korekakerunone-sugasan数年前のこと、広島出張の際の定宿の一つ 「 広島 グランド プリンス ホテル 」 さんが温泉を掘り当てました。

常連としては大変嬉しく、以来温泉大浴場がオープンしてからはちょくちょくとこれを利用。潮騒や行き交う船の汽笛、海辺に遊ぶ人等の声を聞きながら、漂い来る潮の香をアロマ代わりに格別の露天入浴タイムを堪能しています。

さて、その温泉施設ですが、ホテル本館に付帯するような形で営業しております。3Fの客室フロアの一角が入浴施設の入り口です。その入り口の隣には小さなフィットネスジムが営業しており、恐らく、このフィットネスジムを受託運営している会社が併せて温泉施設の運営管理も行っているものと思われます。なぜなら、フィットネスジムも含めてスタッフの接客業従事者としての素養、応対がホテル本館のそれと比べてあまりにも質が悪く、また悪さ加減も似通っていて、これらの運営が別会社であろうこと以外にそうしたマイナス面を説明する材料が見つからないからです。

もちろん、中には一部、そこそこ感じの良い接遇をされる方も見えますが、大半はムスッとしていて機械的な応対。目配りが不足していて来場者にも気がつかない。用件の会話しかしない。これでは街場の健康ランドとそう大した差はなく、いや、ひょっとすると街場の方がもっと愛想がいいかも知れません。ですから、せっかくの温泉気分も、気持ちがほぐれ損ねる感じさえいたします。


他の記事でも紹介していますが、サービスには‟機能的側面”と“情緒的側面”があります。サービスの本当の価値は、この2側面の評価の掛け算によって導き出されます。


例えば、温泉施設があるということは“機能的側面”としては単に「ある」というだけのこと。しかし、それだけでは最終的なサービス価値は決しません。その「ある」に‟情緒的側面”での評価が掛け合わされて初めて真価となるのです。

その機能的側面は会社の方針と施策の実行によってほぼ自動的に決定され、一方、情緒的側面はサービスを担当する従業員の感性と能力、振る舞いによりその都度「よい」「悪い」の評価が決定されます。

当然ながら掛け算によって求められるサービスの真価は流動的となります。サービス担当者の接遇応対品質は一定ではないからです。サービス担当者は一人ではなく、感じの良い応対の人もいればそうではない人もいる、つまり個人差があるのです。また同じ担当者であっても調子のよいときもあれば、そうではないときもあるのです。


ここで注意しなければならないことがあります。機能的側面は目に見えやすく安定性がありますので、経営者としてはこれに過分の信頼を寄せてしまいがちな点です。

なにせ機能的側面は、モノや仕組みをつくる、そしてつくったモノや仕組みを稼働し続けさえすれば常にそこに「ある」ことになり、目に見え、手で触れることができるのです。これは確かな存在。経営者は確かなものが好き。

一方で情緒的側面はサービス担当者のサービス提供都度、刹那的に生み出されます。しかも本人の素養やバイオリズム、客との相性やその他環境要因によって大きく変化するので一定ではありません。サービス担当者と客以外、経営者を含めて第三者がその価値を実感したり手で触れたり、提供前に検品、管理したりすることができないのです。姿かたちがある様でない。その印象も千差万別。面妖なり。これ経営者が好まない領域。

経営者は目に見えにくいものではなく、目で見て明らか、実体のある確かなものを好みます。当然です。目に見えない不確かなものを扱うのは宗教の世界であって、ビジネスの世界ではそれはプラスαの部分でしかないと捉えられます。確かに利益を得ようと思ったら、確かなものを信じるしかありません。掴みどころのない面妖な類に頼って資本を投下することはできないのです。よって専ら機能的側面の「ある」ことに注目、情緒的側面は不安定要素であり判りにくいからこそ目をつぶってしまいがちで、それを分業よろしく事業者に託してしまいがちなのです。

経営者と事業者がイコールである場合は、こうした見落としや偏り、それによる錯覚は起こりにくいようです。経営者が事業者としての感覚、感性、情熱をも併せ持っているからです。ところが経営者と事業者が別である場合は、事業者が経営者から求められる数字の催促に圧倒されてしまい、経営者の視点に過ぎるくらいに合わせようとするがあまり、本来事業者であるからこそ必須である視点までもが失われてしまったりします。情緒的側面の視点も然り。これ往往。要注意です。


閑話休題。サービスの情緒的側面の価値は「生産即消費」という関係にあります。生産して検品、ストックして出荷、消費されるのではありません。サービス担当者が生産すると同時にその場で客によって受け取られ、つまり消費されるのです。従ってその品質管理は生産するサービス担当者個人に委ねられます。後工程で専門担当者が検品して不良品をはじいたり、物流担当者が上手にストックして効率よく出荷したり、販売担当者が体裁を確り整えて陳列販売することはできません。

畢竟、サービスの情緒的側面の価値を高め、以てサービスの真価を追求して行こうとすれば、生産から検品、流通、販売(提供)までをたった一人で実行するサービス担当者の資質向上、つまり教育に力を入れるしかないのです。


温泉施設が「ある」からといって(温泉施設が機能しているからといって)、自動的にその結論が「よい」わけではなく、それを運営するスタッフの振る舞いが「よい」時に(おもてなしが感じよい時に)、初めて『このホテルは温泉があっていいよね』と帰結されるのです。機能的側面に情緒的側面が掛け合わさる公式です。しかしその帰結とて安定はしません。サービス担当者全員のたゆまぬ研鑽、高いおもてなし意識の維持が必要です。

温泉施設があってもスタッフの振る舞いが悪ければ『温泉はあるものの、ちょっとね・・・』という評価になり、他の競合施設が事業努力によって『温泉があっていいよね』との評価を得続けている場合、全く競争力がなくなってしまうのです。こうなると機能的側面を「ある」に具現した莫大な投資は、全て捨て金になってしまいます。つまり遡って経営判断が誤断であったことを証明してしまうことになるのです。


機能的側面は経営判断。情緒的側面は事業努力、主に教育が主命題です。経営判断と事業努力が噛み合ってこそのサービス価値なのです。経営者と事業責任者はこの公式に敏感にならなくてはいけません。「つくりゃいい」ではファンはつかない、育たたないのです。



20.機能的サービスと情緒的サービス(完)




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