この猛暑のなか、すっかり生活パターンが固定してしまっている。
午前中は、自宅で読書、ネット。
そして、クーラー代節約もあって午後は図書館で読書。
単調ではあるが、これはこれで比較的快適な生活を過ごすことが出来ている。

しかし、これでいいのか・・という焦燥感も感じないわけではない。
今年6月いっぱいで、不本意な無念の中途退職を決断したその理由の一つは、65歳の秋を何かアクティブなことをして、冥途の土産をつぎ足そう・・ということではなかったか?
だとしたら、64歳の私が「豊穣の秋」を楽しめるのは、あと3回?
つまり、中途退職したおかげで、1回余計に「この秋はお前のもの」になったはずなのだ。

秋は何につけてもベストシーズンである。
特に私の30年来の趣味である釣りのベストシーズンである。
ところが、この異常ともいえる長引く猛暑で、とても釣りに行く気力が湧いてこない。
しかし、病院からもらった「ロルカム」という薬で、ここのところだいぶ症状が緩和されてきた。
そして、日曜日(9/8)は、少し最高気温が低下するようだ。(それでも32度予報)

若い時は、炎天下でも躊躇なく釣りに行っていたものだ。
そんな酔狂な人は他になく、おかげでベストシーズンには満員盛況となる人気釣り場を独占したこともあった。


嗚呼、過ぎ去りし若さよ!・・と嘆いてももうどうしようもない。
ジジイにはジジイなりの人生を楽しむしかない。

本格的な釣りシーズンにはもう少しであるが、この単調な生活に変化をつけるべく、そして釣り具のチェックも兼ねて、久しぶりの釣行を思い立ったのだ。
本当は、私のホームグランドである(福岡県)相島浮波止か糸島・岐志のイカダで復活デビューしたかったのであるが、どちらも釣果ははかばかしくなさそうだ。
ならば、小アジとでも戯れて見るかと選んだ釣場は、糸島半島の野北の波止である。
途中の釣具屋で状況を聞くと、ここもあまりぱっとしないらしい。
釣り場についてみると、釣り人はそこそこいるのだが、誰も何も釣れていないのがすぐに感じ取れた。
そもそも、ここはファミリーフィッシングのメッカ。
多くはサビキ釣りである。
普通であれば、仕掛けに鈴なりに掛かる小アジに子どもたちの歓声があちこちから聞こえる釣場である。
それが全く聞こえてこない。これも「異常気象」のせいか。

私はというと、一応正統派の「ウキフカセ釣り」。
大漁とまでは言えないまでも、そこそこ魚は釣れた。
私がままあの型の魚を釣りあげるたびに、周りのボウズの釣り人の羨望と讃嘆の眼差しを感じる。
なにしろ小アジ一匹とて誰も釣れていない、死んだような海である。
「ほぼ寝たきり引き籠りジイサン」が「すごいジイサン」に変身し、眠っていた承認願望が目覚める。(笑)正直嬉しかった。

ところで、やはり32度とはいえ、ほとんど炎天下の釣りは64歳のジイサンにはこたえる。
それに、この野北の波止は長大で、途中坂もあり釣座までカートを引いていくのさえ体力を使う。
強い日差しにお昼にはもうへとへと。
昔は考えられなかったのだが、正午ごろ納竿してしまった。

帰宅後風呂に入りさっぱりした後、これも特例(4時が飲酒解禁時間と決めている)であるがまだ日が高いうちに、酒を飲む。
クーラーが効いた部屋で飲むジントニックが最高にうまい!
しばらくくつろいだ後、釣った魚を塩焼きにする。
冷えたワインとともに最高にうまかった。

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(真鯛、クロ(メジナ)、バリ(アイゴ)の塩焼き)

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(釣り場の糸島半島・野北の波止)

ところで、久しぶりの野外の活動で翌日は体がバリバリ。
再び「寝たきり引き籠りジイサン」に戻ったのであった。(笑)
そして、更にその翌日も。(笑)

しかし、この「ほぼ寝たきり」はとても気持ちが良かった。
何しろ、私には何らの仕事も「やるべきこと」もないのだ。
好きなだけ「骨休め」ができるのだ。
サラリーマン時代は(特に60代半ばになって)、どんなに疲れていても、カウントナインでフラフラになりながらも「立ち上がらねば」というボクサー的宿命を背負っていたのだが・・もうボクシング(サラリーマン)はやめたのだ。
対戦料(サラリー)もなくなったのだが、「ワン、トゥー、スリー、フォー・・ナイン!」という、けしかけるようなレフリーもいなくなったのだ。
これこそが「リタイア生活」「隠居生活」のメリットだとつくづく感じたのであった。

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60歳の定年に当たって、再雇用で働くかどうか選択を迫られたとき、それに応じるかどうか随分迷ったものだ。
ただでさえ早期リタイア願望が強かったこの私が「まさか定年後も働くの?」という思いであった。
しかし定年数ヶ月前に再雇用の希望調査があったとき考えた・・。
退職後、即「隠居生活」が決定されるよりは、ここはひとまず、再雇用に一応応募しておいて、その勤務条件や勤務場所などをとりあえず知ったうえで、判断しても遅くはないではないか。
仕事が気に入らなければ、切りの良いところで辞めればいいのではないか。
現役の時と違って、退職金のことなど全く考えなくてもいいのだ。
なにしろ、いつ辞めても退職金は出ないのだから。
・・・という思いで再雇用に応募していたのだった。
「サドンデス隠居」をとりあえず避けたのだ。

実際に再雇用の職場で働き始めると、その勤務条件である週4日勤務(土日に加え水曜日も休み)は快適。
そして、それまでのバス・地下鉄での社畜通勤から解放されて、自転車通勤(20分ほど)できるというのもまた快適であった。
何事も一応やってみることだ・・。
当初は1年も働ければ上々と思っていたのだが、ふと気がつくと、あっという間に4年もその職場で働き続けたのだ。
その4年間というのは、40年に及ぶサラリーマン人生の中でも、比較的快適・・少なくともストレスが少なく仕事ができたように思う。
そして再雇用満期の最後の一年も同じ環境・条件で働けるもの、5年の再雇用期間を全うしよう・・と思っていたのだが、残念ながら不本意な異動命令、そしてワニとの戦いに敗れ4年3か月での無念の中途退職となったのであった。

この4年ほどの再雇用で失ったものもあったと思うが、メリットもいろいろあった。
(私の場合)64歳に始まった年金受給までの食つなぐ生活の支えになったことは勿論である。
仕事を辞めても、(一部とはいえ)年金のおかげで全く無収入ではないというのは心理的に大きな支えになった。

が、それ以外にもメリットはあった。

誰でも定年前は、その現役生活の最高位、最高の給料をもらうと思う。(会社によっては、一定年齢で役職解除になるとも聞くが)

その「栄耀栄華」のクライマックスでリタイアしたらどうなるのか。
よく言われることであるが、「会社の肩書」「社会的地位」が剥げ落とされ、一挙に「無職」「無位無官」という境遇に突き落とされることに、少なからぬ喪失感を味わうことになるのかもしれない。

しかし、ほとんどの会社がそうだと思うが、定年後再雇用になると職位が落とされ、場合によってはアルバイト並に扱われることもあるだろう。
再雇用によるこうした「降格」は、それを屈辱に感じる人がいるかもしれないが、しかしそれは同時に、このような急激な「段差」を緩和することになりはしまいか。

私の場合、定年前もそのステータスは全然大したものではなかったのだが、再雇用になって、さらに低ステータスなものになったおかげで、職を去っても、ほとんど社会的地位を失う「喪失感」も感じなかった。
一応「正社員」ではあったのだが、単位時間再雇用ということもあり、感覚としては「アルバイトを辞めた」みたいな感覚であった。

そして、私が今実感するメリットが、リタイア後の税・健康保険料の負担感の緩和である。
再雇用になって、給料は半額近く、ボーナスにいたっては1/3ぐらい。
しかしそのおかげで、リタイア後の住民税、健康保険料(国保)は、60歳定年でリタイアしたときの金額に比べたら、その金額は(大雑把な推測ではあるが)半分ぐらいで済んだように思う。
それでも高いとは思うのだが、これが定年で辞めていたらと思うとゾッとする。
両方合わせて50万円ではとても足りなかったのではと思う。

再雇用も4年3ヶ月で中途退職したのだが、仮にそれが1~2年で辞めたとしても、メリットはあったと言えると思う。
住民税、国民健康保険は前年所得で、保険を任意継続にしても、やはり低くなった給料に応じて天引きされることになった保険料で決まるのだ。
要するに、再雇用というのは定年退職から無職になるときの精神的、金銭的な段差の緩衝となっているような気がする。
定年後、再雇用に応募しようかどうか迷っている人も多いと思う。
再雇用にはこういうメリットもあったと私は実感している。
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◎読書:ヘンリー・ジェイムズ『ワシントン・スクエア』
とても緊迫感がある心理劇である。
ニューヨークの著名医師の一人娘・・あまり美人とは言えないが温室育ちであり、男女の機微にも疎い純情なキャサリン。
それがある夜会でハンサムで女性扱いに慣れたモリスに惚れてしまう。
その父(高名な医者であり、名士)は、極めて理知的であり、ほんの1、2回でこの男の下賤さ、結婚の目的が遺産目当てであることを見抜いてしまう。
それは客観的に極めて正当なものであったのだが、あまりにも世間知らずなキャサリンにとっては、不当な批判にしか思えない。
しだいに離れていく父とその娘の心・・・。
遺産が当てにできないと見切ったモリスは、父の予見どおりキャサリンを見捨てることになるのだが・・。
誇張気味にキャラクター付けされているきらいもあり、こういった男に対して抵抗力がない初な娘が、あたかも催眠術にかかったように「騙される」話はありきたりなようにも思えるが、その克明な心理描写は通俗性を感じさせない。
こうしたウブな娘の非理性と透徹した父親の観察眼の理性とのすれ違いは、決定的に父娘の心の断絶を深いものにしていく。
この両者の移ろい行く関係性、それに両者ともが袋小路に陥らざるを得ない過程に、ギリシア悲劇的「運命の不可避性」の構図も感じる。
そしてモリスに捨てられてから20年後、父が残したNYのワシントン・スクエアの豪邸で、思いがけないモリスの訪問を受けるキャサリンであったのだが・・。
その時のキャサリンの心境は、読者の想像力に委ねられている。

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スーパーの商品棚からコメが消えた。
あるところにはあったらしいが、私の行きつけのスーパー3~4店舗にはいつ行ってもコメが消えていた。
最近はやっと新米が出回り始めたが、なぜか買い物客は全然見向きもしていない。
それもそのはず、昨年と比べれば何十パーセントも値上がりしているのだ。
ボケっとしていた私とは違って、大多数の機敏な消費者は米不足になる前にしっかりと買いだめをしていたのだろう。

商品棚からコメが消えた時、政府は「備蓄米」放出に消極的で、その態度に理不尽さを憶えがっかりした人も多いのではないか。

そういえば、私の冷蔵庫には・・「備蓄米」が眠っている。

それはいずれも「外米」で、外米マイブーム、タイカレーマイブームの時に買っていたものだ。
一つはタイ産のいわゆるジャスミンライス(銘柄はゴールデンフェニックス)、ネットで取り寄せ、値段は確か5Kgで3,500円程。
もう一つはインド米で最高級と言われる「バスマティライス」である。
両方合わせて3Kg程度はあるだろうか。
我が家の小さい冷蔵庫を長年圧迫している食材の一つである。

両方とも、日本米と違ってとても個性あるお米である。
私はハマる場合は徹底的にハマるが、「あっという間に冷めてしまう」ことも少なからずある。
この「外米マイブーム」については・・あっという間に過ぎ去り、同時に買った大量のメープロイ(タイにおけるハウス食品的メーカー?)の「タイカレーの素」と共に「冷蔵庫のこやし」として、文字通りお蔵入りしていたものだ。

この空前のコメ不足、ぼったくりコメ価格のときに、これら外米、タイカレーの素を使わずしていつ使う?

というわけで、久しぶりにジャスミンライスを炊飯器で炊いてみる。
ジャスミンライス特有の、部屋中に「幸福感」が漂う香りにとても懐かしい思いがした。

思えば、私のタイカレーマイブームが一時的なものだったのも、ほとんどの「カレーの素」があまりにも辛かったせいでもあるのだ。
特に「グリーンカレー」は強烈すぎた。
「タイカレーの素」は、その<グリーン>と<イェロウ><マッサマン>、それに謎の<インドネシアカレーの素>が残っているが、今回は辛みが少ない「マッサマンカレー」を使ってみた。

未開封なのだが、消費期限は2年程過ぎている。大丈夫か?
64年の人生で、私は消費期限切れの食品でお腹を壊したことは多分一度もない。
大丈夫だろう。(笑)

「マッサマンカレーの素」に適当な具材、それにココナツミルク、ナンプラー、レモン果汁、黒糖を加えて完成。
それに我が家の庭で育てているバジルの葉をあしらう。
久しぶりのタイカレーはとても美味しかった。

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(写真左上が「メープロイ・マッサマンカレーの素」)

残ったジャスミンライスは夕食におにぎり(混ぜ込みおにぎり)にして食べる。
これが意外なほどに美味しい。
昔、やはり国内米が枯渇した時、タイ米が緊急輸入された時期があったが、マスコミなどで「日本食には合わない」という報道がなされたのだが、それは真実か?何かの力学が働いていたのではなかったのか・・と思えるほどジャスミンライスのおにぎりは美味しかった。
これだったら1、2週間は「外米」でやっていける。

どうせまたすぐ飽きるだろうと思って、安全策として買った3000円を超えるぼったくり国産米は、もしかして価格が安定するまで待てばよかった?(笑)

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