐる段階になった。


そしてここへ来て初めて、私は留学生活を終えて日本に帰国するんだ、という実感がわいた。

潤はもう1年アイヒシュテットで暮らすことになっているとは言え、
手続きやら何やらもあるので、翌週には一度日本に帰ってくることになっていた。

だからその時にすぐ会えるのに、なんだかもうしばらく会えないような気持ちになった。

その時、潤がおもむろに「これ飛行機の中で見て」と、包みを差し出してくれた。

「え、何これ!?!?」と、本気で驚く私。

潤やレオナに手紙を書いてからアイヒシュテットを去れればなあと思っていたものの、
予定に追われて(というのは言い訳でしかないけど)結局何も用意できていなかった私なのに!!

それが本当に申し訳なかったけれど、ありがたく頂戴して飛行機の中で開けてみることにした。

「1年楽しかったね」とちょっと涙を見せる潤を見て、私も初めてじわっと来てしまった。

また日本で会うことはできるけど、もうアイヒシュテットで一緒に過ごすことはできないなあとか、
最後の最後まで本当にお世話になりっぱなしだったし、
レオナと潤の存在がなければ、この1年はこんなに楽しい留学生活にならなかったなあとか、
様々な思いがこみあげてきた。

数えきれないほどの時間おしゃべりして、
一緒にいろいろな場所に行って、
とりあえずどこに行っても、何をしていてもほぼずっと3人で笑っていた気がする。


私はこの留学で、レオナと潤に「何事も楽しむ」精神を教えてもらったと思っている。

心配性で、ちょっとしたことも気にしてしまう私を、
2人は常に大らかな心で引っ張ってくれた。
本当に、いくら感謝してもしきれない。

2人とは留学前から同じ大学の友人同士だったけれど、
この1年間を通して特別な「仲間」になれたと思う。

楽しい思い出をたくさん共有できる仲間まで得ることができて、
本当に思い残すところのない留学生活だった。


搭乗ゲートをくぐる前に、潤と私は現地風にハグでお別れをした。

近くにいたおじさんがしんみりした面持ちでこちらを見ていたけれど、
涙をふきながらドイツ語で

「じゃあ、また来週

と言って手を振る私たちに、一体どういう状況なのかと激しく混乱したに違いない(笑)


Letter from Daddy-Long-Legs(日常のブログ)

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