ポール・グレアム「潜水艦」を翻訳しました。




原題は「The Submarine」です。


http://www.paulgraham.com/paulgraham/submarine.html




翻訳にあたり、shiro様、Kumappus様、komasafarina様、p243様、


ogijun様、kokezaru753様のアドバイスを反映させています。


また注釈部分は、完全にKumappus様の翻訳です。ありがとうございました。


http://www.hatena.ne.jp/1137175985




ポール・グレアムのエッセイ集、


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潜水艦




2005年4月




ニューヨーク・タイムズに「スーツが企業で復活」と書いてあった。その記事は見なれた内容だった。たぶんスーツは、2004年2月、2004年9月、2004年6月、2004年3月、2003年9月、2002年11月、2002年4月にも復活したからだろう。




じゃあ、どうしてメディアは「スーツが復活した」なんて記事を載せ続けるんだろう? 広告会社がそのように仕組んでいるからだ。短いビジネス生活の間でいちばん驚いたのは、ニュースという海の水面下に潜む、巨大で静かな潜水艦の存在だった。伝統的な大衆メディアに掲載される政治・犯罪・事故・災害以外の記事の半分以上は、おそらく広告会社がニュース元だ。




そのことを知っているのは、私は何年も「話題記事」を追求してきたからだ。私たちのベンチャー・ビジネスは、全マーケティング予算を広告に使った。一時など、経費を節約するためにパソコンを自作するいっぽうで、私たちは広告会社に月に1万6000ドルも支払っていた。そう、それだけの価値はあった。広告は、ニュース界における検索エンジン最適化(SEO)に相当する。金を出して読者が無視するような広告スペースを買うかわりに、直接、自分たちのことを記事にしてしまうのだ。[1]




私たちの広告会社は、業界でもっとも優秀な会社のひとつだった。実に18か月間、彼らはさまざまな刊行物に60以上の話題記事をあてている。


彼らの偉業にあやかったのは、私たちだけじゃなかった。1997年には、ある企業家から自社宣伝のためにその広告会社を使うべきかどうか電話で相談を受けた。わたしは彼に「あの連中は広告の神々で、法外な料金の一セントづつすべてに、それだけの価値がある」と話してやったが、そのとき私は、会社の名前が奇妙だと思ったことを覚えている。なんでオークション・サイトなのに「eBay」なんて呼ぶんだろう?






共存




広告はうそつきではない。そんなことは全くない。事実、最高の広告会社がとても効果的なのは、まさに彼らが不誠実ではないという理由からなのだ。彼らは記事の書き手に、真に価値のある情報を与える。良い広告会社は、クライアントのいいなりになって、記者を悩ませるようなことはしない。良い広告会社は、記者との信頼関係を築くために一生懸命だった。だから、ただのプロパガンダを投げ与えることで、信頼関係を破壊しようなんて思ってないんだ。




不誠実な人間がいるとしたら、それは記者だろう。広告会社が存在する主な理由は、記者が怠慢だからだ。ましな言い方をするなら、記者は働き過ぎだからだ。本来なら、外に出て、自分たちの手で現場で掘り下げてみるべきだ。だが、オフィスに座って広告会社に記事を持って来させるという誘惑には、なかなかのものがある。結局のところ、記者たちは広告会社が自分たちに嘘をつかないことを知っている。上手いおべっか使いは嘘はつかないが、その相手に選び抜いた真実を伝える。(「瞳の、色がとっても素敵だよ」といった具合だ)優れた広告会社も同じ戦略を使う。彼らが記者たちに流す記事は真実ではあるが、クライアントを喜ばせる真実なのだ。




たとえば私たちの広告会社は、しばしば「Webによって小さな店は大きな店と張り合えるようになった」という記事をよく流した。これはまぎれもなく本当のことだ。しかし記者が書いたのが結局はその事実だけであって、他のことではなかったのは、わたしたちが狙いとするマーケットがそうした小さな店であるという理由からで、わたしたちはそのための笛吹きに金を出していたのだ。




刊行物の違いによって、広告会社に対する信用度は非常な幅がある。最底辺はPR情報誌だ。収入のほとんどを広告から得ている彼らは、広告主の望み次第では雑誌を無料で配布することもある。[2] 平均的な業界誌は、広告の束にかろうじて雑誌の体裁をなせる程度の記事を貼りつけただけのものだ。彼らは「コンテンツ」を求めるあまり、こちらが記事として読めるものを手間をかけて作ってやれば、プレスリリースをそのままほとんど一語一句記事にしてしまうところさえあるだろう。




その正反対は、ニューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナルのような出版物だ。記者は少なくとも一定の時間はちゃんと外に出て、自分のネタを見つけてくる。広告会社の言うことにも耳を傾けるが、だが、ほんの束の間、半信半疑でだ。私たちはなんとかして、望むほとんどすべての出版物に露出した。しかし私たちは、どうしても紙のタイムズ誌に食い込むことはできなかった。[3]




一流記者の弱点は、怠惰ではなく功名心だ。彼らに記事をあてがうわけにはいかないのだ。顕微鏡ですべてを見られてしまう標本のようなふりをして近づき、書いて欲しい記事を、まるで自分で考えたかのように思わせること。




私たちの広告会社のいちばんの成功は、二段がまえのものだった。私たちはかなりいいかげんな非公式の数字に基づいて、ウェブ上には5000のネットショップがあると推定した。私たちは、ある新聞にこの数字を掲載させた。これは非常に怪しい記事だった。しかし、一度この「事実」が活字となって出てしまえば、私たちはその記事を他の出版物に引用し、「私たちには1000人のユーザがいて、オンライン・ストア市場の20%を占めている」と主張することができた。




この数字は、だいたいのところ真実だった。私たちは実際にオンライン・ショップ市場で最大のシェアを持っていたし、ユーザ数5000という推定値は、私たちにできた最良の推定値だった。しかし、その記事は、はるかに断定的な響きを持ったかたちで報道された。




記者は断定的な物言いが好きだ。たとえばJeremy Jaynesの有罪判決に関する多くの記事は、彼はワースト10のスパマーだと書いている。


この「事実」は、SpamhausのROKSOリストがネタ元だ。でも私の思うに、Spamhausでさえ、これがちょっといい加減な推定であることを認めるんじゃないか。Jaynesに関する最初の記事はこのネタ元を引用した。しかし現在では、まるで起訴状の一部かのように、単純に繰り返し使われている。[4]


Jaynesに関して確実に言えるのは、彼は相当に大きなスパマーだったということだけだ。でも記者は「相当に大きな」といったような曖昧な言葉を活字にしたくない。「トップ10」のような、パンチのある表現をしたい。だから広告会社は、記者が望むものを与える。「スーツを着たら、仕事の効率3.6%アップ」とか。






うわさ




広告会社の手法が故意に誤解をさせるようになるのは、うわさをつくり出すときだ。通常、複数の出版物に同時に、同じ記事を流す。読者はいろんな場所で同じような記事を読むので、何か重要なトレンドがあると思いこむ。まさに狙いどおりだ。




Windows95が発売された時、人々は、最初のバージョンを買うために真夜中に店の外で待った。広告会社が、核分裂の連鎖反応のように自己増殖するうわさをニュースメディアに流していなかったら、誰も並んだりしていなかっただろう。私はまだ広告会社に関してよく知っているとは思わないが、Webによって、Webのおかげで、彼らの仕掛けをたどっていくことができるようになった。お決まりの言い回しを調べれば、スーツの復権にまつわる、長年にわたるいくつもの努力を、記事に見つけることができるだろう。たとえば2004年9月、USA Today誌のロイター発の記事だ。「スーツが復活」という一文から始まっている。




このようなトレンド解説は、ほとんど決まって広告会社の仕業だ。一度、記事の読み方を学べば、クライアントが誰かは、すぐにわかるだろう。トレンド記事では、広告会社はふつう、業界についてコメントする1人もしくは数人の専門家を揃える。この記事の場合、専門家は3人出てくる。NPDグループ、GQのクリエイティブ・ディレクター、スミス・バーニーの調査担当の重役。[5] 専門家という末端に到達したら、クライアントを探せばいい。見つけた! こいつだな。メンズ・ウェアハウスだ。




メンズ・ウェアハウスが当時「スーツが復活」と言う広告を出していたことを考えれば、驚くことじゃない。自社のキャッチ・コピーで始まるニュース通信社の記事ほど、最高の露出なんてあるだろうか?




見聞きする宣伝から話題記事を見つける秘訣は、それらはすべて、広告会社のある1つの文書から発生したと知ることだ。少数のキーフレーズを探し、クライアントと専門家の名前を調べるんだ。そうすれば、その記事の他のバリエーションも行き当たるだろう。




「金曜日のカジュアルな装いはもうアウト、ぴしっと決めるのが今のトレンド」とボストン・グローブのダイアン・E・ルイスが書いている。


驚くべき偶然だ。ルイスさんの業界仲間に、GQのクリエイティブ・ディレクターもいたのだ。




メアリー・キャサリーン・フリンがUS News & World Reportで「破いたジーンズとTシャツはイケてない」と書く。彼女もGQのクリエイティブ・ディレクターの知り合いだ。




「究極の男性娯楽誌」Sexbuzz.Comにニコル・フォードが「メンズ・スーツが復活」と書く。




「男性陣が職場でスーツを着ているから、ルーズな着くずしはもう効果がない」とテニシャ・マーサーがデトロイト・ニュースで書く。




今ではたくさんのニュース記事がオンラインで読めるようになったので、広告会社が書いたトレンド記事のほとんどに関して、同じような例を見つけることができると思う。この新しいゲームを「広告ダイビング」と呼ぶことにしよう。ここで紹介した5つの例より、はるかに衝撃的な例があると確信している。






オンライン




広告会社が書いたトレンド記事を数年、追いかけて、今ではわたしの第二の天性として話題記事を見分けることができるようになった。でも広告会社を雇う前は、主流なメディア記事のネタ元を知らなかった。論説の多くはたわごとだってことは知っていたが、記事がどこから出てくるのかはわからなかった。




学校でやった「読書評論」の練習を思い出してほしい。文章を1文1文チェックし、論理を追い、筆者の述べていることが100%真実かどうかを確認した、あの練習だ。もし真に批判的な読者になろうとするなら、さらに一歩身を引いて、著者が本当の事を伝えているかどうかということだけでなく、そもそもどうして彼がこの主題を書いているのかを問う必要があった。




オンラインでは、概して答えはずっと簡単なものになりやすい。オンラインで書くほとんどの人は、単に書きたいから書いている。多くの活字刊行物の記事に見て取れるような広告会社の手のあとは、Webの記事には見られない。意識的にわかっていることではないのだろうが、それが読者がBusiness Week誌よりブログのライターを信頼する理由の1つなんだ。




私は最近、大きな新聞社で働いている友達と話した。彼は活字メディアは深刻な危機を迎えているのに、多くの活字メディアはそのことを認めていないと考えていた。「彼らはこの凋落を周期的なものだと考えているけれど、実は構造的なものなんだ」と彼は言った。




言い換えるならば、読者は離れつつあり、二度と戻ってこない、ということになるだろう。




どうしてだろう? 私の思うに、いちばんの理由は、オンラインの文章の方がずっと誠実だからだ。スーツに関するNew York Timesの記事をブログで読んだら、どんなに異様か想像してほしい。




ビジネスが下り坂であるときに、「小綺麗で堂々として思慮のある、それでいて袖口の仕立てのよさには思い切りおしゃれを感じさせる」といった、きちんとした恰好を奨励することは、不景気な時代の予期せぬ展開なのだ。




この記事の問題点は、単に広告会社がニュース元だから、ということじゃない。全体的にいんちきくさいんだ。お客さん相手にわかりやすく書く、あの調子なんだ。欠点が何であれ、オンラインで見る文章は真実味がある。それは、広告やプレス・リリースの切れっ端ででっち上げ、小気味よいジャーナリズムの鋳型にはめられた成型肉ではないし、きびきびした新聞の紋切り型でもない。自分の思っていることを書く人々の文章なんだ。




わたしは、このもうひとつの世界が出て来るまで、本流のメディアの文の大半がいかに作られたものであるのかを気づくことがなかった。べつにわたしはタイムやニュースウィークで読んだことをうのみにしていたと言うのではない。少なくとも高校生の頃以来、わたしは、そうした雑誌を情報源という以上に、何を一般人に伝えようとしてるのかというガイドのように考えるようになった。しかし、この何年か前までわたしは刊行物に文章を書くことが必ずしもそういう風に書くことではないのだと気づかなかったのだ。友達に手紙を書くみたいに、飾らずぶっちゃけて書けばいいんだ、ってことがわからなかった。




この変化に気づいたのは読者だけじゃない。広告業界も気づいている。アメリカ広告協会のサイトにある愉しげな記事は、期せずして事態の核心を言い当てている。




「ブロガーは組織や会社の代弁者になってしまうことを気にしている。まず何よりも、それこそが彼らがブログをはじめた理由なのだし。




広告業界の人々は、読者がブロガーを好む理由と同じ理由によって、ブロガーを恐れている。広告業界の人々にとって、悪戦苦闘が待っているかもしれない。あたらしい種類の文章が従来の媒体から読者を引き離していく中で、わたしたちは広告がその穴埋めをするかたちでどう変異を遂げていくにせよ、それに備えていくべきだろう。従来のメディアで広告会社が、どれくらい熱心に話題記事するために頑張ってきたかを考えると、従来のメディアにおいて広告会社が記事の仕掛けをものにするのにどれだけ熱心にやってきたかを考えると、彼らがブロガーたちにネタを提供するのにそれ以下の努力しかしないとは考えられない。






注釈




[1] 広報活動には少なくともひとつの有益な特徴がある。それは小さな会社に有利だと言うことだ。もし広報活動が機能しなくて、広告宣伝だけがその代替品だったら、大企業だけしか利用できない。




[2] 広告主は無料出版物には金をあまり払わない。読者はタダでもらったものは無視すると仮定しているからだ。それが多数の業界誌には名目上表示価格がついていて、タダで思い切り配られる定期購読がある理由だ。




[3] Timesの他の編集部はその基準にすごく違いがあるので、実質的に違う新聞だと言える。スタイルの編集部の記者にスーツの復権の記事を送った人は誰でも、一般ニュースの記者にも送ったかもしれない。




[4] 私の知っている中でこの種の最も印象的な「事実」は 1988年のインターネットワームが6000台のコンピュータに感染したと言うものだ。その事実がでっち上げられたとき私は現場にいて、そのでっち上げ方法は以下の通り:誰かが60,000台のコンピュータがインターネットにつながっていて、そのうちの10%がワームに感染したに違いないと推測した」


実際には誰も何台のコンピュータがワームに感染したか知らない。というのも対処法が再起動で、再起動すると(感染の)痕跡が全くなくなってしまうからだ。しかし世間の人は数字が大好きなので、この「事実」はインターネット上のいたるところに複製されている。それ自体がひとつのワームみたいにね




[5] 広告会社によって全部が提供される必要はない。記者はときどき彼ら自身のニュースソースを追加するからだ。ちょうど缶入りスープに新鮮な野菜を加えるみたいに。




Thanks to Ingrid Basset, Trevor Blackwell, Sarah Harlin, Jessica Livingston, Jackie McDonough, Robert Morris, and Aaron Swartz (who also found the PRSA article) for reading drafts of this.




Correction: Earlier versions used a recent Business Week article mentioning del.icio.us as an example of a press hit, but Joshua Schachter tells me it was spontaneous.