2020年03月18日

自分という人生の一貫性

今年度の4月に引っ越しをし、また新しい環境で1年を過ごしていました。
ふとしたきっかけで、このブログの存在を思い出したので、備忘録というか、人生の記録として残しておこうと投稿に至りました。

そら恐ろしいことに、このブログの開設が2005年なので、もう15年もたってしまうのですね、、毎度の投稿でこの話題に触れていると思いますが。
でも、15年というのは自分の人生のほとんど半分なので、そうやって考えるとものすごいことなのかなぁなんて思ったりしています。

ところどころ記録が抜けているのがもったいないような気もしますが、2005年前後のブログブームに乗った人の中で、いまだにそれを維持して、細々ながらも更新し続けているのは、なんというかかけがえのないものなのかもしれません。


このブログ以外にもネット上に様々な記録が残っていて、それを見返してみると、大学入学以降は自分のコアの部分は大きく変わっていないようだ、ということを確認しました。
浪人時代を境に、何らかの物の考え方が変わっているような気がして、それが浪人生活のせいなのか、京都での大学生活のせいなのかがわかりません。
もしくは年齢的なものなのかもしれないし、周囲にいた友人のせいなのかもしれません。


理由はともあれ、そうやって、今後の人生においても、どこかの段階で自分の中での変化が生まれて、それ以前とそれ以後においては、考え方やものの見方が変わるのかも、なんていう想像をしたりします。
もしかしたらそれが今なのかもしれない。
この数年でもしかしたら人生が大きく変わるかもしれず、その決断をもししたのであれば、それは、過去の自分にはそんなことをするなどとは想像もできなかったことなのだろうと。

少なくとも6年前の私にはできなかったし、なんなら逆の方向にすら動いてしまっていた気もする。
その私が、そういう決断をするということもありうる、というのは、本当に、人生どう転ぶかわからない、という感じなのだな、と。

でももしかしたら、明日にはその決断をすることをあきらめてしまっているかもしれないし、どうなのかわからない。
「それも人生」ということなのかもしれないけれど、でもどちらにせよ、そこまで達観はできない。


その人が歩む人生は一度きりなのであって、自分の人生の形を他人に強要することはできない。
ある人がある段階でとある方向に進み始めたとして、それはその人固有のことであって、一般化はできないし、「そうあるべきだ」とほかの人に押し付けることもすべきではないと思ってる。
ある人固有の人生の事象を、他人にある程度の説得性を伴って響かせるためには、その人と相手の信頼度の問題なのかもしれない。



いずれにせよ、人生についての自分の考えは結局、去年の今頃に生徒に配布された文章の言葉に尽きるのかもしれない。今のところは。

きっと皆さんの人生も、気づけば思いもよらない方向に進み、しかし振り返ってみるとこの道を歩むことは決められていたようにも感じるはずだ。どのような道を進もうと、それまでの人生の堆積物が、その時点でのその人そのものなのだ。人生とは「今ここ」という瞬間の連続であり、この刹那こそが過去と自分を作っていく。日々なにかを選択し、それを生きることで、自分が形作られるのだ。



こういう感じで、自分がこれまでに紡いできた文章に気づかされたり救われたりしてきているので、こうやって明文化して残すことには意味があるのだと思う。


lightheartedness at 23:43|PermalinkComments(0)

2019年01月17日

受験生を励ますということ

年に数回しか更新しないようなブログになってしまっていますが・・・

世間的には今週末がセンター試験となっています。
高校3年生に関わる身として、自分にできることはなにかと考え、受験生であった当時の私はどういう感じだったのかと、このブログを読み返してみたりしていました。

予備校に通っていた自分は、講師の先生方の最後の講義の言葉を記録として残していて、その言葉を見直しては励まされ、がんばってこれた、という面があるような気がします。

こんな感じの記事を書いていたようです。まあ12月ですが。
http://blog.livedoor.jp/lightheartedness/archives/50773879.html


予備校の先生方熱いな、、と思うのと同時に、こういう言葉に出会えていたからこそ、最後まで受験を頑張り切れていた、というのもあるのかも。

そして、こういう言葉を素直に聞き入れて、大事にしたいと思って、こうやってブログとして残していたことで、受験生を支える立場にある今の私の役に立っている。
私が彼らに語りかけることで、彼らの数人は救われるのかもしれない。

そうやって考えていくと、人生は人との関わり合いでどんどん変わっていくし、
何かを誰かに施したことがまわりまわってまた自分に返ってきたりする、というのはやっぱりありうることなんだな、と。


明日はどんなことを彼らに語ろうか。
あれこれ考えながら眠りにつこう。

lightheartedness at 23:48|PermalinkComments(0) 受験とか 

2018年09月30日

ブロガー

場所を選ばず、どこか一定の場所にいなくてもできる仕事は、ここ最近はたくさん出てきているんですよね。
そこらへんの状況に疎くて、詳しく調査してもないからなんともなんだけど、ブロガーもその一つだということで。

このブログ、2005年からやってるからもう13年も続いてるわけで、、もしもう少し定期的に更新してたり、あるコンテンツを深めていったりしてたら、ちょっとした小遣い稼ぎにはなりえたのかなーとか。

浪人時代の受験記録はまとめてあるから、その記事は使えると思うけど、同じように院試の記録とか教員採用試験の記録とかもとってたらよかったのかなーとたびたび考えますね。

身バレしたくないという思いが途中から強くなってきて、そういうことはあんまり書かないようにしようと思い、まとめることをやめてしまったのだけれども。


とにかく日々の業務がどんどん多忙化してきてて、毎日ゆっくりと文章を書く時間なんて取れないですよねー

でも記録を取るのは好きだから、やっておきたいなーという気持ちは常にあり、でも行動には移せないという・・・なんだかなー



年末年始にかけて書かなきゃいけない文章の依頼がくるはずで、昨日今日とちょっと時間があったから先回って書いてみたのだけど、自分の文体ってなんかあるよなーと思った。
3年ほど前にも「本」「読書」について書く機会があったのだけど、その時の文体からあんまり変わってない。
誰かに読ませ、語るときの文章の文体ってこういう感じなのかなーという発見。
普段の話し言葉からはかけ離れているし、このブログでの文体でもない。

なにに影響を受けてるのかなー。
なんとなく、湯川秀樹の『旅人』の文体に近いような気はしてるのだけど、意識的に真似をしてるつもりはないし。けど好きな本を上げろと言われたらすぐに出てくる一冊。


書く、ということを定期的にこれからもやっていけたらなーとは思った土日でした。

lightheartedness at 22:06|PermalinkComments(0) 日常 

2018年04月15日

東北一周青春18きっぷの旅

ご無沙汰しております。
備忘録として。

青春18きっぷで3日間かけて東北沿岸部をローカル線等使って一周しました。
その時の時刻等のメモ。(2018年4月)
今回の目的は太平洋岸を北上し、日本海岸を南下することだったので、一部JRを使用していない箇所がある上、最終日以外は観光等の時間はほぼゼロです。
参考までに。


【1日目】

いわき(6:12)→ 富岡(6:49) 《常磐線》
富岡(6:55) → 浪江(7:25) 《JR代行バス》
浪江(7:30) → 原ノ町(7:49) 《常磐線》
原ノ町(8:04) → 仙台(9:22) 《常磐線》
仙台(9:46) → 小牛田(10:29) 《東北本線》 ※
小牛田(10:40) → 柳津(11:21) 《石巻線》
柳津(11:42) → 気仙沼(13:34) 《気仙沼線BRT》
気仙沼(14:19) → 盛(15:27) 《大船渡線BRT》
盛(15:45) → 釜石(16:37) 《三陸鉄道南リアス線》*別料金
釜石駅前(17:01) → 道の駅やまだ(17:49) 《岩手県交通(バス)》*別料金 山田線不通のため
道の駅やまだ(18:11) → 宮古駅前(19:14) 《岩手県北バス》*別料金 山田線不通のため
宮古(19:37) → 久慈(21:13) 《三陸鉄道北リアス線》*別料金


【2日目】

久慈(5:22) → 八戸(7:07) 《八戸線》
八戸(7:15) → 青森(8:51) 《青い森鉄道》(青春18きっぷの特例区間)
青森(9:05) → 弘前(9:38) 《奥羽本線》*特急つがる使用のため別料金(乗り継ぎ時間を合わせるため使用)
弘前(10:23) → 深浦(12:48) 《五能線》
深浦(14:32) → 東能代(16:19) 《五能線》
東能代(16:30) → 秋田(17:28) 《羽越本線》
秋田(18:03) → 酒田(19:48) 《羽越本線》
酒田(19:52) → 村上(22:06) 《羽越本線》
村上(22:25) → 新潟(23:34) 《羽越本線》


【3日目】

新潟(9:19) → 会津若松(11:54) 《磐越西線》
会津若松(16:21) → 郡山(17:34) 《磐越西線》
郡山(17:45) → 小野新町(18:37) 《磐越東線》
小野新町(18:40) → いわき(19:22) 《磐越東線》


※1日目の仙台→小牛田は本当は仙石線で石巻経由した方が沿岸沿いをしっかり回れるが、乗り継ぎが悪いため今回割愛。
同様に、2日目青森→弘前は特急使用し乗り継ぎをよくした。

3日目はかなり日程に余裕があるので、仙石線石巻線を使ってきちんとコンプリートできる気もします。

沿岸沿いはどんどん公共交通機関が変わってきているので、時刻表は最新版をしっかり確認した方がいいと思います。
代行バスとBRTが一番変わりそう。BRTに完全移行しつつあるので、道が整備されつつある様子がうかがえました。山田線はどうなるんだろう。


またそのうちなにかしらで更新します。

lightheartedness at 13:15|PermalinkComments(0) 趣味 

2017年03月11日

3.11

ふと思うことがあり、SNS上でつぶやいたりしてもいいのだけど、もしかしたらなにか弊害があるかもしれないのでこちらで。

あれから6年です。
こう言ってはなんだけど、六年前の震災がなければ、私は今ここにいることはほぼないだろうし、この職についてることもないのかもしれない。
言ってみれば大きな転機を与えた出来事だったのだと思う。
間違っても六年前のことに感謝してるとは言えないけれど、でも重要な出来事だったなぁと。
いろんな人に出会って、いろんな経験をして。
その経験を生かしてさらにいろんなことをやって。
それで考えた結果、今私はここにいるんだなぁと。

人生は、その年齢でしか感じることのできない事柄があって、なんだかんだ多感で自由がきいて体力もあるあの時期に、震災をある意味で経験したというのは、きっと他の年代の人が経験したというのとは意味合いが違うのかもなーと。
その時でしか深く染み入らない本や映画や場所があるように、その時でしか深く経験できない物事もあるのかなーと。

「あの時だったからこそ、存分に感じ入れた」みたいなことは、あとになってみないとわからないことだろうから、やっぱり基本的にはやれることはとりあえずやってみる、動いてみる、という姿勢でいるべきなのかなと。



こないだ日帰りで京都を往復し、体力的にはかなり厳しかったですが、やってよかった。
当時は当たり前にあるものだと感じていた人や環境は、そうではない、とても恵まれていたのだ、と再認識することができました。
もちろんその当時も尊敬はしていましたが、数年たったのちにさらに尊敬を勝ち得るような人ってすごいなぁと。
私はそんな人にはなれてないなー。。
尊敬されたいわけではないですが、関わる人には誠実でありたい。まだできてないなぁ。

こういうことも、今この職業に就いていて、多少なりとも自分が変わることができると考えているから感じられるわけであって、違うタイミングだったら何も思わないかもしれない。
常になにかを吸収して、いい意味で変わっていきたいなーとは思います。
そして、そのように考える人が近くにいるような環境に身を置き続けていたいなぁ。


こういうこともちょっと余裕のある今だからこそ考えられるのかなー
基本的にばたばたはしてるのですが。


人生ログとして、ここのブログはある程度残しておきたいな。

lightheartedness at 09:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日常 
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