Kanagawa_Transport_Network

神奈川辺境交通のミラーブログ 本家:http://08461705.at.webry.info/

豊受皇大神

  • June 17, 2016
豊受皇大神 (1)豊受皇大神 (2)豊受皇大神 (3)豊受皇大神 (4)豊受皇大神 (5)豊受皇大神 (6)豊受皇大神 (7)豊受皇大神 (8)間力教会稲荷勧請 (1)

伏見稲荷大社は神社本庁に所属せず、単立神社である

  • June 17, 2016
間力教会




伏見稲荷系神社は神社庁には属していません、なお其の神社数は何千社です。
なぜ神社庁に属さないかは神社庁に属すると伏見稲荷大社の特徴で有るべき事が消えてしまうからです。
これは神社様も誰もその特徴を言いません。
明治時代には普通に行われた事ですが、神社庁が一番気にしているから、伏見稲荷系神社は属さないのです。

伏見稲荷大社の御山、全山にお見えの神様には12970余柱の神様が鎮座しています。
ちなみに全ての神様に御神名が御座います。
代表御祭神参座の神様である宇迦之御魂大神様は外宮の御祭神と同じ神様です。
佐田彦大神様は三重県鈴鹿の椿大神社の御祭神猿田彦大神様と同神です。
大宮能賣大神様は椿大神社の摂社、椿岸神社の御祭神天字受賣大神様と同神で、猿田彦大神様の妻神様です。稲荷神社の神様は狐神様では有りません。

稲荷勧請 (1)稲荷勧請 (2)稲荷勧請 (3)

大江神社 [大阪府]

  • June 17, 2016
災難除御絵札 (2)災難除御絵札 (1)


大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40にある大江神社。
四天王寺、勝鬘院愛染堂の付近に鎮座しており、四天王寺の鎮守である四天王寺七宮の一社に数えられています。

由緒書によれば、以下のような由緒とされています。


大江神社の由緒書




御祭神

・豊受大神(とようけおおかみ):伊勢神宮外宮の祭神。稲荷神と同一としている
・素戔嗚尊(すさのおのみこと):三貴子の一柱。ヤマタノオロチを退治した神
・欽明天皇(きんめいてんのう):第29代天皇。聖徳太子の祖父に当たる
・大己貴命(おおなむじのみこと):国づくりの神・大国主の別名
・少彦名命(すくなひこな):大国主と共に国づくりを行った神



由緒

当社は、伝えによれば、上之宮、小儀(四天王寺東門外、北側)、土塔(南門外、東側)、河掘、堀越、久保の各社と共に天王寺七宮と称し、四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀った社であると伝えられている。

大江の社号は、慶応3年、この社地が大江岸の続きであることに因んで、時の神祇官によって改称されたと伝わっている。

当社は、天王寺北側の産土神にして、祭社主神に豊受大神を祀り、稲荷神と同一神として五穀豊穣、食糧保持の神であり、また明治40年の神仏分離令により、本社へ合祀された東門外の元村社、小儀神社及び南門外の元村社、土塔神社の祭神の素戔嗚尊、元村社の上之宮の祭神の欽明天皇、大己貴命、少彦名命をも祭神としている。

上町台地の西端に沿う一帯は「夕陽ヶ丘」と呼ばれており、その昔、この台地のすぐ傍まで海が迫り、西の海に夕日が沈みゆき、茜色に染まる空の美しさに いつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったと伝えられている。

当境内には俳句碑があり、芭蕉の句としても有名である。


要約すると、四天王寺七宮の一社として聖徳太子に祀られた神社であり、七宮のうち、小儀神社、土塔神社、上之宮神社の3社と その祭神を合祀しているとのことです。

このことから、創建は四天王寺が建てられて聖徳太子が存命している間に建てられたと考えられ、6世紀後半から7世紀前半には既に存在していたものと考えられます。

なお、大江神社の元々の祭神は、伊勢外宮の祭神・豊受大神であるとされています。


四天王寺七宮とは?

四天王寺七宮(してんのうじしちみや)とは、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群のことです。

現在でも、大江神社に合祀されている神社以外は健在で、それぞれ四天王寺周辺に鎮座しています。

このことから、「日本仏教の祖」とされる聖徳太子は、文献上では仏教を重んじたと考えられていますが、実際には「神道も重んじている」と考えられ、丁未の乱で神道派の物部氏に勝利したからといって、神道を蔑にしたわけではないようです。

つまり、「聖徳太子は『仏教』と『神道』の両方を重んじていた」ということが言えるのです。






豊受大神と稲荷神


豊受大神(とようけのおおかみ)は、豊受大神宮(伊勢外宮)の祭神であり、伊勢で天照大神に食事を奉仕する「食糧を司る神である」とされています。『古事記』においては、イザナミの死の際に生まれたワクムスビの子とされるトヨウケビメがそれに当たるとされています。

大江神社では、豊受大神は稲荷神であるとしていますが、稲荷神であるウカノミタマはトヨウケビメとは出自が異なります。『古事記』において、ウカノミタマはスサノオの子とされており、稲荷神社の主祭神として有名な神です。

豊受大神宮に祀られる豊受大神は、「食糧を司る神」という以外に具体的には分かっておらず、『古事記』の記述から便宜上「トヨウケビメ」に割り当てられているとされていますが、その正体には諸説あります。

大江神社では、ウカノミタマ(稲荷神)と同神とされており、その父神に当たるスサノオも祀られていることから、伊勢の豊受大神とはスサノオの子であるウカノミタマを指すとも考えられますね。







神紋





大江神社の神紋は「三つ巴」と「抱き稲」の紋となっています。

「抱き稲」の紋は、一般的には稲荷神社で用いられるものですが、なぜか大江神社の神紋には抱き稲があしらわれています。祭神の豊受大神(大江神社では稲荷神)に因んでいるのでしょうか?

また、「三つ巴」と「抱き稲」の組み合わせは、東京都にある鬼を祀る稲荷神社「稲荷鬼王神社」の神紋と一致します(ただし、巴の方向が逆ですが…)。


間力教会稲荷勧請 (1)稲荷勧請 (2)稲荷勧請 (3)

稲荷信仰について

  • June 17, 2016
災難除御絵札 (2)災難除御絵札 (1)

稲荷神は、霊的には大きく二種類に分かれます。
この二つは、全く別の霊的存在です。 しかし、同じ稲荷神の名前で、同じ様な扱い、認識をされてしまっています。
一つは、稲荷神=倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)。
日本神界の上位の神霊です。
米稲の倉庫を守る神、とも取れる御米の守護神です。

伊勢神宮外宮にも関係する、国常立太神・スサノオ系に属する神です。
現実界の食物を左右する神霊ですので、その活動は日本全国に行き渡り、霊的にも最も活発に発動して来た神霊です。ある意味では、正しく勧請(招いて)祈願(感謝を捧げる)すれば、その神力は現実界では絶大です。
だから、稲荷神は人気がありました。

ただ、悲しい事に国常立太神系に属する為に、天津神の支配する現在の歴史上からは、正しく評価されずに隠されて来ました。 記紀神話からも、本当の稲荷神に関する大事な説明は抹殺されています。 そして近年、1300年程前に現在の伏見稲荷大社で細々と公に主祭神として祭られ始めました。
実は、同じ様な年代に空海さんが、民衆の願いを叶える為に荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)を外国から勧請=連れて来て、呪詛修法に利用していました。

これが凄く効いた様です。
空海さんも、生きるために金銭と交換に貴族間の呪詛請負をしたりと、本意では無い事をさせられました。
空海さんが存命中は、ダキニ天の管理が出来ていたのですが、その死後、空海を真似てダキニ修法をすると、やはり発動したのです。 ダキニ天の霊的実体が、日本に存続していたのです。
これを色々な人間が、金銭と交換に人々の願望成就に利用しました。 よく作用したので全国にダキニ祈願が広まりました。
荼枳尼天とは、人を食らう夜叉、または、羅刹の一種で、その霊的正体は祟り神です。
人の魂を食う代わりに、現実界の短い人生における人間の欲望を叶えさせます。 霊的交換条件をする存在です。民衆の末端の世界では、倉稲魂尊の稲荷神の様に霊験が現れるし、ダキニのニの文字が稲荷神の荷と混同されて、いつの間にか、ダキニ天=稲荷神と成ってしまいました。

また、両方とも霊的眷族の形象が、狐霊の姿で現れる事も未熟な術者の誤解を招いたのです。
現在では、ダキニ天の元から脱走した狐の眷族が、全国で稲荷神として居座っています。


間力教会稲荷勧請 (1)稲荷勧請 (2)稲荷勧請 (3)

本来の稲荷とは

  • June 16, 2016
災難除御絵札 (2)災難除御絵札 (1)
現状の稲荷信仰とは現世利益の非常に強いものであり、信仰を止めればその反動、つまり借金を返す様なものですが、現世においては相応のマイナスの事象が起こる蓋然性が高いです。

本来の稲荷とは、豊受大御神様であり、伊勢神宮の外宮の主祭神です。
食を司る神様なのです。しかし、元禄のころから起こった稲荷信仰とは、本来の信仰とはかけはなれ、非常に現世利益の強いものに変わりました。
それに便乗したのが、霊力のある低層のものなのです。
伏見稲荷や他の稲荷大社に参詣し、信仰する事は問題ありません。
問題なのは、現世利益を願う私達自身なのです。神霊は私達の現世利益を叶える事などしません。そして、その現世利益を願う心が低層の存在と私達を繋げる、それが稲荷信仰の現状です。

それから、もう一歩踏み込んで述べますが、現世利益を願う私達と、低層の存在の関係性、そしてそれに干渉しない御神霊とは深い繋がりがあります。
高次の存在は宇宙の理を理解されています。
そして低層の存在、そして私達は理解していないのです。
つまり現世的概念に囚われています。
ですから、私達は現世利益を願い、そして一方は叶えるという関係性が成り立つのですが、それも宇宙の理の中の一点の事象に過ぎず、必然なのです。実は、進化の為の経験に他なりません。


間力教会稲荷勧請 (1)稲荷勧請 (2)稲荷勧請 (3)

伏見稲荷・災難除御絵札

  • June 16, 2016
災難除御絵札 (2)災難除御絵札 (1)
豊受大麻 (1)
豊受大麻 (3)豊受大麻 (4)
間力教会稲荷勧請 (1)稲荷勧請 (2)稲荷勧請 (3)

耳嚢 巻之二 小堀家稲荷の事

  • June 16, 2016
稲荷勧請 (2)
間力教会



耳嚢 巻之二 小堀家稻荷の事

京都に住宅せる上方御郡代小堀數馬租父の時とかや。
或日玄關へ三千石以上ともいふべき供廻りにて來る者有り。
取次下座敷へ下りければ、
「久々御世話に罷り成り、數年の懇意厚情に預り候處、此度結構に出世して他國へ罷り越し候。之に依り御暇乞に參りたり」
と申し置き歸りぬ。
取次の者も不思議に思ひけるは、洛中は勿論兼て數馬方へ立入る人にかゝる人覺えず。
怪しきと思ひながら其譯を數馬へ申しければ、數馬も色々考へけれど、公家武家其外家司召仕への者にもかゝる名前の者承り及ばず。
不審して打過けるが、或夜の夢に、屋敷の鎭守の白狐、
「年久しく屋敷の内に居たりしが、此度藤の森の差圖にて他國へ昇進せし故、疑はしくも思はんが此程暇乞に來れり、猶疑しく思はゞ明早朝座敷の縁を清め置べし、來りまみへん」
となり。
餘りの事の不思議なれば、翌朝座敷の縁を鹽水などうちて清め、數馬も右座敷に居たりければ、一ツの白狐來りて縁の上に上り、暫くうづくまり居たりしが程無く立去りけるにぞ、
「さては稻荷に住む白狐の立身しけるよ」
と、端鮴嵌咾覆匹靴峠砲靴韻襪般蕁

稲荷勧請 (3)



「上方御郡代」とは:
江戸幕府では、比較的広域の幕府領を支配する代官のことを郡代と言った。
江戸時代初期には関東郡代の他、この上方郡代(山城)、更に摂津・三河・丹波・河内などでは、ほぼ一国単位で郡代が置かれていた(寛永19(1642)年の勘定頭制の施行に伴い、郡代・代官はその管轄下に置かれ、その後、関東郡代は老中支配となっている)。江戸時代中期以降は関東・美濃・西国・飛騨の4郡代となった。身分・格式は代官の上であったが、その職務内容(租税徴収監督・下級裁判訴訟)は代官とほぼ同じであった。


「小堀數馬租父」、「小堀數馬」について:
小堀仁右衛門家第6代当主小堀邦直(享保13(1728)年〜天明九・寛政元(1789)年)。4代惟貞の長男。その「租父(祖父のこと)」は第3代当主であった小堀克敬(寛文十三・延宝元(1673)年〜享保4(1719)年)である。小堀仁右衛門家は600石の旗本で、代々禁裏の作事を担った。武家茶道の一派小堀遠州政一(天正7(1579)年〜正保4(1647)年)に始まる遠州流分家。小堀仁右衛門家初代小堀正春が遠州の異母弟に当たる。筆者の推測でしかないが、これは遠州流茶道若しくは大名にして茶人、建築家・作庭家でもあった小堀遠州と何らかの関わりがある事柄のストーリーなのかも知れない。


「三千石以上……」について:
旗本で3000石以上になると正式な任官によって官職を名乗れるようになることから、後の「出世」に合わせたものと考えられる。


「家司」とは:
ちなみに『けいし』と読む。平安中期以降、親王家・摂関家・大臣家・三位以上の家にあって家政一般事務を司った職。いえつかさ。読みは「けし」の訛。


「藤の森」について:
現在の京都市伏見区の伏見稲荷大社のこと。ちなみに伏見稲荷大社が『伏見稲荷大社』を名乗るのは戦後の1946年以降のことである。江戸時代、特に関東では「伏見稲荷」という呼称はあまり広く見受けられない。この関東ではむしろ「藤森稲荷」、「藤森の稲荷」という名で呼ばれた。
ちなみに同じ伏見区深草鳥居崎町に藤森神社という神社があり、その境内は現在の伏見稲荷大社の社地で、稲荷信仰事典によれば『その地に稲荷神が祀られることになったため、当社は現在地に遷座した。そのため、伏見稲荷大社周辺の住民は現在でも当社の氏子である。なお、現在地は元は真幡寸神社(現城南宮)の社地であり、この際に真幡寸神社も現在地に遷座した』とある。
参考文献の鈴木氏注には、「雍州府志」(浅野家儒医で歴史家の黒川道祐(?〜元禄4(1691)年)が編集した山城国地誌)によれば、『弘法大師が稲荷神社を山上から今の処へ移した時、それに伴って藤杜社を現在地へ遷したものであるといい、稲荷と関係が深く、伏見稲荷に詣れば藤森にも参詣するのが例であった』と記す。伏見稲荷は正一位稲荷大明神である狐=稲荷神の本所である。

稲荷勧請 (1)
京都に住む上方郡代の小堀数馬の祖父の克敬の代のことである。

ある日、克敬の留守中に三千石以上と思しき規模の供廻りを引き連れて訪れた者があった。
とにかく下座敷に通したところ、
「長年格別の懇意、御厚情に預かったところであるが、このたび幸いに出世が決まり他国へ出ることとあいなった。これによりお別れのご挨拶に参った」
と言い置いて帰った。

取り次ぎの者は不思議に思った。
洛中はもちろん、これまであのような人が訪ねてきたことはかつてなかったからである。首をひねりながら克敬に留守中の出来事を伝えたところ、公家、武家、その他の家司、召仕の者などいろいろ考えてはみたものの、やはり克敬にもそのような心当たりはなかった。

不審が晴れぬまま数日が過ぎたある夜のことである。克敬の夢に屋敷の鎮守の白狐が現れた。

「久しく屋敷の敷地に居ったが、このたび藤森稲荷の指示により他国へ昇進が決まったため、お別れを告げに訪れた。なおも疑念が拭えなければ、明朝、座敷の縁を清めておくように。姿を現そう」

あまりに不思議なことではあったが、翌朝塩水などを撒いて縁側を清めて座敷で待っていたところ、一匹の白狐が現れて縁側に上がり、しばらくうずくまるなどしてから立ち去った。

「さては鎮守の稲荷に住む白狐が立身したか」

克敬は御神酒・赤飯で祝ったという。

稲荷勧請

  • June 16, 2016
稲荷勧請 (2)稲荷勧請 (3)稲荷勧請 (1)

初午大祭の日に授与される【しるしの杉(志るしの杉)】

  • June 16, 2016
志るしの杉 (2)
志るしの杉 (1)
志るしの杉 (3)
志るしの杉



初午大祭の日に授与される【しるしの杉(志るしの杉)】

杉の木は、伏見稲荷大社所縁の神霊が宿る木とされています。

伏見稲荷大社では主祭神である宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)は女神さま。
この『志るしの杉』の御符(しるし)に付いているふっくらした、おかめさんのようなお顔の方は宇迦之御魂大神様。つまり豊受大神なんだそうです。お多福さんじゃありません。


豊受気毘売神 (15)豊受気毘売神 (14)豊受気毘売神 (13)豊受気毘売神 (10)
豊受気毘売神 (7)豊受気毘売神 (6)豊受気毘売神 (5)豊受気毘売神 (4)豊受気毘売神 (3)豊受気毘売神 (2)豊受気毘売神 (1)

真野恵里菜/ 小芝風花

  • June 16, 2016
小芝風花 (1)真野恵里菜 (1)真野恵里菜 (4)真野恵里菜 (3)真野恵里菜 (2)真野恵里菜 (5)
Amazonライブリンク
  • ライブドアブログ
Kanagawa_Transport_Network