March 2007

March 20, 2007

パフューム ある人殺しの物語 Perfume: The Story of a Murderer

Perfume: The Story of a Murderer_01

マリー・アントワネットが奢侈に費やし、パニエやコルセットを脱ぎ捨て、シュミーズ・ドレスでプチ・トリアノンで暮らす頃のこと。

お気に入りのロサ・セイティフォリアなどの薔薇や可憐な花々。

優雅に入浴をすませ、調香師ジャン=ルイ・ファルジョンの香りにつつまれたアントワネット。

その頃、フランスの市民は貧困と悪臭のなかにいました。

入浴の習慣もなく、汗や陰部の匂いが体臭となり、腐った食べ物に、残飯の匂い。人々は、長い間、悪臭の中で暮らしていたので、何も感じることがなかったのでしょう。


香り、アントワネット関連記事
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マリーアントワネットの香水-ジャン=ルイ・ファルジョンほか

マリー・アントワネットが愛したもの
22枚の肖像画、アントワネットの生涯、薔薇、服飾など。


パフューム ある人殺しの物語

アントワネットが生まれる17年前にさかのぼる1738年。もっとも悪臭の酷い魚市場で産み落とされた赤ん坊がいました。

洗礼名ジャン=バティスト・グルヌイユと与えられたその少年の母親は、赤ん坊を殺そうとしたことで、首吊り刑。

グルヌイユは、まったく薄気味が悪い赤ん坊でした・・・。「匂い」がないことが、悪臭の漂う人々に恐れを抱かせたのでしょうか。身体の「匂い」が絶たれているグルヌイユは異質だったのです。


Das Parfum. Sonderausgabe. Die Geschichte eines Moerders
パトリック・ジュースキント 香水 ある人殺しの物語

Das Parfum. Sonderausgabe. Die Geschichte eines Moerders

表紙は、18世紀のフランスの画家 ジャン=アントン・ヴァトー(ジャン・アントワーヌ・ワトー )の「ユピテルとアンティオペ(ジュピターとアンティオーペ)」のディティールです。
「Jean-Antoine Watteau. Jupiter and Antiope」

これは眠っているアンティオペがユピテルに犯される神話の場面。

このお話の続きはこちらから。
「パフューム ある人殺しの物語」 から

愛され愛す肉親もなく、生きる喜びも知らず、皮なめし職人の徒弟となったグルヌイユ。そんなグルヌイユが、赤毛の少女の体臭の芳香に魅了されるのです。

このグルヌイユは、非人間的な世界を歩んでいくのですが、「匂い」のあるなしが、非人間的を象徴しているのでしょうか。「匂い」があるから人間的、「匂い」をもたないグルヌイユは非人間的でよいのでしょうか。

パフューム

原作者のパトリック・ジュースキントは、ドイツの作家。国民からも恐れられた、1947年に創設の旧東ドイツ シュタージ組織(Stasi)は、「個人の匂い(体臭)」を保管していました。徹底した監視国家の象徴です。

(略)

「パフューム ある人殺しの物語」は、特異な天才調香師の物語に、恐ろしいほど個人を特定する匂いの危険と、人を夢中にさせる魅惑的な芳しい匂いと、そして私達に、まだ何か問いかけている気がします。

ここで、はっきりさせておかなければならないのが、この物語の匂いというのは、「汚穢」だということです。

当時のフランスの市民は貧困と悪臭の真っ只中に暮らしていたのです。私たちが知らない「嫌な匂い」。私たちが感じる「体臭」とは違う、「汚穢」だということと、暮らしの悪臭があるということ。

究極な相反する「匂い」が、当時の人々の持つ「悪臭」と、香水の「芳香」です。その0地点にあるのが、グルヌイユの「無臭」。

Perfume: The Story of a Murderer__02「当たり前の悪臭」と、「至福の香り」と、「絶たれた匂い」の物語。原作は、パトリック・ジュースキント(Patrick Süskind)。

映画の監督は、トム・ティクヴァ(Tom Tykwer)です。未成年の方は、遠慮してほしいですね。

映画「パフューム」オリジナル・サウンドトラック
Das Parfum Diskographie



March 08, 2007

ポール・セザンヌ  オランピア

Paul Cézanne A Modern Olympia. c. 1873. Oil on canvas. Musée d'Orsay, Paris

モデルヌ・オランピア 1873年 オルセー美術館

 

Paul Cézanne A Modern Olympia. c. 1869-70. Oil on canvas. Private collection

モダンヌ・オランピア 1869-70 個人所蔵 (オークションにでているらしい?)


モデルヌ・オランピアも、モダン・オランピアも、1865年のマネの作品「オランピア」のオマージュというよりも、同じ題材を扱った作品とした方がよいのでしょうか。

オランピアの図像学として、横臥、黒人メイドを取り入れたと考えれば、模倣でも、オマージュでもありませんからね。(笑)

モデルヌ・オランピアは、黒猫を黒犬に描き、尾を立てさせています。性の寓意が現れていますが、ソファーにすわる男性と、フルーツをのせたテーブルは、マネの作品にはありません。

でも、同じ娼婦を扱った、マネの「ナナ」には、ソファーに座る男性が描かれています。

マネ「オランピア」 Yves Saint-Laurent Rive Gauche
マネ「ナナ」  ナナの誕生 ドミ・モンド

1873年に、セザンヌが描いた「オーヴェールの医師ガッシュの家」というのは、あのゴッホの最後を看取ったドクター・ガッシュでもあり、セザンヌの家主でもあったわけです。そのドクター・ガッシュが、マネの「オリンピア」に興味を持ち、セザンヌが作品化したというのが、「モデルヌ・オランピア」だということです。

「モダンヌ・オランピア」は、「モデルヌ・オランピア」よりも3年ほどはやく作品にしています。こちらの作品を「静」とすると、モデルヌ・オランピアは、黒人メイドのシーツをはずすシーンが「動」を強調しているようです。

キャンベラ,オーストラリア・ナショナル・ギャラリー所蔵には、動趣向(オランピア)の、「ナポリの午後」という作品があります。1876年から77年にかけて完成された作品ですが、黒人メイドが、ベッドで横たわる二人に、午後のお茶をだすシーンが描かれています。

セザンヌの「オランピア」では、このモデルヌとモダンヌが好きですね。

セザンヌ関連記事

セザンヌ ロココの花瓶
セザンヌ 春・夏・秋・冬 四季図
モーリス・ドニ  「セザンヌ礼賛」
マネのオマージュ セザンヌの「草上の昼食」

 



lifecarrer33gearkawase at 18:52|この記事のURLComments(0)TrackBack(3)オランピア Olympia 

March 01, 2007

サンドロ・ボッティチェリ

Sandro BOTTICELLI_03

The Virgin and Child with the Young St. John the Baptist 1495〜1500 
Madonna(聖母) カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)

 

Sandro BOTTICELLI_02

The Virgin and Child with Two Angels 1493

 

Sandro BOTTICELLI_01

 The Crucifiction with the Penitent Magdalene and an Angel 1500年頃  

精彩さがないといわれる時代のサンドロ・ボッティチェリの作品です。
 
1492年に、パトロンであったフィレンツェの支配者、ロレンツォ・デ・メディチが亡くなります。ボッティチェリは、反メディチの修道僧サヴォナローラを支持しますが、1498年には彼も焚刑に処せられます。
 
あらゆる芸術を保護していたメディチ家が衰退し、ダ・ヴィンチらは去っていくのですが、ボッティチェリただ一人、フィレンツェにとどまったのです。ナポリ戦争からイタリア戦争と、社会的不安な情勢で、芸術の冬時代が襲います。
 
フィレンツェにとどまって、困窮していく画家は、ボッティチェリだけではなかったことでしょう。
 
1作目は、「聖母子と聖ヨハネ」(パラティーナ美術館)ですが、「ヴィーナスの誕生」、「春(ラ・プリマベーラ)」のような、ボッティチェリ独特の優美な描き方ではなく、宗教画として描かれています。ただし、薔薇の花をご覧ください。「春」同様に、図像学がここから表現されているのではないでしょうか。この聖母はイタリアの女傑カテリーナがモデルとされています。
 
2作目は、「聖母子と二天使」」(シカゴ美術館,マックス&レオラ・エプスティーンコレクション)です。聖母子のうしろで、軽やかに伸びやかに、しなやか肢体で踊る二天使。修道僧サヴォナローラの治世がはじまった頃でしょうか。落ち着いた色彩です。
 
3作目は、「十字架の死−懺悔するマグダラのマリアと天使」(フォッグ美術館)です。サヴォナローラが処刑されたあとの作品。このあと、「ヴァージニア」、「ルクレツィア」、「誹謗」、「神秘の降誕」と続きます。
 
サンドロ・ボッティチェリ関連記事はこちら
 
XAI  サンドロ・ボッティチェリ ヴィラ・レンミ
ボッティチェリ サン・バルナバの祭壇画
聖母子と四天使に六聖者 / 聖アウグスティヌスの展望(視野)
キリストの墓 / 聖ヨハネの首をはこぶサロメ
聖イグナチオの心臓の摘出
サンドロ・ボッティチェリ  Sandro Botticelli
キリストの試練/反逆者たちの懲罰
モーセ の 試練/聖シクストゥス2世像
ナスタジオ・デリ・オネスティの物語
聖ゼノビウス伝からの四つの場面
ヴァージニア/ルクレティア/誹謗
サンドロ・ボッティチェリ 聖母子
「(セラフィムの)栄光の聖母子」、 「柘榴の聖母」
「聖ジェローム (聖ヒエロニムス) の最後の晩餐」
「薔薇園のマリア」、「書物の聖母」、「聖母子」、「聖母子と聖ヨハネ」
サンドロ・ボッティチェリ Virgin and Child  聖母子(トンド スタイル)
「ボッティチェリ 模写 ヴィーナスの誕生」1859年 モロー
「ヴィーナスと三人の小さきもの」 サンドロ・ボッティチェリ
「ヴィーナスとマルス」1483年 サンドロ・ボッティチェリ
ボッティチェリ 至福の花々 (サンドロ・ボッティチェッリ)
ヴィーナスの誕生 / ( アフロディテ・アナデュオメネ by アペレス)
酔い 果実酒の寓話 / 聖母子と八天使
ヴィーナス / ウェヌス(ヴィーナス)・プディーカ
春(ラ・プリマベーラ)/ ミネルヴァ(パラス)とケンタウロス
眠る幼子キリストを崇拝する聖母 1490年頃
Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェッリ 
ここではカテリーナ・スフォルツァの肖像画や聖母子なども紹介されています。 
Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェッリ 三連画
こういう作品もあったんですね。
キリストの変容,側翼の聖ヒエロニムスと聖アウグスティヌス
「Sandro Botticelli ボッティチェッリ」
受胎告知ほか
サンドロ・ボッティチェッリ 受胎告知
受胎告知の作品6枚。上記の記事「受胎告知」の作品とは別です。
Sandro Botticelli's Rose ボッティチェッリの薔薇 ヴィーナスの誕生の庭へ
薔薇のお花のご紹介

Sandro Botticelli