[「仕事を通じて成長する意味」第7号記事 ]


seityousinakya-sugasan
従って仕事そのものが充実していなければ、普段の私たちが日常において充足感を味わう機会はほとんどないということになります。

仕事が充実しているからこそ、忙しいながらもそれに絡む日常のほとんどの時間も充実したものとなるのです。

仕事がうまくいかず、やりがいも感じられず、被支配的にやらされ感たっぷりにこれに従事しているのであれば、そしていつまでたっても仕事上の問題が解決せず、やいのやいのと言われ続けるのであれば、長い仕事時間が苦痛そのものであることは言うまでもなく、同時にそれに絡むあらゆる関連時間、つまり日常のほとんどの時間が虚しく、せつなく、ため息ばかり出るようなものになってしまうでしょう。

朝起きて「今日も仕事か」とため息。洗顔歯磨きをしながら「行くの嫌だな」と後ろ向き。朝食をとりながら仕事の段取りをふと思い描けば「あーあ」。電車やバスに揺られながら休む理由がないかを再確認。そして心に暗雲。終に職場の扉に手がかかる頃にはもう開き直り。そして嫌々体操。仕方なく朝礼。重要事項の唱和さえも白々しく、「やることやればいいんでしょ」と、なにごともそれ以上を目指すのではなく最低限を志向。そして「どうせ嫌なことをやらなきゃならないのなら、適当にちゃちゃっと片づけよう」とショートカットを含めて縦横無尽の不正常処理。

それでいいのでしょうか。

そうした毎日が果たして幸せと言えるのでしょうか。

そうやって40年以上もの間、日常の大半の時間を不毛のうちに過ごすのでしょうか。

仕事を通じて充実感や充足感を味わえるようにしましょう。そして40年、いやこれからの時代は生涯現役が当たり前。仕事人生だけで50年。自分が主体性をもって商売をやっていくのであれば60年。そう。仕事人生は長いのです。仕事を通じて仕事人生そのものを充実させ、大いに充足感を味わえるようお膳立てしましょう。即ち自分自身を鍛えていきましょう。

日々高じる社会からの期待や目標値、より高度で複雑化する技術や仕組み、制度に対応し続け、成長し続けていきましょう。現状のレベルのままでは、何人も周囲や環境のより良い変化から取り残され、陳腐化していってしまいます。陳腐化したままでは到底充実しようがありません。充足感など味わえよう筈もありません。




 ブログランキング・にほんブログ村へ   yubitate-sugasan BlogRanking 2

▲ 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています  
▲ より多くの皆様にお読み頂くためにご協力をお願います