balance sugasan - doti自己実現の場の選択について考えています。前記事からの続きです。

なぜ、2つしかないお薦めパターンのいずれもが、「仕事」主軸で推奨されるのでしょうか。

端的に言えば、それは人生において、社会生活を破綻させないためです。

ご説明の前に、念のため再度、自己実現の場の選択肢についておさらいしておきましょう。それは以下の3つでした。

①仕事
②家庭生活
③趣味・趣向の活動

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さて仮に、②の「家庭生活」が自己実現の主軸の場として選択され、それが叶いつつあるとしましょう。あくまでも一般論ですが、例えば、家庭生活において自己実現を強く望む中年の父親がいたとして、こんな感じ。

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「夫婦円満。自分が子の立場としても親子円満。親の立場としても親子円満。多少の痛いかゆいはあるものの概ね家内安全。家族皆が健康優良。子供たちは成績優秀でスポーツにも秀で、学校生活においては誰からも好かれるリーダー的存在。そして進級、進学も全く問題なし。堅実でしっかりとした将来の夢も持ち合わせており、そこに向けて粉骨砕身、努力を惜しまない。決して裕福とは言えないが、子供たちが大学を卒業するまで、そして結婚するまでの資金についても、親として恥ずかしくないだけの算段はできている。そのためには慎ましやかな生活ではあるが、それもまた愉しである。一方、自らが子としての存在にあっては、同居して隠居している両親からの信頼も厚く、自らの子育てについても、夫婦関係についても余計な口出しは一切ない。目を細めて様子を見守っていてくれる。こうした一連の肯定的な状態に至るには、もちろん少なからず紆余曲折があったわけだが、決してへばらず、あきらめず、やけにならず、陰に陽にと努力を惜しんでこなかった。そしてそれに家族も応えてくれてきた。助けてくれてきた。そうやって絆を強めながら今がある。家族に歴史あり。そしてそれに確かな愛着と感謝、手ごたえを感じている。今では遊びに来る友人も親類も、理想の家族、理想の家庭運営として、羨望の眼差し。それでもなお、より一層高い家族の理想の形を追究していく日々にある」
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Ideal family and myhome - image - hand on miniature house

どうでしょう。理想の基準やあり方は人それぞれでしょうが、一般論からすれば、絵に描いたような家庭生活と言えるのではないでしょうか。

しかしこのように、②の「家庭生活」が自己実現の主軸として選択されていて、それが叶いつつある場合、一方で、①の「仕事」が自己実現の補助軸に過ぎず或いは補助軸ですらなかったとして、且つ仕事がうまくいっていなかったならば、どうでしょう。

休日明けの朝はなんとも気が重たいことでしょう。なにせ、バラ色の家庭生活から灰色の仕事場へと向かうことになりますから。

しかも、仕事が自己実現の補助軸でしかなかったり或いは全くもってそうしたステージとして捉えられていなかったのなら、そこには「どうこうしたい」というような建設的な理想を追い求めないわけですから、なんとも気が進まない休日明けの出勤となるでしょう。

それでも愛する家族のために、重たい足取りながら、逃げることなくどうにか職場に辿りついたとします。それはそれで立派です。しかし理不尽な仕打ちや心無い言葉を、四六時中、あちこちから投げかけられるようであれば、仕事場での立場が針のムシロの上に正座しているような状況が続くわけですから、都度考えるのは「家族のためだ」「耐えなければならない」との使命感然としたものばかりでしょう。そして、そうした苦役に耐えたご褒美として設定される家族との幸せな時間を思うと、「早く家に帰りたい」「家族の笑顔に触れたい」「息子のためにこんなことをしてやろう」「娘のためにあんなお膳立てを考えてみよう」「次の休みは皆で〇〇にいこう」等々。

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現実が辛ければ辛いほど、そのストレスを緩和するために心が自然にバランスを取ろうとしますから、考えるのはバラ色の家庭生活のことばかりとなるわけです。家族を思う気持ちが悪いと言っているのではありません。知らず知らずのうちに、それが逃げにつながっていってしまう怖さを言っているのです。

このような場合、朝、職場に到着した途端、やおら次の休日までのカウントダウンが始まり、仕事そのものは我慢大会と化すでしょう。

こうしたケースで危惧されることは、それが常態化しがちであり、よって思考停止、そして淘汰されがちになるということです。

仕事が自己実現の主軸たるステージとして選択されておらず、一方で家庭生活での自己実現がまずまず叶ってしまっている或いは叶いつつあると、仕事で上手くいっていなくても、全体としては、そこそこに満足してしまうのです。仕事での苦行も、ともすると、家庭生活での自己実現のために必要な我慢であると自分自身に言い聞かせ、淡々とうまくいっていない仕事を繰り返していくようになっていくのです。

これでは、いくらまじめで責任感のある人でも、そこに投げ出さない美徳を見てとることができたとしても、その時点でうまくいっていない仕事を問題解決したり、或いはその延長線上で更によりよく発展させていくような期待は持てません。どれだけ仕事が間に合わなくとも、上司や会社が期待するなにものにも目もくれず、聞く耳をもたず、黙々と自分のペースで、ただ投げ出さず、愚痴を言わずにやっていくような仕事ぶりとなりましょう。

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一昔前までは、そういう人であってもそれなりに重宝されたものです。しかしそれは、仕事を取り巻く環境の変化が比較的緩やかであった時代で、なににつけ選択肢が少なかったからです。変化の激しい現代となっては、そうした人は、残念ながら組織や会社にしてみればストレスにしかなりません。「こうしたい」「ああしたい」という会社や組織の理想があったとしても、手を変え品を変え、それを訴求しようと我関せず然。今までやってきたことを同じように繰り返すのみ。これでは一向に諸問題は解決しません。そして現代において選択肢は多いのです。変わりの人はいくらでもいるのです。

こうしたありようと、それに対する許容の延長線上では、早い、遅いはあるでしょうが、必然的な命運が待ち受けています。

現代社会のビジネスの最前線では、常に新しい基準や枠組みへの適応、そしてその予兆を捉えて先回りした対応や施策が求められます。最先端技術者や発明家でなくても、「イノベーション」が連呼され、求められる時代なのです。

今日、発展性のない仕事ぶりが定着してしまった人は、悲しいかな淘汰されてしまいます。

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結果、職を追われ、会社を追われ、まじめでさえあれば誰もができる定型業務を、低賃金に喘ぎながら黙々とこなしていくしかなくなります。

しかし定型業務とは、即ち作業であり、作業は作業量が多い時にはその担い手がたくさん必要なのですが、作業量が少なくなると余ります。当然です。そして景気が悪くなれば、大概の企業では作業量は減り、作業の担い手はダブつき、そのダブつきを放置しておくと企業の生産性はどんどんと低下し、その累積によって企業経営は立ち行かなくなります。

よって景気が低迷してくると、そのダブつきを早々に是正しなくてはならなくなりますので、ごく自然に作業の担い手の選別と切り捨て、つまり更なる淘汰が起こるのです。

クリエイティブな仕事をして好待遇、高収入を得ることを諦める代わりに、気楽な定型業務と低賃金を選択した人々は、その選択が正しい、正しくないは別として、悲しいかな景気の好不況によって、都度就労が脅かされていくことになり兼ねません。「低賃金でも安定さえしていれば生活の算段ができる」と言う人も少なくありませんが、しかし、低賃金であるからといって必ずしも安定はしないのです。

こうなると、自己実現の主軸として「家庭生活」を選択していても、廻りまわって、それに支障をきたすこととなり兼ねません。

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家庭生活における自己実現はとても大切です。しかし仕事における自己実現の希求なくして、雇用や商売の安定、つまり会社や組織或いは社会から選ばれ続けるということはありません。なぜなら、仕事に自己実現を求めない人は、能動的により良くなろうとはしないからです。会社や組織、社会は「より良く」なることを望んでいるのです。そしてその因子として、より良くなろうとする人を求めているのです。仮になんらかのラッキーが重なって、短期間、環境要因だけで選ばれることがあったとしても、環境は好む、好まざるに関わらず常に変化しています。環境要因だけでは、望ましい状態は長続きしないのです。

そもそも家庭は共同体であります。自己実現ではなく、言うなれば「家族全員の自己実現」=「家族実現」が必要です。そのために、家庭の運営費を稼いでくる主担当者が父親であるのなら、その役割と責任を全うし続けていくために、それが不安定なものになってしまってはいけないのです。

ワーク・ライフバランスの旗印の下、「仕事だけじゃないだろう」というような問題提議が声高に叫ばれる昨今です。なるほど確かにそうです。しかし気をつけなければなりません。人間、いつからそんなに偉くなったのでしょうか。

そもそも、「人間にとっての仕事」をどう捉えるかについて、奢り、高ぶり、迷妄があってはいけません。


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