ポール・グレアムの「不平等とリスク」を翻訳しました。
原題は「Inequality and Risk」で、原文は以下です。
http://www.paulgraham.com/paulgraham/inequality.html


翻訳協力をいただいたkomasafarina様、shiina225様、shiro様、ありがとうございました。
http://www.hatena.ne.jp/1134570903


不平等とリスク

2005年5月
(このエッセイは、2005年5月のバークレーCSUAでの講演を元にしています)

2005年8月

(このエッセイは、Defcon2005の講演を元にしています)

経済的な不平等をなくしたいとしよう。
2つの方法がある。貧困層にお金を与えるか、金持ちから奪うか、だ。でも、このふたつは結局同じことなんだ。貧困層にお金を与えるなら、どこかからそのお金を持ってこなくちゃならない。貧困層からそのお金を取るわけにはいかない。最初と何も変わらないから。金持ちから取ってこなくちゃならない。

もちろん、金持ちからお金を移動する以外にも、貧乏な人を豊かにする方法もある。たとえば教育を受けやすくして、貧困層をもっと生産的になるように支援するとか。専門家から奪ったお金をレジの店員に与える代わりに、レジの店員になっていただろう人々を専門家に育てるんだ。

この方法は貧しい人を豊かにする、より優れたやり方だ。しかし過去200年の経験から、それは不平等を解消しないことがわかっている。金持ちもより金持ちになるからだ。専門家がいれば、彼らを雇ったり彼らに販売することができる。ヘンリー・フォードは、みんなが自給自足農家の社会だったら、自動車を製造する富を蓄えられなかっただろう。労働者も顧客もいなかっただろう。

生活水準の改善じゃなくて経済的不平等の縮小を目的とするなら、貧困層の底上げだけではダメなんだ。もし新たに生まれた専門家の1人が野心を抱き、次のビル・ゲイツになったら、どうなる? 経済的不平等は、相変わらず消えないままだ。本当に貧富の格差を無くしたいなら、底上げと同時に、最富裕層を引きずり下ろす必要があるんだ。

最富裕層を貧乏にするにはどうすればいいんだろう? 最も利益を生む人々の生産力を減少さればいい。名外科医に左手で手術させ、人気俳優に過食させる。だがこの方法は、実行が難しい。唯一の現実的な解決策は、人々に可能な限り最良の仕事をさせることだ。そして余分な儲けはすべて、税金など何らかの制限をつけて没収すればいい。

これで「経済的格差の縮小」って言葉が何を意味するか、はっきりしただろう。それは金持ちからお金を奪うことと同じなんだ。

数式を書き換えると、新しいことに気づく、ってことはよくある。このケースもそうだ。「不平等を縮小する」という言葉を「金持ちから奪う」と言いかえると、思いもよらなかった結論に導かれる。問題は、リスクと報酬は比例すべきだってことなんだ。勝つ確率が10%の賭けには、確率が50%の賭けよりも、多くの支払いをする必要がある。でなければ、誰もそんな賭はしない。だから、最富裕層の報酬をカットすれば、危険を冒そうという人の熱意は冷めるだろう。

最初の言い方で言うと、こうなる。経済的格差を縮小すると、人々が取りたがるリスクも減ってしまうんだ。

利益の最大値が引き下げられたら、取る価値が無くなってしまうリスクはたくさんある。高い税率は悲惨な結果を招く。ベンチャー企業の設立は、まさに「リスクが最大の仕事」だからだ。


投資家

ベンチャーの設立は、本質的に危険だ。ベンチャー企業は、大海に漂う小さなボートみたいなものだ。大波一発で沈んでしまう。競合製品、不景気、資金提供の遅延、認可の遅延、特許訴訟、技術変化、中心社員の退職、大きな損失 --- どれが起きたって、一晩で会社は潰れる。成功する会社は10社に1社くらいだ。[1]

私たちのベンチャー企業は、最初に投資してくれた外部の人に、36倍の配当を支払った。つまり現在のアメリカの税率においては、私たちが成功する可能性が1/18以上だったら、投資する価値があったということだ。「ビジネスの経験がない2人のオタクが、アパートの一室で起業した」って聞いたときにみんなが想像する成功の確率としては、まあ妥当なところだろう。

リスクが割に合わなかったら、だれもベンチャーになんて投資しない。

投資家がいなくたって、ベンチャー設立に誰か資金を出してくれるなら、それでもいいかもしれない。なぜ政府とか、ファニー・メイといった政府並みに大きな組織が、ベンチャー投資をしないんだろう?

この方法ではダメな理由を説明しよう。政府とか政府並みに大きな組織は、「リスクの引き受け」を最も苦手とするからなんだ。

公役所の仕事をしたことがある人ならだれでも知っている。お役所で重要なのは、正しい選択ではなく、失敗してもちゃんと言い訳できることなんだ。いつだって役人は安全な選択肢を選ぶ。でもそれは、ベンチャー企業への投資法としては最低だ。ビジネスの世界では、うまくいけば大儲けできるなら、すごく危険な選択だってする。

ベンチャーキャピタルの収益モデルは、成功の可能性にフォーカスせざるを得ないようになっている。投下した資本が上げた利益の一部を得るようになっているからだ。それは学生のような(もしかしたら本当に学生の)オタクが運営する会社に投資する、投資家のもっともな不安を和らげてくれる。もしベンチャーキャピタルが金持ちになることが禁止されるようになったら、役人のように振る舞うだろう。儲かる可能性じゃなくて、損失の危険を考えるようになる。そして間違った意思決定をするだろう。弁舌さわやかなスーツのMBAを支持し、オタクを拒否するようになる。失敗したときに、投資を正当化しやすいからだ。


創立者

なんとかベンチャーキャピタルが金持ちになることを禁止しつつ資金を提供できるようにできても、換えることのできない投資者がいる。ベンチャーの創立者と、創立時の社員だ。

彼らは時間とアイデアを投資する。これらはお金と同じ価値を持つ。それは証明できる。投資家は、もしそうしろと言われたら、労働力による資本と金で購入した資本を交換可能なものとして扱うだろう。

お金ではなく時間を投資しているとしても、危険と報酬の関係は変わらない。もしも成功の見込みが低くても、成功したときの利益が大きければ、やってみるだろう。[2] 大儲けが許されないなら、安全策をとったほうがよい。

他のベンチャー創立者と同様、私は金持ちになるためにベンチャーを創立した。贅沢な生活をしたかったからじゃない。安心が欲しかったんだ。お金を心配しなくても済むくらい十分なお金が欲しかった。もしベンチャーでお金儲けをすることが許されていなかったら、別の手段で安心を得ようとしただろう。たとえば、つまらないかわりに仕事の安定した大きな組織に入社するとか。ベンチャーを設立するかわりに、大きな研究所でのストレスのない仕事や、大学の終身在職権を得ようとしただろう。

リスクが報われない社会なら、みんなそうする。自分の安全を自分で保証できないなら、次善の策は、年功序列の大きな組織で、自分の居場所をつくることだからだ。[3]

なんとかして投資者の替わりを見つけたとしても、どうやって創立者を探せっていうんだろう。投資者は主に金を出す。投資者が誰であれ、原則は同じだ。でも創立者は知恵を出すんだ。「代わりに知恵を出す」なんてできっこない。

ここまで議論をおさらいしよう。私は、多くの読者がのたうちまわって悲鳴をあげるような結論に向かっている。だから私は、論理の一段一段を補強しておこう。「経済的不平等の減少」は「金持ちからお金を奪うこと」と同じである。危険と報酬は比例する。だから大儲けの上限を引き下げると、危険でもやろうという意欲も冷める。ベンチャー創立は本当に危険だ。だから危険に見合った報酬なしじゃ、創立者はベンチャー設立に時間を投資しない。しかもベンチャー創立者は置き換えられない。だから経済的不平等をなくすと、ベンチャー企業もなくなる。ベンチャー企業によって経済的不平等が生まれるんじゃない。落下する水が水車を回すのと同じで、経済的不平等はベンチャー企業を動かす動力源なんだ。人々は、今よりも豊かになるためにベンチャーを始める。誰かが他の人よりも金持ちになることが許されない社会では、ある人が時刻t1より時刻t2で豊かになることも許されないだろう。


成長

この議論は比例関係にある。経済的不平等をなくしたら、ベンチャーもなくなるだけじゃない。経済的不平等を縮小した分だけ、ベンチャー企業も減る。[4] 税率に比例して、危険を冒す意欲も減る。

それは誰にとっても良くない。新技術や新しい仕事は、どちらも大部分は新興のベンチャー企業からやってくる。ベンチャー企業がなかったら、そのうち既存の企業もなくなってしまうだろう。子供がいなくなったら、そのうち大人もいなくなってしまうのと同じだ。

「経済的不平等を縮小しよう」という言葉は慈悲深い言葉に聞こえる。そんな訊き方をしたら、誰が反論できるだろう? 不平等は悪いに決まってるよね? ベンチャー企業の新設率を引き下げよう、と言うよりもずっと善意に聞こえる。でも2つは同じことなんだ。

投資者をリスク回避的にさせてしまうと、生まれたてのベンチャー企業は大打撃だ。ことに最も有望なベンチャーが絶滅する。ベンチャー企業は既存の企業よりも、ハイリスクの市場で高成長する。「ハイリスクで高成長」は、ベンチャー企業集団内でさえ、あてはまるのだろうか? つまり、最も成長するベンチャーは、ベンチャー企業内でも、さらにハイリスクな市場にいるんだろうか? その答えは「Yes」じゃないかと私は思っている。これは背筋も凍る考えだ。仮に投資家たちのリスクへの欲求を切り捨てたら、最も有益なベンチャーが最初にいなくなる。もちろん、金持ちが全員、ベンチャーによって金持ちになったわけじゃない。

もしベンチャー企業設立によって裕福になることは許可し、それ以外の人から過剰な利益を税金で没収したら、どうなるだろう? 少なくとも不平等は減少しないだろうか。

あなたの想像以上に。ベンチャーを起こすだけで金持ちになれるなら、金持ちになりたい人はみんなベンチャー企業をはじめるだろう。それはすばらしいことだろう。でも私は、そのようにしても富の再配分には、それほどの効果はないと思っている。金持ちになりたい人は、何だってやる。金持ちになる方法がベンチャー設立しかないなら、今よりもずっと多くの人がベンチャーを起業するだろう。(法律を慎重に制定できたら、の話だ。たぶん、書類上はベンチャー企業に見えるようなことをする人が増えるだけになるのが落ちだろう)

経済的不平等をなくしたいなら、まだ他にも方法はある。「新たなベンチャーなんて、なくたってやっていける」って言うことができる。もしそうなったら、何が起こるだろうか。最善でも、技術的な成長が今より低くなることを我慢しなければならない。「巨大な既存の企業でも、ベンチャー企業と同じ速さで新技術を開発できる」って言い張るのなら、説明してもらおうじゃないか。(少しでももっともらしい話ができるというなら、ビジネス本を書き、大企業のコンサルタントをして大儲けできるよ)[5]

わかった、低成長になるとしよう。それのどこが問題なの? うん。現実的な問題の1つは、他の国は我が国のスピードダウンにつきあってくれるとは限らない、ってことなんだ。他の世界より遅い新技術開発で満足してたら、現実には、まるきり何も発明できないことになる。何を発見しても、すでに他国で発見されたことだから。代わりに提供できるのは、原材料や安価な労働力だけだろう。一度そこまで落ちぶれてしまえば、他の国々はしたい放題だ。傀儡政権をつくり、最良の労働者を連れ去り、女性を売春婦にし、有毒廃棄物を捨てる・・・つまり我々が今、貧しい国にしていること、全部だ。それを防ぐ唯一の策は、共産主義国家が20世紀に行ったように、孤立することだ。でも問題は、そんな国家を維持するためには警察国家になる必要がある、ってことなんだ。


富と権力

私は、経済的不平等を無くしたいと願う人々が、真に敵としているのはベンチャー創立者ではないと思う。彼らが本当に嫌っているのは、権力と癒着し、永遠に居座るような金持ちだろう。例えば政府の受注の見返りに、政治家に資金提供をする建設業界とか、そういった目的で設計された高価な学校へ子供を送り込み、よい大学に進学させる金持ちの親たちだ。でもこの種の富を経済上の政策によって攻撃したら、副作用としてベンチャー企業も破壊してしまうだろう。

問題は金持ちではなく腐敗なんだ。腐敗を追求したらどうなんだ。

富が権力に変化することさえ防げれば、金持ちになることを禁止する理由はなくなる。改革は現在、進行している最中だ。1925年にアル中で死んだヴァンダービルト提督の放蕩な孫レジーは、5件の交通事故を起こし、そのうちの2件は死者を出した。1969年にテッド・ケネディがチャパキディック橋から転落したときまでには、人を殺しても罪に問われない限界は1名にまで下がっていたように思える。今日ではたぶんゼロだろう。変化したのは富の格差ではない。富が権力に変わる可能性のほうだ。

どうすれば富と権力の癒着を断ち切ることができるだろう? 透明化を求めるんだ。権力がどう行使されるか注意深く見守り、決定が下されるプロセスの説明を求めよう。


どうして警察の取り調べをすべて録画しないんだろうか。2007年度にプリンストン大を卒業した36%は、なぜアメリカの子供の1.7%しか通えないようなプレップ・スクール(裕福な子女の通う名門私立校)の出身なのだろう? 米国がイラクに侵入した真の理由は。政府高官は、在職期限中に限らず、もっと収入を公開すべきだ。

コンピューター・セキュリティに詳しい友達は、「すべてを記録することが唯一、そしていちばん重要なことだ」と言った。彼が昔、子供でコンピューターに侵入しようとしていた頃、もっとも心配したのは足跡を残してしまうことだった。侵入口に意識的に仕掛けられた罠よりも、すべてを記録されてしまうことの方が厄介だったんだ。

どんな違法な関係でも同じだが、富と権力の癒着は暗闇で栄える。取り引きをすべて公開してしまえば、癒着は大幅に減るだろう。すべてのログを取ろう。それは、うまく行っている方法のようだし、副作用で国が貧しくなるなんてこともない。

私は、経済的不平等とリスクの関連について、多くの人々が理解していないと思う。私だって、完全に理解したのはつい最近だ。私は「ベンチャーで成功しなかったら、快適で安定した研究職につこう」と考えていると自覚していた。でも私の行動を決定する法則までは理解していなかったんだ。ローマ帝国のディオクレティアヌス帝や、ハロルド・ウィルソン時代のイギリスのように、人々が金持ちになることを禁止する国は、一直線に破滅に向かうと、経験的に明らかだ。でも私は最近まで、リスクの役割を理解していなかった。

富を攻撃しようとすれば、リスクと成長を道連れにする。公平な世界を手に入れたいなら、もうすこし下流の、富が権力に変わる過程を攻撃するほうがいいと思う。


注釈

[1] ここでいう「成功者」とは、投資家の立場から見た値だ。株式公開をするか、最後の投資時の評価額よりも高く買収される場合を指す。よく1割とか言われるが、これはあまりにキリのいい値なので疑わしい。でもベンチャー・キャピタルの人たちと話した結果、ベンチャー全体としてはだいたい合っているとのことだった。トップのベンチャー・キャピタルなら、もう少しマシだろう。

[2] 私は、ベンチャー創立者が、最初にじっくりと期待される税引き後利益を計算している、と言いたい訳じゃない。ベンチャー創立者は、他の成功したベンチャー起業家の税引き後の結果を見てやる気を出している。それは、税引後の利益を織り込み済みだってことだ。

[3] (腐敗していない)国か組織の、各メンバーにおける財産の差は、年功序列システムの普及率に反比例するだろう。したがって、所得の格差をなくせば、「年寄りであること」が重要になる。これまでのところ、非常に腐敗した国以外では、私は反例を知らない。(このことを指摘したダニエル・ソブラルに感謝)

[4] 本当に封建的な国では、抹殺すべきベンチャーがいないので、富をうまく再分配できるかもしれない。

[5] ベンチャー企業が新技術を素早く開発することが、ベンチャー企業が高賃金を支払うもう1つの理由だ。私が著書「ハッカーと画家」の「富の創りかた」で説明したように、ベンチャー企業では一生分の仕事を数年に圧縮する。それをしないように仕向けるということは、リスク・テイキングをやめるようにしむけるのと同じぐらいの失策である。

このエッセイの原稿を読んでくれたクリス・アンダーソン、トレヴォー・ブラックウェル、ダン・ジィフィン、ジェシカ・リヴィングストン、エヴァン・ウィリアムズと、ベンチャー企業への投資に関する情報をくれたラングレー・シュタイナート、サンガム・パント、マイク・モーリッツに感謝する。