シリーズ連載(岡崎信用金庫調査月報連載)の締めくくりに、私事で恐縮ですが、父親の話をさせて頂きます。

私の父は、当時、日本ではかなり名の通った企業の社長を務めておりました。しかし当時、時代をリードするその先端業界にあって、高度成長の波に乗り設備投資に余念無きところを苛烈極まりない二度に渡るオイルショックが襲いました。

父の会社はこれに耐え切ることができませんでした。それでも父は、関係各方面へ頭を下げまくり、業界次位の競合他社への吸収合併の段取りを付けたり、それがこじれたり、四方八方かけずり廻り、最終的には従業員の方々の雇用を死守したようです。

しかし、そこまで辿り着くには親会社や金融機関とのギリギリの折衝、段階的なリストラや、それに伴うリストラ従業員の方々の再就職のお世話、そして社長自らがリストラ業務の穴埋め作業に入り込むなど、抵当に入った実家に戻る間もなく会社に泊まりこみながら、当に心身ともにボロボロになるまで獅子奮迅の立ち回りをしていたそうです。

その結果、私が家を出て二年程で、無理が祟って倒れ、生死の境をさ迷いながらも何とかその冬を乗り越え、その後、半身不随の余生を送ることとなりました。

裕福な暮らしに甘えながら親の言いなりに生きることに反発して、高校進学前に家を飛び出した私でしたが、高校二年生の頃からは、父親の病気と事業の失敗により当に実家は没落状態。私は、新聞配達で得た稼ぎの中から、雀の涙ながらも家に仕送りを始めましたが焼け石に水だったようです。「人間万事塞翁が馬」ということでありましょう。

その後、親不孝の私は、「男たるもの志を持って家を出たからには、それを遂げるまでは断じて家の敷居を跨ぐべからず」という父親の教えにかこつけて、終ぞ父親の死に目に立ち会うこともなく、家を出たままの放蕩を通してしまいました。

もう少し早く私が生まれていたら、もう少し早く私が大人になっていたら、もしかしたら父親の逆境を救ってやれたかも知れません。いや、それは思い上がりでしょう。しかし、共に苦しみを分かち合うことはできたかも知れません。少なくとも、倒れて生死の境をさ迷い、半身不随となって、以後の生涯をふいにさせるようなことは避けられたのではないかと忸怩たる思いと悔恨の情が交錯します。

私が今、様々の企業様の人財育成のお手伝いをさせて頂いているのは、私がどんなに自分自身のビジョンを高らかに謳おうとも、実はそうした想いに突き動かされているのであろうと思います。縁あって出会った社長様や経営幹部の皆様を父と見立てて、果たせなかった親孝行をしているつもりなのでしょう。自己満足だと批判されるかもしれませんが、しかし、それはそれで良いと思っています。縁あるたくさんの「親父」の役に立つことが私の使命なのでしょう。

そんな私が、最後に繰り返して申し上げます。「事業は人也。企業は人也」「経営とは教育也」「教育とは刺激也」。そして、懲りずに通読、お付き合い下さいました皆様に厚く御礼申し上げ、連載の機会を設けて下さいました岡崎信用金庫様に厚く深く御礼申し上げ、「人を財となす」をテーマとした連載の筆を置かせて頂きます。

ご愛読ありがとうございました。



☆15.私の仕事の理由 ( 完 )
※ 岡崎信用金庫調査月報への寄稿「人を財と為す」を加筆編集



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