2008年01月13日

あけましておめでとうございます

お正月気分がまだまだ抜けない近頃、どうお過ごしですか?

私は期待に反してカードヒーローばっかりやっております。
カードヒーローとレタスバーガーが非公式に始まったくらいです。
誰か対戦しましょう。  
Posted by lettuceburger at 20:24Comments(2)TrackBack(0)昼の炬燵

2007年11月21日

【FF11】アルタナの話と、アルタナじゃない話

■アルタナの話

追加ディスクがまた出るみたいです。
買うことに決めました。お金を出して。
最近はFF11から遠ざかっていたけど、久しぶりにちょっとだけ遊んでみます。


■アルタナじゃない話

昔、僕はあるひとつの考えを持っていた。
いや、考えを持っていたというよりは、仮説に近いかもしれない。
それは、
「『引退』っていうのは、『死』に例えられるんじゃないだろうか?」と。


昔、なんて注釈をつけるくらいだから分かると思うけれど、
今の僕から見たらこの発想には少し突飛なところがあるように受け取れる。
そう言い切ってしまうのは少し乱暴すぎる気がするし、
それに依存しすぎている節がある。
『あらゆる価値』を過剰に/不当に積み上げてしまっているような感じがする。


でも同時に、ある意味においてはひとつの真実を切り取っているとも思う。
それは、「別れ」は「死」を少なからず含んでいるからだ、と。
これについては、いくらかは正しいのだと確信している。
別に他意もないし、意味もないけど、そういう話。  
Posted by lettuceburger at 02:18Comments(7)TrackBack(0)FFXI

2007年10月13日

イーピンは地球、宇宙は河

ひとつあるんです。
しかもこれは、宗教とは異なるベクトルからの答えです。
我々は我々自身の魂の苦難に対して、どう受け止めるべきなのか? 教えましょう。





あのね、人生を麻雀に例えればいいんです。

人生に訪れるあらゆる好転と暗転、僥倖と悪夢、運不運、楽しいことつまらないこと、
喜びと悲しみ、朝の日差しと無限の夜、獲得と喪失、
そういうような、
人生の裏に潜む「とてつもなく大きくて抗えない、自分の存在を大きく超えた圧倒的な何か」
に気づいてしまったとき、それら全てのものを「配牌とツモ」に例えて解釈すればよいのです。

人生には、誰も悪くないのに結果として全てがうまくいかなくなるような瞬間があるでしょう?
例えば唯一心から愛していた人と永遠に会えなくなってしまった、みたいな致命的に思えることから、
食べようと思っていたプリンが思ったより冷えてなかった、みたいな些細なことまで。
そういうのを「ただ配牌が悪かっただけだ」としちゃうんですよ。
悪いことが起きたということは、それがただわたしに起きたというだけで、それ以上もそれ以下の意味はないのだ。





僕が麻雀の好きなところのひとつは、「とりあえず配られた牌で頑張らないといけない」点です。
パチンコみたいによさそうな台が無いからって帰ることも出来ないし、ポーカーみたいに簡単に棄権も出来ない。

「手が悪いから降りる」という概念はあるけど、そもそも麻雀はあがるより降りる方が難しいゲームなんですよ。
麻雀の上手い下手というのは、まずそこに出てくる。極論を言えば麻雀の技術とは「どういう順番で牌を切るか」の中にだけあると言えるからね。いい牌が配られて、いいツモが来るのなら、誰がやったって同じです。


そう考えると、言い換えるなら麻雀という遊戯の本質は「上がる」という状況の中にあるのではなくて、どの牌を切るか? という行為の中にあります。
いい麻雀悪い麻雀というのがあるなら、「たくさん上がって点数を稼いだ」じゃなくて、「悪い手牌でなんとかしました」という視点の中にあるはずです。ただめくったツモったあがりました、じゃあただの絵合わせだ。

それをもっと展開すると、いい麻雀を打つ人悪い麻雀を打つ人は「たくさん点棒を集めた人」じゃなくて、「特定の状況下におけるベストの順番で牌を捨てた人」なんですよ。ですよね?
ある規則で並べられた牌がすごいんじゃなくて、牌を切った順番がすごいんです。ツモがいいか悪いか、配牌がいいか悪いか、それらは麻雀のプレイヤーに対する評価とは完全に切り離されます。ツモがいいからって、そんなのはそいつ自身とは全く関係ない。ツモがよかったとは、それがただ起きたというだけのことに過ぎないのだ。

つまり、状況の中そのものに本質的価値があるんじゃなくて、状況の中に行為があって、そこにある創造性にゲームの本質的価値があるんです。ほら、毎回何も考えずにリーチ一発なんかしらないけどあがれました、ばっかりでもなんだかつまらないでしょ?
とりあえず僕の美学はそれを美しい麻雀とは呼ばない。
まあ僕の美学は偏狭的なところがあるというのは確かだけれど。





人生も麻雀と一緒だと思えば、「悪いことが起きたとは、それがただ起きたというだけのことに過ぎないのだ」ということがすごく身にしみて分かりやすくなる。
the world is at your command.





これに気づいたときは「ああ、これはすごい発見だ。もう少しこれを深めて本にすれば、第二の中谷彰宏になれる」と思ったけど、ふたつ欠点があった。

(1)麻雀はゼロサムゲームだ、という事実が少しだけ僕を落ち込ませる。

(2)麻雀に一定以上のレベルで通じている人じゃないと、何が何だかよく分からない。


特に後者は致命的だった。中谷彰宏の本を手に取るような人々のグループの中に、麻雀を少しでも理解しているような人は果たしてどれくらいいるのだろうか極めて疑問である。


良き人生を送るには、まず手始めに麻雀を学ばなければならない。かもしれない。  
Posted by lettuceburger at 23:11Comments(7)TrackBack(0)昼の炬燵

2007年10月11日

ザッキ

僕は麻雀が好きです。好きです。好きです。
あれは奥深いゲームだ。
ゲーセンに麻雀ゲームよく見かけるでしょ? 
でね、あれにはまってしまいました、最近。セガのMJです。
だからどうしたって? どうしたって訳じゃないけど。

どうしたって訳じゃない話を続けると、あれはシステムがリーグ制になってて、勝てば勝つほど上にいけるということになっているから、最初はやっぱり弱い人の集まりばっかりで、ほいほい勝てるから
「まあ最初はこんなもんか」
って思いつつ、何かの帰りとかにちょこっとずつやってたら、いつの間にか賢者まで来た。

別にオチはないんだけど、今回のテーマを強いて言えば、
「麻雀は楽しいよ」
っていうことです。  
Posted by lettuceburger at 22:52Comments(4)TrackBack(0)雑記

2007年09月29日

ネコ飼いたい


「ですよねー」


「ですよね」  
Posted by lettuceburger at 17:43Comments(0)TrackBack(0)昼の炬燵

2007年09月09日

ですよねー

「確かな愛などはもういらないから、ハートマークのあるメールだけが欲しい」

「ですよねー」

  
Posted by lettuceburger at 21:12Comments(2)TrackBack(0)昼の炬燵

2007年09月02日

トマト焼酎と真顔

トマト焼酎がおいしい。すごくおいしい。
おいしすぎて何が何だかよく分からない。分かるのは、とにかくトマト焼酎がおいしいっていうことだけだ。それしか、僕には分からない。

焼酎なんだけどすごくさっぱりとしていて、焼酎独特のえぐみみたいなものも無いし、ノドを焼くような辛さもない。
飲んだことがない人は、トマトジュースやブラッディメアリの延長線上にそれがあるような印象を受けているかもしれない。でも、僕から正確な事実を伝えさせて頂くと、全くそんなことはない。トマトジュースやブラッディメアリにおけるトマトのごとく、

「俺の! 俺の! 俺の話をきけーー!」

とトマト味が主張しているわけではなくて、こう、微かにトマトさんの呼吸が漏れ聞こえてくるような、そんな感じなのだ。

「朝起きると、ベッドからトマトの姿は消えていた。机の上にメモ書きが置いてあった。
『おはよう。カギは出るときに郵便受けに入れておいて下さい』
ベッドには、まだ彼女の香りが残っていた。」

というくらいこっそりとトマトの香りがするに留まっている。
トマトのヘタ周りを食べたみたいな、ある種の切なさをはらんだ爽やかな青臭さがする。多分切ないのは、僕にとってトマトとお婆ちゃん家のトマトが直結しているからじゃないかと思う。まだ青いトマトをこっそり齧ったのを思い出す。
どっちかというと、トマト焼酎というよりは、サラダ焼酎といったニュアンスが近い。口当たりは軽くて柔らかく、すいすいと飲めてしまう。
僕が秘かに所持している、
『(気になる)女の子に薦めるのに最適なお酒リスト
 〜飲みやすい! オシャレ! 酔わせやすい!〜』
の一番上に追加された。ランキング一位だ。とんだニューカマーである。
(これ以外のお酒についてはまたの機会にお教えします。)

とにかく、非常に、おいしい。
今この瞬間に「あなたの好きな食べ物は何ですか?」と聞かれたら「トマト焼酎です!」と答える。
パスワードを忘れたときの秘密の質問を今作るなら、
「質問:宇宙の奇跡とは?」→ 「答え:トマト焼酎」
とする。
ああ、もう、家を飛び出して待ち行く人々に声をかけたい気持ちだ。
「あの、すいません」
「はい?」
「突然ですが、クイズです。僕の好きなお酒は何でしょう?」
「はい?」
「チックタックチックタック。あ、難しいようだったら三択にしましょうか?」
「ひぃぃぃぃ!」


どうも感情ばかりが走って、いまいちトマト焼酎のおいしさがうまく伝えきれない気がする。
そうなのだよ、世の中は、好きという気持ちだけではうまくいかない場合もあるのだよ。

ここで冷静になって彦麻呂風に表現してみると、
「口の中が、トマト投げ祭りやー!
 イタリア人が、今年の豊作を祝っとるわー!」
というような感じだろうか。


トレンディドラマ風に伝えるなら、

「またレタス君ったらトマト焼酎飲んでるのね」
「うん。好きなんだ」
「知ってる」
「実を言うと、お前のことも好きなんだ」
「知ってる」
「……。なあ、亜希」
「なに?」
「俺たち、付き合ってもう3年になるよなあ」
「うん」
「俺さ、こうしてゆっくりトマト焼酎飲みながら、お前のこと眺めてる時間が一番幸せなんだ」
「……。」
「俺、今幸せだよ」
「うん。知ってる」
「なあ。これからも、トマト焼酎を飲んでるときはずっと俺のそばにいてくれないかな。お前がいないと、どんな酒もおいしくないよ」
「え? どうしたのその指輪……」
「結婚しよう。俺は、トマト焼酎とお前がいれば、後は何もいらない」
「嬉しい……」
「絶対幸せにするよ」
「…もう既に幸せだもん。ありがとう。ふつつかものですが、これからもよろしくお願いします。」
「ふふ、頬がトマトになってるぜ」
「もう!(笑)」
「(亜紀の頬を撫でながら)愛してる……。トマト焼酎の次に君が好きだよ……」
「私も愛してます……」


という感じになるだろうか。
とにかくトマト焼酎はおいしいということが伝わっていればいいんだけど。
ちなみに、こういうことを考えているときは、大体真顔です。
  
Posted by lettuceburger at 22:06Comments(7)TrackBack(0)昼の炬燵