デザイン/装飾/服飾

February 17, 2007

ラファエル前派 モードと芸術

A Vision of Fiammetta 1878 by Dante Gabriel Rossetti19世紀の英国は、文学界ではオスカー・フィンガル・オフレアティ・ウィルズ・ワイルド、チャールズ・ディケンズやウィリアム・ワーズワース、思想ではモリスのアーツ・クラフト運動、建築/デザインではエドワード・ウィリアム・ゴッドウィンやチャールズ・レニー・マッキントッシュ、絵画ではダンテ・ゲィブリエル・ロセッティ、ジョン・チャールズ・ブライアン・ バーンズ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイなどのラファエル前派から、芸術至上主義ジェームズ・マクニール・ホイッスラー、そしてオーブリー・ヴィンセント・ビアズリーと多彩な芸術家達が揃っていた頃です。

(画像:ロセッティ 「フィアンメッタ(フィアメッタ)の展望」個人所蔵)作品記事「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 無声の絵画 詩と文学

では、モードの世界はどうだったのでしょうか。

ウォルトがオートクチュールの創始者となり、布の魔術師マリアノ・フォルチュニィが現れました。

このウォルトとマリアノ・フォルチュニィの間に、「リバティ・プリント」で有名なアーサー・ラセンビー・リバティが、「リバティ商会」を1875年にスタートしたのです。

ウィリアム・モリス、テキスタイルのリンゼイ P. バタフィールド、分野を超えたデザイナーアーチボルド・ノックスらに支えられ、東洋の美術工芸品を扱うだけではなく、オリジナル・デザインによる製品の制作、販売を始めます。

Edward Burne-Jones 「The Blessed Damozel」顧客には、ホイッスラーやロセッティをはじめ、エステティシズム(審美主義/耽美主義)やラファエル前派、アール・ヌーヴォーの称賛者たちが多く存在していました。

リバティは、ラファエル前派が描いた作品、特にロセッティの服飾から、「エステティックドレス」を考案しました。

当時のコルセットを緩めることができる、ミニマムなドレスです。

のちにリバティのデザイナーにもなる、20世紀はじめの偉大なデザイナー ポール・ポワレが誕生させた、「ヘレニック・スタイル」の先駆けともいえるでしょう。

(画像:ジョン・バーンズ 「神聖なる乙女」 1857‐60 フォッグ美術館所蔵)

作品記事 「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ



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December 16, 2006

マジック フライ ポーラ

Orange_book_and_flowersフリッカーで、Magic Fly Paula(マジック フライ ポーラ)のフォトグラフが、とても興味深い。美術の講師が旅先や訪れた場所、興味を惹いたもの、そして自分で描いた作品を、アップロード。

その1枚・・・「orange book and flowers
・・・imaginary books and other things...



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December 07, 2006

ティファニーで朝食を ブラック ・ イブニング ・ ガウン

BreakFastat-Tiffanys Posterローマの休日でデビューしたオードーリ・ヘップバーン。翌年の映画では、イーディス・ヘッドがデザインした「サブリナ・パンツ」が、一世風靡。

オードリーと映画、オードリーとファッションが、時代の風潮となります。

そして60年代。パリのクチュリエ、ユベール・ド・ジバンシーのデザインした黒のドレス。それが「ティファニーで朝食を」のポスターにも描かれ、代表作ともなりました。

 

6日の時事によると、オークションハウス クリスティーズで、この「ブラック ・ イブニング ・ ガウン 」が46万7200ポンド(約1億600万円)で、LVMHグループ仏ジバンシィが落札。下の写真は、ブラック・イブニング・ガウンにあわせ、身につけていたネックレス。

Collection of Deanna Farneti Ceraジバンシーは、あのジャック・ファットに認められ、のちにシャネルと反目しあうスキャパレリの右腕となります。1952年に独立。「ティファニーで朝食を」は、1961年の公開でした。

1926年、シャネルが発表したリトルブラックドレスと重なるのは、私だけでしょうか?

(Photo by Denis Finnin © American Museum of Natural History)



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October 17, 2006

マイセン 「ドレス」 by ラガーフェルド&イェルク・ダニエルチックのフィギュア

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Figure "Das Kleid", Meissen 1999.

"Das Kleid"とは、カール・ラガーフェルドの「そのドレス」。スパンコールはドレスを流れるように、裾へとこぼれていきます。

マイセンの硬質の白磁器は、女性のボディをつつむドレスのラインを強調し、まるでオートクチュールにたつモデルそのものです。

世界で200に満たないリミテッドのフィギュア。それは手作業による工芸だからなのです。

サイドに、カール・ラガーフェルドとマイセンモデラーのイェルク・ダニエルチックのゴールドサイン。



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September 30, 2006

2007年春夏コレクション

Valentino's Autumn/Winter2007 ( AFP )7月5日から、パリで2006-2007年秋冬オートクチュールコレクションが開催。写真はヴァレンチノ。(7月5日 (c)AFP/PIERRE VERDY

さて、検定に出題される「ファッション情報の収集と分析」に、アパレル展示会とデザイナーコレクションのカテゴリーがあります。

教科書にもある、ラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ (La Chambre Syndicate de la Couture Parisienne)の「サンディカ」が、定めた1月と7月に、バイヤー、プレス、そして顧客に発表することが義務付けられています。

ここで大切なのは、どんな色と素材を使い、どんなシルエットをつくりだすか、ということを見なくてはならないでしょう。

オートクチュールは、メンバーとメンバーズ・エンクロージャーと、限られた、選ばれた、特別なゲストだけが観ることが許されます。

現在は、おもな正式メンバーがシャネル、ディオール、ラクロワ、ウンガロ、ジバンシー、ゴルティエ、ジャン=ルイ・シャレル、ドミニク・シロ、アンドリーヌ・アンドレ、フランク・ソルビエ、ヴァレンティノ、アルマーニ、イッセイ・ミヤケ、コム・デ・ギャルソン 、ヨウジ・ヤマモト らで、2006−2007年秋冬の招待メンバーは、カルバンとエイメリック・フランソワです。

Mariella Burani (AFP)いま開催されているのが、2007年春夏ミラノ・ファッション・ウィーク。

9月23日〜10月1日 の期間が2007年春夏ミラノ・コレクションです。

これは実シーズンの半年前に開催。写真は、マリエラ・ブラーニ。(9月27日(c)AFP/Francois Guillot

開催中の「2007年春夏ミラノ・ファッション・ウィーク」をトピックすると、30日はディスクエアード、29日にスポーツマックス、28日にエミリオ・プッチジル・サンダーグッチ、27日にプラダ、26日はアンナ・モリナーリのブルーガール、25日にフェラガモ、24日ヴァレリア・マリーニというかんじ。

2006−2007年秋冬のコレクションをオートクチュールが最後を執り、そのあと翌年の春夏のファッションウィークが、こうして開催されるのです。プレタポルテの五大コレクションといわれていたのが、ニューヨーク、 ロンドン 、 ミラノ、 パリ、東京という開催順で行われていました。2006−2007年秋冬のプレタは今年2月に開催されています。プレタポルテ・コレクションは2月から4月までと9月から12月までの間です。

こうして世界中で毎年春・秋に開催されているファッション・ウィークで、プレタ・ポルテコレクションは、NY(8〜15日)、ロンドン(18〜22日)、ミラノと続いて、07年春夏パリ・コレクションは、いよいよ明日から10月9日までとなります。ジャパン・ファッション・ウィークは世界に先駆け9月4日から9日まで開催していました。



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September 25, 2006

ミュシャ 装飾資料集 から

Alphonse Mucha. (Alfons Mucha 1888 - 1939)
1902年、リブレール・サントラル・デ・ボザール社から、72点のポートフォリオ(習作)として装飾美術のテキスト「Documents décoratifs Study for Plate (装飾資料集)」の図案集です。

KAFKAでご紹介している「Interior and furniture design  室内装飾と家具の下絵」の2年あとに出版されました。

日本でも、尾形光琳酒井抱一神坂雪佳など、琳派の流れをくむ、それぞれの図案集がありますが、いずれもミュシャ同様に、絵画だけではなく、装飾インテリア、着物の意匠などまで、幅広いデザインの貴重な資料が出版され続けています。ミュシャと同じ時代を生きた神坂雪佳は、パリ万博で、それほどアールヌーヴォーに魅了されませんでした。なぜなら日本文化がそこにあると感じたからだそうです。浅井忠は、たいへん刺激を受け、日本もアールヌーヴォーの作品を次々と作成していきます。そして、グラフィックデザイナーの領域を広げた竹久夢二杉浦非水らが、ミュシャのように、商業世界で名声をあげます。

Mu_04 ミュシャの装飾資料集は、左上が図38で、それぞれ番号を持っています。芥子、フーシャ、アカンサスなどの植物などが、デッサン、パネルから小物に至るまで装飾化していくプロセスと、完成された図柄で構成されています。ポスター化されたリトグラフで購入することもできますが、古書などのアンティークとして、オークションに出品されてもいます。つまり、たいへん貴重だということです。

ミュシャは、はじめこそアールヌーヴォーの寵児として一世風靡をはたしましたが、商業界という世界で、自分を画家としての価値を見出せずに、アメリカへ渡り、その後作品にも変化が見えますが、晩年にかけて、チェコのために無償で仕事を引き受けたり、さらに「スラヴ叙事詩」の大作を仕上げたのです。

それがプラハ時代です。結果は、ミュシャにとって「画家」という地位を築くことができました。ただ、その認識が時代が隔てたのかもしれません。

ミュシャ展でも作品リストにありました、1896年 Lance Parfum Rodo Bottle(スプレー式香水〈ロド〉の香水瓶とケース)、1899年、Moët & Chandon: Dry Imperial(モエ.・エ・シャンドン:ドライ・アンペリアルのポスター)、Necklace(ネックレス)、美術工芸品「LaNature」は、各リンク先からご覧いただけます。

mucha


ミュシャ関連記事


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September 16, 2006

Take Me with You by Loewe ロエベ

Darya Von Berner'sLOEWE 創立160周年記念 現代美術展 「Take me with you」が、9月19日まで開催されています。

Enrique Loewe Lynchによって創立されたLoeweは、王侯貴族を顧客にもち、2代目のエンリケ・ロエベ・ヒントンがアルファンソ13世から「王室御用達」の名誉を与えられます。1996年ロエベはLVMHの傘下となりました。

左のバックは、ダルヤ・ボン・ベルネル(Darya von Berner)です。

 

参加アーティストは、ヨランダ・タバネラ(Yolanda Tabanera)、カルメン・ガルシア・バルトロメ(Carmen García Bartolomé)、ダルヤ・ボン・ベルネル(Darya von Berner) 、エリザベス・アロ(Elizabeth Aro)、コンチャ・ガルシア(Concha García)、ナイア・デル・カスティーリョ(Naia del Castillo)、ヌリア・マルケス(Nuria Marqués)、アンパロ・サード(Amparo Sard )、アナ・プラダ(Ana Prada) (以上スペイン)、ディヴッド・バロウズ、グラハム・ドルフィン(以上イギリス)、村山留里子、西山美なコ、花代(以上日本)、 チン・ユーフェン、ウィルソン・シエ、ウィン・シャ(以上中国)、テレンス・リン(シンガポール)、ハー・サン・リム(韓国)です。

そして、ギリシャ王女のオルガ・イサベラも特別参加します。

Loewe exhibition一貫してコンテンポラリー・アートをサポートし続けてきたロエベは、アジアおよびヨーロッパの新進アーティストたちに、女性と、その女性が一番大切なものを宝物のようにしまっておく「肌身離すことのできないもの=バッグ」との間にある特別な関係を表現する作品の制作を依頼。

写真、絵画、彫刻、ビデオ、インスタレーション・アートなど様々なジャンルの作品が創造されました。



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September 15, 2006

「至哉坤元 万物資生堂」

資生堂 香水 ホワイトローズナチュラル ¥23,100 クリックすると山名文夫の作品に変わります。大地の得はなんと素晴らしいものであろうか。
すべてのものはここから生まれる。

デザイン詩人こと山名文夫が、資生堂のデザイナーという時代をすごした時期がありましたね。資生堂 椿 の誕生でした。

ご存知のホワイトローズナチュラルです。

 

山名文夫  曲線のモダンガール 資生堂企業宣伝新聞広告・1979 クリックすると別な作品に変わります。

山名文夫が資生堂に入社したのが1929年のこと。その後、退職、再入社を繰り返します。

ホワイトローズナチュラルは、1936年発売で、戦時中をのぞき、1954年に再び発売されてからはロングセラー。

プロダクトも人も、資生堂の歴史は復活するのですね。ちなみに大正時代には、雪岱も在籍していたのでした。



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June 08, 2006

Vionnet, Madeleine

パルファムアンシャン・レジーム期の支配階層に変わって、産業革命を背景に19世紀の新しい支配階層となったブルジョワジーのファッション。1858年「オートクチュール」という新形態のクチュリエたちのメゾンが誕生しました。

その一人マドレーヌ・ヴィオネは、これまであまり語られることが少なかったデザイナーの一人です。ディオールが尊敬し、ポール・ポワレと同時代にも存在していたマダム・ヴィオネですが、「衣装の原点」といっても過言ではないと思います。

アール・ヌーヴォーからアール・デコに様式が変化した20世紀初頭、Madeleine Vionnetは、画家や彫刻家が使用する模型にも似た、手足の動く60cmほどの動く人台を利用し、生地と身体動作とバランスを研究することに成功しました。

これが、トワレ作品です。

このトワレは何を意味するのかというと、切り替えやつなぎを最小限におさえたドレスが仕上がるということなのです。

Madeleine Vionnetが、この布のもつ特性をいかしたかということが、パターン図の形状から読み取ることができるのです。


長方形、四分円、三角形の展開などから、どのような服飾の歴史からの影響を受けているのか、そのシルエットの表現、多様なデザインの組み合わせには何が必要なのかということを理解していくことです。

パターントワレの利用はヴィオネの立体裁断(ドレーピング)であり、ここからバイアス・カット、サーキュラー・カットが誕生し、つまり布を斜めに使うという発見ですが、身体へのフィット、運動性とカット(裁断)を結びつけているのです。

長方形のパターンは、古代ギリシャや着物の影響を受けています。そして時代とともにドレーピング、バイアス・カットは進化し、それはヴァレンシアガ、三宅一生らの姿勢にも見受けられます。

ファッションを専攻している学生の方々に多い作品のコンセプトのズレは、こういった「見る、聴く、考える、関連させる」が不足しているようにも思えますよ。

服飾史は、実践的な授業ではないのかもしれませんが、そこには、ポール・ポワレがマーケティングを取り入れた事業ぶりがうかがえたり、いまの作品が誰のオマージュなのかという深い読みが、やがて技術に加わる精神や姿勢に育っていくのです。

 さて、ファッションを専攻する方々中心のエントリーになってしまいましたが、マドレーヌ・ヴィオネをとりまく人々には、写真家のマン・レイや美しいモデルソニアが存在していました。そういったヴィオネについては、私のもうひとつのblogがありますので、関心のある方はご覧ください。

服飾史参考サイト(学生用) Fashion-Era
マドレーヌ・ヴィオネ パルファム

また「−20世紀ファッションの革命−シャネル・ヴィオネ・ディオール」が、神戸ファッション美術館で開催中です。

神戸ファッション美術館 
〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中2-9-1
TEL 078-858-0050 FAX 078-858-0058
[e-mail]info@fashionmuseum.or.jp



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May 31, 2006

Yves Saint-Laurent Rive Gauche

2004-05年秋冬で、トム・フォードはイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュから消えました。ピノー・プランタン・ルドゥート社との葛藤。

高田賢三もKENZOから去って随分と立ちました。そしてサンローランも、自分のブランドを去って行った一人です。

「ファッション業界が芸術性より商業的に支配されているのに愛想が尽きた。」

イヴ・マチュー・サンローランは、彼のデザインについてディオール社との葛藤があり、1966年、プレタポルテ"イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ"のブティックをパリ6区にオープン。画家モンドリアンからのインスピレーションから「モンドリアン・ルック」が誕生したのです。

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Mario Sorrenti, Yves Saint Laurent Rive Gauche, 1998

1998年。サンローラン健在の時代の広告宣伝は、マリオ・ソレンティ の名画のパロディです。

11の名画は、サンローランの世界を表現するカルチャーそのものでした。この写真はエドゥアール・マネ の「オランピア」(1863年)のパロディ。

アレクサンドル・ デュマの 「 椿姫 」 の娼婦の名前も、オランピア。このオランピアとは当時の娼婦によく使われた名前。

草上の朝食でもモデルだったヴィクトリーヌ・ムーラン。

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ちょっとゴシップ
美しいヴィーナスとの一夜はマーキュリーとの生活を意味することがあったとありますが、これはヴィーナス病と水銀を示しているそう。ヴィーナスから生まれた言葉には、ヴィーナス帯、ヴィーナス丘、ヴィーナス病(性病)アフロディジア、アフロディジアックなどがあります。とても意味深ですね。マネもヴィクトリーヌ・ムーランとの関係を示すかのようにヴィーナス病に侵されたらしい。(某サイトさまの引用。とても芸術的なサイトで、この部分だけを参考にしております。)

処女の喪失を表す右の片足の脱げたサンダルに、尾をあげる黒猫は性欲を象徴。近代のヴィーナスと呼ばれる所以は、ティツィアーノの「ウルビノのヴィーナス」のオマージュでしょうか。

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こちらがティツィアーノの「ウルビノ(ウルビーノ)のヴィーナス」(1538年)。マネのオランピアより、300年ほどまえの作品なんですね。師ジョルジョーネの眠れるヴィーナスが神話だとすると人話のヴィーナスというところでしょうか。

印象派時代と「古さ」は変わらない気がします。

マネは、スキャンダラスな「オランピア」に、ザカリー・アストリュック(Zacharie Astruc )の長編詩「La fille des îles」の最初の部分といわれている一節を、作品「オランピア」に添えています。

夢に驚き目覚めたオランピア
軟らかな響きの言葉をかける黒人は、春を抱えている
それは、愛の夜の奴隷 甘美な昼下がりに 花を贈る
炎を秘めた威厳のある少女に

800px-Venus_dormida

Quand, lasse de songer, Olympia s'éveille,
Le printemps entre au bras du doux messager noir;
C'est l'esclave, à la nuit amoureuse pareille,
Qui veut fêter le jour délicieux à voir,
L'auguste jeune fille en qui la flamme veille.

(日本語訳は、すこし装飾しています。原文に忠実ではありません。)

追記
ザガリー・アストリュックは、マネのオランピアの擁護した批評家でもありますね。そのマネとアストリュックが、アンリ・ファンタン=ラトゥールの集団肖像画に描かれています。

キャンバスにむかうマネと、その横の椅子に座るアストリュック。ルノワールたちも描かれています。画像にカーソルをあてると、順番がわかります。

こちらから。
「バティニョールのアトリエ」 1870年 アンリ・ファンタン=ラトゥール
Un atelier aux Batignolles 1870  Henri Fantin-Latour ( 1836-1904)

横たわるヴィーナスには原語と邦訳の間にあります1510-1511年(1501年とも)製作のジョルジョーネ(Giorgione)の眠れるヴィーナス(Venus dormida)のように、神話画としての作品も多いですね。

Alexandre Cabanel

アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel.)のヴィーナス誕生(1863年)も綺麗ですが、まだまだ作品はあります。

La Bacanal

こちらはヴィーナスがデザートのように描かれた作品です。 アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck, 1599- 1641)がジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニ作「忠実な羊飼い」(ポンパドゥール夫人の肖像画にも描かれている書物)の「アマリッリとミルティッロ」は、このヴィーナスが描かれたティツィアーノ「アンドロス島の人々」(1523-24)をもとに描いているそうです。

666px-The_Feast_of_the_Gods

こちらも同じところに横たわっています。こちらは「神々の祝祭」(1514-29)でフェラーラ公爵アルフォンソ・デステの書斎に「アンドロス島の人々」とともに飾られ、まったく同じような構図。ベリーニの作品ですが、連作としてティツィアーノが加筆しています。

「アンドロス島の人々」はぜひヴァン・ダイクと見比べてください。remove 記事「ジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニ忠実な羊飼い」からどうぞ。

Venus

このアンドロス島の人々、神々の祝祭、そしてこのヴィーナスの奉献が連作です。もとはラファエロが「バッカスの勝利」というギリシャ・ローマ神話を一連に作品化していくのですがラファエロの死とともにティツィアーノが引き継ぎます。

ティツィアーノは「レオポルト・ウィルヘルム大公」にも神話の連作を描いていたようです。

マリオ・ソレンティのサンローランから16世紀までにたどり着きましたが、つねに絵画作品は模倣、オマージュ、パロディとして次の時代の巨匠であったり同時代の画家たちであったり、見比べて楽しむことができますね。

20世紀にはピカソやポール・デルヴォー(Paul Delvaux)もオランピアや眠れるヴィーナスを描いています。

ThePublicVoice

 

delvaux

ポール・デルヴォーの上の作品はタイトルはヴィーナスやオランピアとは直接関係ありませんが、アンドロス島の人々のように、立っている3人はたがいに声をだしてお話しをしているようですが、一人別世界です。タイトルは「声」だったでしょうか?

下の作品は「眠れるヴィーナス」です。

paul delvaux

これは最初のポール・デルヴォーの連作でしょうか?続きを読む

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