きもちのブログ

真宗高田派 利生山浄誓寺の坊守 稲森友香のブログです。
浄誓寺ペット供養の代表を務めています。
お寺のこと、仏教のことをはじめ、カウンセリングで培った心理学についてや日々の出来事について語っています。

2019年1月から浄誓寺ペット供養を始めました。ペットの葬儀・供養を行います。
詳しくは外部サイト>>浄誓寺ペット供養のホームページをご覧ください!

長らく産休育休をしていましたが、相談業を再開しようと思います。
普段から大変お世話になっているぶつえいどうの野呂専務からご紹介いただいた「オンライン駆け込み寺」からご予約いただけます。
1日1回20分程度です。私は子育て中のため、昼間の時間帯のみご利用いただけます。 
こちらのサイトは運営が始まったばかりで、今のところ無料でご相談を承っています。
ぜひこの機会にご利用ください。 

我が家の1歳児は全ての瞬間を全力で生きています。

これに興味がある。あそこに行きたい。触りたい。
ぶつかって痛い。違う、それじゃない。
面白い。嬉しい。新しくこれ覚えた。
眠いのに寝れない。ぐずぐず…すやすや。
もっと楽しいことがしたいからまだ寝たくないと遊びたがる人生ってすばらしいと思うのです。

大人になってたくさんの経験と慣れですっかり落ち着いてしまったのでしょう。
長い事こんな子ども心を忘れていたように思っていました。

でもよく心の動きを見てみてください。 
赤ちゃんも私たち大人も本質的に変わりません。
きっと本当はこんなふうに気持ちが動いているはずです。
そして大人らしくしていたとしても、感情的にはそんな難しいこと考えていないはずです。

これ好きだな、嫌いだな。
おいしいな、楽しいな、嬉しいな。
疲れたな、イライラするな、落ち込んだな。

思考だったり言葉に置き換えたら難しい表現になっているかもしれませんが、根っこの感情をよく見つめればシンプルです。
赤ちゃんでも、おじいちゃんでも同じ人間なんだなぁと思います。

言葉をまだ持たない1歳児は、表情で一生懸命語っています。
嬉しい!大好き!というニコニコ笑顔はかわいさに胸を撃ち抜かれます。
寂しい、痛い!という泣き顔を見ると抱きしめますし、早く苦しみがなくなりますようにと胸が締めつけられます。

みんなこんなふうな赤ちゃんから始まっています。
そして、心の源は今でも同じように喜怒哀楽しているのかもしれませんね。

赤ちゃんの生き方のように、毎日が全て楽しいことであってもいいのだなと思います。 

私は喧嘩が苦手です。
うちの実家では滅多に怒らない父親とよくヒステリックに怒る母親の組み合わせでよくぶつかっていました。
言い合って相手を叩き潰すというような喧嘩のパターンを見て育ったので、喧嘩は嫌だなと思っていました。

大人になってからは、喧嘩はしないでおこうと努力しました。
不満があっても飲み込む。
どうしても譲れなければ、冷静に伝える。
それでも言い合いになると我慢していた感情が溢れて爆発しそうになる。
そこまでいくと、怒るか泣くか逃げるかでした。
喧嘩になることを嫌がるあまり、意見交換すらできていなかったのです。

このパターンも繰り返したので、我慢しすぎて爆発するのは違うなと反省し、小出しに言うように変えていきました。
それでも喧嘩はやっぱり苦手でした。
何が嫌かって、自分の意見を否定されるのも嫌だし、相手を傷つけるのも嫌なんです。
私にとっての喧嘩はお互いを否定し合うことでした。

夫は実は言い合いが得意です。
営業職を務めていたこともあり、自分の伝えたいことを伝えるのが上手です。
自分の利益に誘導するのも得意です。
更に言うなら、私が言いたいことをぶつけてしまったとしても変化球で返してくるというか、受け止め方と投げ返し方がうまいのです。

そういう相手と口論していくうちに、喧嘩の概念が変わってきました。
喧嘩とはお互いの意見や思いを伝えることなのだと今は思っています。
何が違うのかというと、相手を否定するという他人軸から、自分の意見や思いを伝えるという自分軸へと切り替わったのです。
そうなると相手のことも、あなたはそういう考えなのですねと一線引けるのです。

よく喧嘩して仲良くなるとありますが、それはお互い譲れない本音を話すからでしょう。
以前の私は腹に一物抱えてそれを結局言えなかったのだから、喧嘩のいい部分を知らないままでした。

飼い犬を見ていても、よく喧嘩しています。
それぞれ譲れない部分は犬によって違い、食べ物だったり、ボールだったりします。 
自分にとっての大切なものを大切だ!って言ってるんですよね。
言葉を話さない分わかりやすいです。

喧嘩をうまく使って、自分や相手への理解に繋げたいものですね。 

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