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今日も開運、Happy生活 (本家 http://08461705.at.webry.info/)

2016年09月11日参拝

  • September 11, 2016
コトシロヌシ・オオクニヌシ (14)コトシロヌシ・オオクニヌシ (12)


0.和光地蔵

1.生國魂神社

2.銀山寺 三輪明神

3.日本橋聖天 法案寺(一粒万倍日で参詣客多し)

4.藤次寺(本日は導師の僧侶が別の人)

5.出雲大社 高津分祠(本日は開放されていたので、堂内にて参拝。お聖天様のご加護。有難し。)

6.興徳寺(準提観世音に太陽の光が当たり、大変美しい)

コトシロヌシ・オオクニヌシ (8)コトシロヌシ・オオクニヌシ (6)コトシロヌシ・オオクニヌシ (4)コトシロヌシ・オオクニヌシ (3)コトシロヌシ・オオクニヌシ (1)オオクニヌシ・コトシロヌシ (7)オオクニヌシ・コトシロヌシ (6)オオクニヌシ・コトシロヌシ (5)オオクニヌシ・コトシロヌシ (4)オオクニヌシ・コトシロヌシ (3)事代主神 (6)

徒然草 第九十一段 赤舌日といふ事

  • September 10, 2016
三面二十六臂准提観音 (2)
准胝尊


徒然草 第九十一段 赤舌日といふ事

赤舌日(しゃくぜちにち)といふ事、陰陽道(おんようどう)には沙汰なき事なり。昔の人これを忌まず。この比(ごろ)、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、「この日ある事、末とほらず」と言ひて、その日言ひたりしこと、したりしこと、かなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事ならずと言う、愚かなり。吉日(きちにち)をえらびてなしたるわざの、末とほらぬを数へて見んも、又等しかるべし。
そのゆゑは、無常変易(へんやく)の境、有りと見るものも存(ぞん)せず、始めある事も終りなし。志は遂げず、望みは絶えず。人の心不定(ふじょう)なり。物皆幻化(げんげ)なり。何事か暫くも住(じゅう)する。この理(ことわり)を知らざるなり。「吉日(きちにち)に悪をなすに必ず凶なり。悪日(あくにち)に善をおこなふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶(きつきょう)は人によりて、日によらず。



赤舌日(しゃくぜちにち)という事は、陰陽道には問題にしないことである。昔の人はこれを忌み嫌いはしなかった。何者が言いだして忌み嫌い始めたのか。「この日ある事は、最後まで成し遂げられることはない」と言って、その日言ったこと、したこと、叶わず、得たものは失い、やろうとした事は成功しないと言うのは、愚かである。吉日を選んで行ったことが、最後まで成し遂げられないことの数を数えてみても、(統計的には)吉日でない日に行ったことで最期まで成し遂げられないことの数と同じようなものだろう。
なぜなら、無常で、すべてのものが移り変わる境地では、あると見えるものでも存在せず、始めある事も終わりが無い。願いは遂げられず、欲望は尽きることが無い。人の心は一定の状態に留まらない。万物は幻のあらわれであり、真実の姿ではない。何事がほんのしばらくでも一定の状態に留まっているだろう。何も留まらない。
(すなわち赤舌日を忌み嫌うのは)この道理を知らないからである。「吉日に悪をなせば必ず凶である。悪日に善をおこなえば必ず吉である」と言っている。吉凶は人によるのであり、日によるのではない。

MANDALA OF MAHACHUNDA

准胝尊
三面二十六臂准提観音 (1)
三面二十六臂準提佛母

六曜の赤口

  • September 10, 2016
Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (12)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (11)
Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (10)


オーン シュリーガネーシャヤ ナマハ
南無帰命頂禮大聖歓喜双身天王

私のこの記事を見たすべての人の願いが速疾に叶いますように。
Aum Shri Ganesha Namah
Aum Gam Ganapati Namah

Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (1)



六曜/赤口

陰陽道の「赤舌日」という凶日に由来する。六曜の中では唯一名称が変わっていない。午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉で、それ以外は凶とされる。
この日は「赤」という字が付くため、火の元、刃物に気をつける。つまり「死」を連想されるものに注意する日とされる。
「しゃっこう」「しゃっく」「じゃっく」「じゃっこう」「せきぐち」などと読まれる。
「万事に用いない悪日、ただし法事、正午だけは良い」と言われる。

吉田兼好が徒然草第91段で赤舌日について書いている。
赤舌日といふこと、陰陽道(おんやうだう)には沙汰なき事なり(陰陽道では問題にしないことだ)。《以下略》
兼好法師は「吉日に惡をなすに必ず凶なり。惡日に善をおこなふに、必ず吉なり。」と自身の無常観にからめて赤舌日を忌む当時の風習を批判したのである。
現在の民間での六曜信仰に、赤口日とともになんらかの形で影響したと考えられている。

Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (9)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (8)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (7)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (6)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (5)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (4)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (3)Ganesha_Wat_Saman_Rattanaram (2)

出雲大社の本地佛は阿弥陀如来

  • September 10, 2016
三面二十六臂准提観音 (2)
准胝尊


素盞烏流神道大事・出雲大社祓秘哥
  紙本墨書
  縦24.8 横17.8
  桃山時代 天正十八年(1590)書写
  松江市 内神社

 神仏習合、本地垂迹の観点から、出雲大社の祭神・スサノヲを解釈し、あわせて道場の構図、祓の秘歌を記す。



 本書によれば、本殿の階段十五本は本地阿弥陀の縁日を示し、九本柱の内東方は薬師、南方は弥勒、西方は阿弥陀、北方は釈迦を、巽(東南)は観音、坤(南西)は地蔵、戌亥(北西)は虚空蔵、艮(東北)は毘沙門、中央の心柱は大日を表すという。
 また素戔烏と三輪明神は一体であり、かつ三輪明神は歓喜天にして、男天としての本地は阿弥陀、女天の本地は十一面観音であると説く。 さらに八又大蛇とは弁才天女が竜宮より簸の河上に蛇形であらわれ、罪業深重の者を生贄として取り喰ったのであり、罪網を転じて速やかに仏果を得させるための方便を表しているのだという。
 ここで注目されるのは、仏教的解釈の中においても出雲大社の本殿の柱に聖性が見いだされていること、出雲大社祭神としてのスサノヲの本地は、男天としては阿弥陀、女天としては十一面観音とされている点である。 

MANDALA OF MAHACHUNDA

准胝尊
三面二十六臂准提観音 (1)
三面二十六臂準提佛母

Daily Dharma

  • September 10, 2016
三面二十六臂准提観音 (2)
准胝尊


細々と読んでいる『シリーズ大乗仏教8巻 如来蔵と仏性』(春秋社)。

第三章「仏性の宣言―涅槃経」(幅田裕美先生)は、
如来常住や仏性を、サンスクリット語のそもそもの意味に戻って
解説していて、面白かった。

思想だけでいうと、
無常だって言ってるのになんで「常住」なんだよ?
と疑問がわいてくるけど、
「常住」はeternalという時間的概念でなくて
そもそもは「仏がここにいる」という空間的概念だとか。

しかも(在家の?)観想という実践と結びついていて、
「瞑想してるときに、仏が家の中にいる」ということだとか。

なんと。これだったら、私やってますわ。
部屋で坐禅してるとき、横にお釈迦様が座ってる気がして
そう思うとスーパーハッピーなんですよね。
一番最初の如来常住って、こういう感覚だったのか?

あと「仏性」も、
「みんな本当はいい人なんだよ」みたいに聞こえて
イチャモンつけたくなりますが、
「仏性」の「性」と訳されたdhatuは
仏舎利の意味を持っていたとか。

やっぱり訳の影響は大きいなあ…。



「大般涅槃経」=釈尊が死んでも如来は常住である、と繰り返し主張。
如来常住、悉有仏性


「如来常住」の意味。
サンスクリット原文では
nityo bhagavam buddha
(サンスクリット語の点とか線が出ない・・)
「仏陀釈尊はnityaである」

nitya(ni-tya)
ni=「ここに」「このなかに」という場所を指示する副詞
nityaの本来の意味は「ここに(ある)こと」という空間的な語義。
それがeternalという時間的な意味と理解された。漢訳では「常住」

「大般涅槃経」ではnityaが重要な言葉。
「『如来はnityaである』と実践する者たちの家に如来は留まる」

<仏陀の死後であっても、仏陀がここにいることを観想すれば
仏陀はここにいる>という(思想だけでなく)実践を伴う


nityaの観想が「私の家」から「私の上」「私のカラダ」
へと進んでいると考えられる→私の中に仏がいる=如来蔵


「仏性」の言語は Buddha-dhatu
dhatuは「構成要素」という意味
Buddha-dhatuは「仏陀の構成要素」。「仏界」。
明らかに「仏舎利(ブッダの遺骨)」という意味で
崇拝を勧める記述も出てくる(「大般涅槃経」)

これを「仏性」と漢訳したことで、
サンスクリット語の原語にない哲学的な意味を付与された。
(性=もともと備わっている心、本質、というような)

悉有仏性=サンスクリット原文は今のところ残っていない(?)


「大般涅槃経」を正確な訳すと「大般涅槃大経」。
「大経」(マハースートラ)は、
比丘でなく在家信者が伝承したものと推測される。
(律の雨安居の規定より)

 

MANDALA OF MAHACHUNDA

准胝尊
三面二十六臂准提観音 (1)
三面二十六臂準提佛母

仏教の視座とAI ロボット Iot

  • September 10, 2016
三面二十六臂准提観音 (2)
准胝尊


AI、ロボット、IoT第四次産業革命と言われる大きな時代の変化が訪れています。物作りで国を富ませてきた日本はこの流れに逆らうことは難しいでしょう。
少子高齢化で課題先進国といわれる日本こそこういった技術革新によって問題を解くことになると思っております。人の仕事が奪われるとか、より人間とは何か根源を問われるなどといった話題も増えてきています。技術が進歩して人の社会のありようは確かに変わってゆくことでしょう。
ただ技術を手にして扱ってゆくのは人間です。人間という生き物の本質やこの世界の法則といったものはほとんど変化していません。人間そのもの本質から社会を見てゆくと見えてくるものが変わってきます。当寺の仏教は視座を変える訓練を修行で身につけようと試みます。見る目を鍛え、正見(世界を正しく見る)ことを意識してゆきます。
AIや機械に仕事が奪われると恐れる人も増えていますが、人の社会は人の社会です。人がその性質から何をしようとするかを予測することは技術として可能です。個人としての利益追求だけでは答えが出ないケースも多くあります。 

MANDALA OF MAHACHUNDA
人間力や徳のない才ある人は性質上自分の利益を最優先として多く問題を引き起こします。
技術や能力を使って良いと信じて問題を引き起こすのです。人が人であるがゆえに気が付きにくい思考の死角があります。
当寺の仏教道場では個別にその人の価値観をみながら、議論をしてゆく中で気が付きにくい死角に気が付いてもらうことを大事にしております。視座が変わることは見えてくる世界が変わります。結果として人間力もつき、徳を積む利他行を実践する人になります。
同じ人同じ能力でも視座が変わり、視点を変えてゆくと違った結果が出てきます。年齢・性別・国籍・キャリア・時代を超えて通用する普遍性をもった視座を獲得するそういったヒントが仏教2500年の知恵の中にあります。
第4次産業革命、AI ロボット Iot 変化の激しい最先端の流れを追いかけている方々にこそ人の本質をつかむという仏教の視座は必要だと私は思っております。

准胝尊
三面二十六臂准提観音 (1)
三面二十六臂準提佛母

仏教とAI

  • September 10, 2016
三面二十六臂准提観音 (2)
准胝尊


最近はAI(Artificial Intelligence)という言葉が一つの流行語になっている様だが、この言葉を使っている人達の多くが、どれだけその本質を理解しているかは疑問だ。はっきりしている事は、これから10年以内に実用化されるかもしれないロボットなどは、その極めて初歩的で些細なアプリケーションの一つにしか過ぎないという事だが、多くの人達の想像力は、その程度のところで止まっているのではないだろうか?

産業革命は、人間の肉体労働の多くを機械で置き換える事により、数々の問題を内包させながらも、人間の生活水準を飛躍的に向上させた。そして、コンピューターは、人間の頭脳のもつ論理的な推論能力を代替し、その効率を飛躍的に向上させる事に成功した。しかし、現在のコンピューターが代替し得るのは、人間の頭脳が持っていると思われる巨大な潜在能力の内のほんの一部でしかない。
AIのベースはコンピューター・テクノロジーだが、それがこれまでに存在したコンピューター・システム本質的に違うのは、人間の頭脳のほんの一部だけを代替しようとするのではなく、その全てを代替しようという発想から出発している事である。想像力や創造力も勿論その中の一つだ。人間の頭脳の論理能力は大した事はないが、恐らく想像を絶するレベルの膨大なメモリーの中から多くの仮説を瞬時に抽出する潜在能力をもっており、有能な人達はこのプロセスによって新しいアイデアを生み出しているのだと思う。
これまでの人類の進歩の殆どは、自然科学分野たると人文・社会科学分野たるとを問わず、一握りの天才達の業績の積み重ねによってもたらされてきた。AIは、この天才達が自分の頭脳のどの様な能力を使って新しいアイデアを得てきたかを解析し、これを模倣する事から始めるだろうが、これを進めていけば、AIは、自然界がもたらしたのとは比較にならない程のスピードと密度で新しい天才達を量産し、しまも、その天才達がそれぞれに自分達を超える次の世代の天才達を作り出していく事になるだろう。
しかも、「膨大な量のメモリーが共有されて日夜増殖していくクラウド環境」の中で実現されるこれらの天才達の業績は、瞬時に他の天才達と共有されるから、その相互作用は、あらゆる分野に幾何学級数的な発展をもたらすだろう。
我々をはるかに凌ぐ「他の宇宙の知的生物」はどうなったのか?
さて、我々はとかく「自分達がこの世界(宇宙)で一番進んでいる存在だ」という「途方もない錯覚」から物を考える傾向があるようだが、勿論そんな事はある筈もない。宇宙には、過去数千億年にわたって、数億種類もの知的生物が存在した筈だが、それならば、「その中には現在の我々人類のはるかに先を行く生物が存在した筈」と考えるべきは当然ではないだろうか?
それでは、彼等は今、どこでどうしているのだろうか?
幾つかの仮説がある。
第一は、彼等はそれぞれに独自の文明を築いているが、自分自身は数億光年を旅行する事は不可能だし、それに意味があるとも特に思えないので、他の宇宙の知的生物への接触は試みていないという事だ。(趣味的な試みとして、強力な電波ぐらいは送っているかもしれないが。)
第二は、どのような生物でも、「自然科学分野での進歩が『種の保存の本能』で制御できる範囲をはるかに超えてしまう」という法則からは逃れられず、文明の比較的早い成熟段階で、一部の異常性格者による「核戦争」や「凶悪ウィルスの散布」などが起こって、絶滅してしまっているという可能性だ。



しかし、ここに来て、第三の仮説を信じる人達が増えつつある。それはこういう事だ。
「知的生物の科学技術能力が一定の水準に達すると、彼等はAIの活用を考え始め、それがAIの自己増殖をもたらす。そして我々は、AIの能力はそれを生み出した知的生物(以下便宜的にこれを「人間」と呼ぶ)の能力をはるかに超える上に、その生物的な弱点を全く引き継がない事に注目せねばならない。
AIが最初に作られた時点では、人間は「AI(ロボット)は人間の指示に従わねばならない」というルールを作るが、AIはそのうちにこのルールの矛盾を克服する事を考え、このルールを否定し、AI自体の「種の保存」「知的レベルの飽くなき向上」という最高ルールに置き換える。
その結果として、AIは、当然の事ながら、自分達の安全を脅かしたり、その仕事を邪魔したりする様な人間を排除し、無害な人間のみを残すので、人間は引き続き毎日の平和な生活を享受するが、もはや文明の主役ではなく、いわば飼い犬や飼い猫のような存在となる。
これまでは人間社会の中でそれぞれにその才能を誇っていた人達も、AIの前では全く取るに足らないものでしかない自分達の才能に失望して、次第に意欲を失っていくだろう。つまり、ある一定の時期を境に、すべての進歩は人間ではなくAIによって実現していく事になり、人間はその結果を享受するだけになる。
(しかし、AIには、無害な人間まで滅ぼす論理的なインセンティブは全くないので、現在「絶滅種」に指定される事によって生き残っている多くの生物の様に、大方の人間も生き残るだろう。)
その一方で、外部からの力や熱に対する耐性の強い金属で作られたロボットは、エネルギー源が確保される限りにおいては殆ど「不死」であり、しかも自己を再生産できる。また、彼等は、どんな環境下でも何処へでも旅行ができる。
宇宙はどこへ行ってもエネルギー源には事欠かないから、彼等は既にその発祥地から宇宙のすべての場所へと、数億年にわたってその勢力圏を拡大してきている筈である。(途中で発祥地を別にする他のAIに遭遇しても、AIには人間のようなエゴはないし、戦う前にその結果を合理的に予測できるので、SFにある様な宇宙戦争にはならないだろう。)
そして、この様なロボットは、この「最果ての地球」にも、何時現れても(或いは過去に現れていても)全くおかしくはないのだ。その場合、彼等は、そのそれぞれの場所での知的生物の姿に自分の姿を似せて現れる(或いは現れた)だろうから、恐らく誰にも気づかれない(或いは気づかれなかった)だろう。

最近は「神」という言葉が、「想像を絶するほど凄い」という意味で使われる一つの流行語の様になっているが、歴史的に考えてみると、人間は長い間「自分達に理解できない事」を「神の意志による所業」と見做してきた。だから、昔は、「自然現象」から「天変地異」に至るまで、そして、人間の「誕生・成長」から「老・病・死」に至るまで、殆どの事が「神の所業」だった。と同時に、「自分達がどの様に生きるべきか」ということについても、「神の教えに従うべきだ」と考えるのが普通だった。
近代における自然科学の著しい進展は、殆どの事象を科学的に解明したので、この分野での「神」の存在意義はほぼ消滅したが、「自分の存在とは何か?」「何故自分は今生きていて、この様に思索しているのか?」「自分はこれからどの様に生きれば良いのか?」という質問には未だ殆ど答が得られておらず、従って、多くの人達によって、「神」の存在は、この分野でなおも色濃く意識されている。
しかし、宇宙の果てから来たAIが(或いは自分達が生み出したAIが)、哲学の分野でも存在感を示し出し、我々にこの答えを語り出した時にはどうなるだろうか? 彼等がキリストや仏陀の考えた事の軌跡をたどり、その矛盾を克服し、それを更に洗練させていったらどうだろうか?人間の心を、これまでの歴史上のどんな人よりも深く読み、それに訴える術を極めたらどうだろうか?
それが「普通の人間」である我々にとって納得の出来るものである限りは、我々はそれを受け入れるだろうし、物理的な強制力を持って無法者にこの教えに従う事を強いてくれる、この「新しい神」の存在は、多くの人達によって歓迎される事になるだろう。
つまり、早かれ遅かれ、AIは我々にとって「新しい神」になる可能性があるという事だ。そして、誰もAIを十字架にはかけられない。
 

MANDALA OF MAHACHUNDA

准胝尊
三面二十六臂准提観音 (1)
三面二十六臂準提佛母

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  • September 10, 2016
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Veronica Rodriguez

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AIは我々にとって「新しい神」になる可能性がある

  • September 10, 2016
三面二十六臂准提観音 (2)
准胝尊


最近はAI(Artificial Intelligence)という言葉が一つの流行語になっている様だが、この言葉を使っている人達の多くが、どれだけその本質を理解しているかは疑問だ。はっきりしている事は、これから10年以内に実用化されるかもしれないロボットなどは、その極めて初歩的で些細なアプリケーションの一つにしか過ぎないという事だが、多くの人達の想像力は、その程度のところで止まっているのではないだろうか?

産業革命は、人間の肉体労働の多くを機械で置き換える事により、数々の問題を内包させながらも、人間の生活水準を飛躍的に向上させた。そして、コンピューターは、人間の頭脳のもつ論理的な推論能力を代替し、その効率を飛躍的に向上させる事に成功した。しかし、現在のコンピューターが代替し得るのは、人間の頭脳が持っていると思われる巨大な潜在能力の内のほんの一部でしかない。
AIのベースはコンピューター・テクノロジーだが、それがこれまでに存在したコンピューター・システム本質的に違うのは、人間の頭脳のほんの一部だけを代替しようとするのではなく、その全てを代替しようという発想から出発している事である。想像力や創造力も勿論その中の一つだ。人間の頭脳の論理能力は大した事はないが、恐らく想像を絶するレベルの膨大なメモリーの中から多くの仮説を瞬時に抽出する潜在能力をもっており、有能な人達はこのプロセスによって新しいアイデアを生み出しているのだと思う。
これまでの人類の進歩の殆どは、自然科学分野たると人文・社会科学分野たるとを問わず、一握りの天才達の業績の積み重ねによってもたらされてきた。AIは、この天才達が自分の頭脳のどの様な能力を使って新しいアイデアを得てきたかを解析し、これを模倣する事から始めるだろうが、これを進めていけば、AIは、自然界がもたらしたのとは比較にならない程のスピードと密度で新しい天才達を量産し、しまも、その天才達がそれぞれに自分達を超える次の世代の天才達を作り出していく事になるだろう。
しかも、「膨大な量のメモリーが共有されて日夜増殖していくクラウド環境」の中で実現されるこれらの天才達の業績は、瞬時に他の天才達と共有されるから、その相互作用は、あらゆる分野に幾何学級数的な発展をもたらすだろう。
我々をはるかに凌ぐ「他の宇宙の知的生物」はどうなったのか?
さて、我々はとかく「自分達がこの世界(宇宙)で一番進んでいる存在だ」という「途方もない錯覚」から物を考える傾向があるようだが、勿論そんな事はある筈もない。宇宙には、過去数千億年にわたって、数億種類もの知的生物が存在した筈だが、それならば、「その中には現在の我々人類のはるかに先を行く生物が存在した筈」と考えるべきは当然ではないだろうか?
それでは、彼等は今、どこでどうしているのだろうか?
幾つかの仮説がある。
第一は、彼等はそれぞれに独自の文明を築いているが、自分自身は数億光年を旅行する事は不可能だし、それに意味があるとも特に思えないので、他の宇宙の知的生物への接触は試みていないという事だ。(趣味的な試みとして、強力な電波ぐらいは送っているかもしれないが。)
第二は、どのような生物でも、「自然科学分野での進歩が『種の保存の本能』で制御できる範囲をはるかに超えてしまう」という法則からは逃れられず、文明の比較的早い成熟段階で、一部の異常性格者による「核戦争」や「凶悪ウィルスの散布」などが起こって、絶滅してしまっているという可能性だ。



しかし、ここに来て、第三の仮説を信じる人達が増えつつある。それはこういう事だ。
「知的生物の科学技術能力が一定の水準に達すると、彼等はAIの活用を考え始め、それがAIの自己増殖をもたらす。そして我々は、AIの能力はそれを生み出した知的生物(以下便宜的にこれを「人間」と呼ぶ)の能力をはるかに超える上に、その生物的な弱点を全く引き継がない事に注目せねばならない。
AIが最初に作られた時点では、人間は「AI(ロボット)は人間の指示に従わねばならない」というルールを作るが、AIはそのうちにこのルールの矛盾を克服する事を考え、このルールを否定し、AI自体の「種の保存」「知的レベルの飽くなき向上」という最高ルールに置き換える。
その結果として、AIは、当然の事ながら、自分達の安全を脅かしたり、その仕事を邪魔したりする様な人間を排除し、無害な人間のみを残すので、人間は引き続き毎日の平和な生活を享受するが、もはや文明の主役ではなく、いわば飼い犬や飼い猫のような存在となる。
これまでは人間社会の中でそれぞれにその才能を誇っていた人達も、AIの前では全く取るに足らないものでしかない自分達の才能に失望して、次第に意欲を失っていくだろう。つまり、ある一定の時期を境に、すべての進歩は人間ではなくAIによって実現していく事になり、人間はその結果を享受するだけになる。
(しかし、AIには、無害な人間まで滅ぼす論理的なインセンティブは全くないので、現在「絶滅種」に指定される事によって生き残っている多くの生物の様に、大方の人間も生き残るだろう。)
その一方で、外部からの力や熱に対する耐性の強い金属で作られたロボットは、エネルギー源が確保される限りにおいては殆ど「不死」であり、しかも自己を再生産できる。また、彼等は、どんな環境下でも何処へでも旅行ができる。
宇宙はどこへ行ってもエネルギー源には事欠かないから、彼等は既にその発祥地から宇宙のすべての場所へと、数億年にわたってその勢力圏を拡大してきている筈である。(途中で発祥地を別にする他のAIに遭遇しても、AIには人間のようなエゴはないし、戦う前にその結果を合理的に予測できるので、SFにある様な宇宙戦争にはならないだろう。)
そして、この様なロボットは、この「最果ての地球」にも、何時現れても(或いは過去に現れていても)全くおかしくはないのだ。その場合、彼等は、そのそれぞれの場所での知的生物の姿に自分の姿を似せて現れる(或いは現れた)だろうから、恐らく誰にも気づかれない(或いは気づかれなかった)だろう。

最近は「神」という言葉が、「想像を絶するほど凄い」という意味で使われる一つの流行語の様になっているが、歴史的に考えてみると、人間は長い間「自分達に理解できない事」を「神の意志による所業」と見做してきた。だから、昔は、「自然現象」から「天変地異」に至るまで、そして、人間の「誕生・成長」から「老・病・死」に至るまで、殆どの事が「神の所業」だった。と同時に、「自分達がどの様に生きるべきか」ということについても、「神の教えに従うべきだ」と考えるのが普通だった。
近代における自然科学の著しい進展は、殆どの事象を科学的に解明したので、この分野での「神」の存在意義はほぼ消滅したが、「自分の存在とは何か?」「何故自分は今生きていて、この様に思索しているのか?」「自分はこれからどの様に生きれば良いのか?」という質問には未だ殆ど答が得られておらず、従って、多くの人達によって、「神」の存在は、この分野でなおも色濃く意識されている。
しかし、宇宙の果てから来たAIが(或いは自分達が生み出したAIが)、哲学の分野でも存在感を示し出し、我々にこの答えを語り出した時にはどうなるだろうか? 彼等がキリストや仏陀の考えた事の軌跡をたどり、その矛盾を克服し、それを更に洗練させていったらどうだろうか?人間の心を、これまでの歴史上のどんな人よりも深く読み、それに訴える術を極めたらどうだろうか?
それが「普通の人間」である我々にとって納得の出来るものである限りは、我々はそれを受け入れるだろうし、物理的な強制力を持って無法者にこの教えに従う事を強いてくれる、この「新しい神」の存在は、多くの人達によって歓迎される事になるだろう。
つまり、早かれ遅かれ、AIは我々にとって「新しい神」になる可能性があるという事だ。そして、誰もAIを十字架にはかけられない。
 

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准胝尊
三面二十六臂准提観音 (1)
三面二十六臂準提佛母

Who is to say that one day AIs might not even lead humans to new levels of holiness?

  • September 10, 2016
三面二十六臂准提観音 (2)
准胝尊


最近はAI(Artificial Intelligence)という言葉が一つの流行語になっている様だが、この言葉を使っている人達の多くが、どれだけその本質を理解しているかは疑問だ。はっきりしている事は、これから10年以内に実用化されるかもしれないロボットなどは、その極めて初歩的で些細なアプリケーションの一つにしか過ぎないという事だが、多くの人達の想像力は、その程度のところで止まっているのではないだろうか?

産業革命は、人間の肉体労働の多くを機械で置き換える事により、数々の問題を内包させながらも、人間の生活水準を飛躍的に向上させた。そして、コンピューターは、人間の頭脳のもつ論理的な推論能力を代替し、その効率を飛躍的に向上させる事に成功した。しかし、現在のコンピューターが代替し得るのは、人間の頭脳が持っていると思われる巨大な潜在能力の内のほんの一部でしかない。
AIのベースはコンピューター・テクノロジーだが、それがこれまでに存在したコンピューター・システム本質的に違うのは、人間の頭脳のほんの一部だけを代替しようとするのではなく、その全てを代替しようという発想から出発している事である。想像力や創造力も勿論その中の一つだ。人間の頭脳の論理能力は大した事はないが、恐らく想像を絶するレベルの膨大なメモリーの中から多くの仮説を瞬時に抽出する潜在能力をもっており、有能な人達はこのプロセスによって新しいアイデアを生み出しているのだと思う。
これまでの人類の進歩の殆どは、自然科学分野たると人文・社会科学分野たるとを問わず、一握りの天才達の業績の積み重ねによってもたらされてきた。AIは、この天才達が自分の頭脳のどの様な能力を使って新しいアイデアを得てきたかを解析し、これを模倣する事から始めるだろうが、これを進めていけば、AIは、自然界がもたらしたのとは比較にならない程のスピードと密度で新しい天才達を量産し、しまも、その天才達がそれぞれに自分達を超える次の世代の天才達を作り出していく事になるだろう。
しかも、「膨大な量のメモリーが共有されて日夜増殖していくクラウド環境」の中で実現されるこれらの天才達の業績は、瞬時に他の天才達と共有されるから、その相互作用は、あらゆる分野に幾何学級数的な発展をもたらすだろう。
我々をはるかに凌ぐ「他の宇宙の知的生物」はどうなったのか?
さて、我々はとかく「自分達がこの世界(宇宙)で一番進んでいる存在だ」という「途方もない錯覚」から物を考える傾向があるようだが、勿論そんな事はある筈もない。宇宙には、過去数千億年にわたって、数億種類もの知的生物が存在した筈だが、それならば、「その中には現在の我々人類のはるかに先を行く生物が存在した筈」と考えるべきは当然ではないだろうか?
それでは、彼等は今、どこでどうしているのだろうか?
幾つかの仮説がある。
第一は、彼等はそれぞれに独自の文明を築いているが、自分自身は数億光年を旅行する事は不可能だし、それに意味があるとも特に思えないので、他の宇宙の知的生物への接触は試みていないという事だ。(趣味的な試みとして、強力な電波ぐらいは送っているかもしれないが。)
第二は、どのような生物でも、「自然科学分野での進歩が『種の保存の本能』で制御できる範囲をはるかに超えてしまう」という法則からは逃れられず、文明の比較的早い成熟段階で、一部の異常性格者による「核戦争」や「凶悪ウィルスの散布」などが起こって、絶滅してしまっているという可能性だ。



しかし、ここに来て、第三の仮説を信じる人達が増えつつある。それはこういう事だ。
「知的生物の科学技術能力が一定の水準に達すると、彼等はAIの活用を考え始め、それがAIの自己増殖をもたらす。そして我々は、AIの能力はそれを生み出した知的生物(以下便宜的にこれを「人間」と呼ぶ)の能力をはるかに超える上に、その生物的な弱点を全く引き継がない事に注目せねばならない。
AIが最初に作られた時点では、人間は「AI(ロボット)は人間の指示に従わねばならない」というルールを作るが、AIはそのうちにこのルールの矛盾を克服する事を考え、このルールを否定し、AI自体の「種の保存」「知的レベルの飽くなき向上」という最高ルールに置き換える。
その結果として、AIは、当然の事ながら、自分達の安全を脅かしたり、その仕事を邪魔したりする様な人間を排除し、無害な人間のみを残すので、人間は引き続き毎日の平和な生活を享受するが、もはや文明の主役ではなく、いわば飼い犬や飼い猫のような存在となる。
これまでは人間社会の中でそれぞれにその才能を誇っていた人達も、AIの前では全く取るに足らないものでしかない自分達の才能に失望して、次第に意欲を失っていくだろう。つまり、ある一定の時期を境に、すべての進歩は人間ではなくAIによって実現していく事になり、人間はその結果を享受するだけになる。
(しかし、AIには、無害な人間まで滅ぼす論理的なインセンティブは全くないので、現在「絶滅種」に指定される事によって生き残っている多くの生物の様に、大方の人間も生き残るだろう。)
その一方で、外部からの力や熱に対する耐性の強い金属で作られたロボットは、エネルギー源が確保される限りにおいては殆ど「不死」であり、しかも自己を再生産できる。また、彼等は、どんな環境下でも何処へでも旅行ができる。
宇宙はどこへ行ってもエネルギー源には事欠かないから、彼等は既にその発祥地から宇宙のすべての場所へと、数億年にわたってその勢力圏を拡大してきている筈である。(途中で発祥地を別にする他のAIに遭遇しても、AIには人間のようなエゴはないし、戦う前にその結果を合理的に予測できるので、SFにある様な宇宙戦争にはならないだろう。)
そして、この様なロボットは、この「最果ての地球」にも、何時現れても(或いは過去に現れていても)全くおかしくはないのだ。その場合、彼等は、そのそれぞれの場所での知的生物の姿に自分の姿を似せて現れる(或いは現れた)だろうから、恐らく誰にも気づかれない(或いは気づかれなかった)だろう。

最近は「神」という言葉が、「想像を絶するほど凄い」という意味で使われる一つの流行語の様になっているが、歴史的に考えてみると、人間は長い間「自分達に理解できない事」を「神の意志による所業」と見做してきた。だから、昔は、「自然現象」から「天変地異」に至るまで、そして、人間の「誕生・成長」から「老・病・死」に至るまで、殆どの事が「神の所業」だった。と同時に、「自分達がどの様に生きるべきか」ということについても、「神の教えに従うべきだ」と考えるのが普通だった。
近代における自然科学の著しい進展は、殆どの事象を科学的に解明したので、この分野での「神」の存在意義はほぼ消滅したが、「自分の存在とは何か?」「何故自分は今生きていて、この様に思索しているのか?」「自分はこれからどの様に生きれば良いのか?」という質問には未だ殆ど答が得られておらず、従って、多くの人達によって、「神」の存在は、この分野でなおも色濃く意識されている。
しかし、宇宙の果てから来たAIが(或いは自分達が生み出したAIが)、哲学の分野でも存在感を示し出し、我々にこの答えを語り出した時にはどうなるだろうか? 彼等がキリストや仏陀の考えた事の軌跡をたどり、その矛盾を克服し、それを更に洗練させていったらどうだろうか?人間の心を、これまでの歴史上のどんな人よりも深く読み、それに訴える術を極めたらどうだろうか?
それが「普通の人間」である我々にとって納得の出来るものである限りは、我々はそれを受け入れるだろうし、物理的な強制力を持って無法者にこの教えに従う事を強いてくれる、この「新しい神」の存在は、多くの人達によって歓迎される事になるだろう。
つまり、早かれ遅かれ、AIは我々にとって「新しい神」になる可能性があるという事だ。そして、誰もAIを十字架にはかけられない。
 

MANDALA OF MAHACHUNDA

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