ギュスターヴ・モロー Moreau

February 20, 2007

ギュスターブ・モロー 6枚のサロメ

ギュスターヴ・モロー 「サロメ」ギュスターヴ・モロー 「サロメ」


いったい誰が「サロメ」と命名したのでしょうか。聖書では、娘と記されています。

刺青やベール、宝飾を纏ったモローの数々の「サロメ」より幼くみえるためか、裸婦で描かれているにも関わらず、「刺青のサロメ」などより官能性が低く感じられます。

モローは、これまで他の画家に描かれてきた「サロメ」よりも、すこし大人びて描いているようです。

ヘロデ王の異母兄ヘロデ・フィリッポ(ピリポ)の妻だったサロメの母ヘロデヤ(ヘロディアス)は、幼い娘に、ヨハネの首を獲らせます。

史実に基づくと、ヘロデヤの娘であるサロメという王女は、カルモスの王子アリストプロスと結婚し、「サロメ」の名の由来どおり、「平和」な生涯を終えたよう。

ヨハネの処刑との時期については、歴史的証拠はないとされています。

聖書のほんの一節は、オスカー・ワイルドの作品「サロメ」は、リヒャルト・シュトラウスの作曲によって、オペラとして上演されています。

新約聖書にある洗礼者ヨハネは、当時禁止されていた略奪婚を果たした二人を紛糾したヨハネを、サロメは愛し、受け入れられないことに身悶えする苦悩を味わいます。


頭を運ぶサロメ官能的で優美な踊りで観衆を魅惑するサロメ。そのサロメに邪な思いを寄せる義父ヘロデ王は、王自身の誕生日の祝宴で、サロメの舞をみたいというのです。

その舞に褒美を与えてあげようという王に、母のヘロデヤは、紛糾の恨みに、サロメが愛してやまない預言者ヨハネの首を所望させます。

すでにサロメは、ヨハネに受け入れられない愛は歪み、母から唆されたとおり、ヨハネの首を褒美として望みます。

そして、そのヨハネの首を運んでいる作品は、1876年「大皿にのせたバプテスマのヨハネの頭をはこぶサロメ」(個人所蔵)という作品です。

斬首されたヨハネに接吻するサロメ。そのサロメに脅威する義父ヘロデ王。結局、サロメも死んでいくのです。


そのサロメが舞った宮殿の跡といわれているのが、ヨルダンのムカウィール遺跡(マケラス)です。ヨハネの受難とされた幽閉と処刑の宮殿。

シリアの首都ダマスカスのウマイヤ・モスク内にあるヨハネの墓は、ちょうど隣国となるのですが、新約聖書では、規律を紛糾した彼は幽閉され、処刑され、その遺体をヨハネの弟子達が埋葬した場所は、どことも記されていません。

サロメの舞踏 1876 メナード美術館 

サロメの舞踏 1876年頃 水彩 メナード美術館所蔵


Gustave Moreau -  Salomé Tattooed 

踊るサロメ(刺青のサロメ) 1876年頃 油彩 ギュスターヴ・モロー美術館


Apparition

出現 オルセー美術館所蔵 サロメ7枚目の追加です。


踊るサロメ 1886年 水彩

 踊るサロメ 1886年 水彩 ルーブル美術館デッサン室所蔵
  

ヘロデ王の前で踊るサロメ 1876 

ヘロデ王の前で踊るサロメ 1876年 ギュスターヴ・モロー美術館


二柱のミトラ神を脇にしたアルテミス像や床に座る楽人は、踊るサロメに、必ずどれかがモチーフで描かれています。喜多崎 親氏の解説によると、左右対称の構図に、ムーア風のアーチ、ビザンティン式の柱頭、インドをはじめとするオリエンタルな装飾品に衣装です。

フローベルの歴史小説「サランボー」は、古代カルタゴが舞台ですが、この物語に、サロメの衣装と類似する部分があるようですが、モローに限らず、「サランボー」からインスピレーションを得ているのは、音楽家のサティも同様です。

ギュスターヴ・モロー曰く
「この女(サロメ)は、曖昧な、時として恐ろしい理想を追い求めて花を片手に人生を横切って行き、すべてを、天才や聖者までも足下に踏みだいていく、軽やかで不吉な小鳥のような永遠の女性を代表している。この踊りが行われ、この神秘の歩みが成就するのは、絶えず彼女を見つめ、陶然と口を開いて取り入ろうとする死の前、打ち降ろされる剣を携えた刑吏の前である。これは、言いようのない理想や官能や病的な好奇心を求めるものに与えられた恐ろしい前途の象徴なのである。」(アサヒグラフ別冊 西洋編17 p87より引用)

モローのサロメを愛せない理由がわかりました。(笑)
黒豹の寓意は淫蕩。それはヘロデ王なのか、ファム・ファタルのサロメを象徴しているのか、ともかく、ここに描かれた人々には、愛する心を知らず、その一時の官能に生きているということなのでしょう。



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