ホイッスラー Whistler

December 23, 2006

ホイッスラー、ジェームズ・アボット・マクニール

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バラ色と銀色:ミセス ウィブリーの肖像画 1894年
(ホィブリー夫人の肖像画) by ホイッスラー

黒いバックグラウンドに限られたパレットの色。わずかに茶の色彩を残す床は、もっとも白い、女性の肌と対照的。

ドレスに流れる黒いレースは、夫人のばら色の帽子とドレスを強調するとともに、彼女の個性と美を象徴しています。

「美が生み出すのは感情を観念に昇華させる歓びである」と語る作家ジョセファン・ペラダンは、官能の享楽と美を享受する審美主義とも唯美主義ともいわれる「耽美主義」を、そう評しています。

ホイッスラーに憧憬していた画家には、世紀末美術のオーブリー・ビアズリーがいました。酷評されたビアズリーが、ホイッスラーを揶揄する諷刺画を描くことがありました(後に和解)。このころアールヌーヴォーも主流のひとつ。ウィリアム・モリスからはじまった英国アールヌーヴォーを象徴するものに、オーソドックスな書物も挙げられます。これはホイッスラーの挿絵を使わずに、ビアズリーの洗練された挿絵や装丁が、その様式を代表していきます。こうしてビアズリーは、オスカー・ワイルドの装丁なども手がけていきます。

もともと、ホイッスラーの親友であったオスカー・ワイルドは、画家を「絵描き」とみなし、ホイッスラーは、古くからの因縁である、「詩人と画家のそれぞれが技を自慢する比較芸術論」のごとく、ワイルドと対立をするようになります。

1878年に、評論家ジョン・ラスキンとの訴訟事件など、同じ耽美主義で名高い作家や評論家とは、ことごとく溝を深めます。また前年の1877年には、レイモンドの自宅のダイニングに孔雀の間を仕上げます。気に入ったもののレイモンドは失望し、このパトロンはホイッスラーを見限ります。(私の感性に、孔雀の間は、ほど遠い)

Mother and Child on a Couch

寝椅子の上の母と子 ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館

ジャーナリズムは賞賛しましたが、話題性という賞賛です。ホイッスラー自身もこの壁画を「芸術とマネー」と呼びました。

それでも、色彩の画家といわれるホイッスラー(ホイッスラー、ジェームズ・アボット・マクニール)は、耽美主義が重きをおく「色彩」を、見事に独自のパレットで表現しています。耽美主義はジャポニズムへの関心も深く、対立したワイルドの自宅も、ホイッスラーは日本的な室礼を施しています。

1885年には、芸術至上主義(l'art pour l'art)と結びついた、ホイッスラーの「十時の講演」では、耽美的な芸術思潮の「芸術の意味より形式の自律的価値」を提唱しました。ですが、根底には耽美主義(唯美主義)への否定が、ホイッスラーにあったとも言われています。耽美主義とは、芸術の意味の要素である「何を描くか(主題)」ではなく、「どのように描くか」ということで、これが形式の要素となります。

Arrangement_in_pink_and_purple

さて、この作品は、シンシナティ美術館所蔵の「撫子色と紫色の編曲」(1881年)です。この2枚の作品から受ける印象は、モダンであり、具象と抽象の狭間をさまよっているようなと思いました。

撫子色のソファーをご覧ください。なにか形態が曖昧ですよね。対象を抽象化していくさまは、1875年の「黒と金色のノクターン 落ちる花火」で、ラスキンに酷評され、音楽的用語や楽曲のタイトルは不評でした。

音楽のメロディーと同様に、絵は美しさを鑑賞するという信念が、そのタイトルにこだわり続けた証です。晩年、ようやくその作品が認められたということです。

ホイッスラーの作品の中でも、理解しがたいものもありますが、ホイッスラー自身が、見る側が決めるものと言っています。

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903) 作品

Note in Red: The Siesta

ノート イン レッド :お昼ね 1884年
テラ・アメリカ美術財団所蔵品

Milly Finch

ミリー・フィンチ 1884年  フリ−ア美術館所蔵

ハーモニーインコーラル&ブルー:ミリーフィンチはこちら



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