Social liberalism~持続可能な社会の実現を~

持続可能な社会の実現を目指し、日々の思いを綴ります。 将来の世代に何を伝え、そのために今何をすべきなのかを考えます。

7.11参議院選挙

明日7月11日はいよいよ参議院選挙である。

我が国では、国民主権という政治的建前が憲法上定められているが、この国民主権を発揮できる場面は、限られている。

選挙日における投票行為が、国民主権を発揮できる数少ない場面である。さらには、この選挙日が唯一、我々国民が、その主権を発揮できる場面といっても過言ではない。

選挙を終えたら、政治は国民の手を離れ、国会議員と官僚の手中に収まる。

私にとって、今回の選挙は、普天間基地問題に対する審判であり、消費税増税の是非を問う選挙となっている。

必然的に選択肢は絞られる。

民主が勝っても、自民が勝っても、消費税が増税される。増税される消費税が、社会保障に充てられる保障は何もない。

 

琴光喜解雇問題から感じる日本社会の違和感

日本相撲協会は4日、野球賭博に関与していた元大関琴光喜(34)と元大嶽親方(42)の解雇を決定した。

この一連の騒動を巡って、私は日本社会にとても違和感を感じている。

その一つが、大相撲の野球賭博問題の特別調査委員会の座長を務める伊藤滋氏の次の記者会見の発言だった。

「琴光喜(の処分)は当然やるよ。一番のクビだよな」

伊藤氏の言葉は軽く、薄ら笑いを浮かべながら発言していた。力士の一生を左右する解雇という問題をこんなにへらへらと発言する神経が私には理解できなかったし、その態度を批判するメディアもいなかったことに私はとても違和感を感じた。

琴光喜をスケープゴートにして、この問題をあっさりと終わらせようという態度がみえみえだった。

次の違和感が、横綱白鳳が、琴光喜について、「角界一相撲がうまい」等と賞賛したことを、メディアが軽率だ、問題だなどと指摘したことにも非常に違和感を感じた。

この問題のメディアの対応をみて、「日本の言論の多様性が失われつつある。日本は、もっと懐の深い社会だったのでは。」などと感じてしまう。

惻隠の情、武士の情等という言葉は、この新自由主義化した日本では死語になってしまったのかと感じる。

貴乃花理事は、最後まで琴光喜の解雇を反対していたと報道されている。
貴乃花理事の次のコメントが、スポーツ紙で報道されている。

「力士が犯した罪は土俵で償うべきという思いがありました。十両からでも幕下からでもやり直させる道はないかと考えていました。」

この貴乃花の考え方こそが、日本社会が以前もっていた懐の深さだったのではないかと考える。


 

相撲賭博問題から考える過剰反応社会

角界の賭博問題がマスメディアを賑わしている。

(以下引用)
NHKの日向英実放送総局長は23日の定例記者会見で、野球賭博問題で開催が危ぶまれている大相撲名古屋場所(7月11日初日)について「まだ最終的な判断はしていないが、中継しないことも選択肢として、あらゆる事態を含めて検討している。(日本相撲協会が開催の是非を決定する)7月4日を待たずに判断する可能性もゼロではない」と述べた。(時事通信)
(引用終了) 

最近の日本は過剰反応社会であることに危惧を持っている。
賭博は何故いけないのかをまず考えて欲しい。
家庭を犠牲にしてまで賭博にのめり込むのは問題である。しかしながら、自身のお金に余裕がある人が、こづかいを賭博に使うのは、本来的には、個人の自由ではないのか。日本国家でも、競馬をはじめ、公営ギャンブルを行っている。

以前、東尾という西武球団の投手の麻雀賭博問題がマスコミを賑わした。

私は、率直に思う。個人のポケットマネーで賭博を行うこと自体は、誰に迷惑をかけているわけでもないので、本来的に個人の自由である。

マスコミが過剰に反応し、その賭博を行った個人の社会的生命を失わせることの方がはるかに問題である。

マスメディアは立体的視点から物事を観察するべきである。
 
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