好きなことだけ・小玲の電影日記、ときどき舞台、まれに本

映画、芝居、読書が道楽です。 好きなことをいっぱいいっぱい語りたいです♪

感想は基本ネタバレですので、ご注意を!
無断転載はお断りいたします。

その作品については
もうずいぶん以前からおなじみで、
知り尽くしていたつもりでいたのに、


ふとした瞬間に、


「あ、そういうことだったんだ」


と、目うろこになったりすることがある。


シェークスピアの「オセロ」については、
戯曲はもちろん、
オーソン・ウェルズやケネス・ブラナーの映画、
さらに、ドミンゴのオペラ映画も見ていて
すっかり手に入っていたつもりでいたのだけれど、


まだまだ発見がありました。
というより、わたしがぼんやりしすぎていたのか、
というほうが正しいかもしれません。


超イケメンテノール、ヨナス・カウフマンの「オテロ」。
正直、好きなタイプの声ではありませんが、


イケメンがすべてを凌駕してしまいました。


いや、そういう話ではなく。


「オセロ」はシェークスピアの作品の中でも
特に好きなのですが、
それでいていつも疑問に思っていたのは


「オセロはなんで、愛するデズデモナの言葉より、
 イアーゴの言葉なんぞを信じるんだ?」


ということであり、


「ま、それが愛するってことよね」


と無理やり言い聞かせていたようなところがあるのですが、
今回の「オテロ」で感じたのが、


“お互いがお互いのことをよく知らずに愛してしまったのだ“


ということでした。


オセロはムーア人でヴェネチアにつかえる軍人、
肌の色がどうこうもあるけれど、
異国で暮らすために彼がなめてきた辛酸だのなんだのを考えれば、
聞いた話がストレートに入らないのも
むべなるかな、


(そのわりに、イアーゴの話はよく聞くんだが)


いっぽう、デズデモナはヴェネチアの良家のお嬢さま、
美しいものを美しいといい、
好きなものは好きとはっきりいう、
彼女のすべてが直球の豪速球! 


愛し合う2人だから、やがては互いを理解できる、
というのは理想論で、
互いが互いのやり方でしか愛せないのだとしたら、
最初からすれ違っていた2人は
限りなくすれ違いつづけるだけ。


それが理解できたのが今回の「オテロ」であり、
カウフマン扮するオテロの苦悩を愚かだと思いつつも、
なんとも愛おしく思えたのでした。


声は全然好きな声ではありませんが、
ビジュアルがあるって大事だわ~


それにしても、1幕2幕の黒を基調とした装置は見事だったのに、
なんで終幕になって、
安手の新婚さんの寝室みたいになったんだろう(^^;)
壁の隙間の暗い奥からオテロが覗く、
あの瞬間は飛び上がりそうになるほど、ゾッとしたけれど。


ROHのライブビューイングは
これからも注目ですね。

 

「本当のところ、僕はこの物語を終えたくないのだ」
            (高橋啓・訳 東京創元社)

読み始めた当初は

「なんだこりゃ??」

というのが率直な感想だった。

本の説明によれば、

ナチによるユダヤ人大量虐殺の首謀者であり、
<第三帝国で最も危険な男><金髪の野獣>と呼ばれて恐れられた、
ラインハルト・ハイドリヒの暗殺計画を決行した
2人のパラシュート部隊員の物語、

であったはずだ。

だが、なんだこりゃ? この文体は。
作者がこの話について調べていること、
映画を見たり、資料を読んだり、
そんなことが延々書かれて…………と面喰ううち、

本来の主人公とみられる2人、
ヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュが具体的に登場してきた辺りで
この物語が私の中で俄然輝きを放ち始めた。
それが380ページあまりあるうちの
180ページを過ぎたころだ。

ハイドリヒをはじめナチ関連の話については
作者のいうとおり(と私が感じたように)、
あくまで資料に基づく客観的事実を述べるにとどまっていたのが、

ガブチークとクビシュ、
そしてヴァルチーク、その他の人々のいた時代、
どころか、その時、その場所に自身がいて、
直接事件を目撃したかのように、
いやいや、ときにガブチークになりきったかのように
その場、そのときを描き出す。

そこからは一気読み、
ページを繰る手が止まらなくなった。
そして、私も涙した。
この話が終わらないように、と。

2010年にプラハを訪れたとき、
この本はもう刊行されていた。

そのときにこの本を読んでいれば、
もっと大切にあの町を歩いたろうに。
それが悔やまれる。
 

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