1-14.目的は『最終到達地点』=『存在意義』が黄金律 / 第1章.就活前に考える
 

ヤングな君たちの冬の代表的な遊びに「スノーボード(以下『スノボ』)」がある。これを例に話を進めよう。    
  
スノボに向う道すがら問うてみて欲しい。「今、私はなんのために存在しているのかしらん?」と。「スノボを楽しむため」と心から即答できるならばOKだ。これ、「最終到達地点」=「存在意義」の関係であり、どこにも迷いは生じない。心からスノボを楽しむことができるだろう。白銀の世界を満喫してくれたまえ。
      
ところが「スノボ(を楽しみ)に行こうぜ」と言ってくりだしたにも関わらず、「出会いをゲットするため」とか「告白するため」という存在意義に気がついたならば、それは目的が手段やシチュエーションにすりかわったと気づく瞬間だ。このような場合は素直にその気づきを受け入れ、修正しよう。つまり、ゲレンデに行く目的は「出会いをゲットすること」或いは「意中の人に告白する」ことであり、自分は今そのために存在しているのだと。スノボはそのための手段やシチュエーションなのだと。あくまでも最終到達地点は出会いの具現や思いの丈をぶつけることであると。嗚呼清々する。潔い。
 
これを受け入れずに「最終到達地点」≠「存在意義」の関係のままでスノボに行っても、迷いが生じてしまい心の底からスノボや銀世界を楽しめない。最終到達地点は「スノボを楽しむこと」なのに、「出会いをゲット」「告白」するために存在しているのでは自己矛盾もいいところ。もちろん、このような迷いが生じている状態では、詰まるところ出会いも確保できず、思いの丈をぶつけることもなく、燻って終わる。いかにも「スノボをしに来ました」とふるまいながら目をランランとさせて異性を狙っていたり、吐露の機会をうかがい続けて悶々としていたり。これでは「成ることも為せず」で、不健康極まりない。

そこへいくと、男子も女子も含めて「ナンパ師」たちは実にわかりやすくて爽快だ。「出会いを求めてこのゲレンデに来ました」と、顔にも書いてあるし行動にも如実に現れる。ストレートに目的達成のために行動する。

恋愛を勝負ごととして捉えている輩も好事例。とったり、とられたりの恋愛という合戦にあって、勝負時を想定、演出し、周到な準備を経てここぞという場面で「エイ、ヤア」と告白に思いきる。

ナンパ師たちも恋の勝負師たちも、腹が据わっている。なにせ「最終到達地点」=「存在意義」という目的の黄金律(※宗教とは別。素晴らしい法則という意)が成り立っているのだから。
    
このように、目的に「最終到達地点」=「存在意義」の関係が成り立っているとき、つまり、真の意味で目的が設定されているとき、人はとてもエネルギッシュであり、輝いている。ナンパ師たちは、一度や二度、いや三度、四度と断られても、まるで意に介さず次から次へと声を掛けまくって行く。その潔さ、たくましさ、輝きが実を結ぶ。「下手な鉄砲でも、情熱を込めて数を打てば当たる」のだ。そして、彼らは目的を達成するばかりか、ゲットしたその異性と手段・シチュエーションであるスノボまでも楽しんでしまう。

恋の勝負師たちもそうだ。「最終到達地点」=「存在意義」の関係が成り立つ時、人はブレない。迷わない。一意専心、告白という天王山に向けてお膳立て、演出をし、絶好の機をとらえてズバっと勝負をかけてくる。覚悟も準備も集中力も、「最終到達地点」≠「存在意義」の中途半端な輩を圧倒している。だから、成功の確率も格段に高い。そして、思いの丈を受け止めてくれた意中の人と、目的達成のあとに手段・シチュエーションであるスノボやゲレンデを満喫してしまう。
        
おお、偉大なるかな「最終到達地点」=「存在意義」の関係。
 
「最終到達地点」≠「存在意義」にも関わらず、それを目的として掲げてはならない。得てしてそれは、建前や照れ隠し、カッコつけの薄っぺらいものとなる。目的の中の目的・・・キング・オブ・目的・・・つまり「最終到達地点」=「存在意義」の関係が成り立つ真の目的を設定、標榜しよう。
         
そこでおじさんは再び問う。君の人生の目的、つまり最終到達地点は、君がこの世に存在している理由=存在意義となっているだろうか? 
 


「1-15.時として『目的』のすりかえも愉し」へ展開



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