おいらは田母神の論文を最初に見た時点では、

張作霖は河本大作の仕業だと思い込んでたんだけど、

ここでも取り上げたとおり、コミンテルンの仕業という可能性もありえると思うようになり、

ついにはその証拠までみつけてしまったようで↓↓↓

1990年代初め、ソ連の最高機密資料に接しうる立場の元特務機関幹部で歴史家のドミトリー・ボルゴヌフ氏は、
ロシア紙のインタビューの中で、ロシア革命の指導者の一人、トロツキーの死因を調べている際に、
偶然、張作霖がソ連軍諜報局によって暗殺された資料を見つけたという。

↑これでロシアでは普通に知られている話。

日本の支援で中国北部の満州を支配した張作霖は二四年九月、武器援助などで中国に影響力拡大を図るソ連政府と「中国東北鉄道条約」を締結し、友好関係を結んだ。しかし、張作霖軍の鉄道代未払い額が二五年末に千四百万ルーブルに達し、
ソ連側が抗議、鉄道使用禁止を通達すると、同軍はソ連鉄道監督官を逮捕し、事実上、実効支配。ソ連側はその反ソ連的な姿勢に加え、
ソ連が支援した国民党の軍事作戦の相次ぐ失敗にいらだちを募らせ「張作霖暗殺」を決めた。

 しかし、計画を未然に察知した張作霖側が二六年九月、暗殺命令を受けたソ連軍特務機関の工作員らを逮捕。暗殺は失敗した。
ところが、ソ連側は、張作霖が二八年、反共・反ソの満州共和国創設を日本政府と協議し始めたために、
暗殺計画を再度立案。実行責任者には、後にメキシコに国外逃亡した独裁者スターリンのライバル、トロツキーの暗殺にも深く関与した合同国家保安部諜報(ちょうほう)員、
ナウム・エイチンゴンらを任命した。

 張作霖を乗せた北京発奉天行き特別列車が同年六月四日、奉天郊外に差し掛かったとき、大爆発が起き、
重傷を負った張作霖は十数時間後に死亡。事件は、極東国際軍事裁判(東京裁判)で関東軍元幹部が犯行を認める証言を行い、
「日本の犯行」となった。

 しかし、プロホロフ氏は「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。
日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなく、ソ連が実行した」と指摘した。

↑日本の犯行説よりも詳細に説明されている。

 

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