形而上学のすすめ!

形而上学を学び広める事をおすすめします。 これを学び広め進める事で将来、 良からぬ新興宗教に捕らわれる事も無く 人生を歩む事が出来ます。

愛の少ない人!

私達、地球人は知的生命体の中では「愛」が少ないようで
これが原因で宇宙では後進の星の部類だそうです。
この
愛の少ない人は
平気で人を傷付けます
平気で人を殺します
平気で領土を広げようとします
平気でエゴをむき出しにして嘘をつきます。


愛の少ない人は
暴力シーンが好きです
格闘技が好きです
戦争映画が好きです
殺し合いを見るのが好きです。
人を殺すゲームも好きです。


愛の少ない人は
走り
わめき
怒り

色んな方法で
人に恐怖心を植え付け
そこから利益を得ようとします。

「愛」が自分にはどの程度あるのかと考えると
悲しいかな・・・
自分の中の「愛」の少なさに嘆いてしまいます。

感動とは

感動とは「愛」に触れた時の事です。
「愛」とは「神」の事です。

この自分の中の「愛」に触れた瞬間の思いを
他の人にも伝えたくて
「見て、見て・・・」
「どう、貴方も愛に触れる事が出来た?」
とか
「どう、これを見れば貴方も神に出会えるよ!」
と言っているのです。


高校野球を見て感動する人があれば
綺麗な夕日を見て感動する人もあります。
この自分の中の「愛」に触れた瞬間を
人にも言いたくなって吹聴しているんですね。


この感動すると言う事は、人として素晴らしい事で
心の中の何かに感動すると言う事を
伸ばし成長させ拡大させる事で
私達は進化し「神」に近づく事が出来ます。


感動とは
「愛」に触れた瞬間の事で
瞬間的な触れ合いは「感動」
もう少し時間が長いのが「一瞥体験」
持続しているのが「覚醒」と言う事だと
私は思っています。

しかし・・・
ここまで書いて気が付きましたが
感動には2種類があって
一方は「愛」に繋がった感動で波動が高いです。
もう一方は、エゴ体が満足した時の感動
この感動は愛からは大きくかけ離れていますね
波動も低く周りの人には影響が及びにくい感動です。

苦しみからの解放!

「想念観察」の所で書いた方法で
ある程度は解放に向かう事は出来ても
実際には根本的な考え方を変えない限り
同じ事を繰り返し
何度も同じ悪想念を見る事になる。


ネガティブイメージで苦しく辛いのだから
この苦しさや辛さを解放する方法を考えないと前へは進まない。


これには瞑想も良いが
論理的に考える方法もある。
これには、これまでの常識とか習慣に囚われず
斬新に考えないと解決策は見出せないと思っている。

これまでの常識とは
社会が持っているコンセンサスや
学校で習った道徳観等まで入ってくる。
必ずしも法律が正しくない時もある。
現在社会の持つ法律やコンセンサスには
正しくない物も多いと私は思っている。


何が正しくて何が間違っているかを徹底的に考え
今まで正しいと思っていた事柄を
本当に正しかったかを考えて欲しい。
そして、「正しい」とか「悪い」とは何か、についても考える必要がある。


想念観察後に解かる事に
「苦しい」とは必ず自分以外の人や物を、
何とかしようとする時に生じているのが解かるはずです。

その何とかしようとする考え・・・が原因になっており


誰かを何とかしようとか

誰かに期待するとか

どうして、この人は・・・とか

自分以外の人や物に対して、勝手に期待をしている

状態です。

これが「掴んでいる考え」と言う訳です。



すなわち
自分の心が苦しくなる原因は
自分が必ず「掴んでいる考え」、
人に教えられた「考え」、又は「イデオロギー」等で
この「考え」や「イデオロギー」が
本当に正しかったかどうかを考える必要があり
そして、どの位置(どの考え)に自分を置くかを
自分で選択し、吟味する必要があると思っています。


そして、正しいとか間違っているの他に
正しいも間違っているも無い
「どちらでも良い」と言う答えを見出して欲しい

自分の本質に聞いてみる・・・
すると、「どちらでも良い」と言う答えが
圧倒的に多い事に気か付くはずです。


苦しみからの解放とは
自らが掴んでいる「考えを手放す」以外に方法は無く
何を「掴んでいる」のかをしっかりと見極めて
この「掴んでいる物」を手放す事で
苦しみからは解放される。


誰かに救われた・・・とか
〇〇教に入ったから救われた・・・とか
いう話をよく聞きますが
誰かが救うのでは無いです
自分の考え方が変わるだけで
自分で自分を救っているのです。

すなわち
自分を解放するのは自分にしか出来ない。
と言う事になる訳です。


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形而上学を学び進める事をおすすめします。

これを学び進める事で将来、
良からぬ新興宗教に捕らわれる事も無く
人生を歩む事が出来ます。

それに
色んな宗教を客観的に捉える事が出来るようになり
それぞれの宗教組織の持つエゴが理解出来るようになり
何が本物で何が偽物かが理解できるようになり
人としての生きる目的も理解できるようになります。

この部分を昔から「宗教」が担っていましたが、
宗教組織で取り込んでしまう「宗教エゴ」に影響される事は無く
宗教的な精神論を含めて
今後は形而上学と言う学問で理解できるようになり
宗教には出来なかった統合が可能になります。

すなわち
いかなる宗教にも属さず、
宗教的な精神論を理解できるようになると言う事です。


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