21世紀は科学技術をはじめとするあらゆる分野で分化と専門化が進みます。しかし、細分化し過ぎた知識・技術と組織が想定外の事態を生み出し、悲惨な結果をもたらしたことを我々は経験しました。また、政治の分野では異なる主義・主張が乱立し、結果として国民の課題が解決されないことを目撃しております。今、形成されつつある地球社会についても同様のことがいえます。
これからの日本および地球社会に必要な人材は、広い視野と柔軟な思考を有し相反する利害と要求をまとめ上げ、最適解を導き出すリーダー役であり、大学におけるリベラルアーツ教育こそがその要請に応えるものであると、私達は主張します。
・設立趣意書
・第2期活動目標
・会 則
・会員一覧
・講演者・講演録一覧
講演者・講演録一覧
講演者・講演録・シンポジウム一覧(開催日の新しい順)
西尾 隆 元・国際基督教大学教養学部長
古希を迎えたICUとリベラルアーツ教育 (2024.10.12)
山田 渚月 Wellesley College 1年
リベラルアーツカレッジ進学の動機と Wellesley College への期待 (2024.7.14)
郭 洋春 立教大学前総長
立教大学とリベラルアーツ (2024.4.13)
工藤尚悟 国際教養大学・准教授
リベラルアーツと私:なるべく自由に考えるために (2024.1.13)
石橋 晶 文部科学省 生涯学習推進課課長
生涯学習とリベラルアーツ (2023.11.11)
山口 光 元・共同通信社国際局長
リベラルアーツとジャーナリズム (2023.09.30)
有馬利男 グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン代表理事
デジタル・トランスフォーメーションとリスキリングの先に見えるもの (2023.7.10)
森本あんり 東京女子大学学長
今求められるリベラルアーツ教育とは (2023.3.22)
岩切正一郎 国際基督教大学学長
ICUのリベラルアーツとウクライナ戦争 (2022.11.30)
日比谷潤子 国際基督教大学学長
ICUのリベラルアーツ教育 (2019.07.02)
神蔵孝之氏 松下政経塾副理事長 及び イマジニア(株)会長兼CEO
逆境の克服とリーダーの胆力~「経営マインド」と「パブリックマインド」の必要性 (2018.11.19)
鈴木典比古 国際教養大学学長
リベラルアーツの歴史と系譜 ~日本ではどう根付いているか~ (2018.10.30)
川島重成氏 ICU名誉教授(ギリシャ古典担当)
S. Poskanzer教授 (米国カールトン大学学長)
「カールトン大学に於けるリベラルアーツ教育」(2018.03.07)
榊原節子氏 (フィナンシャル・アドバイザー & ライフスタイル・アドバイザー)
「今後求められるマルチ人間とリベラルアーツ」(2017.09.15)
吉川元偉氏 (元特命全権大使[国連、スペイン、OECD])
「私の外交官人生とICU」(2017.03.07)
野村彰男氏 (元朝日新聞社政治部記者)
「リベラルアーツとジャーナリスト教育」(2017.02.10)
伊東健氏 (日本アスペン研究所常務理事)
「アスペン研究所とアスペンセミナーについて」(2016.10.03)
小林亮介氏(HLAB代表理事)
講演抄録(2016.05.23)
中村一郎氏(ICU高校校長)
「ICU高校の営みー多様性と言葉の獲得をめぐって」(2016.02.16)
横田洋三氏(ICU1964年卒(国際法専攻))
「私とICU」(2015.04.03)
高橋一生氏(「リベラルアーツ21の会」代表)
「Vocationとリベラルアーツ」(2015.03.28)
シンポジウム
「リベラルアーツの強みとは何か」(2015.01.17)
大口邦雄氏(元国際基督教大学学長)
リベラル・アーツとは何か(2014.09.30)
毛利勝彦氏(ICUアドミッションズ・センター長)
リベラルアーツが大学入試を変える(2014.05.22)
上野景文氏(杏林大学外国語学部客員教授;元バチカン大使)
「教養学科生の時代を振り返って」(2014.04.25)
三浦耕太氏(欧州分子生物学研究所(EMBL)主任研究員)
「若手研究者にとってのリベラルアーツ教育の意義」(2014.2.25)
北山禎介氏(三井住友銀行会長)
「将来世代の育成に向けて中等教育・大学への期待」(2013.12.11)
Prof. J. W. Cason(ミドルベリー カレッジ教授)
「21世紀のリベラルアーツ教育の諸課題と展望(英文)」(2013.10.12)
野村彰男氏(元朝日新聞アメリカ総局長・論説副主幹)
「ICUとわが記者人生」(2013.6.29)
木庭 顕氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
「日本の法曹教育におけるリベラルアーツの意義」(2013.4.22)
長尾眞文氏(東京大学特任教授)
「リベラルアーツ教育からリベラルアーツ・プロフェッショナルへ」(2012.12.15)
池上清子氏(日本大学大学院教授)
「私にとってのリベラルアーツ」(2012.11.13)
有馬利男氏(元富士ゼロックス社長)
「私にとってのICU」(2012.9.29)
西尾 隆氏(国際基督教大学教養学部長)
「ディレンマの中のリベラルアーツ」(2012.7.10)
古稀を迎えたICUとリベラルアーツ教育 ~神律的教育に向けて~ 西尾 隆 国際基督教大学名誉教授
古稀を迎えたICUとリベラルアーツ教育
~神律的教育に向けて~
プロフィール
1978年国際基督教大学(ICU)社
以後ICUで行政学・地方自治論などを教え、
この間、プリンストン大、
研究テーマは行政・官僚制の歴史、
著書に『公務員制』、『
リベラルアーツ教育とキリスト教
さて、今日はICUの70年の歴史を振り返りつつ、ICUのリベラルアーツ教育がどんなふうに変化というか進化し、その際キリスト教がどう関係してきたのかという点にフォーカスを当てたいと思います。70年の歩みから見ると、22期というのは前半の若い時期だったなと思いますし、昭和が終わる1989年頃が折り返し点で、今日の話でもその辺りに一つの区切りがついています。
まず、ICU生にクリスチャンが多いわけではありません。クリスチャン・レコメンディーの入試枠により在校生で何とか約1割を保っており、この割合に大きな変化はありません。ファカルティーは基本的にクリスチャンですが、語学の教員、私の指導教授も含め東大退官組の教授にはノンクリスチャンが含まれ、職員も多くはノンクリスチャンです。しかし、誰もがすぐ思い浮かべると私が思うのは、「神と人とに奉仕する人材の育成」という創立以来変わらぬICUの理念です。
現在のICUのホームページでは、「使命・沿革」の冒頭に次の言葉があります。
国際基督教大学は、基督教の精神に基づき、自由にして敬虔なる学風を樹立し、国際的社会人としての教養をもって、神と人とに奉仕する有為の人材を養成し、恒久平和の確立に資することを目的としています。
本学は、国際的協力により設置された大学として、その名に示される通り、国際性への使命(I)、 キリスト教への使命(C)および学問への使命(U)の3つを掲げ、目的の実現に努めています。 |
では、ICUのこの理念は歴史的にどう展開してきたのでしょうか。リベラルアーツとキリスト教は言葉も別、理念も別ですけれども、それらはどう撚り合わさったものなのか。キリスト教という土台の上に西欧文明があると考えると、その上に形成されるリベラルアーツなのか。あるいは今年刊行された、ICU伝道献身者の会編集による『われら主の僕』という本の副題が「リベラルアーツの森で育まれたキリスト教」となっているように、本学卒の伝道者にとって、リベラルアーツ教育を土台に信仰が育まれたという考え方もなり立つでしょう。そして、キリスト教が何かを言い当てるのは難しいのですが、私は聖霊の働きととらえて、人々がHoly Spiritに導かれ、つき動かされて、ICUのリベラルアーツ教育を進化させてきたのではないかと思っています。
【リベラルアーツの要素】
しかし、その前に、リベラルアーツとは何かというのも大きな問いですね。その代表的な要素を列挙すると、少なくとも以下の項目があると思います。
・「アーツ」と「サイエンス」、文・理の融合、古くは「自由七科」の考え方
・遅い専攻選択(later
specialization)、専門職業(professional)教育の基礎
・批判的思考(critical
thinking)
・対話の重視、少人数教育
・人格教育、全人教育、ドイツ的教養(Bildung)主義
・一般教育(人文・社会・自然科学、学際的トピック)の重視
まず、アートとは何か。2008年の教学改革で、ICUの学部・学科名が「教養学部アーツ・サイエンス学科」となりました。アーツはサイエンスと対比的にというか、異なる概念として並んでいますが、一体その中身は何なのか。芸術という意味もあり、政治の文脈で言うと、社会を統合するためのレトリックや技術、寛容さを保障する制度のようなものですね。紛争を回避しつつ平和的に多様な意見を調整し、方針を決めていく技法はサイエンスとは言えませんが、選挙や議会を含めて立派なアートだと思います。
次に、カリキュラム上では、教学改革によりlater specializationが徹底されました。また、思考の柱となるクリティカル・シンキングには対話が不可欠で、対話を重視すると少人数教育が前提となり、教室のサイズや自由に動かせるタブレット椅子も重要な道具になります。現代はアウトカムが重視される時代ですが、思考と議論のプロセスの重要性は不変でしょう。知識がどんどん古くなっていっても、生涯学習者(lifelong learner)としてのアートを身につけて巣立っていけば、新しい知識の吸収は困難でないはずです。
プロフェッショナル・スクールとの関係では、リベラルアーツの基礎の上に専門職業教育が成り立つという意味で、両者の相互補完な関係が理解されています。戦前のドイツ的教養主義が人文的な知を重視したこととの対比で言えば、戦後のアメリカ的リベラルアーツは一般教育を重視し、そこでは自然科学も重要な柱になっています。
【NS、H、SSの三位一体と大学の個性】
興味深いのは、故古屋安雄牧師が言っておられた、NS、H、SSは三位一体だという説明です。NS(自然科学)は天地の創造主である神のつくられた世界の理解、H(人文科学)は人間イエスの生涯と神の言葉である聖書の理解、SS(社会科学)は、イエスの復活後に降臨した聖霊の働きによって教会が作られ、ミッションスクールや大学など社会の制度が形成される歴史の理解であり、これらの知の総合が大切だというわけです。
また、村上陽一郎先生は一般教育には個性が出ると指摘されています。先端的な大学院で行われている研究や教育は、世界中どこで行ってもほぼ共通のテーマについてしのぎを削っていて、個性など関係ないと。しかし一般教育には多様なアプローチがあり、教員や大学の特色が出やすい。同様に、リベラルアーツ教育にも個性が出るのではないかと思うのです。ICUにはICU固有のリベラルアーツがあって、それは全くそれでいい。そしてその個性がどこから来るかというと、一つはキリスト教だと思いますし、もう一つはキャンパスが関係していると感じます。そして、「自由な学風」そのものが個性を育む原因となり、かつその結果だとも言えるでしょう。
【ボランティアとサービス】
初期の記録に、教職員と学生がシャベルをもってキャンパスで道路の補修をしたり、野外で大掃除をしている写真がありますね。私も「緑のボランティア」と称して、学生、教職員、市の職員、市民たちと竹を切ったり草を刈ったりという活動をやってきました。地方自治を教えてきたからかもしれませんが、三鷹という地域、大沢という土地柄も、皆さんが想像される以上にICUの教育の個性と深くかかわっていると考えています。9月に留学生が入ってきて、この三鷹でどう生き抜くかを習得するために一緒に商店街を回り、地域の諸団体と交流するプロジェクトがあります。卒業生で三鷹市職員の角間裕さんたちが運営している「Glocalみたか」というグループで、キャンパスで野菜を栽培したり、体験農園で芋掘りをしたり、子どもへの絵本の読み聞かせ活動を続けています。それに参加すると、ICUの地域へのコミットと、キリスト教の奉仕の精神を感じずにはいられません。
私の研究テーマである公務員制は英語でcivil serviceと言いますが、市民への奉仕という理念がその核にあります。自治体職員でも、官僚でも、国際公務員でも、サービスの精神がなければ地域も国も国際社会も問題解決が進みません。ところが最近、霞が関の若手官僚がどんどん辞め始め、東大法学部からもあまり行かなくなり、急速に魅力を失っているらしいのです。こんなことで日本は大丈夫かと不安になる話で、サービスを職業倫理とすべき公務員が霞が関という中枢から去っていくのは、危機感を覚える現象です。
この10月から私は、科学技術振興機構(JST)の孤立・孤独予防の研究プロジェクトに参加することになりましたが、このテーマも静かに進行している日本社会の深刻な課題です。官民を超え、世代を超えて、日本人のサービスやケアの心、隣人やコミュニティへの共感力が問われているのではと思っているところです。
戦後史の中のICUと教会
ここから、ICU 創立からしばらくの期間をふり返ることにします。
ICU創立の起点としては、敗戦が非常に大きかったと思います。このことに触れないICU の歴史はなく、言わば負の原点として、こうであってはならないという共通の関心の中心が戦前・戦中の日本だったように思います。なので、ICUの歩みというのは戦後民主主義、新憲法の制定、農地改革、財閥解体などと密接に関わっていたと考えられます。
【開戦・終戦の判断とクリスチャン学者】
戦前の学術には色々な問題がありましたが、1932年に日本学術振興会が設立され、1941年の出来事として、補助金の7割が工学系に重点的に配分されることになりました。これを国防国家体制と呼んでいますけれど、しかしより高い地点から、この戦争には勝てないとか、日米開戦などあり得ないとか、そういう正常な判断ができなかったというのは、ものすごく大きな反省点ではないでしょうか。
始めてしまった戦争はなかなか止められず、外からの働きかけはもっと難しい。負けが込んで戦争をやめにくくなっていた1945年、東京帝大法学部の南原繁、高木八尺、田中耕太郎という3人のクリスチャンの教授は天皇側近の木戸幸一に働きかけ、早期の終戦工作を試みました。
しかし、結局うまくいかず、原爆投下となるわけですが、仮に無条件降伏をしても国体が滅ぶとか、天皇が処刑されるとか、日本人が奴隷になるといったことはないだろうと3人は予測していたようです。また、ソ連に停戦の仲介を働きかけるのは適切ではないと、当時としては科学的と言いますか、客観的な判断を伝えていたようです。結局これも効果なく、ソ連の対日参戦を招きます。こうした最も重要な判断を下す知恵のようなものが、当時のクリスチャンの学者の中にありました。しかし、それが軽視されてきた状況をしっかりふり返っておくべきではないかと思います。
【ICUと戦後のリベラルアーツ】
さて、1953年にICU は3学科をもつ教養学部としてスタートします。先ほどの人文科学、社会科学、自然科学で、翌年に英語学科ができます(後に語学科に)。今日の皆さんは極めて国際的な方々ですけれど、語学教育はリベラルアーツの国際性を担い、語学科は今の言葉で言うと多文化共生という価値を担っていた学科だろうと思います。
東大を含め、戦後のリベラルアーツ教育は、中世の自由七科や戦前のドイツ的教養主義と何がどう違うのかという議論があります。私の指導教授の辻先生などはゲーテを愛読し、ドイツ文学を専攻しようと思ったほどの人文的な知識人で、その人格的深さに感化されましたが、ICUの一般教育が重視したのはそれとはやや異なります。むしろ、理系を含む多様な学問分野の統合に重点があり、これは私の解釈ですが、危機とか岐路とか、今の日本が直面している災害などの中でどう生きるかという知恵、いま何を優先すべきかという判断を総合的に行うための教育のあり方が、ICUのリベラルアーツではないかと思います。
【御殿場会議での構想とサービスの理念】
ところで、大学院の構成は1949年の御殿場会議で議論されており、教育学、行政学、社会事業(social
service)の3本の柱だったのですね。
このうち、ソーシャルサービスが実現しなかったのはなぜだろうと思ったのですが、お隣のルーテル学院大が社会福祉コースを作ったことで、そっちにお任せしようかという分業的な考え方があったとも聞きました。結局、ICUの大学院は教育学、行政学、その後に比較文化という形で整備されます。初期の構想の基礎には戦前への反省があり、教育の改革、官僚制と統治の改革、そしてサービスという価値を社会に浸透させようという建学の思想には、なるほどそうかという思いがします。
当時の日本では大学院大学が認可されなかったので、まず教養学部を設置し、大学院設置のために研究所を作ります。開学の53年にできたのが教育研究所と農村厚生研究所、後の社会科学研究所ですね。農村厚生研究所は三鷹市の研究とか、農村の権力構造とか、近郊のコミュニティに外国人研究者たちも分け入って、フォード財団の助成を受けて地域の実態調査をしていた時期がありました。大学と地域の関係の出発点と言えます。その後キリスト教文化研究所、アジア文化研究所、平和研究所ができ、徐々に幅が広がってきたわけです。しかし、小さなICUだけで研究は完結してないので、地域、日本、世界とのネットワークの中で研究をするという伝統ができてきたのではないかと思います。
【明日の大学の理念とキリスト教】
ICUはUniversity for Tomorrowと呼ばれ、常に次の可能性を構想してきたと思います。そのビジョンにはキリスト教的な基礎があり、ビジョンとの直接的な関係を示すことは難しいですが、専任教員のキリスト教条項、キリスト教概論の必修のほか、毎週のチャペルアワー、キリスト教週間(C-Week)、聖書研究会、修養会などがあげられます。
キリスト教といってもエキュメニカルな考え方に立ち、今の岩切正一郎学長も宗務部長代行のオルバーグ教授もカトリックですね。デノミネーションにこだわらない伝統があると思います。チャペルアワーは参加者こそあまり多くないかもしれませんが、毎週やっていて、行けば聖書朗読、讃美歌、メッセージとその後のお茶と会話があり、静かな瞑想も多忙な生活の中の貴重なひとときです。
私は学部1年生の夏休みに修養会に参加し、その時親しくお話した哲学の田中敦先生とは今も交流が続いています。聖書研究会にも参加し、そうすると定期的に集まって議論し、一緒に食事をすることがもう生活のリズムになり、自宅で月1回の読書会を開いていた時期があります。
どれも自由参加である点も大事だろうと思います。強制されたと思ったことは一度もなく、教会に行くのも、行事に参加するのも、常に好奇心か習慣からでしたね。
【実践活動とICU教会】
1953年4月13日、湯浅八郎学長は最初の入学式の式辞で次のように語っています。
ICUは基督教および、民主主義の立場から人間の価値判断を下します。人の宗教に価値があるか否かは、その人の日常、隣人との関係、何を人生の目的にしているかによって判断すべきだと信じます。ICUは3つの使命を重んじます。即ち教育と研究と社会への奉仕であります。・・・ICUは神と人とに仕えるために建てられた「明日の大学」であります。 |
このメッセージは、大学院にソーシャルサービスを立てようとしたことと関係していると思います。実際、ICU教会が関係するキリスト教系の施設は、多くの学生や教員にもサービスの機会を提供してきました。ボランティア先の例として、武蔵野市にある児童養護施設「のぞみの家」、英国セツルメントの伝統を受けつぐ墨田区にある福祉施設「興望館」、栃木県西那須野にある農村リーダーの研修所「アジア学院」などがあげられます。ICU教会が主催してきたタイ・ ワークキャンプは、今はインドネシアでやっており、私も両方に参加してそのインパクトの強さを実感しました。これらの課外活動に触れずに、ICUのリベラルアーツ教育を語ることはできないと思います。
21世紀のリベラルアーツ教育
さて、古稀を迎えたICUの折り返し点というべき平成に入ると、色々な変化がありますので、それをふり返っていきたいと思います。21世紀への助走としての1990年代、日本全体が改革の時代を迎えます。
【入試改革と定員増】
ICU での大きな変化として、89年に絹川正吉教養学部長のイニシアティブで入試改革が行われました。それまで2日間を使って行われていた一般入試が1日になった。今の学生に、昔は2日やっていたと言うとびっくりします。SSとNSの考査を選択制にすることで、1日でこれをやるようになった。ちょっとした変化かもしれませんが、これで受験生が急増します。近年の倍率は3倍強ですが、この頃は6000人ぐらいが一般入試を受験し、倍率も10数倍に達していました。特に91年設置の国際関係学科(IS)、高橋一生先生たちが支えてこられた学科ですね、その志願者が増え、SSを含め定員増が行なわれます。統計的には92年が日本の18歳人口のピークなのですね。進学率も上がっていたので、この時期は4月に500人強、9月に200人強が入学し、単純にいい時代だったという記憶があります。
【大学設置基準の大綱化とICU】
91年に大学設置基準の大綱化という一つの転機があり、規制緩和という言い方もされます。全国の大学で教養部の解体と改組が相次ぎ、学部の新設が急増します。それ以前の学部の名称は文学部とか法学部とか、69あったと言われ、決して少なくないと思うんですが、今や500あるそうです。キャリアデザイン学部、ヒューマンケア学部、ライフデザイン学部、マンガ学部など、雨後の竹の子のごとく規制緩和で新設が続きました。
実はこの動向はICUにも影響します。学部は教養学部のみで、国際関係学科こそ新設しましたが、ほかに何の改革もしないのかという圧力を行政部は感じたと思います。2005年頃にメジャー制度を議論していた時期、教会で献金のお祈りの際に、「ICUは曲がり角にあります、どうぞ方向をお示しください」と祈りましたら、そのあと絹川学長が来られて、「君の祈りはちょっと問題だね。ICUはまっすぐ行けばいいんだよ。曲がり角なんかない」と言われ、苦笑したことがありました。
【サービス・ラーニングの提唱と定着】
学生数が増え、学費を上げても受験生の減少にはつながらない時期で、内発的に新しいアイデアを実現しようという機運がありました。「21世紀フォーラム」という会議体からの提案で、サービス・ラーニングというプログラムが導入されます。この言葉は97年頃から使われ始めたと思いますが、既存の国際インターンシップなどを発展させて99年に公式のカリキュラムになります。ICUのモットーも、リベラルアーツとは言ってきたのですが、「行動するリベラルアーツ」(Doing
liberal arts)という表現を使うようになりました。新しい社会と世界の形成に積極的に貢献する人材の育成、といった意味です。オープンキャンパスなどで、サービス・ラーニングがある大学だから受験を考えているという高校生も出てきました。
2000年に入門コースを開講し、国際サービス・ラーニングとコミュニティ・サービス・ラーニング、これは三鷹市インターンシップや興望館でのボランティアなど、大学や教会が関係する機関や施設にお世話になりました。2002年にサービス・ラーニング・センターが設置され、私も2回ディレクターを担いました。1回目の2005年、文科省の助成に応募して採択され、2006年からサービス・ラーニング・モデルプログラムを3回に分けて、フィリピンのシリマン大学、インドのレディドーク・カレッジ、アフリカのマラウィで展開しました。
アジアのキリスト教系大学とのネットワークはすでにありましたが、これを機に新たにできたものもあります。フィリピン、インド、台湾、中国、香港、インドネシアなどに学生を送るようになり、恒常的に学生と教員の交流が深まったと思います。
【アクティブラーニングとの違い】
それより少し遅れて、2012年頃から文科省が「アクティブラーニング」(能動的学修)を提唱し始めます。よく似ていますが、私なりに違いを要約しますと、アクティブラーニングは体験学習を包括した概念で、座学を脱し、とにかく何か活動を加味すればいいってことなのですね。例えばグループ・ディスカッションなど、ICU では空気のように毎日やっていますが、何か新しい試みであるかのように学生たちに議論させるわけです。アクティブラーニングには、必ずしもサービスの要素はないように思いました。
【メジャー制度の導入】
さて、2008年の教学改革は、メジャー制度の導入という画期的な変革を伴っていたので注目され、色んなところで語られてきました。私はその設計には批判的だったのですが、2009年に教養学部長に選ばれたことから、ジレンマを感じつつ、他方で多くの学びもありました。制度設計は行政学でも重要性を増しており、純粋に原理の問題というより、さまざまな価値や要素をバランスさせる「アート」の問題だと痛感しました。
まず、6つの学科は廃止ではなく、3つ程度に再編して残した方がよかったと思います。国際教養学科(H)、国際関係学科(SS)、理学科(NS)として学科を残した上で、31のメジャーを配分すればいいわけです。学科のレベルで定員を設定しないと、理系の学生の確保が困難になり、教員間の卒論学生数のバランスがとりにくくなります。
また、メジャーを決めるのは3年生なので、1~2年次にじっくり広く学ぶのはよいことですが、学生の中には経済とか生物とか方向が固まっていて、早い段階から専門を深めたい場合もあるでしょう。広さと深さのバランスは人にも分野にもよりますし、大学院との関係もあり、そうした多様なニーズを考慮して制度を検討すべきだったと思います。
鈴木典比古学長は大胆な改革を急いでおられましたが、そこには改革への圧力というか、目新しい変革を求める時代の空気があったように感じます。対話が不十分だったことと同時に、忍び寄る大学の「他律化」も感じました。
【IDメジャーと学際コース】
教学改革により、平和研究、環境研究、ジェンダー研究、あるいは地域研究としての、アメリカ、アジア、日本研究などのID(学際)メジャーができたのも大きな変化です。こうした動向はICUの特色を出しやすい反面、環境を除いて固有の専任教員がいないことが課題と言えば課題でした。例えばジェンダー研究は社会学、人類学、文学などの教員がいわば本務のメジャーから出張して教えることになり、どうしても手薄になりがちで、財政問題とも関係して解決は簡単ではありません。
そうした中で、学際的な一般教育科目を新設する試みもありました。私もかかわったのは、「『災後』の人間・社会・文化」というコースです。3.11の東日本大震災後の社会の変化に注目し、人類学の加藤恵津子教授と社会学の山口富子教授が異なる分野からの知見を総合する意図で提案されました。実は思ったより難産で、特定イシューにフォーカスした一般教育科目が理解を得るためには、リベラルアーツとの接点を探る必要があり、テキストも刊行されました。開講までに時間がかかった分、生と死、リスクと安全、安全とコスト、コストと合意など、現代社会の普遍的なテーマを「災後」とリンクさせるよい契機となったように思います。
開講時には地震・津波・原発事故が主な対象でしたが、その後の自然災害やコロナ禍の影響も加わり、「災後」の意味内容は年々更新されています。毎年ゲストとして村上陽一郎先生が科学史や安全学の視点から講義をされ、担当教員にとっても常にチャレンジングなコースになっています。
近年の大学改革とICUの他律化?
以上が90年代から21世紀初頭にかけて変化ですが、その後の大学改革の中で、ICU が他律化していなければよいが、というのが正直な懸念です。一見したところ規制緩和のようでありながら、文科省の舵取りによって「上からの改革」が抗しがたい力で進みつつあります。背景には少子化と財政問題があり、その改革は一言で「選択と集中」と要約されることが多いですね。大学院の重点化や、評価の制度化も密接に関係しています。
緊張感を欠いているように見える大学人を競争の中に投げ入れ、評価し、ランクづけを通して刺激し、産業界に貢献できる研究成果と学生の輩出が期待されるようになりました。しかし、他大学の友人と話す限り、こうした改革が研究意欲の向上になった形跡はなく、書類作成への徒労感のみ残ることに印象づけられます。
【評価業務と新自由主義の傾向】
まず、評価業務が増え、それが半ば自己目的化してきたように見えます。2004年にスタートする認証評価制度によって第三者評価を受けた時は、500頁におよぶ書類の作成でひと夏の多くの時間が費やされたりしました。やる限りはこの機会に何かを改善したいと思いましたが、作業量が多いととにかく出す、出せばいいみたいな空気が行政部にも生まれます。役所でもそうですが、評価のために目標や計画の策定が求められ、そのサイクルが回り出すと評価疲れというか、何のためにやっているのかわからなくなる。
何かを見直すために評価を使うとか、プログラムが拡大している時に一部のスクラップのための道具にするとか、点検は一つのチャンスだという目的意識が大切です。しかし役所に続いて、マーケットメカニズムが働きにくい大学にもそれが上から入ってきたわけですね。この新自由主義的な市場重視と言いますか、競争原理の考えが導入され、例えばTHEなどの大学ランキングがどんどん身近なものになってきました。幸いICUの教育への評価はきわめて高いので、悪い気はしません。しかし一方で、18歳人口が減り、2023年には111万人と92年からほぼ半減です。私立大学は景気の低迷もあって財政的に厳しく、国も財政難なので、この環境が大学からゆとりを奪っています。
【大学はもう疲れ果てている?】
状況は国公立大学も同じで、いま東大の学費値上げが話題になっていますね。任期付きのポストが増え、ICUも若い教員を任期付きで採用することが多く、身分保障が弱くなっていると感じます。ただ、これは議論があるところで、緊張感を持って研究と教育にも力を注ぐという側面もありますが、逆に不安に満ちて形だけの成果を出す、論文を本数だけ書くという風なこともあるだろうと思います。教員は総じてこの動きに賛成していません。
東大の吉見俊哉教授は、「大学はもう疲れ果てている」と言います。笑い事みたいですが、本当に研究や教育以外に、無数の委員会や管理業務や評価に加え、競争的資金獲得に向けての申請書の作文から報告書の執筆まで、大変な作業があります。
ICUの置かれている状況を見ると、以前はユニークなリベラルアーツ教育を自律的に進めてきたものの、キャンパスの土地売却で得た基金という財政基盤が弱くなったという背景もあるように思います。
【ICUの他律化?】
国からの補助金も、経常費分がどんどん減っています。その一方で競争的資金は増えるので、科研費についても教育プログラムに関しても、新規のアイデアを申請し続ける必要があります。強制ではないのですが、他律的にプログラムが形成されていく状況が生まれ、大学がそれによって評価される傾向が強まりました。
それから、ICUにはライバル校も増えました。国際教養学部を設置した早稲田や上智、秋田の国際教養大なども注目され、一般入試の受験生が減る。先駆的取り組みだったものもICU固有の特徴でなくなる。加えて大学院の規模が小さいと、特定分野の専任教員が少ないため、競争力はどうしても落ちますね。
大学院では21世紀に入ってJICAの奨学金によるJDSプログラムを導入しますが、あれはもう政府の補助金だという意見があります。補助金もらうことで、大学院の性格はかなり修正され、研究者育成からアジアの実務家育成にシフトしました。いい悪いの話は別として、大学院が他律的に軌道修正を受けたということです。
【大学の自治の危機】
ところで、2015年ころから「文系学部廃止」という動きが出てきます。これは文科省が明確な方針として打ち出したわけではなく、実践的で国際競争力に直結するような研究を重視しようとして、大学組織の見直しを通知したことによっています。その裏返しとして、成果の上がってない教員養成系や人文系を見直す動きについて、メディアが強い言葉で報道したようです。しかしこの動きには、大学の自治への脅威を感じます。
ICUには直接関係ないのですが、防衛施設庁が安全保障技術研究について、大学に対して研究助成を始めました。戦前の国防国家体制を連想させる話で、技術における民生と軍事の区別は難しいところですが、安全保障に結びつく研究の申請が増え、25件ほど採択されています。これについて法政大学の田中優子総長(当時)が、「学問の自由を守る」立場から当分の間応募を認めないと声明を出していて、一つの見識だと思いました。
ICUでも、仮に理系の教員が民生分野に使われる技術だからいいだろうと、基礎的な学力養成や、基本的な価値観の教育とは別に、こうした研究助成に応募するなら、リベラルアーツ教育はすごく混乱するだろうと危機感をもってしまいます。
大学全体が、文科省から、また少子化や財政問題を背景に競争原理から、さらにアジアの安全保障環境の変化などから、他律化の圧力にさらされていると感じます。ICUはこれまでかなり自律的にその時代を生きてきたと思うのですが、社会のニーズとか時代の要請にできるだけ応答しようとしているように見えます。大学も社会の課題に対応すべきだとすれば、仕方ないのかなと思ったりすることもあり、改めてジレンマを感じるところです。
おわりに~神律的教育に向けて
さて、レジュメに「神律的教育」という言葉を使ったので、これについて説明しておきます。「神律」(theonomy)とは、「自律」(autonomy)と、「他律」(heteronomy)に対する言葉で、神学者のパウル・ティリヒは次のように述べています。
「神律」とは、外から支配される「他律」の誤りと、精神的に枯渇する自己充足的な「自律」の危険を避けつつ、それぞれの真理契機を総合できる文化類型である。 |
理解は容易ではないですね。外から支配される「他律」の問題点は、これまでに話してきたことですが、「自律」にも自己充足の危険があるという指摘にはハッとさせられます。古屋先生はティリヒを参照しつつ、「神律は、外からの法の押しつけも、深みを欠いた自己充足的な法も拒否し、究極的な関心のゆえに自分の内面から自発的におこなおうとする自律である」と説明しておられます。
【他律の危険と自律の危険】
学問の自由と大学の自治を味わった研究者にとって、他律が危険であるというのは直感的にわかります。同時に、自律化を志向することにも精神的な枯渇や独善に陥る危険があることを教えてくれる言葉が、この「神律」ではないかと思います。
小さいことですが、授業日数の確保について最近は文科省のチェックが入っています。月曜は祝日が多く、かなりの祝日の月曜が開講日となり、小さなお子さんのいる女性教員は保育がないので困ると聞きました。また試験期間が授業日数に数えられているため、非常勤講師の先生方に試験監督に来てもらう必要があり、負担感となっているようです。海外出張などの際もTAの代講は認められず、補講が増えて科目間の日程調整が困難になります。
競争の激化に加え、こうした官僚制的な規制が増え続け、大学の他律化の弊害は深刻です。とはいえ、そうしないと教育の「質保証」ができないほど、一部に問題のある大学や怠け者の教員がいることも否定できません。自律には外からのチェックも必要なのでしょう。
【神律のテスト】
では、自発性を欠いた他律でも、独善性の危険をもつ自律でもない「神律」とはどう確認できるのでしょうか。これをテストする指標の一つは、外部のより大きな権威に従う用意があるかかどうか、一種の従順さ、謙虚さではないかと思うのです。官僚制的ルールと比べ、真理はより高次の権威です。究極的な関心からの、超越性への謙虚さがあれば、他律とは異なって対話が生まれ、建設的な批判があり、例外を認める条件についても、世俗の権力に対する懐疑があるか否かでテストされるのではないかと思います。「文科省がこう言っていると言えば皆が黙る」という文化などは論外ですね。
サービスについても、自発的な契機があるかどうかが重要です。負担は大きくても行動への促しがあり、聖霊につき動かされて、困難にもかかわらず実践したいと思うかどうかではないかと思います。
さらに「評価」への姿勢についても、評価に怯えたり、高い評価を求めたりすることは現代人の行動規範にさえなっています。人間の下す評価に左右され過ぎないことが肝要ですが、時には根源的な批判を含む場合があると考えた方がいいでしょう。受験生の減少についても、ICUは常に最高の選抜をやっていると考えるべきでないと思います。他方、低い評価に直面した時などは、神との対話の中で、ICU はそれでいいんだよという声が聞こえれば、それもいいのではないかと思います。
【いくつかの提案】
最後に、神律的教育の具体的な論点として、いくつかの提案をしたいと思います。役に立つことが求められる産業界や経済界の価値とは異なる、新しい評価軸を創造し育てることも大切です。最初に被団協のことに触れましたが、地道な運動をずっと続けてきて今回の受賞となったわけですね。正しいと思うことを訴え続ける意志。チャペルアワーや聖書研究会、あるいは大学と地域との関係づくりなどは、メディアも誰も全く注目しなくても、もう一つの評価軸としてICUが育てていく必要があると思います。
他方で、ICUのユニークさと個性は日本では貴重なものだと思っていますが、唯我独尊にならないことも大事ですね。例えば一般入試のあり方は、何度も改革を重ねてきて、実は変な入試になっているかもしれない。私の教え子から聞いたことですが、息子さんはICUを素晴らしい大学だと思っているけれども受験せず、その理由はICUの入試だと準備が他大学の役に立たず、あまりにリスクが大きいからだというのです。そういう高校生の声はもっと聞いた方がいいと思います。
メジャーについても提案があります。一度ICU祭で、31あるメジャーにもう一つ加えるなら何かを議論するイベントがありました。私も呼ばれたので「三鷹学」を提唱しましたが、もちろんこれは遊びです。しかし、ICUの教員はみな疲れきっていて、新しいメジャーをつくる余裕などないと考えているように見えますが、決してそうじゃないですね。何かをスクラップしてでも、文科省にやれと言われなくても、明日の大学にはこれが必要だという声を、学生からぜひ上げてほしいと思います。
私自身は、福祉だと思うのです。創立時のソーシャルサービスは実現しませんでしたが、社会の切実なニーズがあり、認知症や孤独対策などは未知の研究分野でもあり、専門職業としても学際的研究としても、ICUのリベラルアーツが貢献できる分野ではないでしょうか。ケアやサービスの面で、イノベーションの可能性は大きいと思います。
最後に、ICUは多文化共生への道を歩んできましたが、気になるのは社会人入学が減ったことです。どの大学と比べても割合として少なく、これは見直した方がいいと思います。後期高齢者の学生がいてもいいではないですか。具体的にできることは色々あるのではないかなと思いつつ、いくつか提案させていただいた次第です。
長くなりましたが、ご清聴ありがとうございました。
参考文献
・ICU伝道献身者の会編『われら主の僕―リベラルアーツの森で育まれ』新教出版社、2024
・大口邦雄『リベラル・アーツとは何か―その歴史的系譜』さんこう社、2014
・国際基督教大学同窓会編『卒業生のICU40年』ICU同窓会、1992
・武田清子『未来をきり拓く大学―国際基督教大学五十年の理念と軌跡』国際基督教大学出版局、2000
・P. ティリッヒ著、古屋安雄訳「プロテスタント時代」『現代キリスト教思想叢書8
ティリッヒ、二―バー』白水社、1974
・西尾隆「ICU のサービス・ラーニングと地域社会―互恵的な関係性とその課題」『ICUのサービス・ラーニング―20年の軌跡と今後の展望』ICU S-Lセンター、2022
・古屋安雄『大学の神学-明日の大学をめざして』ヨルダン社、1993
・吉田文『大学と教養教育―戦後日本における模索』岩波書店、2013
・吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』集英社新書、2016
・ 同 『大学は何処へ―未来への設計』岩波新書、2021
アメリカのリベラルアーツカレッジへの進学を選択した日本の高校卒業生との対話
テーマ1:「リベラルアーツカレッジ進学の動機と Wellesley College への期待」
主題提供者: 山田渚月(やまだ・なつ)さん
東京学芸大学附属高校卒、米国 Wellesley
College へ進学
テーマ2:「リベラルアーツ教育とキャリア」
主題提供者: 秋月弘子(あきづき・ひろこ)さん
ICU卒、ICU 大学院博士課程修了、亜細亜大学国際関係学部教授
国連女性差別撤廃委員会委員
―――
司会者: 長尾眞文「本日の会合の趣旨説明」
私はグルー・バンクラフト基金という公益財団で、日本の高校卒業生をアメリカのリベラルアーツ大学に送る奨学金の代表理事をしています。これまでに200人以上の卒業生を輩出し、毎年約10人が新たに留学しています。
私は若い人たちと接する中でリベラルアーツについて話す機会が多いのですが、リベラルアーツ21の会との接点がなかなかありませんでした。そこで、若い人たちの話を聞く機会を設けるべきだと思い、今年の夏にアメリカへ進学する11人のうち、山田渚月(やまだ なつ)さんに話を伺うことにしました。今日は秋月弘子先生にも参加していただき、山田さんと秋月さんの対話を通じて、少人数で議論を深めたいと思います。山田さんのお母さんにもゲストとして参加していただきます。
テーマは「リベラルアーツ教育とキャリア」です。まず、山田さんからリベラルアーツ教育に関心を持った理由、アメリカでリベラルアーツ大学に進学する決意に至った経緯、ICUでの学び、そしてウェルズリー大学への期待と展望について15分間話してもらいます。その後、ICUを卒業しリベラルアーツ教育を受けた秋月さんのキャリアについて15分間お話いただきます。その後、山田さんと秋月さんの質疑応答、さらに他の参加者も加わり、12時頃まで自由に議論を進めます。
では、山田さんの話を中心に進めたいと思います。山田さん、まずはお話をお願いします。
山田渚月さんの話
## 自己紹介と背景
山田渚月(やまだなつ)です。今日はお忙しい中、ありがとうございます。私は学芸大附属世田谷小学校から高校まで通いました。東京で生まれ育ち、父の仕事の都合で3歳から5歳までオーストラリアのシドニーに住んでいました。高校時代にはAFSで1年間交換留学をして、アメリカのワシントンDC郊外バージニア州スプリングフィールドに滞在しました。
## 両親と報道の仕事の影響
自己紹介をする前に、今日の話にあった共同通信の方のお話が印象に残りました。オリンピックやワールドカップに関する話があり、私の母とも重なる部分がありました。彼女は以前AP通信社東京支局で働いており、今夏オリンピックでは米NBC局の仕事でパリに行きます。
## 教育への関心
アメリカでの居心地の良さがきっかけで、教育に関心を持つようになりました。高橋さんの話を聞いて、戦争をどうにかしたいという思いもあり、ICUが平和のために作られたというお話に共感しました。しかし、リベラルアーツと現実の関係がまだよく分かっていない状態で、今日は先輩方のお話を聞ける立場に感謝しています。
## 高校留学と大学進学の動機
日本の大学に進学するつもりでしたが、高校留学を決めたのは母の言葉がきっかけでした。また、コロナ禍で広い世界を見たいという思いも強くなりました。高校留学ではアメリカでの1年間が非常に楽しく、自分に素直に向き合える環境がありました。そこで、大学もアメリカで自分と向き合いたいと思うようになりました。
## リベラルアーツとの出会い
アメリカの大学について調べるうちに、リベラルアーツに魅力を感じました。具体的な研究テーマがまだ決まっていないため、幅広い学問に触れることができるリベラルアーツの環境が自分に合っていると思いました。経済的に裕福ではないため、グルーバンクロフトの奨学金制度があることも大きな要因でした。
## ウェルズリー大学を選んだ理由
女子大学を選んだ理由は、父の同僚の話がきっかけです。彼女が女子大を卒業した女性たちは強くてかっこいいと話してくれたことで、私もそうなりたいと思いました。ウェルズリー大学は自分が正直になれて、やりたいことに集中できる環境だと感じました。
## メンタルヘルスへの関心
現在最も関心があるのはメンタルヘルスです。日本で心理学を学ぶとカウンセリングや臨床に限られがちですが、アメリカではもっと科学的に学べると感じています。期待もたくさんあります。
## リベラルアーツの意義と不安
リベラルアーツを学ぶことで、自分のやりたいことが定まるかどうか不安もあります。しかし、リベラルアーツの教育が現実世界でどのように通用するのか、自分のキャリアにどう生かせるのかを考えています。リベラルアーツの本来の目的とその価値を見つけることが重要だと感じています。
秋月弘子さんの話
秋月でございます。本日は光栄なお話をいただきましてありがとうございます。 私からは3点についてお話ししたいと思います。
自己紹介と経歴
私の歴史は意外と高橋先生に近く、高校の時から外交官を目指していました。第一希望は某国立大学の法学部でしたが、家の近くにあるICU(国際基督教大学)を母から勧められ受験し、合格しました。大学2年の時に国連職員を目指そうと決め、先輩方の助言で大学院へ進学し、実務経験を積むために外資系の銀行で働きました。その後、インドネシアで開発援助に従事し、現在は国連の女性差別撤廃委員会の委員を務めています。
##国連女性差別撤廃委員会の仕事
女性差別撤廃条約には189の国が加盟しており、各国が4年に1回報告書を提出します。委員会はその報告書に対して質問をし、対面で審査を行います。私は1年に3回、3週間ずつジュネーブで行われる審査に参加しています。この仕事を通じて、世界中の女性の権利に関する問題に取り組んでおり、非常にやりがいがあります。
Wellesley
Collegeと女性のリーダーシップ
山田さんがWellesley Collegeに行かれることを伺い、そのミッションが女性のリーダーシップを教育することだと知り感銘を受けました。私たちの女性差別撤廃委員会も女性が社会の変革の原動力になることを主張しています。現在、女性差別撤廃条約の解釈を時代に合わせて更新するための作業を行っており、特に女性の意思決定レベルへの平等かつ効果的な参画を重視しています。国際機関の色々な調査報告によりますと、和平交渉、和平合意に女性が入ったケースの方が、入らないケースよりも和平が3割程度長く続くそうです。男性はやっぱり和平交渉でも権力闘争をするわけですね。 あるいは、武器をどうするかという話をするそうですけれども、女性は自分と子供たちが明日生きるために必要なことを話し始めるので、平和が長く続くそうです。ですので、山田さんがいらっしゃるWellesley Collegeが、 社会を変革する女性のリーダーシップを教育、リベラルアーツの中で教育されるっていうのは、今本当にタイムリーで素晴らしい大学に行かれるなということで、私も応援したいです。
リベラルアーツ教育とキャリア
私の経験から、リベラルアーツ教育が個人の能力を開花させ、多様性や変化に対応する力を育てることを実感しています。ICUでの教育は私の人生を大きく変え、国連でのキャリアを築く基礎となりました。現在の社会では女性のリーダーシップがますます重要であり、リベラルアーツ教育がその育成に寄与することを強調したいです。
山田さんへのメッセージとして、女性としてリーダーシップを学ぶことの重要性をお伝えしたいです。特に女子大での学びが、女性のリーダーシップや技術系の勉強に役立つと考えています。リベラルアーツ教育が個人の能力を開花させ、社会に変革をもたらす力となることを信じています。ありがとうございました。
山田・秋月の対話
山田から秋月への質問
ICUで学んだことや身につけられたことがいろいろあったとおっしゃっていたんですけど、それは実際どういう場面で役立ったなって思われるのか。あるいは、それだけじゃない何かもあったのか。もしくは、リベラルアーツの環境では足りなかった何かがあったのか、現場に出てから感じられたことは何でしょうか?
秋月からの回答
なかなか鋭い質問ですね。1番身に着けた対応力は、本当に基本的なコミュニケーション能力です。英語で話すということですが、最初は全然話せなかった。典型的な日本人学生で、英語は聞き取れるけど話せないという状況でした。
##世界には違う見方がある
それから、1年の3学期に卒論を英語で書く前提で短い論文を書いた時、「第一次世界大戦の開戦原因」について書いたんですが、日本語の本しか読まなかったので、アメリカ人の先生に「一方的な見方だ」と指摘されました。自分の考えを述べたら「それは日本の見方だろう」と言われ、世界にはもっと違う見方があると教えられました。これが初めてで、ショックでした。やっぱり日本の教育は、その意味で閉ざされている部分があると感じました。
##自分が選んだことが未来の自分に影響
また、生活そのものも違い、先生や友達とコミュニケーションを取ることで、海外に行っても大丈夫な度胸が大学で身についたと思います。ただ、ICUを出た方がみんな国際的に活躍されているわけではないので、私は国際法を学び、国際的に活躍されている先生やゼミの仲間、先輩に恵まれたことが大きかったと思います。自分が選んだことが未来の自分に影響するという意識を持つことが大切です。
##聞く力が大事
あなたが自己紹介された際に、1人1人に関連したコメントや質問をされていたのが印象的でした。聞く力が高いなと思いました。もし英語が母語でないことで不安があるとしても、全然問題ありません。私でも留学せずに国連職員になれたので、あなたも十分能力があります。
女子大についての不安
**山田:** 女子大に行く上での不安がありまして。女子大は特殊な環境で、社会に出て男性と一緒に何かを作り上げる過程で必要な能力を身につけられるのかという点が心配です。
**秋月:** それは大丈夫だと思います。私は女子校に行ったことがないですが、娘が高校まで女子校で、彼女曰く「女子校の方が厳しい」と言っていました。社会に出ても全く大丈夫だと思います。先週、国分寺市で委員会の話をした時に、多分津田の学生さんだと思いますけれども、この時代に、女子大の存続意義がやっぱり学生もわからないって質問があったんですね。でも、私は、もし私が女子大の学長だったら、今女子大であることを活用して、今の女性に必要なリーダーシップとか、技術系の勉強とか、今の女性が勉強しなきゃいけないことをもっとやるけどと、言ったんですけれど、山田さんはすごくいい場所にいらっしゃるなって思います。そして、この女性のリーダーシップとか能力を開花するって、実は
日本人の我々だけの問題ではありません。私がこれまでに120カ国近く審査した結果、世界中の多くの女性が、人権の権利の主体にもなってない女性がいるわけですよね。つまり、お父さんとか旦那さんの所有物であって、所有の客体でしかない。
仕事に就くにも、住むところを変えるにも、パスポートを取るにも、全部男性の許可がなきゃいけない。
もう全くリーダーシップ以前の話で、能力すら与えられてない、持っていても使える可能性がない。そういう国が沢山ある中で、やっぱりそのリーダーシップとかリベラルアーツでその能力を開花させて新しい道を示すっていうのが、
日本の女性だけでなく世界中の女性に必要なことだと思っています。これからますますリベラルアーツは、その能力を開花する、リベラライズする という意味で非常に重要な学問分野じゃないかなと思っているところです。
留学への志向
**秋月:** 娘には絶対に留学させたくて、5年の時にサバティカルを取ってアメリカで1年過ごしました。彼女は楽しんでいましたが、アメリカの大学に留学するかと思ったら「アメリカはもういい」と言われました。インドネシアに半年、日本語を教えに行く日本語パートナーズというのに行ったんですけれど、ちょっとその感覚が、
将来を考えると、英語圏に行って1年以上勉強した方がいいと思うのですが、ちょっと驚きでしたけど、最近の若い方はどういう志向性があるのでしょうか?留学数も減っています。
**山田:** 留学したいと言っている友達は多いですが、本当に行きたいのかどうかは違うかもしれません。英語を身につけるためだけでなく、他にも学びたいことや環境がある人が多いと思います。留学生が少ないのはもったいないですね。
山田秋月対話終わり
母親の話
水川京子さん(山田渚月さんの母)
私はAFSの出身なんですね。36期生なんですけれども、高校1年でアメリカに岡山から行きました。自分が外に出ることで、普段は絶対にできないことが留学では叶うわけですよね。だから、それが、その自己確認をする 1つの場所はを外から見るっていうのがありました。留学できたことが、結局、娘の渚月にも、もうぜひ行きなさいっていうことができたっていうのは、もう本当、あの感じの気持ちですよね。でもやっぱり高校 1年生の時に渚月がAFS留学試験を受けるに際し、周りは大学受験の話をし始めて、やっぱり意識して、(山口さんの)お父様のように東大行けないんじゃないのっていうね。でも私が彼女に言ったのは、その大学受験はあったら便利な切符を手に入れることになるけれども、
人生においては副次的なことだよと。若い時に世界を見ない損失は大きいっていう。でもまあ、あなたが決めることだから、 でも、私は行ってこういう自分の世界を開いたし、あなたに行って欲しいと思うけども、絶対に自分で決めていかないと苦しみには耐えられないから、
自分で決めてと言って、で、結局行くことになった。そして、帰ってきて、また大学もアメリカに行くという道を開いたわけです。
ここからは出席されていた会員の方々に「自身のキャリアとリベラルアーツ教育」について語って頂きました。
長尾眞文さん
私は、グルーバンクロフトという公益財団の 理事をやっていますが、その理由は、私自身がその基金の奨学金もらって、1960年代にアメリカに留学、カールトンカレッジっていう大学で非常にいい経験をさせていただいた。2008年から5年間、ICUで、ちょうど高橋さんが
やめられるので、教える科目も引き継いで、開発学入門みたいな、授業をやりました。で、この5年間で本当にICUに教えられたっていうか、どういう風に大学で教えなきゃいけないかっていうのを、本当にICUの同業の人から教わって、
いいことしたなというか。その後、あちこちの大学で教えていますが、今は自分の1番大事な作業としては、 南アフリカにプレトリア大学という大学、アフリカーンス系の大学なんですけど、そこにフューチャーアフリカという研究所ができまして、キャンパス全体がアフリカの将来を考える、
それを南アフリカだけではなくて全アフリカ的に考えるっていう研究をしてきてるんですけど、そこの先生方とも 20年ぐらい前から一緒になっているんですけど、アフリカの将来を考えるのにアジア抜きには考えられないっていうか、いわゆる欧米以外を考えないとアフリカの未来は作れないという、そういう主張をしてきました。
アジアとアフリカのこの交流というか、これは知的な交流であり、人的交流であり、いろんな交流なんですけど、それをやっています。
山口光さん:
私はICU の11期生で、国際法と国際関係論を専攻していました。アカデミズムとジャーナリズムのどちらを選ぶか悩んだ時期があり、外交官になりたいとも思っていました。しかし、勉強を重ねるうちに、日本の外交官だけでなく、他にも多くの道があり、もっと広い世界を見たいという思いが芽生えました。
その頃、外務省からICUに教えに来ていた有馬龍夫先生に相談したところ、「外務省にはいろいろな役割があるが、必ずしも外務省にこだわらず、アカデミックなジャーナリストも良い選択だ」とアドバイスを受けました。自分の目で世界を歩き、その経験を伝えることは重要な仕事だと教えられました。また、国際法の山本草二先生のゼミでも多くのことを学びました。
ICUでの多くの出会いを経て、最終的には共同通信に就職し、国際ジャーナリストを目指すことに決めました。共同通信では、海外部、政治部、外信部の記者として活動し、長い間勤めました。1970年代にはベトナム戦争の取材でサイゴン陥落直前に入り、その後バンコクで2年間過ごしました。1980年代にはニューヨーク支局で国連取材や米国の政治、社会動向などの取材を約3年半行い、1990年代前半にはジュネーブ支局でGATTやUNHCRなどの国際機関の取材や欧州での外交交渉の取材などを約4年間行いました。このような取材活動ができたのもICUでのリベラルアーツ教育の中で培ったものがあったからだと思っています
その後、共同通信から出向して長野オリンピック組織委員会のメディア責任者やスポークスマンとして2年間活動し、その縁でFIFAのワールドカップ組織委員会の広報報道局長も務めました。この経験を通じてスポーツビジネスにも関わりました。その後共同通信の国際局長を務め、フォーリンプレスセンターの評議員としての活動も昨年まで行っていました。
高橋一生さん
この会の世話役をやらせていただいております髙橋一生と申します。
専門は地球公共財論です。大学(ICU)の2年の時の国際法の講義における教授の話が胸に響き、この分野を私の課題と受け止めました。個々の国家の国益の国際的な担い手は外交官。多数の国益の間に折り合いをつけると国際公益が形成される。その公益の担い手が国際公務員(国連やOECDなどの職員)。この公益がやがて地球公共財として展開されるようになります。わたしはこの分野の担い手とこの分野の諸課題の研究者の二足の草鞋を履くと決心をしました。それ以来60年以上それを続けています。大学での教育の大きな影響力をつくづく感じます。今の時代は、これから数十年続く世界大での文明の転換期のとば口です。この時代には幅の広い教養、自分で徹底して考える力、一生学び続ける習慣、これらが個々人のウェルビーイングを決定します。これらの資質はまさにリベラルアーツによって寛容されるものです。このような課題を文明の転換期との関係で深めていくことがこの会のミッションです。
三好正夫さん
1965年にICUの自然科学科を卒業してIBMというコンピューターの会社に勤めまして、留学した経験はないんですけども、駐在した
海外、フランスとアメリカに駐在した経験があります。駐在して思ったのは、非常に、なんていうか、日本にいるよりもなんか居心地がいいんですよね、いろんな意味で自由だとか
個人を尊重してもらえるとかいうことで。やはりその違いというのは教育の違いだろうと いう風に思いまして、今、主にブログの運営を 通じて、間接的に日本でのリベラルアーツ教育の
思想と言いますか、そういうところを広める手伝いをできたらいいなと思っております。
以上で本日の会合は終了しました。
立教大学とリベラルアーツ 立教大学前総長 郭洋春 (2024年4月13日)
当記事に挿入されているスライドで文字が小さく判読が難しい場合にはクリックすると拡大画面が表示されます。
私の専門は経済学で、 今高橋さんがおっしゃったように、理論的な分野は開発経済学という分野で、途上国の経済開発、貧困問題や様々な問題をいかに克服するかという、 開発経済学というのは実は第2次世界大戦法後で生まれた分野で、我々も比較的新しい学問分野でして、そこで、 エリアスタディとしてはアジア、特に東アジアや東南アジアを中心に行っているわけですけれども、実はこの開発経済学というのは、私が言わせると非常にというか、あえて、ここだから言いますけれども、犯罪的な学問で、というのは、経済開発をすればするほど、矛盾が大きくなる、要するに世界の格差がどんどんこう広がってしまうようなことをずっと90年代まで 行ってきたということで、もちろんそういうつもりではないんですけれども、結果として先進国の豊かさと途上国の貧しさが、非常に広がってしまうような政策をどんどん理論的には作っていくということです。それを変えなければいけないんじゃないかということで、 私はあえて平和という言葉を使って、平和経済学というものを作れないかなというようなことを考えております。
ですから、当時、どこの大学さんも一般教育があって専門学部があってということがありましたけれども、そういう2階建てではなくて、実はそれをブリッジしていくものが実は教養なんだと、 こういうようなものが本学が考えるリベラルアーツであります。
しかし、この一般教育をそれだけ重視した結果、若干課題も露呈してきまして、その1つがの一般教育というのは、当時も今もそうかもしれませんけれども、人文科学、社会科学、自然科学というこの3分野を基本的に教えるというのが多分、昔の一般教育の流れだったと思うんですけれども。その専門学部とは切り離して独自の自立した組織としたものですから、それが、その学習過程の中で、例えば経済学とうまく結びつかず、一般教育は一般教育で、勝手に授業をやって、経済は経済の独自の体系だということで、その繋がりが非常に悪くなってしまったんですね。般教育部は自分たちなりの考え方で教えていますので、 別にその経済学部のために教えているわけじゃない ということなので、そこは意識的な結びつきがないので、学生からしてみるならば、一般教育は一般教育で学んで専門教育は専門学部で学んでいるという、そういう風な認識になってしまって、1、2年生は一般教育、3年生は専門教育という、立てつけになってしまったということなんですね。それともう1つ、その外国語教育、特に英語教育が学生のニーズや社会の要請に実は応えきれてなかった。当時のすなわち90年代の外国語教育っていうのは文法中心に、まずはリーディング、ちゃんと読むことが大事なんだということをやっていて、どうしても会話ですとかヒアリングっていうものになかなか行かない。ちゃんと読めないのに喋れないだろうと。我々経済学部も法学部もそうですけど、当時はやっぱり経済学の専門書を読ませたりとかですね、法学部の専門の英語を読ませたりということが多かったんです。そういった意味で言うと、学生からするならば、 中学・高校で教えてもらっている英語教育となんら変わらないというような状況が続いてしまったわけですね。
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要するに、これは 卒業要件単位の必修でもなければ、自由に登録して途中でやめても構わないということです。そういった意味で言うと誰でもが、メジャー、マイナーを取れますよと。しかも、それがちゃんといわゆる国際的なそういう技術も学びましたっていうことを言うために取ってもらいたいと。 実はこれ作った当初はですね、 あまり学生が申し込んでくれなかったんですね。海外プログラムがあるので全員がなかなか行けるわけではないっていうことで。ただ、興味を持ってくれた学生が、それでちょっとでも海外に行って、自分でするボランティアも大学が認定しますので、割とこうハードルは下げているというような状況であります。
英語圏の大学へ入学するのに必要な英語力とアカデミック・スキルを獲得するということを目的に授業を展開したわけですね。他のやつも大体そういう感じになっています。
最後はまとめということでありますけれども。立教大学は日本で最も古くからリベラルアーツ教育を実践してきた大学で、その立教大学のリベラルアーツの特徴は、 全学共通科目、通称「全カリ」と呼ばれるようなところにあります。 この全カリというのは、先ほどのファーストステージからサードステージまで3段階にわたって 、改革を繰り返してきたということであります。ただ、我々は、この教育を学生も教職員も常に全カリとこう言っているが故に、学生、社会からは立教大学がリベラルアーツ大学だという認知で言うと若干そこから乖離してしまったという、ちょっと、じくちたる思いが私にはあります。あと、先ほどの企画提案型の科目や多くの科目を意識した結果ですね、全カリ科目はものすごい数で展開されてるんですね。語学だけで1000科目以上。そうするとどういう問題が起きてるかっていうと、教室利用で、もうほとんど教室がないですよ。だから、2時限目、3時限目、4時限目はほぼ100パーセントのフル稼働で、1時限目は英語なんか必須なので、あえて配置してるのですがほとんど、もう教室が空いていないという状態になってしまっているのです。やはり特に教室の配当は、まず全カリから先に配置が決まって、専門学部は後からということになりますから、我々がこの時間帯で授業をやりたいって言った時は、すでに教室がありませんと言われていました。そのため今年度からどうなったかと言いますと、コロナの影響もあって、リモートワークというか、オンライン事業が始まりましたので、その特定の科目については、 1時限か5時限に設置するか、あとはオンライン授業でやってくれという形で規定されて。、私の科目も指定されたので今年は、5時限設置することになりました。去年までは、火曜日の3時限でやっていたのですが人が集まっちゃうからダメだというので、1か5時限にするか。リモートワークにしても、リモートワークだとちょっと教えにくいっていうのがあるので、5時限に置きますという形で、今、教室状況が非常に圧迫状態です。