21世紀は科学技術をはじめとするあらゆる分野で分化と専門化が進みます。しかし、細分化し過ぎた知識・技術と組織が想定外の事態を生み出し、悲惨な結果をもたらしたことを我々は経験しました。また、政治の分野では異なる主義・主張が乱立し、結果として国民の課題が解決されないことを目撃しております。今、形成されつつある地球社会についても同様のことがいえます。
これからの日本および地球社会に必要な人材は、広い視野と柔軟な思考を有し相反する利害と要求をまとめ上げ、最適解を導き出すリーダー役であり、大学におけるリベラルアーツ教育こそがその要請に応えるものであると、私達は主張します。
・設立趣意書
・第2期活動目標
・会 則
・会員一覧
・講演者・講演録一覧
若手研究者の視点から見たリベラル・アーツ教育 ―概念整理と非常勤講師としての実践 守谷優希 一橋大学 大学院 法学研究科
自己紹介: 守谷優希(もりたに ゆうき)
一橋大学 大学院 法学研究科 博士後期課程
非常勤講師として・・・
筑波大学:Methodology for Global Issues、Seminars on Global Issues B-I
常磐大学:防衛法、国際法
ビューティ&ウェルネス専門職大学:国際関係論
工学院大学:ロジカルライティングI、ロジカルライティングII
1996年 :愛知県生まれ
2005~2008年:米ミシガン州にて生活
2015年 :東海高等学校 卒業、ICU 入学
2019年 :ICU 卒業、一橋大学 国際・公共政策大学院 入学
2019~2020年:ルーヴェン・カトリック大学 留学
2021年 :一橋大学
国際・公共政策大学院 修了、一橋大学 大学院法学研究科 入学
本報告の趣旨
1.
ICUの教育を問い直す必要性
➢ ICU卒の大学教員として改めてICUの教育を振り返り、問い直す
必要がある
➢ 教員の実践する教育の内容や方法は、自身の被教育経験などを
通じて形成された信念や教育観によって決定される傾向がある (秋田 2010)
² 学習と教育は別物( 「学生が育った=教育の成功」
受けた
と認識している教育=実際の教育」では必ずしもない)
➢ 教育:他者の学習への意図的な介入の試みとしての権力行使(広田 2022)
² 自らの教育の適切性や効果を検討することは責任上不可欠 ➢ ICUの教育は優れている」: 「リベラル・アーツ教育」に集約されがち
➢ 対話型授業:教員-学生間、学生同士での対話・議論を中心と
したアクティブ・ラーニング、専任教員1人あたり学生18人 という少人数教育、“批判的思考”(常識・定説を疑う、問い続 けることが強調)etc.
➢ 問題解決型授業:現在進行形での社会問題を扱ったケース・スタディ、グループ・ワーク、学生プレゼンテーション、学生の
知的関心・問いの重視、学生の創造性を育むetc.
➢ 多様性:学生・教員の国際性、日英バイリンガル教育、学際性 の重視、受講生の専門分野の多様性etc.
➢ 非リベラル・アーツ教育にも見られる要素
➢
専門教育・実学教育(ビジネス・スクール、法科大学院、医学
部、資格学校、自動車教習所etc.)の教育でも批判的思考は重 視され、ケース・スタディ、ディスカッション、グループ・ワ
ークなどが取り入れられている
➢
ICUほどでないとしても、国際化(外国人教員・留学生の受け 入れ、英語開講科目の導入etc.)や学際的研究・教育を重視す る大学は少なくない
➢ リベラル・アーツ」というマジック・ワードに逃げてはいけない
➢ 真正面から リベラル・アーツ教育とは何か?」を真剣に問わ
なければ、 良い大学教育とは何か」
そのために何をすればよ いか」についての考察が深まらない
2. リベラル・アーツ教育の概念整理
➢ 理解が困難なリベラル・アーツ教育
➢ 一般的な理解:いわゆる 教養」、幅広い知識の獲得、歴史・
哲学の古典重視etc.
➢ 混乱の原因としての 流動性」:リベラル・アーツ教育が何を
意味するのかは時代や国・社会ごとに異なる(大西 2018)
² 古代ギリシア:自由市民階級にとって必要な知識や技能
² 古代ローマ:自由人としての基礎科目としての自由七科 (文法、修辞学、弁証法、算術、幾何学、天文学、音楽)
² 中世ヨーロッパ:神学や医学、法学などの専門教育の基礎
としての自由七科
² 17世紀以降イギリス:オックスブリッジなどのカレッジ
での個人指導をベースとした古典志向の教育
² アメリカ型リベラル・アーツ教育:主専攻・その他科目の
専門的内容の基礎的な知的訓練を通したメジャー制、レイ ト・スペシャリゼーション
➢ 様々な時代・社会の共通項を踏まえたリベラル・アーツ教育の特徴
➢ エリート教育の側面
² エリート:政治的・経済的な隷属から比較的開放的で、自 身の知的能力を活用して社会の中で指導的・支配的役割を 担うことが期待されていると想定される階層に属する人々
² 自由」:定式化された知識や技能の伝授による特定の職
業人・専門家の育成やその強制の否定
⚫ 非職業教育としての性格を強調する以上、生計を立て
るための実用的な技能や知識の習得に焦る必要のない 人々への教育にならざるを得ない
➢ カリキュラム構成に現れる特徴
² カリキュラム: 教育機関が掲げる教育目的を達成するための学習経験の計画」(中井 2022)
² 組織レベル:人格形成という教育目標の設定、職業・専門 教育の否定という方針etc.
² 科目レベル:主専攻・非専門双方の科目の履修を促す制度 設計、幅広い種類(学問分野、基礎・応用etc.)の科目の 設置etc.
² 授業レベル:カリキュラム全体を踏まえた上での授業の設計と実施
➢
ICUの教育の リベラル・アーツ性」の本質
➢ 上述のカリキュラム的特徴が見られる点
² ディプロマ・ポリシーやカリキュラム・ポリシーに明らか
➢ 現代社会への適応としての職業人・専門家教育の側面
² 教育:教職課程、学芸員課程、学士・修士5年プログラム
² 学生支援:キャリア形成、就職活動の支援体制
➢ アドミッションという重要要素?
² ICUの教育目標の達成可能性のある学生の選抜
² ICUに合致する学生を集めることで形成される学習環境と
しての学風・キャンパス文化
➢ 驚くほど少ない
➢ リベラル・アーツ教育を形成する重要な要素はカリキュラムの 中でも組織・プログラム運営や科目設置などのレベルの役割
➢ 全体のカリキュラムの中での位置付けを踏まえた科目設計と適 切な授業運営という基本が結局大事
² その科目の教育目標を適切に設定した上で、適切な授業法
(講義法、アクティブ・ラーニングなど)を選択する
➢ 筑波大学
Methodology for Global Issues」
➢ リベラル・アーツ教育としての筑波大学の教育
² 全学的なカリキュラム
⚫ 教育目標に見られる人格形成と非職業専門性:①基礎 的な思考力に基づく創造性の涵養、②豊かな教養とコ ミュニケーション能力の涵養、③文化的感受性の涵 養、④社会貢献への姿勢の涵養、⑤自律的自己成長能 力の涵養
⚫ 学習計画と科目設置:専門智と汎用智双方の学習を通
した総合智の修得を可能とする教育体系の構築
² 学位プログラムのカリキュラム
⚫ 地球規模学位プログラム(BPGI)
⚫ 教育目標:文理双方の地球規模課題に関連する幅広い
基礎知識と学習能力の獲得、それらを踏まえた解決策
の意思決定能力を有する人材の育成
⚫ 学習計画:総合的な知識の修得、課題解決のための情
報収集・分析能力の獲得、交渉・マネジメント能力の 獲得を促す科目群の設置など
➢ Methodology for Global Issues」の科目設計
² 学部1年生を対象とした科目であり、アカデミック・ライ
ティング、理系分野、文系分野で担当教員が異なる(報告 者は文系分野を担当)
² 学習目標と方針
⚫ 大きな目標・方針:地球規模課題に取り組む上での知
的基盤や研究の方法論の修得
➢ やれることの限界:1コマ75分、全10回の授業
で教えられる内容、1学期で修得できる内容と水 準には限界がある
² 達成不可能な目標を立てるわけにはいかな
い: 適切な成績評価を困難にし、学生の学 習に悪影響を与えるため
⚫ 設定した目標:①批判的思考者としての基礎的能力の 修得、② 地球規模課題」の定義の確認、③基礎的な 研究方法の学習と実践
➢ 教育目標・方針と学部1年生向けという位置付
け:方法論それ自体の学習やケース・スタディよ
りも、批判的思考能力を含めた基礎的知的基盤の 育成が優先されるべきではないか
➢ 批判的思考:何を信じ、何をすべきなのかという
決断を目的とした合理的で反省的な思考(Ennis 1991)
➢ 既知の地球規模課題を学び、解決策を考える(定 式的教育)のではなく、課題を見出し、問い直 し、解決策を考え、問い直す(非定式的教育)
4. リベラル・アーツ教育の未来のために
リベラル・アーツ教育者に求められるもの
Ø 科目設計に必要な能力
Ø リベラル・アーツ教育と勤務校のカリキュラムへの理解
Ø 専門の学問分野の高い専門性:その分野の知的体系への深い理解、専門知の活用能力・経験なしに適切な学習内容を設定できない
Ø 教育の実践に関わる知見:授業法の利点・問題点への理解なしに授業内容を決定できない
Ø 授業を通して学生の学習と社会と向き合う姿勢
Ø 専門家育成、業績面での学生の成功を重視する専門家であってはならない
批判的思考者であること:現代社会に生きる一人の人間として真剣に人生や社会のあり方、その中における知の意義を考え続ける。その一環・延長に学生とのインタラクションがある
真剣に学生・社会と向き合う
Ø 社会に生きる人々が実学的知識・スキルを求めるのは至極当然
Ø むしろ根本的な教育では
Ø
挨拶・礼儀作法、食料の獲得法、危険の回避、社会生活に必須の何か、その組織に属するなら獲得してほしい何か
Ø 現代社会において、人は金を稼いで生きていかなければならない
Ø
あらゆる現代人にとって生活やキャリアに必要な知識・技能の習得は必須
Ø
エリート大学生(ICU生含む)の悩み:就職と将来の生活・キャリア
Ø リベラル・アーツ教育も専門性を重視している
Ø
メジャー制:専門分野を定めることを前提とし、広く学ばせるもの
Ø
レイト・スペシャリゼーション:時間をかけて専門分野を決めさせるもの
Ø 実学も人間教育を重視している
Ø
特に東洋ではあらゆるものが人間教育に繋がると考えられる傾向
真剣に学生・社会と向き合うために
Ø 異質性とエリート主義を(反省的に)自覚した上でリベラル・アーツ教育を理解する
Ø リベラル・アーツ教育は本来必要のない贅沢
Ø
どれだけ経済的・社会的に恵まれていようとも、現代人はあまりに余裕がない:今日を生きることに忙しく、明日に怯えることに忙しい
Ø
義務教育以外の4年間を労働ではなく非職業教育に捧げることは極めて贅沢(生きていく上で必要のない教育)
Ø リベラル・アーツ教育の学習への強制的介入
Ø
学生の学習意欲は本質的に非リベラル・アーツ的:(個人の知的欲求、社会的要請による)知識・技能の獲得、高い成績評価の獲得、卒業後のキャリアのための競争的結果
Ø
カリキュラムが、悩み、迷い、考えるための時間と余裕を作り、専門以外の幅広い分野の学習を強制する
Ø
現代人が当然に求めるものとは異なることを強制してもなお、リベラル・アーツ教育下での学習を継続できるというのは、それだけの余裕があるから
社会を育てるという考え方
Ø リベラル・アーツ教育が必要とされる社会を作っていくことが大事
Ø 大学教育と社会は共存関係にある
Ø
社会が繫栄すれば大学は求められ、大学があるから社会が繁栄する
Ø リベラル・アーツ教育の存在価値が高い社会は、それだけ豊かで余裕のある社会ではないか?
Ø
生きる上での焦りと切迫感しかない社会では、リベラル・アーツ教育的大学の存在は否定されてしまうはず
Ø 大学が社会の繁栄に主体的に取り組んでいく
Ø
大学教育を通して社会を育てていく(そもそも教育は社会の発展に寄与する行為)
Ø
リベラル・アーツ教育が受け入れられるほどに豊かで余裕のある社会を作っていく、そのための政策提案やロビイングをしていく
Ø 一人の批判的思考者としての人生のテーマ
これからの日本社会に「暇」と「余裕」を作っていくこと
5. レジュメ内引用文献
秋田喜代美 学習過程と学習成果の質」秋田喜代美、藤江康彦『授業研究と学習過程』(放送
大学教育振興会、2010年)29-40頁。
大西好宣 米4大学におけるリベラルアーツ教育の現状と改革」『JAILA JOURNAL』4号 (2018年3月)14-25頁。
中井俊樹
カリキュラムの編成の基本を理解する」中井俊樹『カリキュラムの編成』(玉川大 学出版部、2022年)1-13頁。
広田照幸『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』(勁草書房、2022年)。
Ennis, Robert. “Critical
Thinking: A Streamlined Conception.” Teaching Philosophy 14, no. 1
(March
1991): 5-24.
講演者・講演録一覧
講演者・講演録・シンポジウム一覧(開催日の新しい順)
守谷優希 一橋大学 大学院 法学研究科 博士後期課程
若手研究者の視点から見たリベラル・アーツ教育 (2026.5.30)
渡邊洋介 朝日新聞社東京社会部記者
問いと向き合う 私とリベラルアーツ (2025.11.15)
矢口祐人 東京大学副学長・グローバル教育センター長
東京大学の新たな試み「グローバル・リベラルアーツ」(2025.7.19)
秋山肇 筑波大学人文社会系助教/筑波大学学長補佐 TRiSTARフェロー
筑波大学とリベラルアーツ (2025.2.22)
西尾 隆 元・国際基督教大学教養学部長
古希を迎えたICUとリベラルアーツ教育 (2024.10.12)
山田 渚月 Wellesley College 1年
リベラルアーツカレッジ進学の動機と Wellesley College への期待 (2024.7.14)
郭 洋春 立教大学前総長
立教大学とリベラルアーツ (2024.4.13)
工藤尚悟 国際教養大学・准教授
リベラルアーツと私:なるべく自由に考えるために (2024.1.13)
石橋 晶 文部科学省 生涯学習推進課課長
生涯学習とリベラルアーツ (2023.11.11)
山口 光 元・共同通信社国際局長
リベラルアーツとジャーナリズム (2023.09.30)
有馬利男 グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン代表理事
デジタル・トランスフォーメーションとリスキリングの先に見えるもの (2023.7.10)
森本あんり 東京女子大学学長
今求められるリベラルアーツ教育とは (2023.3.22)
岩切正一郎 国際基督教大学学長
ICUのリベラルアーツとウクライナ戦争 (2022.11.30)
日比谷潤子 国際基督教大学学長
ICUのリベラルアーツ教育 (2019.07.02)
神蔵孝之氏 松下政経塾副理事長 及び イマジニア(株)会長兼CEO
逆境の克服とリーダーの胆力~「経営マインド」と「パブリックマインド」の必要性 (2018.11.19)
鈴木典比古 国際教養大学学長
リベラルアーツの歴史と系譜 ~日本ではどう根付いているか~ (2018.10.30)
川島重成氏 ICU名誉教授(ギリシャ古典担当)
S. Poskanzer教授 (米国カールトン大学学長)
「カールトン大学に於けるリベラルアーツ教育」(2018.03.07)
榊原節子氏 (フィナンシャル・アドバイザー & ライフスタイル・アドバイザー)
「今後求められるマルチ人間とリベラルアーツ」(2017.09.15)
吉川元偉氏 (元特命全権大使[国連、スペイン、OECD])
「私の外交官人生とICU」(2017.03.07)
野村彰男氏 (元朝日新聞社政治部記者)
「リベラルアーツとジャーナリスト教育」(2017.02.10)
伊東健氏 (日本アスペン研究所常務理事)
「アスペン研究所とアスペンセミナーについて」(2016.10.03)
小林亮介氏(HLAB代表理事)
講演抄録(2016.05.23)
中村一郎氏(ICU高校校長)
「ICU高校の営みー多様性と言葉の獲得をめぐって」(2016.02.16)
横田洋三氏(ICU1964年卒(国際法専攻))
「私とICU」(2015.04.03)
高橋一生氏(「リベラルアーツ21の会」代表)
「Vocationとリベラルアーツ」(2015.03.28)
シンポジウム
「リベラルアーツの強みとは何か」(2015.01.17)
大口邦雄氏(元国際基督教大学学長)
リベラル・アーツとは何か(2014.09.30)
毛利勝彦氏(ICUアドミッションズ・センター長)
リベラルアーツが大学入試を変える(2014.05.22)
上野景文氏(杏林大学外国語学部客員教授;元バチカン大使)
「教養学科生の時代を振り返って」(2014.04.25)
三浦耕太氏(欧州分子生物学研究所(EMBL)主任研究員)
「若手研究者にとってのリベラルアーツ教育の意義」(2014.2.25)
北山禎介氏(三井住友銀行会長)
「将来世代の育成に向けて中等教育・大学への期待」(2013.12.11)
Prof. J. W. Cason(ミドルベリー カレッジ教授)
「21世紀のリベラルアーツ教育の諸課題と展望(英文)」(2013.10.12)
野村彰男氏(元朝日新聞アメリカ総局長・論説副主幹)
「ICUとわが記者人生」(2013.6.29)
木庭 顕氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
「日本の法曹教育におけるリベラルアーツの意義」(2013.4.22)
長尾眞文氏(東京大学特任教授)
「リベラルアーツ教育からリベラルアーツ・プロフェッショナルへ」(2012.12.15)
池上清子氏(日本大学大学院教授)
「私にとってのリベラルアーツ」(2012.11.13)
有馬利男氏(元富士ゼロックス社長)
「私にとってのICU」(2012.9.29)
西尾 隆氏(国際基督教大学教養学部長)
「ディレンマの中のリベラルアーツ」(2012.7.10)
問いと向き合う 私とリベラルアーツ 渡邉洋介 朝日新聞東京社会部記者
自己紹介
1983年、長野県松本市生まれ
2003年、国際基督教大学(ICU)入学。高橋一生ゼミに所属。
2007年、朝日新聞社入社。前橋総局を振り出しに、長崎総局、東部支局(東京・
下町エリア)、東京社会部、大船渡駐在(岩手)を経て、
2019年から再び東京社会部。社会部では農水省、国交省、復興庁を取材。
2021年には論説委員補佐(天声人語補佐)。
現在は戦後80年を担当。主に戦争、災害、農林水産業を取材。
リベラルアーツとの出会い
•イラク戦争の直後に大学入学、行動する同世代
大学に入学したのは2003年4月でした。長野の田舎から出て来た自分には驚きの連続でした。入学式で世界人権宣言の誓約書に署名する。キャンパス内は留学生だらけで、日本語と英語が飛び交う。ユニークな先輩にもすぐ出会いました。入学式の半月ほど前の3月20日にイラク戦争が始まっていました。1学年上の先輩が偶然、開戦直前のイラクにいて、現地の若者約50人からメッセージを受け取り、日本の友人に送っていたことを聞きました。キャンパスのなかで学ぶだけではなく、行動する同年代がいる。そのことに驚き、ニュースと想像の中にあった紛争を身近に感じるものとなりました。
•リベラルアーツとの出会いとつまずき
リベラルアーツと初めて出会ったのはICUでの学生生活のなかでした。ICUに入学しなければ、いまこうしてリベラルアーツについて振り返り、そのあり方について考えることもなかったと思います。
ただ、肝心の授業はというと、早々に落ちこぼれてしまいました。ICUでは1年次のELP(英語学習プログラム)で論理的思考、批判的思考、主体的問題設定、問題解決、自己表現といったことをたたきこまれます。しかし、高校までに受けてきた教育とはだいぶ違いました。それまでは結果についての暗記が中心でしたので、思考のプロセスや自身の意見を表明する方法をあまり学んでこなかったように思います。考え方の手順や発言の仕方がわかりませんでした。しかも得意ではない英語でのコミュニケーションに臆してしまう。ディスカッションでも発言ができずに下をむいて固まっていました。徐々にキャンパスから足も遠のいていました。
•「言葉による戦いを重ねて自己を定義」(並木浩一先生)
しかし、甘ったれていた自分を、そのままにしてくれないのがICUの先生方でした。まずは必修のキリスト教概論のクラスで出会った神学者の並木浩一先生です。キリスト教概論は、授業を3回欠席すると不可となる厳しいクラスと言われていました。私は早々に2回欠席してしまい、リーチがかかりました。直後に双木先生から研究室に呼び出しを受けました。「真剣にやっているのになぜ出席しないのか」と詰められました。キリスト教の価値観を押しつけられるのではないかという不信感と警戒感のようなものを打ち明けました。話はパレスチナやイスラエル、イラク戦争などと宗教対立にも及んだと記憶しています。後日、ICUの売店でたまたま手に取った「ICUリベラルアーツのすべて」という本のなかで並木先生の理念と出会いました。それはキリスト教概論のクラスの狙いとともに、こんな言葉で締めくくられていました。「君たちの20年後にこだわっている。言葉による戦いを重ねて自己の立場を築き、それぞれの自己を定義しているだろう。社会生活の中で公私の区別を貫徹することが容易でなく、また良心を貫くことが多くの場合、孤立の覚悟と背中合わせであることに気づいているだろう。人に赦され、また赦すことのむずかしさが身に染みているかも知れない。その時がキリスト教概論のクラスで扱われた事柄を改めて吟味する良い機会である」。教員が覚悟をもって授業に臨む姿に感激した覚えがあります。
•「いかに自分の問いを持つか」(高橋一生先生)
2、3年と大学には通っていたものの、相変わらず語学は苦手で、授業についていくのが精いっぱいでした。4年で高橋一生先生のゼミに入りました。高橋ゼミでは軽井沢で夏合宿があります。そこで卒業論文の中間プレゼンとディスカッションがあります。アフリカをフィールドに貧困問題の分析をするという非常に雑駁なものでした。生煮えの「リサーチクエッション」であったため、議論は深まらず「リサーチクエッションを考え直しなさい」と指導を受けました。その合宿で高橋先生が繰り返しおっしゃっていたのが、「いかに自分の問いを持つか」ということでした。他人から教えられるのではなく、どうしても知りたいと思えるような自分なりの問い。それをみつけ、答えを自分で発見した喜びを経験することの意義。それを強調されていた、と自分なりに解釈しています。その問いがみつかれば、自ら学んでいくことができるということを繰り返していらっしゃいました。
•「プロセスを重視し、言葉に実質を与える」(風間晴子先生)
ICU理学科の元教授で生物学者である風間晴子先生からも多くの示唆を頂きました。風間先生には大学4年のときに学内で講演会をしていただくことになり、研究室のドアをたたきました。手元のノートに当時、メモした風間先生の印象的な言葉が残っています。「リベラルアーツ教育はプロセスを重視した教育であり、単なる知識の伝達『知の営みの結果を伝える教育』すなわち知的権威の継承や時代の権威者の養成の教育ではありません。言葉に実質を与えることに努め、言葉と現象・現実との緊張関係を生きることを学生に求めます」。現象を観察して「言葉に実質を与える」という創造的な知の営みであるという言葉は心に深く染みいりました。今でも大切にしています。
•「ジャーナリズムは個が支える」(柴田鉄治先生)
→リベラルアーツは「いかに生きるか」を問う
・元朝日新聞論説副主幹で、ICUでジャーナリズムを学ぶ学生向けのゼミを主催されていた柴田鉄治さんとの出会いもありました。週1回の自主ゼミで、柴田先生からジャーナリズムについての考えも教えて頂きました。柴田先生がおっしゃっていたのは「ジャーナリズムは個が支える」という言葉です。ジャーナリストひとりひとりが権力を監視するという気概を持つ必要があるという意味でした。
いま4人の先生方の言葉を紹介しましたが、当時はわからなかったものの、今回、ご講演の依頼を受けて改めて整理してみると、リベラルアーツのエッセンスが詰まっているような気がしています。効率的に答えにたどりつくようなテクニックではありません。「自分なりの問い」と向き合い、言葉によって現実に実質を与え、そのプロセスを通じて、志や人格を育てようというものだったのではないかと思います。それは「いかに生きるか」を問うリベラルアーツそのものの実践であり、私自身はそうした教育を受けてきたのではないかと思います。
新聞記者とリベラルアーツ
•取材の始まりは「自分なりの問い」
原爆と原発
•被爆地は平和利用をどう捉えてきたのか?
•軍事利用と民生利用を分けて考えてきたのはなぜなのか?
•国や米国側の力学はなかったのか?
•原発事故後の被爆地の市民はどう考えるのか?
•被爆地だけではなく日本社会としてどう考えていくべきか?
創造的復興のあり様
•創造的復興の理念はどこから生まれたのか?
•巨額の復興は何を生み出したのか?
•復興の目的を果たすことはできたのか?
•どんな課題が残ったのか?
•次の巨大災害への備えはどこまで進んだのか?
東日本大震災の復興と「よいとり」の問い
長崎での勤務後、私は東京を経て、岩手の被災地に3年間駐在し、東日本大震災の復興を追いかける立場になりました。震災の被害総額16兆円に対し、国費として総額30兆円以上の巨額の予算が投じられ、ふるさとを作り直す政策が取られました。
しかし、現地に住みながら、私は**「巨額の復興が何を生み出したのか」という問いを抱きました。当初の理念であった「創造的復興」の精神と、現実がなかなか噛み合わない状況を目撃したのです。データを用いた政策検証の記事とともに、この地で暮らす「人の物語」**を通じてこの乖離を伝えていく必要があると考え、一つの記事にたどり着きました。
奇跡の一本松と陸前高田の「よいとり」
この記事は、3年間の駐在の最後に書いたもので、奇跡の一本松で知られる岩手県陸前高田市が舞台です。
• 復興事業の現実: 1,700人を超える方が亡くなった陸前高田市では、1,600億円をかけて市街地をゼロから作り直す空前の規模の復興事業が行われました。
• 長期化のコスト: 土地を10メートル以上かさ上げし、造成する事業が長期化する中で、元の住民の6割以上が戻らないという事態が発生しました。当初「戻る」という願いを持っていた人たちが、時間の経過とともに意向が変わっていく。時間というコストを考えざるを得ませんでした。
• 相互扶助の喪失: 記事に登場する男性は、震災によって失われたものを、地元の「よいとり」という言葉で表現しました。これは、相互扶助や助け合いを意味し、春の田植えや秋の稲刈り、冠婚葬祭などで、互いに手を貸し合う人の繋がりのことです。
• 復興への問い: この男性を通じて、私は**「繋がりを取り戻すことが、本来の復興ではなかったのではないか」**という問いを受け取りました。人口減少下の復興事業をみながら目撃したのは、巨額の費用を投じて町を作り直しても人が戻らない、事業の長期化によって失われた繋がりは回復が難しいという現実です。
・震災前から過疎化:人口減少が進んでいた三陸において、この事例は「人口減少時代の災害復興のあるべき姿」を考えるヒントになるのではないかと感じています。東京にいると「人が戻らないなら大規模な予算は無駄なコストではないか」と安易に考えてしまいがちですが、被災地に暮らし、人々の立場になって考えたとき、本当にそう簡単に言ってしまって良いのだろうか、という思いに至りました。
戦争体験者のいなくなる時代
• 戦後80年という年とは?
•「戦争体験者のいなくなる時代」のとば口
•「記憶」から「記録」へと切り替わる時
• 過去の記憶を今と地続きのものとして考えるにはどうすればいいのか?
「戦前・戦中生まれ」の割合
・「戦前・戦中生まれ」は1389万人で総人口の1割
・ 戦後80年企画と生成AIがもたらす歴史認識の変化
「戦後80年」企画の始動
今年(取材当時)関わったのは、**「戦後80年」**企画でした。この企画もまた、時代認識という「問い」から始まっています。
• 現代の国際情勢: ウクライナやガザへの侵攻が続き、「力による平和」が幅を利かせている時代です。
• 縦の歴史の軸: 一方で、縦軸で歴史を捉えると、私たちは「戦争を知る世代がいなくなる時代」の入り口に立っています。この戦争体験者が不在となる時代に、記憶をどう受け継いでいくかという問題意識が企画の核となりました。
記憶の継承の現実
•戦前・ 戦中生まれの減少: 戦前・戦中生まれの人口は約1割になっており、近年は概ね1年で1ポイントずつ減少している。
• 戦場体験者の限界: 軍人恩給の受給者数で考えると、2024年3月末時点で1,000人を切って597人です。戦場体験を「記憶があり、語れる人」は非常に限られていると言えます。
• 時代の認識: 現在、男性の平均年齢81歳、女性は87歳であることから、**戦後80年という時間は「人の一生とほぼ同じ」**という時代認識のもとに企画を進めました。
記憶の継承のフェーズと第4期への移行
日本女子大の名誉教授で歴史家の成田龍一氏による戦後日本の記憶継承の区分に従うと、以下の3つのフェーズがあります。
体験の時代、証言の時代、記憶の時代 というような3つのフェーズに分けて、1945年から20年ぐらい経った25年ぐらいまで第1期としていて、これは体験の時代、体験者同士の対話によって記憶が保たれていく、そういうフェーズです。65年から冷戦終結の90年頃、これを第2期として、これは証言の時代です。体験者から非体験者に語ることによって継承されている時代、90年以降が第3期で記憶の時代という風に位置付けています。これは平和教育などによる伝達が中心になっていく時代。
取材班の中で、今、第4期に入ったんではないかと考えました。体験、証言、記憶のステップを踏んで、記憶が記憶に移り変わる局面、あるいは歴史に変わっていく局面、こういう時代ではないかという風な捉え方をしました。
生成AIと歴史修正の問題
この第4期において、様々な記憶が**「都合よく使われていく」**事態が考えられます。歴史修正、抹消、あるいは忘却などです。
特に今後大きく影響しそうなのが、生成AIの登場です。私たちが取材しているタイミングで、動画生成AIのアプリケーションが一般でも使いやすくなりました。
• AIによるフェイク: 例として、特攻隊の写真をAIで動画化し、「言っていないこと」「事実にないこと」を発言させるような行為が、専門的な技術や知識を持たない方でも手軽にできるようになってきています。
• 問題意識: こうした状況で、歴史的事実がどう扱われていくのかという問題意識のもとに企画を制作しました。
この企画を立てるにあたり、「戦後80年とはどういう時代で、戦争観・歴史観にどんな変化が生まれているのか、それをどう受け止めるべきか」という、**リベラルアーツの中で繰り返し行った「問いにこだわる」**姿勢が活かされました。
新聞社のDX化とメディア業界の苦境
続いて、コンテンツ制作の話とは少し離れ、DX化によって新聞社が置かれている状況についてご紹介します。
DX化の波
■新聞の発行部数
2024年=2662万部 14年=4536万部から10年で4割減
(日本新聞協会)
■ネットの利用時間
ブログやウェブサイト(21分)、動画サービス(71分)、SNS(35分)オンライン・ソーシャルゲーム(18分)
(総務省「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書)
■生成AI
ゼロクリック、エコーチェンバー、フェイクニュース
新聞社のDX化とメディア業界の苦境
業界の現状認識
新聞業界は現在、非常に岐路に立たされています。
• 独占時代の終焉: マスメディアが記事を作成、印刷、宅配するという体制を独占できていた時代は終わりを告げています。
• 実情: 新聞社は今、「読者とどう繋がっていけばいいのか」を必死で考え行動している最中ですが、決定的な処方箋は見つけられていないのが実情です。
• 発行部数の減少: 新聞の発行部数は顕著に減り続けており、人々のライフスタイルが大きく変わっていることへの対応ができていないことが、難しさを一層加速させています。
テキスト離れと「ゼロクリック」の衝撃 (14:57~18:55)
総務省の調査にあるように、スマートフォン、SNS、動画のサブスクリプションサービスの登場により、テキストが読者に届きにくくなっています。
• 動画の台頭: 動画サービスは利用時間が71分と大きな存在感を増しており、SNSもTikTokなどのショート動画が中心となっています。
• パイの縮小: ブログ・ウェブサイトの利用時間21分の中に、新聞、テレビ、通信社のニュースが入り込む形になっており、ニュース全体のパイが小さくなる中で、各社が激しくシェアを取り合っている状況です。
生成AIによる環境変化:
そこに、さらに生成AIの登場によって環境変化が起きています。
• 「ゼロクリック」の発生:数カ月前に Googleの日本語版でAI モードが導入されました。検索結果からWebサイトへ流入することなく、AIによる要約だけでユーザーのニーズが満たされる状況が生まれつつあります。
• 欧米の先行例: 欧米の例では、ニュースサイトなどのクリック数が2割程度減少しているという調査結果もあります。
• 収益モデルへの影響: これまで、検索→サイト流入→PV(ページビュー)→コンバージョン(有料会員)という流れがありましたが、そもそもページにまで来てくれない状況が生まれています。
エコーチェンバーとニュース忌避 (18:55~21:09)
さらに、以下の要因もニュースの届きにくさを加速させています。
• エコーチェンバー: アルゴリズムによるレコメンド機能により、自身の関心の高いニュースが自動的に提示され、重要度の高いニュースでも関心がない層には届かない状況です。コンテンツを作るだけでなく、いかに届けるかが課題です。
• Z世代のニュース観: Z世代の調査では、「ニュースは自分で見に行くものではなく、届くもの」として認識される傾向があります。スマートフォンを開いたときに出てくるものという認識です。
• ニュースの忌避: SNSでは感情を煽る動画コンテンツが多く、ニュース、特に事件・事故や災害などの大きなものは、動画としても感情を揺さぶるものが多いため、「ニュースを見れば疲れる」とニュースを避ける**「ニュース忌避」の傾向も出ています。
結論
このような状況下で、私たち新聞社がどうやってコンテンツを作り、届け、持続可能な経営体系を築いていくか、今必死で取り組んでいるところであります。
個人的な経験が中心の話であり、「ジャーナリズムとリベラルアーツの関わりが明確にこうである」と順序立てて説明したものではありません。しかし、今振り返ってみると、当時ICUで得ていた「問いにこだわる」という学びが、現在の仕事の中で活かされている部分があるのではないかと感じています。
東京大学の新たな試み「グローバル・リベラルアーツ」 副学長 矢口祐人 グローバル教育センター長
どうぞよろしくお願いいたします。皆さまの自己紹介を拝聴し、緊張が高まっております。リベラルアーツについて長年考えてこられた先輩方を前にお話しするのは、大変おこがましい思いもありますが、今日は東京大学で現在行われている取り組みや実情をご紹介し、それについて皆さまのご意見を伺えればと思っています。
話の内容は理論というより、むしろ実践に近いものになると思います。東大でも様々な試みがなされては消えていく中で、「いま、こういうことが起きている」という現場の声をお伝えしたいと思います。
その前に、簡単に自己紹介をさせてください。
私は札幌生まれで、1985年に北海道大学に入学しました。当時はバブル期の真っ只中で、学生はあまり勉強しない時代だったと記憶しています。私も例に漏れず、真面目な学生ではありませんでした。
家庭はクリスチャンで、メノナイト派という宗派の教会に通っていました。幼い頃から10代にかけては、教会と家庭を中心に育ちました。メノナイト派はアメリカにいくつか大学を持っており、その一つに「ゴーシェン・カレッジ」があります。実はこの大学と国際基督教大学(ICU)には深い縁があります。ICUが1949年に設立された際、その創設にメノナイト派も関わっていました。1960年代には、カール・クライダー先生がICUで教鞭を執っており、その後ゴーシェン・カレッジに戻って学長を務められました。
父も1965年にICUの大学院を卒業しており、その後ゴーシェンに留学しました。私がふらふらしていた頃、家族から「お前は悔い改めよ」と送り込まれたのがこの大学です。ゴーシェン・カレッジはインディアナ州の小さな町にある典型的なリベラルアーツカレッジで、学生数は800人ほど。当時はそのうち330人ほどがメジャー(専攻)を持っていたと記憶しています。
最初は半年から1年の留学予定でしたが、日本の国立大学は当時、留学した先で取得した単位をほとんど認めておらず、卒業が6年がかりになる計算でした。とはいえ向こうでの生活が楽しかったこともあり、私はそのまま北大を中退してゴーシェンに編入し、1989年に卒業しました。
この小さな大学には世界中から学生が来ており、私は留学生クラブに参加して非常に楽しい時間を過ごしました。中央アメリカ、アフリカ、ネパール、インド、そしてパレスチナからの学生とも出会いました。札幌では想像もしなかったような話を、授業以外の場面でたくさん学ぶことができ、視野が一気に広がった経験でした。
授業の質も高く、いまだに日本の大学教育に対して批判的な気持ちが拭いきれない理由の一つです。ゴーシェンでは、教員は「研究者」ではなく「教育者」であるというアイデンティティを強く持っており、週に3回の授業があるのが普通でした。90分講義1回で試験1回という、日本のスタイルとは大きく異なります。毎回レポートを提出し、返却されたレポートには真っ赤なコメントがびっしり。厳しい指摘もありましたが、先生方は非常に熱心で丁寧に指導してくださいました。
この経験が、私のその後のキャリアの原点になったと思っています。
当時の専攻は英米文学でしたが、あまりにも大変だったため、アメリカ研究に関心を移し、バージニア州のウィリアムズバーグにある「ウィリアム・アンド・メアリー大学」に進学しました。ここはアメリカで2番目に古い大学で、南部では最古の大学でもあります。
その後、ビザの関係で日本に帰国せざるを得なくなりました。当時は国籍による制限もあり、ポスドクなどのポジションも日本のパスポートでは困難だったためです。仕事を探していたところ、偶然北大で公募があり応募したところ、なぜか採用されました。結果として、北大を中退して北大に戻るという形になりました。
その後、1998年に東京大学の教養学部(駒場)に来ないかという話をいただきました。当時は東大や教養学部、総合文化研究科がどのようなところかもわかりませんでしたが、「東大に呼ばれたから行ってみよう」という軽い気持ちで移った、という経緯があります
実際に東京大学に来てみて、驚いたことがたくさんありました。東京大学というと、誰もが知る日本最高峰の大学ですが、実は採用において「公募」があまり行われていないのです。これは外部から見ると意外かもしれません。
駒場キャンパスに来た当初は、教養学部の構造や役割、さらには「総合文化研究科」がどんなところなのかもよく分かっていませんでした。そんな中でも、教えることに一生懸命取り組み、また、自分自身の研究も少しずつ続けてきました。
私自身がリベラルアーツの考え方に深く共鳴するようになったのは、やはりアメリカの小さなリベラルアーツ・カレッジでの経験が大きかったと思います。あの環境で、世界中から集まった学生たちと学び合い、先生方から丁寧な教育を受ける中で、「学ぶことの楽しさ」「考えることの自由さ」「対話を通して世界を理解する」ということを実感しました。
その後、大学教育の場に身を置きながら、こうしたリベラルアーツの精神を日本でもどう根づかせていけるかを考えるようになりました。東京大学でも様々な取り組みが試みられ、成功したものもあれば、残念ながら消えていったものもあります。
今日は、そうした東京大学での具体的な実践事例をいくつかご紹介し、それをもとに皆さまと意見交換ができればと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
英語プログラムとの関わり
2008年、文部科学省が「グローバル30」という大規模な留学生受け入れ政策を打ち出しました。これは、日本の大学がもっと留学生を受け入れるべきだという発想に基づく政策で、国費留学生を含め、2020年までに30万人の留学生を受け入れるという目標が掲げられました。しかし、日本語だけで行われる既存の学部教育では、海外から学生を集めるのは難しい。そのため、「英語だけで学位が取れるプログラム」を学部段階から整備する必要が出てきました。
この政策のもと、東大を含む全国の13大学が英語による学部プログラムを立ち上げることになり、東大では私がその担当に任命されました。2009年、学部長室に呼ばれ、「君がやってくれ」と言われたのです。なぜ私だったのかというと、私自身が海外の大学を卒業しており、学位を英語で取得していたからでしょう。とはいえ、英語で学部教育を行うというのは、当時の東大にとって非常に挑戦的な試みであり、学内でも十分に理解されていませんでした。
グローバル化のきっかけとPEAKプログラム
2008年に文部科学省が「グローバル30(G30)」というプログラムを立ち上げました。これは、日本の大学が国際化を進め、特に海外からの留学生を増やすための施策でした。その中で、「英語だけで卒業できる学士課程をつくること」が大きな目標として掲げられていました。
その取り組みに東大も参加することになり、当時、アメリカ研究などで国際的な活動をしていた私が学部長室に呼ばれ、「これをやってほしい」と言われたのです。当時、東大の教員のほとんどが東大出身で、海外の学士課程を経験した教員はほとんどいませんでした。私だけが、学士課程を海外で修了していたという事情もあり、私に白羽の矢が立ったのだと思います。
こうして、英語による学士課程プログラム「PEAK(Programs
in English at Komaba)」の立ち上げを担当することになりました。私は専門が教育学ではなく、日米の文化史や文化交流ですが、カリキュラムの設計や学生支援体制の構築など、手探りで進めていきました。そして2012年、PEAKが正式にスタートしました。
この経験から、私はそれまでの「英語教育・アメリカ研究」の専門家という枠を超えて、大学の「国際化」を担当するようになっていきます。
国際化関連の役職と活動
その後、東大の総合教養学部に新たに設立された「国際交流センター」のセンター長となり、さらに大学本部に新設された「グローバルキャンパス推進本部」の副本部長にも任命されました。
さらに、藤井総長の時代に、国際担当副学長の林香織先生の下で、国際教育と国際研究のさらなる強化が求められ、私は副学長として「グローバル教育センター」の設立を任されました。これは、学部や研究科の枠を超えて、全学的に国際教育を推進するための新しい組織です。
このセンターでは、すべての学生を対象にした留学支援や、海外からの留学生受け入れ、英語による授業の拡充など、多岐にわたるプロジェクトを展開しています。
東京大学では、1・2年生は全員「教養学部」に所属し、駒場キャンパスで学びます。これが「前期課程」です。その後、3年生になるタイミングで、学生は成績に基づいて希望する専門学部に進学します。文系は法学部、文学部、経済学部など、理系は理学部、工学部、医学部などに分かれます。
特徴的なのは、「文転(理系→文系)」「理転(文系→理系)」が可能であることです。一定の成績と必修科目の単位を満たせば、例えば理系で入学した学生が法学部へ、文系で入学した学生が医学部へ進学することも理論上は可能です。これは他の大学ではなかなか見られない大きな特徴で、「だから東大を選んだ」という学生も多くいます。
ただし、自由度が高い反面、課題もあります。1・2年生の間に履修しなければならない必修科目が非常に多く、文系で56単位、理系で64単位以上の修得が求められます。そのうち、英語や第2外国語、体育、少年ゼミ(少人数ゼミ)などが必修で、学生が自由に選べる科目の幅は意外と狭いのです。
東大の学生文化と点数主義
もう一つの特徴として、学生の間に「点数主義」の文化が強く根付いていることがあります。東大の学生たちは非常によく勉強します。その理由の一つは、成績によって進学できる学部が決まるためです。学生たちは「どの授業で何点取れるか」をとても気にし、「しけプリ(試験対策用プリント)」をクラス内で共有し合うなど、助け合いながら効率よく単位を取ろうとします。
このように、知識を深める「教養教育」と、点数による選抜という「競争的評価」が共存していることが、東大の教育のジレンマでもあります。
グローバル教育センターの設立と活動
このような東大の教育制度のなかで、「グローバル教育センター」は、すべての学部を横断する形で設立されました。なぜなら、東大には学部間の「縦割り構造」が強く、例えば工学部の学生は文学部の授業が取れない、教室も部局ごとに管理されていて自由に使えない、などの問題があったからです。
さらに、学部によっては留学制度が整っていない場合もあり、留学のチャンスが偏っていました。そこで、センターでは学生の所属に関係なく、誰もが国際教育を受けられる仕組みを作りました。
取り組みの一つとして、交換留学協定校を北米・ヨーロッパ以外にも広げ、東南アジアやアフリカ、南アジアの大学とも連携しています。加えて、海外からの学生を受け入れるための英語による授業提供も重要な柱です。
グローバル教養科目(Global
Liberal Arts Courses)の新設
特に大きな成果の一つが、「グローバル教養科目」の創設です。これは3・4年生向けの全学横断型英語授業で、SDGs(持続可能な開発目標)をテーマにしています。これにより、英語で学びたい学生や、海外から来た留学生も、専門に進んだ後でも英語で授業を受けることができます。
この授業は、英語母語の教員25人が週に6コマは1・2年生向けの英語授業を担当しつつ、1コマだけをこのグローバル教養科目として担当しています。年間で約80の授業が開講されています。
今後の展望
今後も、学生が世界とつながるための教育機会を広げていくことが目標です。講演も一方向的なスタイルではなく、海外のリーダーと学生が近い距離で議論できるような場も用意しています。たとえば、最近はChatGPTを開発したOpenAIのトップを迎え、学生40人ほどとの対話セッションも行いました。
東京大学の国際教育は、まだまだ課題も多いですが、こうした新しい取り組みを通じて、変化を少しずつ進めています。
- 東大のメリット(具体的に)
① 1・2年生の「教養教育」が充実している
• 全員が駒場キャンパスで学ぶため、学部に関係なく幅広い科目を学べる。
• 文系の学生も理系科目(数学・物理など)を、理系の学生も人文・社会系(哲学、政治学など)を学ぶことが奨励されている。
• 少人数制の「初年次ゼミ(少年ゼミ)」では、教員と密なやりとりができる。
② 文転・理転が可能(学際的な進学制度)
• 入学時の文理にとらわれず、
進級時に進学先を変更できる柔軟な制度。
• 例)文系で入学して医学部に進学する/理系で入学して法学部に進学する。
• 自分の興味の変化や将来の目標に応じて、学部を選び直せる。
③ 学生の学力・モチベーションが非常に高い
• 成績で進学先が決まるため、1・2年生が非常によく勉強する。
• 学生同士がノートを共有しあう「しけプリ文化」など、学習面での協力体制が強い。
④ 多様な言語教育が受けられる
• 英語に加え、**第二外国語(初修・既修)**として、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、中国語、韓国語、イタリア語などから選べる。
• 多言語に触れることで、異文化理解や論理的思考力が養われる。
⑤ 国際化の取り組みが強化されている
• 英語による学士課程プログラム(PEAK)や、全学横断型の「グローバル教養科目」が提供されている。
• 留学制度が拡充されており、北米・欧州以外の地域(東南アジア、南アジア、アフリカなど)とも提携。
• 海外からの学生向けの英語サマースクールなど、国際的な交流の場も充実。
- 東大のデメリット(具体的に)
① 必修科目が多く、履修の自由度が低い
• 文系で56単位、理系で64単位が2年間で必修されており、選択科目の余地が少ない。
• ほとんどの時間割が必修で埋まってしまい、学生が興味に基づいて自由に科目を選びにくい。
② 「点数主義」の文化が強く残っている
• 成績(点数)で進学先が決まるため、学生は常に高得点を狙って競争する。
• 自分が「優」でも、「何点の優だったか(80点か88点か)」を気にする学生が多い。
• 試験対策ノート(しけプリ)を中心とした「点取り」志向が、知的探究を妨げることもある。
③ 授業の多くが大規模・一方向型になりがち
• 教員数が限られているため、500人規模の大教室での講義も多い。
• 対話型・少人数教育が難しい科目も多く、教員との距離が遠くなりがち。
④ 縦割り構造の壁が厚い(学部間の連携が弱い)
• 学部ごとに教室・カリキュラム・留学制度などが分かれており、他学部の授業を受けづらい。
• 工学部の学生は文学部の授業を取りにくく、逆もまた然り。
• 留学先の数やサポートも、学部によって大きく差がある。
⑤ 3・4年生になると英語での授業が極端に減る
• 前期課程では語学教育が充実しているが、後期課程では日本語のみの授業が中心。
• 留学生でも、卒業まで一度も英語で専門科目を学ばずに終わってしまうことがある。
• 海外からの学生にとっては魅力が薄れ、受け入れ体制として不十分。
- 補足:その他の課題
• 学年カレンダーや授業時間なども学部ごとに違い、学内での横断的な学びがしづらい。
• 留学したいと思っても、自分の所属学部に提携先がないとチャンスが得られない。
• 体育・語学などが必修のため、専門分野に集中したい学生にとっては負担感もある。
- 総括
東京大学は、優秀な学生が集まり、教養教育や国際化の取り組みが先進的であるというメリットがある一方で、縦割り組織・必修主義・点数偏重といった制度上の課題を抱えています。
現在はグローバル教育センターなどを通じて、それらの課題に対応しようという努力が続けられており、東大も今、大きく変わりつつある段階だと言えます。
PEAKの創設とその理念
そうした中で、2012年に立ち上げたのが**PEAK(Programs
in English at Komaba)**です。これは、東京大学の中でも駒場キャンパスで行われる、英語による学部課程です。主に世界中の優秀な学生を対象とし、授業はすべて英語で行われます。PEAKには、「国際日本研究」や「国際環境学」などのコースがあり、東大の強みを生かしながら、英語での高等教育を提供しています。
このプログラムの立ち上げを通じて、私は大学における国際教育や多文化共生の重要性を深く実感しました。そしてその後、「国際教育の人」としての役割が定着していくことになります。
グローバル教育センターの設立
そして、2023年4月には、全学的な新組織として**「グローバル教育センター(Center
for Global Education)」**を創設しました。このセンターは、これまで学部ごとに分断されていた国際教育の取り組みを横断的に支援する組織で、すべての学部の学生が国際的な学びにアクセスできるようにすることを目指しています。
さらに、日本人学生の海外派遣にも力を入れています。現在、東大生のうち、何らかの形で海外に行く学生は1割以下。しかも多くがアメリカや西ヨーロッパに偏っており、アジアやアフリカとの交流は少ないのが実情です。
これを変えるために、1週間〜2週間の短期研修から、半年・1年の交換留学まで、さまざまなプログラムを用意しています。また、教職員の交流も推進し、アジア諸国の大学と新たな提携を進めています。
グローバル教養科目の展開
英語のスキルアップだけでなく、国際的な視野を育むことを目的としており、テーマも国際関係、メディア、文化、環境など多岐にわたります。SDGsと関連づけることで、幅広い教員の参加を促しています。現在では、年間80クラスほどが開講されており、これからさらに拡充する予定です。
東京大学の課題:縦割り構造と流動性の欠如
東京大学は非常に縦割り意識の強い組織です。学部ごとに制度もカリキュラムも異なり、他学部の授業を受けるのも簡単ではありません。学期の始まりの時期すら学部ごとに異なります。こうした構造が、学生の流動性や多様な学びの機会を阻害しています。
たとえば、教育学部の学生は非常に忙しく、また海外に出るプログラムの情報にもアクセスしづらいため、留学経験を持つ学生が極めて少ないという実態があります。学部によっては、1人も留学していない年もあるほどです。
そのため、グローバル教育センターでは、学部横断的な支援体制を整え、すべての学生が等しく海外経験を持てるようにしています。留学生についても、特定の学部に所属させずに、どの学部の授業でも履修できるような柔軟な仕組みを整備しました。
東大生の学習文化:協同主義と点数主義
最後に、東京大学の学生文化について少し触れておきます。東大の学生は非常に真面目で、勉強熱心です。しかしその背景には、点数主義や正解主義が根強く残っています。
たとえば、試験対策として、クラスで「試験対策委員」がノートをまとめ、みんなで共有するという文化があります。これは一種の協同主義的な学びであり、教員にとってはありがたい側面もありますが、反面、自発的な学びや、未知のものに挑戦する姿勢を弱めてしまう可能性もあります。
私たちは、こうした文化を理解した上で、より自由で創造的な学びの機会を提供することが必要だと考えています。




















