お約束占い「刺激的なデート」

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お約束占い「恋敵より私を選んで」

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リチャード・ハミング「あなたとあなたの研究」前半

※すみません、ずっと前にアップした記事ですが、「はてな」からlivedoor Blogに引っ越した際に前半が消えてしまっていたので再掲載します。

ポール・グレアムは「良い後回し、悪い後回し」で、

リチャード・ハミングは有名なエッセイ「あなたとあなたの研究」の中で(何に取り組んでいようと意欲的な人すべてに、私はこの本を推薦する)、自分自身に3つの質問をするよう述べている。

 1 あなたの分野でいちばん重要な難問は何ですか?

 2 それに取り組んでいますか?

 3 なぜ取り組んでいないのですか?

と書いています。そこでハミングのエッセイがずっと気になっていたのですが、ようやく翻訳が終わりましたのでアップします。なお、質疑応答部分はまだ訳していません。原文はココ。翻訳にあたり、id:mamoruk様、id:idojun様のアドバイスをいただきました。ありがとうございます。


リチャード・ハミング「あなたとあなたの研究」
Richard Hamming「You and Your Research」

1986年3月7日 ベルコアの講演から
Talk at Bellcore, 7 March 1986

私の講演のタイトルは「あなたとあなたの研究」です。研究の管理法ではなく、あなた自身の研究方法についての話です。他の話をすることもできたのですが、今日の話題はほかでもない、あなたの研究についてです。私は普通のありふれた研究について話すのではありません。すごい研究について話します。そして「すごい研究」と言うとき、私は時としてノーベル賞級の研究を指しています。ノーベル賞を受賞する必要はありませんが、みんながすごいと思うような研究です。例を挙げろというのでしたら、シャノンの情報理論のような傑出した理論。私が話しているのはそういった種類の研究です。

それでは私自身はどのようにしてこの研究をすることになったのでしょうか? ロスアラモスでの私の仕事は、他の人たちの仕事を手伝うために計算機を動かし、科学者と物理学者たちが自分たちの研究を進めることができるようにすることでした。私は自分がみんなの引立て役であると感じました。同じ人間なのに、みんなは違っているのです。率直に言うと私はみんながうらやましかったのです。どうしてみんなはこれほど私と違うのだろう? 私はそれを知りたいと思うようになりました。身近にはあのファインマンがいました。フェルミやテーラーがいました。オッペンハイマーがいました。ハンス・ベーテがおり、彼は私の上司でした。私のまわりにはとても多くの、非常に有能な人々がいました。私はすごい人と、すごくなれたかもしれない人の差に強い興味を持つようになったのです。

ベル研に移ったとき、私はたいへん生産性の高い部署に入りました。当時はボーデが部長で、シャノンやその他の人々がおりました。私は「なぜ、どこが違うのか」を問い続けていました。伝記や自伝を読みあさり、人々に「どうしてこの業績を挙げることができたんですか?」と尋ねました。私は違いを見つけようとしました。それが今日お話しすることです。

ところでなぜこの話は重要なのでしょうか? この話が重要である理由は、私が知る限り人生は一度きりだからです。みなさんが輪廻転生を信じていたとしても、その信仰は次の人生になるまで何も良いことをもたらしません! 何をすごいと思うかは人によりますが、この一回きりの人生でどうしてすごい仕事をしようと思わないのでしょうか? 私はすごい仕事を定義するつもりはありません。ご自分でおわかりでしょう。自分の専門は科学なので、私は主に科学について話すつもりです。ですが私の知る限り、そして他の人から教えてもらった限り、私の言うことの大部分は多くの分野でも通用します。際だった仕事はほとんどの分野で、きわめて似た特徴を持つのですが、私自身は科学に限定するつもりです。

あなたに理解してもらうために、私は第三者としてではなく、私自身として話す必要があります。私はみなさんに謙遜をやめて「そう、私はすごい仕事をしたいんだ」と自分に言っていただきたい。世間は本当にすごい仕事を始めようとする人に冷たいのです。すごい仕事をしてもあなたがすごいのではなく、幸運の女神がたまたま舞い降りたからすごいことができたのだと人は思います。ですが、そんなことはたわ言なのです。私はみなさんに、なぜすごい仕事を始めようとしないのかと問いかけたい。みなさんは他の人々に言う必要はなくても、自分自身に「そう、私は何かすごい仕事をしたいんだ」と言うべきではないでしょうか。

第2に私も謙遜をやめ、私自身が何を見たか、そして私が何をしたか、何を聞いたかを話さなければなりません。私が話す予定の人たちには、みなさんもご存じの方が含まれていますが、みなさんが帰った後、私が言ったことの一部については、私が言ったこととして引用しないでいただければと思います。

論理学的にではなく、心理学的に始めましょう。私は、みなさんの主な反論は「すばらしい科学は幸運の賜物だ」というものだと分かりました。すべては運だというのです。ではアインシュタインについて考えましょう。アインシュタインは非常に多くの、さまざまな良い仕事をしました。それらはみんな運だったのでしょうか? そんなの偶然すぎると思いませんか? シャノンについて考えましょう。シャノンの業績は情報理論だけではありません。数年前シャノンはよい仕事をして、その暗号セキュリティはいまだに破られておりません。シャノンは多くの良い仕事をしたのです。

よく調べれば、優秀な人はすごいことを一回しただけではないとわかるでしょう。時には後で述べるように生涯に一つのことしかしない人もいますが、多くの人は繰り返すのです。運がすべてではありません。パスツールは「幸運は準備された心に舞い降りる」と言いました。それは私の信条でもあります。たしかに運の要素もありますが、いえ、それは運ではありません。心を準備しておけば、遅かれ早かれ何か重要なものを見つけ、それをします。ですから、ええ、それは運です。具体的に何をするかは運ですが、何かをすることは運ではありません。

たとえば私はベル研究所に来たとき、しばらくシャノンと同室でした。シャノンが情報理論を研究している横で、私は符号理論を研究していました。私たち2人が同じ場所で、同じ時期に、同じような研究をしていたとは驚きです。みんなは「ああ、それは幸運だったね」と言うかもしれません。一方「ベル研にいる連中のうち、その研究をしたのはどうしてその二人だけだったの?」と問うこともできるでしょう。つまり一部は運なのですが、一部は準備された心なのです。しかし運という一部については後で話すことにします。私はあとで何度か運について述べますが、運が大きな仕事をするかどうかの唯一の評価基準ではないと言いたいのです。私は運を完全には制御できなくても、一部は制御できると申し上げたい。最後にこの件に関してニュートンを引用します。ニュートンは次のように述べました。「私と同じくらい一生懸命に考えたなら、誰だって私と同じくらいの結果を得たでしょう」と。

ご存じの通り、偉大な科学者を含む多くの人々が持っている特徴は、たいてい若い頃に独自の思想を持ち、それらを追求する勇気を持っていたということです。たとえばアインシュタインは12歳から14歳のころに「光の速度で光を見たらどう見えるだろう?」と自問しました。またアインシュタインは、電磁気理論によって定常的な極大値を得ることができないことを知っていました。しかし光速の早さで移動すれば極大値に見えるはずです。彼は12歳から14歳のころにその矛盾に気づき、すべてが正しいわけではないこと、光速には何か特殊性があることを発見しました。アインシュタインが最終的に特殊相対性理論を発見したのは運だったでしょうか? アインシュタインは早くから問題の一部を考えることで、ピースをいくつか埋めていました。つまり運は十分条件ではあっても必要条件ではないのです。私は後に幸運と不運について話します。

よい頭脳を持つことは? この部屋にいるみなさんの大部分は、たぶん一流の仕事ができるほどの頭脳をお持ちです。ですがすごい仕事をするには、単なる頭脳以上の何かが必要なのです。頭脳にはさまざまな測定方法があります。通常は数学、理論物理学、天体物理学といった、記号を操作するという素晴らしい能力と関係する頭脳の分野についての測定方法です。したがって典型的なIQテストは、そういった能力をうまく評価します。いっぽう他の分野はそれほどうまく評価できません。たとえばビル・ファン(単結晶のゾーン融解法を作った人です)がある日、私のオフィスにやってきました。ビルは方程式をいくつか持ってきたものの、自分が求めているものを漠然としか理解していませんでした。この男は明らかにあまり数学を知らず、説明も不明瞭でした。ビルの問題は興味深かったので私は自宅で少し解いてみました。私は結局、ビルが自分で答えを計算するためには、どうコンピュータを動かせばいいかを教えました。私は彼にコンピュータで計算する能力を与えたことになります。ビルは自分の分野をほとんど理解していない状態から研究を進め、とうとうその分野のあらゆる賞を受賞することになりました。ビルがいったん良いスタートを切ると、内気さ、不器用さ、曖昧さが消え去り、さまざまな面で、はるかに生産的になりました。ビルはずっと話すのが上手になりました。

別の人の似たような話を紹介しましょう。私は彼つまりクログストンがこの会場にいないと信じます。ジョン・ピアースのグループと共にある問題に取り組んでいたとき、私はクログストンに会い、そして大して知識のない人間だと思いました。私はクログストンと同じ大学にいた私の友達に「クログストンは大学院でもこんな風だったの?」と尋ねました。みんなは「こうだったよ」と答えました。さて私だったらクログストンをクビにしていたでしょうが、賢明にもJ.R.ピアースはクログストンを雇い続けました。クログストンは最終的にクログストン・ケーブルという業績を挙げました。その後もクログストンは良いアイデアを次々に思いつきました。一回の成功が彼に自信と勇気をもたらしたのです。

成功する科学者の特性のひとつは勇気です。いったん勇気を出して、大きな問題を解決できると信じると、解決できてしまうのです。解決できないと思ったら、まず解決は望めません。勇気はシャノンが最高に持っていたもののひとつです。シャノンの主な定理を考えるだけでよいでしょう。シャノンは符号化の方法を発明したがっていましたが、何をすればよいかわからなかったので、ランダム符号化を発明しました。そしてシャノンはそのアイデアに取りつかれたのです。シャノンは「平均ランダム符号はどれくらいの性能だろうか?」という大胆な問いをしました。そしてシャノンは「平均ランダム符号の性能を好きなだけ高めることができる」こと、「少なくともそんな符号化がひとつは存在する」ことを証明します。限りない勇気を持つ人でなければ、誰がそんな問いをしようと考えるでしょうか? それが偉大な科学者の特徴です。勇気があるのです。偉大な科学者はとんでもなくひどい境遇でもあきらめません。考えに考え抜くのです。

もう一つ、特に物理学者が悩むのは年齢です。物理学者はしょっちゅう、若いころに大きなアイデアを発見できなければ一生いい仕事はできないと言います。アインシュタインは若いころにさまざまな仕事をしましたし、量子力学の人々が最高の仕事をしたのは、みんなびっくりするほど若い時です。ほとんどの数学者、理論物理学者、宇宙物理学者は若いころに、私たちが最高の業績とみなす仕事をします。老後の業績がパッとしないということではないのですが、私たちが最高と評価するのは、しばしば若いころの業績なのです。いっぽう音楽、政治、文学では、私たちが最高とする業績は、しばしば年をとってからのものです。他のさまざまな分野ではどうなるのかはわかりませんが、年齢は何らかの関係があるようです。

さて、なぜ年齢が関係するようなのか述べさせてください。第一に良い業績をいくつか挙げると、さまざまな委員にさせられ、研究の時間を取れなくなります。ブラッテンがノーベル賞を受賞したときに私が見たことを話せばおわかりになると思います。ノーベル賞が発表された日、私たちはみんなアーノルド講堂に集まりました。3人の受賞者がそれぞれ立ってスピーチをしました。ブラッテンは3番目で、本当に目に涙をためながら「私はノーベル賞効果について知っております。ですが私はそれに影響されるつもりはありません。好々爺のウォルター・ブラッテンのままでいるつもりです」と言いました。私は「素晴らしい」とつぶやきました。ところが数週間で、私はブラッテンがノーベル賞効果に影響されてしまったことを知りました。今やブラッテンは大きな問題にしか取りかかれなくなったのです。

有名になると小さな問題に取り組むことが難しくなります。これこそシャノンがハマってしまった罠です。情報理論のアンコールに、みなさんは何を研究しますか? 偉大な科学者はしばしばこの誤りをします。大きな樫の木に成長する小さなドングリを埋めるのをやめてしまうのです。彼らはすぐに大きな業績を挙げようとします。ですがそれは大きな業績を挙げる方法ではありません。それが若いうちに有名になるとダメになってしまう第二の理由なのです。私の長年の言葉を述べましょう。私の思うにプリンストン高等研究所は、そこに来る前と来た後の業績から判断する限り、ほかのどんな研究所が生み出した人数よりも大勢の良い科学者をダメにしました。プリンストン高等研究所に来た後の仕事が良くなかったというわけではありませんが、来る前はずば抜けていたのに、来た後はそこそこ良かった程度なのです。

これはたぶん、ちょっと意外かもしれませんが、労働環境は重要ではないということを意味します。多くの人々は、最高の労働環境が重要だと考えますが、そうではないのです。そうではないと断言する理由は、人はしばしば、労働環境が悪いときに最も生産的になるからです。ケンブリッジ物理学研究所の黄金時代は、単なる小屋だった時でした。そのときケンブリッジ物理学研究所の人々は最高の物理学をしたのです。

私個人の話にしましょう。ベル研究所は二進数のプログラムをするのに通常、必要とされる人数を私に割り当てるつもりがないことが、早くから私には明らかでした。ベル研にそのつもりは全然ありませんでした。当時はそれが普通だったのです。私は西海岸に行き、飛行機会社で仕事することも問題なくできたのですが、ベル研の人々は刺激的で、向こうの飛行機会社の人々はそうではありませんでした。私は長いこと「行きたいのか? そうではないのか?」と考え、2つのありうる未来のどちらが良いのか悩みました。とうとう私は自分に言いました。「ハミング、おまえはコンピュータなら何でもできると思ってるよな。じゃあプログラムを書かせることだってできるんじゃないか?」最初に私には欠点と思えたものが、非常に早い時期に私を自動プログラミングへと後押ししてくれたのです。欠点と見えたものが、視点を変えるとしばしば最高の財産となります。ですが「やれやれ、十分なプログラマもいないのにどうしてすごいプログラミングができるっていうんだい?」としか考えなかったら、そのようには考えられなかったでしょう。

似たような話はたくさんあります。グレース・ホッパー(訳注:Cobolの開発者)も同様でした。私の思うに、注意深く調べれば偉大な科学者は、しばしば問題を少し変えることによって欠点を財産にしたことがわかるでしょう。たとえば多くの科学者は、問題を解けなかったとき、どうして解けないのかの研究を始めました。彼らは方針を変え「だがもちろん、これはもともと解けない問題なのだ」と言って、重要な結果を得ました。理想的な労働環境とは非常に奇妙なものです。自分の望む環境がつねに自分にとって最も良いとは限らないのです。

今度は情熱についてです。ほとんどの偉大な科学者には、ものすごい情熱があることがわかります。私は10年間、ベル研究所のジョン・テューキーと共に働いていました。テューキーにはすごい情熱がありました。ベル研に来てから3~4年が経ったころ、私はジョン・テューキーが私より少しだけ若いことを知りました。ジョンは天才で、私は明らかにそうではありませんでした。そこで私はボーデの部屋に押しかけて、「私と同じ年齢の人は、どうしたらジョン・テューキーのように賢くなれるのでしょうか?」と言いました。ボーデは椅子にもたれかかり、手を頭の後ろで組むと、ニヤッと笑って答えました。「ハミング、もしテューキーと同じくらい何年も一生懸命に仕事していたら、自分がどれくらい賢くなれるかを知って驚くだろうね」と。私はすごすごと部屋を出たのです!

ボーデが言ったことは「知識や生産性は複利に似ている」ということでした。ほとんど同じ能力の人が2人いて、一方はもう一方より10パーセント増しで働いているとします。後者は前者の二倍以上の生産性があるでしょう。知れば知るほど、さらに学びます。学べば学ぶほど、もっと行動できます。行動すればするほど、チャンスが増えます。それは複利に似ています。比率を言いたくはありませんが、非常に高い比率です。まったく同じ能力の2人がいて、一方が毎日1時間ずつ多く考え続けたら、生涯ではものすごく生産的になるでしょう。私はボーデの注意を肝に銘じました。私は数年間、もう少しだけ一生懸命に働こうと努力しました。そして実際、もっと成果を出せることがわかりました。妻の前では言いにくいのですが、私はときどき妻をちょっと無視しました。私は研究する必要があったのです。欲しいものを得たいなら何かを切り捨てなければなりません。これにはまったく疑問の余地がありません。

情熱の問題についてエジソンは「天才とは99%の汗と1%のひらめきだ」と言いました。エジソンは誇張したのでしょうが、彼が言いたかったのは「確固たる仕事を着実に積み重ねれば、自分でも驚くほどの成果を出せる」ということです。もうひと頑張りの努力をたゆみなく続けるなら、何をするかを賢く選ぶ必要があります。これは重要です。間違った情熱では成功できません。なぜベル研の友達の多くは、私より一生懸命に働いていたのに、たいして目立つ成果を挙げなかったのか、私はいつも不思議に思っていました。間違ったことに情熱を費やすのは非常に重大な問題です。一生懸命に働くだけではダメなのです。その情熱を正しいものに向けなくてはなりません。

お話ししたい別の特徴があります。その特徴とはあいまいさです。その重要性を認識するのにしばらく時間がかかりました。多くの人は、何かが真実である/真実ではないと信じることを好みます。偉大な科学者はあいまいさに関して非常に寛容です。彼らは理論を、研究を先に進めるために十分であると信じています。ですが間違いや欠点に気づく程度には理論を疑うので、先に進んでそれに代わる新しい理論を作り出すのです。理論を盲信してしまったら決して欠点に気付かないでしょう。疑いすぎたら研究を始められないでしょう。微妙なバランスが必要です。ですがほとんどの偉大な科学者は自分たちの理論が正しい理由をよく認識しています。その一方、自分たちの理論の、完全に現実に一致するわけではないわずかな不具合にもちゃんと気づき、それを忘れません。ダーウィンは自伝で「自分の信念に矛盾するようなあらゆる証拠を書き留めることが必要だ。さもないと自分の視野に入らなくなってしまう」と述べています。欠点らしきものを見つけたら、それらを目ざとく追及し、どうしたらそれを説明できるか、またはそれらを説明するために理論をどう変えればよいか注目しましょう。それがしばしば大きな貢献となるのです。何かを10倍、繰り返した結果、すごい成果が得られることはめったにありません。情熱的に関わる必要があります。ほとんどの偉大な科学者は、自分たちの問題に完全に没頭します。没頭しない人が傑出した一流の業績を上げることなどめったにありません。

再度申し上げますが、情熱的にのめりこむだけでは十分ではありません。それは明らかに必要条件なのです。私はその理由を言うことができます。創造性を研究した人はみんな、最終的に「創造性は潜在意識から産まれる」という結論にたどり着きます。どういうわけか、突然ひらめくのです。ただ思いつくのです。私たちは潜在意識に関してほとんど知りませんが、私たちがかなりよく理解していることは、夢は自分の潜在意識から生み出されるということです。そして夢とはかなりの程度、その日の体験の再編集です。毎日毎日、あるテーマに深く取りつかれ没頭すれば、潜在意識はその問題だけを考えるようになります。そしてある朝もしくは昼過ぎに目覚め、答えを見つけるのです。いま自分が取り組んでいる問題に熱中していないなら、潜在意識も何かほかのことにかまけてしまい、大きな成果を生み出しません。ですから本当に重要な問題に取り組んでいるとき、自分を管理する方法は、他の何かに気を散らさず、その問題を考え続けることです。問題に取り組むときは、潜在意識を欲求不満にさせておくために、問題に取り組み続けてください。そうすればスヤスヤと眠ることができ、ある朝、答えが天から降ってきます。

さてアラン・チノーヴエスは、かつて私は物理学者のテーブルでよく食事していたと言いました。私は昔は数学者と一緒に食べていたのですが、私は数学についてはもうすでにかなり知っていたことに気付いたのです。実のところ私はあまり数学者から学ぶことはありませんでした。チノーヴエスが言ったとおり物理学者のテーブルは刺激的でしたが、私がどの程度、寄与したかについてチノーヴエスは誇張したと思います。ショックリー、ブラッタン、バーディーン、J.B.ジョンソン、ケン・マッケイといった人たちの話を聞くのは本当に面白かったです。私は大いに学びました。しかし残念なことにノーベル賞があり、昇進があり、残された人々はカスでした。だれも残された人々を求めませんでした。彼らと食事をしても無益だったのです!

食堂の反対の隅には化学者のテーブルがありました。私は仲間のひとり、デーヴ・マッコールと働いていました。余談ですが当時マッコールは私たちの秘書を口説いていました。私は彼らのところに行って「このテーブルに入ってもいい?」と尋ねました。断られなかったので私はしばらく化学者たちと食事をしました。そして私は「あなたの分野の重大な問題は何ですか?」と尋ね始めたのです。そして約一週間後「あなたはどんな重大な問題に取り組んでいますか?」と尋ねました。そしてさらにその後のある日、私は彼らに言いました。「自分のしていることが重要ではなく、重要なことにつながることもないと思っているのなら、なぜベル研でその仕事をしているのですか?」その後、私は歓迎されなくなりました。私は食事のときに他の誰かを探さなければなりませんでした。それは春のことでした。

秋になって、食堂でデーヴ・マッコールが私の前で立ち止まり言いました。「ハミング、君の注意は身に染みたよ。夏の間ずっと考えたんだ。私の分野の重大な問題は何だろうって。まだ自分の研究を変えたわけじゃないけど、すごく価値があったと思う」と。私は「ありがとう、デーヴ」と言って前に進みました。数ヶ月後、私はデーヴが部長になったと知りました。そして先日、私はデーヴが技術部門のナショナル・アカデミーのメンバーになったことを知りました。デーヴは成功したのです。そのテーブルの他の人たちの名前が科学や科学界で言及されるのを一度も聞いたことがありません。他の人たちは「自分の分野で重大な問題は何だろう?」と自分自身に問いかけることができなかったのです。

それはまったく明らかです。偉大な科学者は自分の分野の多くの重要な問題について慎重に、徹底的に考え、どう攻略しようかと目を光らせています。「重要な問題」という言葉には注意が必要だと警告します。ベル研にいたころ私はある意味、物理学の3つの未解決問題に決して手を出しませんでした。私が重要と言ったのは、まちがいなくノーベル賞もので、望むなら大金も稼げるという意味です。私たちは (1)タイムトラベル (2)テレポーテーション (3)反重力 には手を出しませんでした。それらは攻略方法がないので重要な問題ではなかったのです。ある問題が重要なのは成果ではなく、合理的な攻略法があるということです。それが問題が重要になる理由です。「ほとんどの科学者が重要な問題に取り組んでいない」と言うとき、私はその意味で言っています。私が知る限り、一般的な科学者は、自分でも重要ではなく、重要な問題にもつながらないと感じている問題に時間のほとんどを費やします。

私は先ほど、樫の木を生やすためには、ドングリを埋める必要があると言いました。その場所を常に正確に知ることはできませんが、何かが起こる可能性がある場所で、準備を整えておくことはできます。すごい科学は運だと信じていても、突然、稲妻が落ちる山の頂上に立つことはできます。安全な谷の中に隠れる必要はありません。ですが普通の科学者は、ほとんどの時間、普通の安全な仕事をするため、たいした仕事をしません。とても単純な話です。大きな仕事をしたいなら、意識して重要な問題に取り組まないとアイデアが浮かばないのです。

ジョン・テューキーや他の人たちの激励を受けて、私は最終的に「すごいアイデアの時間」と呼んだものを採用しました。金曜日の正午、昼食に行ったあとでは私はすごいアイデアについてだけ議論しました。すごいアイデアとは、「AT&Tの全コンピュータの役割は何になるだろうか?」「コンピュータは科学をどう変えるだろうか?」といったものを指します。たとえば私が当時、観察して気づいたのは、10回の実験のうち9回は実験室で行われ、1回はコンピュータで行われることでした。そこで私は比率を逆にすべきだと、つまり10回の実験をするなら実験室で1回、コンピュータで9回するべきだと副社長に進言しました。彼らは私をマッド数学者で、現実を知らないと考えました。私はみんなが間違っていると知っていました。私は自分の正しさを主張し、彼らは私が間違っていると主張し続けました。彼らは本当は必要のない実験室を建てたのです。私は「コンピュータは科学にどう影響するだろう? そして自分はそれにどう関われるだろう?」と問うのに長い時間を費やしたので、コンピュータが科学を変えたことに気付きました。私は「そのことがベル研をどう変えるだろうか?」と自問しました。私はかつてこの場所で『私がベル研を去るころまでには半分以上の人がコンピュータを相互に繋げるだろう』と述べました。そして今、みなさんはネットにつながる端末をお持ちです。自分の研究分野がどこに向かっているのか、どこにチャンスがあり、取り組むべき重要な問題は何なのか、私は徹底的に考えました。そう考えることが私を、何か重要な仕事を成す可能性がある場所へと導いたのです。

偉大な科学者のほとんどは、重要な問題をたくさん知っています。攻略方法を探している重要な問題を10個から20個、抱えているのです。そして新しいアイデアを思いついたとき、彼らは「それはこの問題に使えそうだ」と言います。彼らは他のすべてを捨ててその問題に取り組み、答えを得るのです。私はこれから自分が聞いた怖い話をしますが、それが真実であるという保証はできません。私は空港でロスアラモスから来た友人に、核分裂実験がヨーロッパ中で行われていたのに、原爆はアメリカで開発されたことがいかに幸運だったかを力説していました。すると彼は「いや、私たちはバークレー大学で多くのデータを集めてたんだ。でも設備の建設に忙しくてデータを分析するヒマがなかった。データがを分析していれば核分裂を発見ていたよ」と言ったのです。彼らはデータを手にしていたのですが、追求しようとしませんでした。彼らは2番手になってしまったのです。

偉大な科学者はチャンスが到来すると、それに飛びついて追求します。他のすべては切り捨ててしまいます。他のことは放ってアイデアを追いかけます。というのも、彼らはそれについてすでに考え抜いたからです。心を準備しておき、 チャンスを見つけたら追いかけるのです。もちろん多くの場合、成功しません。ですが何かすごい科学の仕事をするのに、たいした数の成功をする必要はありません。簡単なことです。主な秘訣の一つは長生きすることなのです!

別の特徴は気付くのに時間がかかりました。ドアを閉じて仕事をする人と、ドアを開いて仕事をする人の差です。研究室のドアを閉じて仕事をすれば、今日も明日も、他の人より多くの仕事ができます。ですが10年かそこらが経つと、自分の仕事に取り組む価値があるかどうかがまったくわからなくなってしまいます。自分がしている大変な仕事も、たいして重要ではない仕事なのです。ドアを開けて仕事をする人は、さまざまな割り込みをされます。ですがときどき、世間とは何か、そして何が重要かの手がかりを手にします。「閉ざされたドアは閉ざされた心の象徴だ」とお思いかもしれませんが、因果関係を私は証明できません。私にはわかりません。ですが私はドアを閉めて働く人のほうが、しばしばより一生懸命に働くにもかかわらず、ドアを開けて仕事をする人と最終的に大きな業績を挙げる人の間にはかなり強い相関関係があります。なぜだかドアを閉めて働く人は、少しだけ方向を間違えてしまうようなのです。それほどは間違わないのですが、でも有名になりそこねるのに十分なくらいには間違うのです。

別の話にしましょう。みなさんの多くがご存じの歌の一節ですが、「何をするかではなく、どのようにするかが重要だ」というものです。私自身の例からお話しましょう。完全二値の時代、私は最高のアナログ・コンピュータでは解けない問題をデジタル・コンピュータで解くように言われました。一応の答が得られました。私はじっくり考え、「ハミング、君は説明が必要な大金を費やし、そしてアナログのパソコンを導入した人々があら探しをするであろう、この軍の仕事の報告書を提出する必要がある」と自分に言いました。私は控え目に言っても、かなりチャチな方法で必要な積分をしていましたが、それでも答えは出ていました。そして私は、答えだけが必要なのではなく、史上初の、問題の次元を超えたデモンストレーション、つまりアナログ・コンピュータの得意分野で私が勝つことができるか、ということなのだと気付きました。私は解法を修正し、優れて洗練された理論を作り、答えが出ていた計算の方法を変えました。 結果は同じでした。出版された報告書には、後に長いこと「ハミングの微分方程式の積分方法」として知られた洗練された計算方法が載っていました。今ではちょっと時代遅れですが、しばらくの間、それは非常に良い計算方法でした。問題をわずかに変えることで、私はつまらない仕事ではなく重要な仕事をしたのです。

同様に、初期のころ屋根裏でコンピュータを限界まで走らせてせていたころ、私は問題を次から次へと解いていました。かなりの数の問題はうまく解き、いくつかの問題は解けませんでした。ある金曜日、問題を解いたあと帰宅したのですが、すごく奇妙なことに、私は幸福ではありませんでした。落ち込んでいたのです。私には人生が、次から次へと問題を解くだけのように思えたのです。長い間、考えた後に私は決めました。「いや、私はさまざまなプログラムを生み出すプログラムをするべきだ。直面している1つの問題だけではなく、1年先のすべての問題に関わるべきだ」と。質問を変えても、成果は以前より落ちることはなく、私は物事を変え、重要な仕事をしました。私は大きな問題に取り組みました。来年のことなんてわからないのに、どうコンピュータに向き合って、1年先のすべての問題に取り掛かるのでしょうか? どう準備するのでしょうか? これを最高のやり方でするためには、どうやればいいでしょうか? ニュートン流にやった方がいいのでしょうか? ニュートンは「私が他の人たちより遠くを見ることができたのは、巨人の肩の上に乗ったからです」と言いました。現代では私たちは、互いの足の上に立ちます!

科学は、他の人がその成果の上にさらに積み重ねられるようにするべきです。そうすれば他の人は「はい、私は○○の肩の上に立ち、さらに遠くを見ました」と言うことができます。科学の本質は蓄積です。問題をわずかに変えることで、しばしば単に良い仕事ではなく、相当すごい仕事をすることができます。私はあるクラスの典型例でない限り、バラバラの問題には取り組まないと決めました。

数学をかじった人なら、一般化の努力をすれば問題が簡単に解けるということを知っています。少し考えて「これが彼が解きたい問題だが、これは○○という特徴を持つ。うん、これは個別な解法よりはるかに優れた方法で、この種類の問題を一気に攻略できるな。この前、ムダに細かく詳細を決めておいたおかげだ」抽象化をしておくと、物事はしばしば簡単になります。さらに私はその方法を記録して未来の問題に備えました。

この話題の最後に、みなさんに思い出していただきたい言葉があります。「ダメな人は自分の道具を責める。できる人は与えられた道具で仕事をし、最善の解決をする」と。私は問題を変えることによって、最善の解決をすることを勧めます。物事を別の角度からも見ることで、結果的にはすごく生産性が上がります。というのも、他の人がその上に仕事を積み重ねることができるように仕事をするか、他の人が事実上、あなたのしたことを再び繰りかえす必要があるようなやり方で仕事をするかの選択だからです。そのような姿勢は、仕事だけではなく、報告書を書くときも、論文を書くときでも必要です。一般的な解法で特殊な問題を解決する労力は、特殊な解法で解く労力と同じ程度です。ですが一般的な解法のほうが、ずっと多くの満足感と報酬を得られます。(後半につづく)

名刺を忘れたときのために、ローソンのハガキ用紙に印刷するPowerPointテンプレート

明日、名刺が必要なのに切らしてしまったので、あわててPowerPointで元ファイルを作り、ローソンで印刷しました。普通のA4紙だとペラペラなので、ハガキ用紙に印刷します。

将来も同じことで苦労することがあるかもですので、自分のためにファイルをダウロードできるようにしておきます。URLは http://quiz.minibird.jp/meishi.pptx

1枚のハガキ用紙に、名刺を いちおう 2枚、印刷できます。カッターで切り分けて使ってください。1枚のはがき印刷にカラーで60円、白黒で20円かかりますので、名刺のコストは1枚あたり、カラーなら30円、白黒なら10円となります。

なぜ いちおう なのか、ですが、ローソンのハガキ用紙に印刷すると、裏面に切手を貼る枠が印刷されており、どうしても名刺の裏にその枠がかかってしまうからです。なので、きれいな名刺1枚と、うらに少しだけ線が入る名刺が1枚、できることになります。イメージは以下。

ローソンで名刺 (PDF化してハガキ印刷)

堺市市営住宅首吊り事件をサザエさんに置き換え

堺市市営住宅首吊り事件が意味不明ながら強烈に興味をそそられたので、学生に紹介しました。

すると学生が「複雑な事件はサザエさんに置き換えるとわかりやすい」と、この事件を置き換えてくれました。
元記事の登場人物A~Hをサザエさんの登場人物に置き換えたバージョンで紹介いたします。




奇妙な事件だ。なにしろ話が迷路のように入り組み、新聞記事を一読しただけでは、いったい誰が死んだのかさえよくわからない。

「2013年6月26日夜、大阪府堺市の市営団地で、46歳の男性が首を吊って亡くなっているのが見つかった」――ここまでは、まあ珍しくもない話だ。ところが死んだ男性は部屋の主ではなく、本来の住人であるはずの男性(21)は連絡が取れない状態だという。

しかも当時、なぜか現場にはもう一人の「見知らぬ男」がおり、なおかつ発見直後に姿を消してしまった。さらに、部屋に遺体があることを親族に伝えた「関東弁の男」の存在も確認されている。遺体発見をめぐる状況にも不可解な点が多く、ミステリー小説も顔負けの状況だ。

大仙古墳のほど近く、市営団地の一角が現場


警察、また各種報道の情報を元に、状況を確認していこう。

現場は大阪市堺市堺区、かの有名な大仙古墳にもほど近い。辺りには大型の市営団地が複数建ち並んでおり、遺体が発見されたのはそんな市営住宅の一棟、10階の部屋だった。

次は関係者だ。なにしろ人数が多く、話も入り組んでいるので、まずは人物を箇条書きで説明する。

伊佐坂難物:46歳。26日夜にカツオの部屋で、遺体で発見される。
カツオ:21歳。伊佐坂難物が発見された部屋の本来の住人。28日時点で連絡取れず。
フネ:カツオの母親。伊佐坂難物とは顔見知りだという。
波平:フネの内縁の夫。カツオから「死体」の話を最初に聞く。
サザエ:フネの娘。カツオの姉に当たる。
マスオ:24歳。サザエの夫、カツオの義兄。遺体を見つけ警察に通報する。
アナゴ:マスオの会社の同僚。マスオとともに遺体を発見する。
魚徳:40代。伊佐坂難物の遺体をマスオが発見した際に部屋にいた。通報後、姿を消す。


部屋の住人カツオの元に「関東弁の男」から26日、奇妙な電話がかかってきたことが事件の発端だ。

「あなたの部屋で、人が死んでいる」
自分の部屋のことだから、普通なら飛んでいって確認するだろう。ところがカツオはそれをせず、母親であるフネの一家に相談した。

ところが相談を受けたフネ一家も、なかなか部屋に行こうとしなかった。ちょうど伝言ゲームのように、カツオから波平、波平からフネ、フネから娘のサザエ、そしてサザエから夫のマスオに、「死体」話はたらいまわしに。最終的にマスオが、同僚であるアナゴを伴い、カツオの部屋に赴くことになった。

「確かにこの部屋に、死体がある」


夜11時ごろ、アナゴとマスオが部屋のチャイムを鳴らすと、見知らぬ男魚徳が顔を出した。年齢は40代くらいと見られる。アナゴらが電話の件を話すと、

「確かにこの部屋に、死体がある」
と部屋に招き入れた。アナゴらが確認すると、カーテンレールに電気コードを引っ掛け、上半身裸の伊佐坂難物が死んでいる。慌ててアナゴらは警察に通報したのが、その間に魚徳は姿を消してしまった。

この話、奇妙な点がいくつもある。まず、遺体で見つかった伊佐坂難物はなぜ赤の他人のカツオの部屋にいたのか。テレビ朝日の取材にフネが答えたところでは、

「伊佐坂難物はフネの『昔からの友達』で、今回はフネ一家がカツオの部屋に引っ越すため、その手伝いに駆りだされ、前日からカツオの部屋に泊まりこんでいた」
のだという。では魚徳は何者なのかという話になるが、これはフネにもわからない様子だ。

また、カツオに「死体」の話を最初に伝えた「関東弁の男」は何者なのだろうか。行方不明の魚徳、という可能性も指摘されているが、定かではない。

カギを握っていそうな部屋の主・カツオは、現在連絡が取れない状態だという。フネは「向こうから電話はかかってくるが、こちらからの電話には出ない」とテレビ朝日の取材に説明した。

フネ一家の中での「たらい回し」の件、消えたカツオと魚徳の行方など、謎が余りにも多いことから、警察は、事件と自殺の双方から調べを進めているという。


ポール・グレアム「中道には2種類ある」

ポール・グレアム「中道には2種類ある」を翻訳しました。原題は The Two Kinds of Moderate で、原文はココです。英語に強い皆さま、メール(takeuchi19@mail.goo.ne.jp)でのアドバイスを、よろしくお願いいたします。

中道には2種類ある
The Two Kinds of Moderate

2019年12月
December 2019

政治的に中道であるには、中道であろうとするか、たまたま中道になるかという、2つのはっきり異なった方法がある。中道であろうとする人は、極端な意見を排除することで、左右両極端の中間の位置を意図的に選択する。たまたま中道派である人は、平均的には、極右と極左の中間となる。なぜなら、たまたま中道になった人はそれぞれの問題について自分の意思で決めており、かつ、極右と極左はおおむね同じくらい間違っているからだ。

中道であろうとする派とたまたま中道派は、意見の分布で見分けられる。ある問題についての極左の意見が0で極右の意見が100だとしよう。中道であろうとする派の意見はすべての問題について50に近いが、たまたま中道派の意見は広い範囲に分布しながらも、中道であろうとする派の意見と同様に平均で約50になる。

中道であろうとする派は、自分の意見がある意味で自分自身のものではないという点で、極左や極右の意見に似ている。左派であれ右派であれ、イデオロギーの決定的な資質は、自分の見解をまるごと決定してしまうことだ。選り好みはできない。同性婚に関する意見を聞けば、税金に関する意見は予測できる。過激派とは真逆に見えるかもしれないが、中道であろうとする派も、信条(彼らの場合、「位置」という言葉の方がより正確かもしれない)をまるごと決定してしまう。中央値の意見が右や左にシフトしたら、意図的な中間値はそれとともにシフトせざるを得ない。でなければ中道でなくなってしまう。

一方、たまたま中道派は、答えだけでなく質問も選ぶ。たまたま中道派は、左派と右派がとても重要と考える問題には、ぜんぜん興味がないかもしれない。つまり、たまたま中道派が関心を持っている問題と、左派と右派が関心を持っている質問との交点から、たまたま中道派の政治を測ることさえできるし、その交点は時として消えてしまうほど小さい。

「私たちに賛成でなければ反対だ」と言うのは、人を操ろうとする修辞的なごまかしであるだけでなく、単に間違っていることがよくある。

中道派は時に臆病者として、特に極左から嘲笑される。だが、中道であろうとする派を臆病者と呼ぶのは正しいかもしれないが、自分はたまたま中道になったと公言するのには、何よりも勇気が必要だ。左右から攻撃されるし、自分を支えてくれる多数派の正統なメンバーであると安心できないからだ。

私が知っている最も印象的な人々のほとんどは、たまたま中道派だ。プロの運動選手や芸能人をたくさん知っていれば、違うかもしれない。左派でも右派でも、走る速さや歌唱力には関係ないからだ。だが、アイデアをうまく活用するには独立心が必要だ。

もっと正確に言うと、自分が取り組んでいるアイデアについて、独立心を持つ必要がある。人は政治については何も考えずに空理空論に染まりながら、それでも優れた数学者であり続けることができる。20世紀には、非常に優秀な人々の多くがマルクス主義者だった。そしてマルクス主義が関係する問題については誰も賢くなかった。だが、仕事で使うアイデアが時代の政治と交差しているなら、中道であろうとする派とたまたま中道派という、2つの選択肢がある。

注釈


[1] 理論的には、完全に一方が正しく、一方が完全に間違っている可能性がある。実際、過激派は自分が正しいと信じる必要がある。しかし歴史的には、そんなことはほとんどなかった。

[2] なぜか極右の人は、中道派を堕落していると軽蔑するより、無視することが多い。理由は不明だ。もしかしたら、極右は極左よりも理論的でないからかもしれない。あるいは、自信があるのか、あきらめているのか、単に組織の結束が弱いからか。私にはわからない。

[3] 異端な意見を持っているからといって、それを正直に言う必要はない。言わない方が楽だろう。

この原稿を読んでくれたオースティン・オルレッド、トレバー・ブラックウェル,パトリック・コリソン、ジェシカ・リビングストン、アムジャッド・マサド、リアン・ピーターソン、ハージ・タガーに感謝する。

ポール・グレアム「流行の問題」

ポール・グレアム「流行の問題」を翻訳しました。原題は Fashionable Problems で、原文はココです。英語に強い皆さま、メール(takeuchi19@mail.goo.ne.jp)でのアドバイスを、よろしくお願いいたします。また翻訳に当たり、pokarim様のアドバイスをいただいております。


流行の問題
Fashionable Problems

2019年12月
December 2019

ある分野で多くの人が懸命に働いたのに、みんな同じようなことにしか取り組まなかったので、可能性のある空間のほんの一部しか探索しないというパターンを、私は多くの分野で見た。

最高に賢く、想像力豊かな人でさえ、仕事を決めるときは驚くほど保守的だ。他の分野では流行を追おうなどとは夢にも思わなかった人が、流行の問題に取り組むことに夢中になってしまう。

流行ではない問題に取り組みたいなら、もう十分に開発されつくしたと考えられている分野、エッセイ、Lisp、ベンチャーへの資金などを調べるといい。広大だが時代遅れの領域への新しい道が見つかれば、あなたが見つけた道の価値は、その広い領域によって倍増する。

他の人と同じことに熱中しないために、自分の仕事を心から愛そう。そうすれば、他の人と同じ間違いをしたとしても、たいしたことではないと思って仕事を続けられる。

ポール・グレアム「天才のバスチケット理論」

ポール・グレアム「天才のバスチケット理論」を翻訳しました。原題は The Bus Ticket Theory of Genius で、原文はココです。英語に強い皆さま、メール(takeuchi19@mail.goo.ne.jp)でのアドバイスを、よろしくお願いいたします。

※追記 翻訳した後に、すでにFoundX Reviewの名訳があることに気づきました。そちらを読んだほうが誤訳がないと思います。

天才のバスチケット理論

2019年11月

偉業を成し遂げるには、ご存じの通り、才能と決断力がどちらも必要だ。だが、あまり知られていない三番目の要素がある。特定の話題に偏執的なまでに興味を持つことだ。

これを説明するために、私はある集団からの評判を落とすだろうが、バスチケットのコレクターを選ぼう。古いバスのチケットを集める人がいる。多くのコレクターと同様、彼らは自分たちが集めたものの細部に執着する。彼らは、私たちが覚えられないようなバスチケットの種類の違いを見分けられる。なぜって、一般人はそれほど気にしないからだ。古いバスチケットについて、そんなに長く考えて何が面白いの?

この種の執着の第二の特徴は、特に意味はないということだ。バスチケットのコレクターの愛情は純真だ。他人に褒められたり、金持ちになるためではなく、集めたいから集めている。

偉業を成し遂げた人々の生活を調べると、決まったパターンがある。バスチケットコレクターの執着のように、同時代のほとんどの人には無意味に思える何かへの執着から彼らは始めることが多い。ビーグル号での航海について書かれたダーウィンの本のうち、最も目立つ特徴の一つは、博物学に対する彼の関心の深さだ。ダーウィンの好奇心は無限のようだ。ラマヌジャンも同様だった。

彼らは後の発見の「基礎工事」をしていたと考えるのは間違いだ。その比喩では「計画的にしていた」という意味が強すぎる。バス・チケットのコレクターのように、彼らは好きだからしていたのだ。

しかし、ラマヌジャンとバスのチケットコレクターには違いがある。級数は重要だが、バスのチケットはそうではない。

もし私が天才のためのレシピを一つの文章にまとめることになったら、「何か重要なことに純真に執着すること」になるかもしれない。

他の二つの要素はどうなったの? それらは思うより重要ではない。ある話題に執着的なまでに興味を持つことは、能力や決断力の代わりになる。十分な数学的素質がなければ、級数はつまらないだろう。そして何かに夢中になれば決断力はそれほど必要ない。

執着に取りつかれた興味があれば、ある程度はなんでもできるほどの幸運をもたらす。パスツールが言ったように、チャンスは準備された心を好む。そして執着があるとは、心を準備しているということだ。

この種の執着には、純真さが最も重要だ。純真であることは熱心なことの証明となるだけでなく、新しいアイデアを見つけるのに役立つからだ。

新しいアイデアにつながる道は、ダメっぽく見える。もし有望に見えるなら、すでに他の人たちがその道を進んでいただろう。偉業を成し遂げた人たちは、他の人が見落とした道をどうやって見つけたのだろうか。世間は「良いビジョンを持っていたのだ」という話を好む。非常に才能があったから、他の人には見えない道が見えたのだ。だが、偉大な発見がなされた方法を見れば、そうではなかったとわかる。ダーウィンは他の人たちよりも、個々の種には注意を払わなかった。これが大きな発見につながる可能性があると知っていたからで、他の人たちはそうではなかった、ということではない。ダーウィンは本当に、本当に、そのようなことに興味があった。

ダーウィンは執着を止めることができなかった。ラマヌジャンもそうだった。彼らが隠れた道を見つけたのは、見込みがありそうだったからではなく、止めることができなかったからだ。だから単なる野心家だったら無視していた道に進むことができた。

偉大な小説を書くとき、トールキンのように何年もかけて架空のエルフ語を作ることから始たり、トロロペのように英国南西部のあらゆる家庭を訪れることから始ようとする、理性のある人がいるだろうか。トールキンやトロロペでさえ、そうは思わないだろう。

バスチケット理論はカーライルの有名な天才の定義(訳注「天才とは、何よりもまず苦悩を受けとめる先駆的な能力のことである」)に似ている。しかし、2つの違いがある。無限の痛みに耐える能力の源は、カーライルが考えるような無限の勤勉さではなく、コレクターが持つ無限の興味であることをバスチケット理論は示している。無限の興味があれば、重要な能力も付いてくる。重要な物事について、どこまでも苦労できる能力だ。

では、何が重要な物事なのだろうか? 決して確信することはできない。自分が興味を持つことに取り組むことで新しいアイデアを発見できるということは、まさにどの道が有望かを事前に知ることができないということだ。

しかし、執着が重要かどうかを推測する経験則がある。例えば、他の人が作ったものをただ消費するよりも、何かを作っている方が可能性がある。自分が難しいものに興味を持っている場合、特に他の人にとっては、もっと難しいのなら、より有望だ。そして、才能ある人々の執着は、将来、有望になる可能性が高い。才能のある人が無作為に何かに興味を持ったら、それらは実際には無作為ではない。

だが絶対に確信はできない。実際これは興味深いアイデアだが、もし本当なら、かなり警戒が必要だ。すごい仕事をするためには、多くの時間を無駄にする必要があるかもしれないからだ。

多くのさまざまな分野で、報酬はリスクに比例する。もしこの法則が成り立つなら、本当にすごい仕事につながる道を見つけるには、まったく見込みのなさそうなことに、進んで多大な努力をすることだ。

これが本当かどうかわからない。何か面白いことに一生懸命取り組んでいる限り、時間を無駄にするのは驚くほど難しいようだ。やっていることの多くは結局、役に立つ。しかし一方で、リスクと報酬の関係に関するルールは非常に強力であり、リスクが発生する所ではどこにでも適用できるようだ。少なくともニュートンの場合は、リスク/報酬の法則が当てはまることを示唆する。「世界を数学で表現する」という、前例のないほど実り多いことがわかったニュートンの執着は有名だ。しかしニュートンには、錬金術と神学という他の二つの執着があり、完全に時間の無駄だったようだ。ニュートンはトータルでは先に進んだ。いまでは物理学と呼ばれているものへのニュートンの賭けは大成功だったので、他の二つを補って余りあるほどだった。しかし、このような大きな発見には大きなリスクを冒さなければならないという意味で、他の2つは必要だったのだろうか? わからない。

ここにもっと驚く考えがある。人は悪い賭けをするかもしれない。よくあることだろう。しかし、どれくらいの頻度でするかはわからない。なぜなら、そういった人たちは有名になれないからだ。

単に、ある道に進んだときのリターンを予測するのが難しいだけではない。それらは時とともに激しく変わる。1830年は自然史に熱中するには本当に良い時代だった。もしダーウィンが1809年ではなく1709年に生まれていたら、有名になれなかったかもしれない。

このような不確実性に直面したとき、どうすればいいだろう。1つの解決策は、賭けに保険を掛けることだ。しかし、他の保険と同様、リスクを減らせば報酬も減る。従来のように野心的な道に進むために、自分の好きなことに取り組むのをやめると、それまで発見していた素晴らしいことを見逃してしまうかもしれない。これもよくあることで、すべての賭けに失敗した天才よりももっと多いだろう。

もう1つの解決策は、いろんなことに興味を持つことだ。今のところうまくいっていると思われるものに基づいて、同じように純粋な興味を切り替えれば、利益が減ることはない。しかし、ここにも危険がある。あまりに多くの異なるプロジェクトに取り組むと、どれも掘り下げることができなくなるかもしれない。

バスチケット理論の興味深い点の1つは、いろんなタイプの人々が、異なる種類の仕事で優れている理由を説明できるかもしれないことだ。興味は才能よりもはるかに不均等に分布している。もし、偉大な仕事をするために必要なのが天賦の才能だけで、天賦の才能が均等に分布しているなら、さまざまな分野で実際に偉大な仕事をしている人たちの間で見られる分布の偏りを説明するために、しっかりとした理論を考え出なければならない。しかし、その偏りの大部分は、もっと単純に説明できるかもしれない。人が異なれば、異なるものに興味を持つということだ。

バスチケット理論はまた、人は子供を産んだ後にすごい仕事をする可能性が低い理由も説明する。興味は外的な障害物だけでなく、ほとんどの人にとって非常に強力な、子供への興味とも競争する必要がある。子供ができてから仕事をする時間を作るのは難しいが、それは簡単なことだ。本当の変化は、働く意欲がなくなることなのだ。

しかし、バスチケット理論がいちばん刺激的なのは、すごい仕事を推し進める方法を教えてくれることだ。もし天才のレシピが単に生まれつきの才能と努力なら、私たちにできることは、自分に多くの才能があることを願いつつ、できるだけ一生懸命に働くしかない。しかし、もし興味が天才にとって重要な要素なら、興味を大切にすることで、天才を育てることができるかもしれない。

例えば非常に野心的な人にとって、「素晴らしい仕事をするなら少しリラックスしろ」とバスチケット理論は教えてくれる。歯を食いしばり、同僚がみんな認めてくれることを熱心に追求するのが最も有望な研究方法ではなく、何かを楽しむためにやってみるべきかもしれない。行き詰まっているのなら、それが脱出路かもしれない。

私はずっとハミングの有名な二本立ての質問が好きだった。「あなたの分野で最も重要な問題は何ですか?」「なぜそれに取り組んでいないのですか?」という質問だ。それは自分を奮い立たせる素晴らしい方法だ。だが、少し過剰適合かもしれない。自分自身にこう問いかけてみるのもいいかもしれない。「重要ではないかもしれないが、本当に興味のあることに取り組むために1年の休暇を取れるなら、何をするだろう?」

バスチケット理論は、年齢とともに減速しない方法も示す。年をとると新しいアイデアが浮かびにくくなるのは、おそらく、単に丸くなってしまうからではない。いったん偉くなってしまうと、誰にも注目されなかった若い頃のように、無責任な趣味には手を出せなくなるからかもしれない。

解決策は明らかだ。無責任なままでいろ。とはいえ、それは難しいだろう。というのは、自分の減速を防ぐために採用する一見、でたらめなプロジェクトが、外部の目に証拠としてさらされるからだ。そして自分では、それが間違っているかどうかを確実に知ることができない。だが、自分のやりたいことに取り組むほうが、少なくとも楽しいだろう。

もしかしたら、子どもたちに知的なバスチケットを集める習慣をつけさせることもできるかもしれない。普通の教育プランでは、広く浅い焦点から始め、徐々に専門化する。しかし私は、自分の子どもには正反対のことをした。広く浅い部分は学校に任せ、深さを取った。

私の子供が何かに興味を持ったら、たとえランダムであっても、バスチケットを集め、先に深く行くよう勧める。バスチケット理論のためではない。勉強の喜びを感じてもらいたいからだ。私が何かを学ばせようとしていると子供が思うことは決してないだろう。子供たちが興味を持っているものである必要がある。私は最も抵抗の少ない道を進んでいるだけだ。深さは副産物だ。だが、学ぶことの楽しさを示そうとすれば、深いところに行くように訓練することにもなる。

効果はあるだろうか? わからない。しかし、この不確実性が最も興味深い点かもしれない。すごい仕事をする方法について学ぶべきことはたくさんある。人類の文明は古いと感じるかもしれないが、こんな基本的なことさえ学び終えていないなら、まだ文明は非常に若い。発見について発見すべきことがまだあると思うとわくわくする。もしその発見が、あなたにとって興味がある種類のものならば。

注釈

[1] バスのチケットよりももっと良く表現できるコレクションは他にもあるのだが、そちらのほうが人気がある。「あなたの趣味は重要ではない」と言って多くの人を怒らせるよりも、劣った例を使った方がいいと思った。

[2] 私は、「純真」という言葉を使ったことがちょっと心配だ。なぜなら、それは「無関心」という意味だと誤解している人がいるからだ。しかし、天才になりたい人は、そのような基本的な言葉の意味を知る必要があるので、今、学ぶほうがいいと思う。

[3] どれだけ多くの人が、失敗せずに責任を持つように言われたり、自分に言い聞かせたりして、天才の芽を摘み取られてしまったか想像してほしい。ラマヌジャンの母親は大きな力となった。彼女がいなかったらと想像してみよう。もしラマヌジャンの両親が、家で座って数学をするのではなく、外で仕事をさせていたら?

その一方、就職しないことの言い訳にラマヌジャンを持ち出す人は、おそらく間違っている。

[4] レオナルドにおけるミラノという場所のように、ダーウィンにとって1709年という時期が重要だった。

[5] 「苦労する無限の能力」はカーライルの文章の意訳だ。「フリードリヒ大王伝」で彼が書いたのは、「...天才(何より尽きせぬトラブルに取り組む能力)の成果だ。」だった。だがこの意訳は今回の話の要点だと思ったので、修正しなかった。

カーライルの歴史書は1858年に出版された。1785年にヘラルト・ド・セシェルはバフォンの言葉を引用して、"Le génie n'est qu'une plus grande aptitude à la patience." (天才は忍耐に過ぎない)と述べている。

[6] トロロペは郵便配達網のシステムを作っていた。トロロペもこの目標の追求に執着していた。情熱がどう育つかを見るのは興味深い。その2年間、農村の手紙運搬船でイギリスをカバーしたいというのが彼の人生の大望だった。ニュートンでさえ、ときどき自分の執着ぶりを知っていた。円周率を15桁まで計算した後、彼は友人に宛てた手紙にこう書いた。「恥ずかしいが、当時は他に用事がなかったので、とても多くの値まで計算してしまった。」
ちなみに、ラマヌジャンも強迫的な計算機だった。カニゲルは優れた伝記を書いている。ラマヌジャンの研究者、B・M・ウィルソンは後に、ラマヌジャンの数論研究にはしばしば「それに先立って、たいていの人が引いてしまうような桁まで計算した数値表がある。」と語った。

[7] 自然の世界を理解するなら、消費ではなく創造しよう。

ニュートンは神学の研究を選んだとき、この鑑定でミスをした。自然の矛盾を解消することは実り多いが、神聖な書物の矛盾を解消することはそうではないということが、ニュートンには信仰により理解できなかった。

[8] ある話題に興味を持つ人の性向のうち、どれくらいが生まれつきなのだろう。私のこれまでの経験では、答えは「ほとんど」のようだ。子どもによって興味を持つものは異なり、興味を持っていないものに興味を持たせるのは難しい。押し付ことはできない。ある話題についてできることは正当に紹介することだ。例えば、数学とは学校の退屈な訓練以上のものだとはっきり示す。あとは子供次第だ。
この原稿を読んでくれたマーク・アンドリーセン、トレバー・ブラックウェル、パトリック・コリソン、ケビン・ラッカー、ジェシカ・リビングストン、ジャッキー・マクドノー、ロバート・モリス、リサ・ランダル、ザック・ストーン、そして私の7歳の子供に感謝する。

ワインバーグの「白パンの自然史」のスライド

昔、作ったワインバーグの「白パンの自然史」のスライドを公開します。
PowerPointの元ファイルはこちら。 現在のシステムがひどくても、批判をする前に、システムがそうなってしまった経緯を調べろ、と警告する内容です。





































































ポール・グレアム「偏見検出法」

ポール・グレアム「偏見検出法」を翻訳しました。原題は A Way to Detect Bias で、原文はココです。英語に強い皆さま、メール(takeuchi19@mail.goo.ne.jp)でのアドバイスを、よろしくお願いいたします。

偏見検出法

 

201510

 

多くの人には驚きだろうが、場合によっては、候補者の集団について何も知らなくても、選抜時における偏見を検出できる。他のものの中では、第三者がこの技術を使って、選抜している人が意図的にしているかに関わらず、偏見を検出できるので、これは興味深い。

 

このテクニックは

  a)候補者の、少なくともランダムに選んだサンプルがあり

  b)選抜後の能力が測定されており

c)比較している申請者のグループも、能力がおおむね同等に分布している

なら、いつでも使える。

 

なぜうまく行くのだろうか? 「偏見」とは何を意味しているのか考えよう。選抜方法がタイプxの候補者に偏見を持つとは、選抜されにくくなるということだ。つまり、タイプxの候補者は、選抜されるときにタイプx以外の選抜された人たちよりも良くなければならない、ということだ。 [1] これは、タイプxの選抜者は、他の選抜者よりも優れていることを意味する。そして、選抜された全応募者の成績を測定すれば、選抜時に偏見があったかどうかを測定できる。

 

もちろん、成績を測定するのに使うテストは、意味のあるテストである必要がある。 特に、測定しようとしている偏見によって無効になってはいけない。だが成績を測定できる分野もいくつかあり、その場合はこれらの偏見を検出するのは簡単だ。選抜プロセスが何らかのタイプの候補者を差別しているか知りたい? 選抜された彼らが、他の選抜された人より優れているかどうかを調べよう。これは偏見を検出するための経験則ではない。それは偏見の定義そのものだ。

 

例えば、「ベンチャーキャピタルは女性の起業家を差別しているのでは?」と多くの人が考えている。これは簡単に検出できる。投資先企業の中で、女性が起業家のベンチャーは、女性以外の起業家のベンチャーよりも投資の成果が上がっているだろうか? 数ヶ月前、あるVC会社は研究成果を出版したが、そこには(ほぼ確実に)このタイプの偏見が見られる。ファーストラウンドキャピタル社は、投資先企業の中で、女性が起業家のベンチャーの成績は、そうではないベンチャーの63%よりも上回っていることを発見した。 [2]

 

この手法は多くの人々にとって驚きだろうと私が最初に述べた理由は、こういった分析をめったに見ないからだ。それを測定したファーストラウンドキャピタル社も驚いたに違いない。サンプルを自分たちの投資先に限定すると、ベンチャーの傾向ではなく、企業を選ぶ際の偏見について測ることになると、誰も気づいてないんじゃないか。自分たちが公開した数字の意味を理解していれば、そんな風には公開しなかっただろう。

 

将来、このテクニックはもっと使われるようになるだろう。こういった研究を実施するために必要な情報は、どんどん入手しやすくなっている。何かに応募した人のデータはふつう、選抜した組織によって厳重に管理されるが、今日では、選抜された人に関するデータは、集める手間さえいとわなければ、一般に公開されることがよくある。

 

注釈

 

[1] 雇用者が男性は能力に基づいて、女性はルックスに基づいて採用した場合など、選択時に異なるもので選抜した場合、この手法はうまくいかない。

 

ポール・ブッフハイトが指摘したように、First Round社は最も成功した投資であるUberを研究から除外した。外れ値を除外することが合理的な研究もあるが、ベンチャー企業のリターンの研究のように、大成功の外れ値を引き当てることがすべてのような研究は、その限りではない。

 

サム・アルトマン、ジェシカ・リビングストン、ジェフ・ラルストンに感謝する。

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