ポール・グレアムの「Web2.0」を翻訳しました。原文はココです。


この文章を気に入った人は、グレアムの著書「ハッカーと画家」も気に入ると思います。




Kumappus様、katsumushi様、tmasao様、shiro様(←「ハッカーと画家」の翻訳者だよ!)のコメントを反映させています。


ありがとうございます。






Web2.0




4月29日:ハッカーのための1日起業講習会。




2005年11月




「Web 2.0」って言葉に意味はあるのか? 最近まで、私はその言葉は何も意味しないと思っていた。でも真実はもっと複雑なようだ。そう、最初は無意味だった。今では意味があるように見える。また、その言葉が嫌いな人たちはおそらく正しい。というのは、もし私の考えているような意味ならば、私たちにそんな言葉は不要だからだ。




私が2004年にはじめて、「Web2.0会議」という名前で「Web2.0」という言葉を聞いた。当時は「ウェブをプラットフォームとする」ことを意味して使われていたようだった。私は、ウェブ・ベースのアプリケーションを意味するものと受け取めた。[1] だから私はこの夏の会議で、ティム・オライリーが議長として「Web2.0」の定義を明確にするセッションを開いたことに驚いた。ウェブをプラットフォームに使うことじゃなかったの? その言葉がまだ何かを意味していなかったなら、どうして私たちはそんな言葉を必要としていたのだろう?






由来




ティムは、「Web2.0という言葉が最初に使われたのは、オライリーとMedialive Internationalでのブレーンストーミングのセッションだった」と述べた。Medialive Internationalって何? 彼らのサイトによれば「技術トレードショーと会議のプロデューサー」なんだと。だからたぶん、それはこのブレーンストーミング・セッションが扱っていたものだ。オライリーは、ウェブに関する会議を組織し、どう呼ぶべきか考えていた。




私は、ウェブの新バージョンがあることを示す、よく練られた計画があったとは思わない。彼らは単に、ウェブを再び話題の中心に据えたいだけだった。それはある意味、言葉だけ先行したものだった: 何か新しいことが起きつつあるとわかったので、それがどういうものになるにせよ、"2.0"と呼ぶことにしたのだ。




彼らは正しかった。新しいものが現れつつあったのだ。しかし新しいバージョン番号は、しばらくの間、どこか妙だった。最初の会議に向けた売り文句を考えている間に、誰かが「2.0」は何について述べているのか、説明したほうが良いと決めたに違いない。




「Web 2.0」が何を意味しようとも、「プラットフォームとしてのウェブ」は、ちょっとばかし広い範囲を指していた。プラットフォームとしてウェブを意味する「ウェブ2.0」は、最初の会議後も、それほど長続きはしなかった。第2回の会議では、「ウェブ2.0」は民主主義に関する何かを意味しているようだった。少なくとも人々が「ウェブ2.0」についてネットで書くときには、民主主義に関する何かを意味していた。会議そのものは、あまり庶民的には見えなかった。参加費は2800ドルだったので、行く余裕があったのはベンチャーキャピタルと大企業の人々だけだった。




でも妙なことに、その会議に関するWired NewsのRyan Singelの記事は、「オタクの集団」と報じている。私の友達がこのことをライアンに尋ねたのだが、ライアンにとっては初耳だった。ライアンは「本当は『ベンチャー・キャピタルやビジネス参謀連中の集団』と書いていたのだが、後に縮めて「集団」としたところ、エディターが「オタクの集団」と拡大したに違いない、とのことだった。だってウェブ2.0の会議なんて、どうせオタクだらけだよねえ?




いーや、そんなことはなかった。オタクはせいぜい7人だった。ティム・オライリーでさえスーツを着ていた。その光景はあまりに異様だったので、私は最初のうち理解することさえできなかった。私はオライリーが歩くのを見て、オライリーで働く1人に言った。「あいつはティムそっくりだな」




「あ、ティムです。スーツを買ったんですよ」




私は彼を追いかけた。確かにディムだった。「タイで買ったばっかりなんだ」と彼は言った。




2005年のウェブ2.0会議は、次のホットなベンチャーを捜してうろつきまわるベンチャー・キャピタルでいっぱいで、バブル期のインターネット展示会を思い出させた。「乗り遅れまい」と固く決意した多くの人々によって作り出された、妙な雰囲気が同じだった。乗り遅れるって何に? 彼らは知らなかった。起こりつつあることなら、Web2.0と判明したものなら、なんでもだ。




またぞろベンチャー・キャピタルが熱心に投資したがっているというだけの理由で、私はこの現象を「バブル2.0」と呼ぼうとは思わない。インターネットは真に大きな取り引きだ。不況はブームと同じくらいの過剰反応だった。どん底から再出発さえすれば、この市場は大恐慌の前に鋭いピークを作った産業が、後に再び大きく成長したようになると期待されている。




これは第2のバブルにはならない。IPO市場がなくなったからだ。ベンチャー投資家は、リターンを得られる戦略を常に狙っている。彼らは90年代末に、カモとなる最終投資家に売りつけるために、どんな変なベンチャーにも資金を提供した。彼らは、笑ったまま銀行に直行できることを夢見ていた。現在ではそんな道は閉ざされている。現在では、起業のデフォルトの「上がり」戦略は買収されることだ。そして買収者はIPO投資家ほど無意味に活気づくということはあまりない。バブルを思わせるのにいちばん近いことをしているのは、Myspaceに5億8000万ドルを支払うルパート・マードックだ。それでさえ、(冷静な買収者にくらべて)せいぜいひとつ桁が違うくらいだ。






1. Ajax




「Web2.0」は、もう会議の名前以上の何かを意味しているのだろうか? 認めたくはないが、そうなりつつある。現在、人々が「Web2.0」と言うとき、何を意味しているのか、私は自分の意見を持っている。また、私がある言葉を軽蔑し、またその言葉を理解したという事実は、その言葉が何かを意味しはじめたという、いちばん確かな証拠なのだ。




確かにAjaxは、Web 2.0が意味するひとつの要素だ。私はまだおっかなびっくりでしか使うことができないんだけれどね。基本的にはAjaxとは「Javascriptがやっと使い物になるようになった」ってことだ。従ってそれはまた、ウェブベースのアプリケーションが、ますますデスクトップ・アプリケーションのように動く、ということを意味する。




あなたがこれを読むころには、Ajaxの利点を生かした全く新世代のソフトウェアが作られていることだろう。初めてマイコンが登場して以来、このような新しいアプリケーションの波はずっとなかった。マイクロソフトでさえそのことはわかっているが、時すでに遅しで、せいぜいが彼ら自身が新しいトレンドの先頭にいることを印象づけるように作られた「内部」文書をリークしてみせるぐらいしかできなかった。




実際、新世代のソフトはあまりにも速く書かれているため、マイクロソフトはつなぐことさえできていない。ましてや自社開発なんて到底無理だ。現在のマイクロソフトの唯一の希望は、Googleが買収してしまう前に、最良のAjaxのベンチャーを買収することだ。だがそれさえも難しい。というのも、生まれたてのベンチャー買収には、数年前からGoogleが大きくリードしているからだ。結局のところ、Googleが買収した最初のベンチャーはGoogle Map(正統なAjaxアプリケーション)だった。




とても皮肉なことだが、Web2.0会議の最初の記述は、ある程度、正しいことが判明した。ウェブ・ベースのアプリケーションは、Web2.0の重要な構成要素だ。でも私は、まぐれ当たりだったと確信している。Ajaxブームは、2005年の初め(Google Mapが現われ、用語「Ajax」が造られた)になるまで、始まらなかったんだ。






2. 民主主義




Web2.0の2番目に重要な要素は民主主義だ。みんなの努力を方向づけるまともなシステムがあれば、アマチュアは専門家をしのぐことも可能だということを証明する例がいくつかある。いちばん有名なのはWikipediaだろう。専門家はWikipediaは平凡だと評価したが、なにかポイントを逃しているのではないか。Wikipediaは使える程度には良いんだ。それにwikipediaはタダだ。ということは人々が実際に読むってことだ。ウェブでは、有料の記事は無いのと同じだ。あなたは読むために喜んで払うとしても、リンクできない。だから会話の一部にならないんだ。




また、何をニュースとするか決めることに関しても、民主主義は勝ちつつあるように思える。私は現在、ニュース・サイトはRedditしか見ない。[2] 大きな事件が起きたり、誰かが特に面白いことを書いたときは、Redditに現われると知っているからだ。なぜわざわざ、ある特定の紙もしくは雑誌の一面をチェックするのだろうか。RedditはWeb全体についての、質的フィルタが付いたRSSフィードみたいなものだ。同様のサイトには、人気面で急速にSlashdotに迫る技術ニュース・サイトのDiggや、del.icio.us(「タグ」ブームを巻き起こした共有可能なブックマークのネットワーク)がある。またWikipediaの主な魅力は、それが十分使いものになり、しかもフリーであるということだが、こういったサイトは投票者が人間の編集者よりもずっといい仕事をする、ということを示唆している。




ウェブ2.0の民主主義の最も劇的な例は、アイデアの選択ではなく、生産物の中にある。私はしばらくすると、個人サイトで読む記事は、新聞や雑誌で読む材料と同等かそれ以上であると気づいた。今私は別の証拠を持っている: Redditの上位のリンクは、ふつう雑誌やニュースの記事へのリンクではなく、個人サイトへのリンクなのだ。




雑誌に向けて書いた私の経験から、説明できるだろう。要は編集者なんだ。編集者は書くべきトピックをコントロールするし、通常はあなたが書いたものを校正できる。その結果、極端さが薄められる。編集すると95%の品質になる。記事の95%は改善されるが、5%は引き下げられる。時として5%は「オタクの集団」だ。




ウェブでは望むものはなんでも公表できる。そのほぼすべては、編集者が編集した印刷物に及ばない。しかし執筆者の集団はとても大きい。執筆者が十分に多い場合、極端さを薄める編集手段がないので、オンラインの最高の著作物は、最高の印刷物を上回ることなる。[3] 現在では、ウェブはよい記事を選択するしくみを発展させ、ウェブはネットの勝者になった。市場経済が計画経済を打ち負かしたのと同じ理由で、選択が編集を打ち負かした。




ベンチャーでさえ今回は状況が異なる。ブロガーが印刷メディアに取って代わるバブルの始まりだ。バブル期には「ベンチャー」とは、MBAが率いる、急成長のために数億円のVC資金を使う会社を意味していた。今ではベンチャーとは、何かを凄いことをすると決めた、若い少人数の技術的な集団のことだ。VC規模の資金を調達したければ、創業後にそう決定するだろうし、VCの資金を受けても、彼ら流の流儀で使うだろう。






3. ユーザを虐待しないこと




民主主義とAjaxが「ウェブ2.0」の一部であることはみんな同意してくれるだろう。さらに、もう3番目を付け加えたい。「ユーザを虐待しないこと」だ。バブル期の、多くの有名サイトはユーザら対して本当に横柄だった。あからさまな方法ではないにせよ、ユーザに登録させようとしたり、うっとうしい広告を見せようとした。90年代末の平均的なサイトのデザインは、まさに虐待だった。人気のある多くのサイトには、ブランドがデカデカと付けられ、ロードやユーザへのメッセージ送信を遅くしていた。「これは読者のサイトではありません、私たちのサイトです」ってわけだ。(似たような物質版が、ノートパソコンについてるインテルとマイクロソフトのステッカーだ)




問題の原因は、サイト側が「タダで何かを与えている」と考えていたからだと思う。最近まで、何かを無料で配布する会社は、かなり横柄になりがちだった。時としてそれは、経済的なサディストと言えるほどだった。サイトの管理者は「ユーザに苦痛を与えれば与えるほど、自分たちは儲かる」と考えていた。このモデルのいちばん極端な例はsalon.comだ。物語の最初を読めるのだが、残りを読むためには、動画を座って最後まで見なければいけない。




Y Combinatorでは資金を提供する企業家みんなに、「決してユーザに威張るな」と助言している。ユーザのためにデータを蓄積するのでない限り、決してユーザ登録させないこと。ユーザを登録させるなら、メール中の確認リンクをクリックさせることで待たせないこと。メールアドレスを必要とする事情がない限り、メールアドレスを求めてもいけない。不要な質問はいっさいするな。要求されない限り電子メールを送るな。フレーム・ページにリンクさせたり、新しいウィンドウ開かせたりするな。無料版と有料版があるなら、無料版に厳しい制約をつけるな。「ユーザにxさせてもいいだろうか?」と迷ったら、いつも答えは「Yes」にしておけ。間違うなら「寛大すぎ」の側にしろ。




「起業する方法」では、私は起業家たちに、「自分たちより下に潜り込ませるな」と助言した。つまり、他の会社により安く、より簡単なソリューションを提供させるな、ってことだ。他の会社の上を行くには、ユーザにより多くの力を与えることだ。ユーザの好きにさせよう。あなたがやらなければライバルがやる。そしてあなたは困った事態に陥るだろう。




iTunesはこの意味でWeb2.0的だ。ついにアルバムごとではなく、曲ごとに音楽を買えるようになったんだ。レコード会社はその考えを嫌って、あらんかぎりの抵抗をした。しかしユーザの希望は明白だった。そしてアップルはレコード会社の下に潜り込んだんだ。[4] でも実際には、iTunesをWeb1.5と呼んだ方がいいかもしれない。おそらく無料でデジタル著作権フリーの曲を配布するバンドこそ、音楽のWeb2.0と呼ぶべきなのだ。




ユーザにたいする究極の親切は、競合者が有料にしている何かを無料で与えることだ。90年代には、多くの人々が、おそらく今ごろには現実的な少額決済のシステムを持っているだろうと考えていた。でも現実には、事態は異なる方に進んだ。最も成功したサイトは、無料でコンテンツを提供する新しい方法を考え出したサイトだったんだ。Craigslistは、90年代の分類された宣伝サイトの大部分を破壊した。またOkCupidは旧世代の出会い系サイトに対して同様のことをしているように思える。




ウェブ・ページのサービスに必要なコストは非常に安い。1ページビューにつき数分の1円さえ得られれば、利益が出る。また、広告対象を絞り込む技術は向上し続けている。10年後にはeBayが、広告つきのfreeBayに取って代わられても、私は驚かないだろう。(gBayの可能性のほうが高いかな?)




変に思うかもしれないが、私たちは起業家たちに、できるだけ利益を少なくするよう努力しろと言う。10億ドルの産業を5000万ドルの産業にする方法を考え出すことができるなら、あなたが5000万ドルを独り占めするよりずっといい。しかし実際のところ、しばしば低価格化は最終的にかえって多くの利益を生むことがわかる。


最終的な目標はマイクロソフトだ。フリーでウェブベースの、MS-Officeの代替となるソフトを誰かが提供したら、大爆発が起きるだろう。誰がやる? Googleだろうか? それにしちゃ遅すぎる。私はそのピンを抜くのは、恐れ知らずな数名の20歳のハッカー集団だと思う。(どれくらい困難だろうか?)






4. 共通点




Ajax、民主主義、ユーザを虐待しないこと。


それらの共通点は?


私は最近になるまで、それらの言葉に共通点なんてないと思っていた。それが私が「Web2.0」って言葉が大嫌いな理由の一つだった。


それは新しい事態をなんでも指す、何も予測できないラベルのように思えた。




でも共通点がある。


Web2.0とは「Webをかつてとは違う方法で使う」ってことなんだ。


我々が今見ているトレンドは、単にバブル期に押し付けられた壊れたモデルの下から浮かび上がってきた本質を継承しているに過ぎない。




ジョー・クラウス(Exciteの共同創立者)の出版前のインタビューを読んで、私はそう悟った。[6]




 Exciteには全くビジネスモデルがなかった。私たちは新しいメディアがどのように旧メディアの実態や、コンテンツや、ビジネスモデルと折り合っていくかに関する古い問題に直面した。失敗し、よりよいモデルが現れた。




バブル崩壊後の数年間は、たいしたことは起きていなかったかと思うかもしれない。しかし振り返ると、何かが起きていた。Webはあるべき姿を探していたんだ。例えば民主主義的な要素は、革命ではなく、どこかで誰かがたまたま作るものだ。ウェブが自然に生み出すものなんだ。




Dittoはデスクトップで使っている感覚のアプリケーションをWebで提供するアイデアだ。その考えはウェブとほぼ同時に始まったくらい古い。最初はSunによって、Javaアプレットを生み出した。Javaはそれ以来C++の新たな代替として再開発された。しかし1996年には、Javaはソフトウェアの新しいモデルを示すものとして語られた。デスクトップのアプリケーションの代わりに、サーバーから送られたJavaアプレットを実行する。




その計画は自らの重みで崩壊した。たしかにマイクロソフトも崩壊に手を貸したが、いずれ死んでいただろう。ハッカーに理解力はなかった。宣伝CMが次世代の開発プラットフォームを宣伝しだしたら、それは次世代の開発プラットフォームにならないと確信を持って言える。もし本当に次世代のものならば、広告なんて必要ない。なぜってもう凄腕プログラマが主要なプログラムを書いてしまっているからだ。Googleですら気づかないうちに、BusmonsterのようなサイトがGoogle Mapをプラットフォームとして使用したように。




Ajaxが次世代のホットなプラットフォームであることは、何千ものハッカーが自然にAjax上で開発を始めたことによって証明された。Mikeyもそれが好きだ。




Web2.0の3つの構成要素全てが共通して持っている、何か別のものがある。ここに手掛かりがある。以下のようなWeb2.0起業のアイデアを持って、投資家に会うと考えよう。




「del.icio.usやflickrのようなサイトは、ユーザがコンテンツにタグをつけることができるようにしています。でも彼らが見落としている、もっと大きな暗黙のタグのリソースがあるんです。それはウェブ・リンク内のテキストです。さらに言えば、これらのリンクは、ページを作った個人や組織をつなぐ社会的なネットワークを示します。またグラフ理論を使えば、このネットワークから各メンバーの評価値を計算できるんです。私たちは、これら暗黙のタグのためにウェブを調べ上げ、人気度と組み合わせてWebの検索力を上げたいと思います」




これがGoogleについての説明だとわかるまでに、平均してどれくらいかかると思う?




Googleはウェブ2.0の3要素のすべての先駆者だった。Googleの主要な業務は、Web2.0の用語で書くとめちゃくちゃイケてる。「ユーザを虐待するな」は「邪悪になるな」で、GoogleはGoogle MapによってAjaxブームを盛り上げた。




ウェブ2.0とは、その使用目的のためにウェブを利用することだ。そしてそれがGoogleの行っていることだ。それがGoogleの秘訣なんだ。ウェブは自然に穀物を生みだし、Googleはそれと協調する。それがGoogleが努力なしで成功したように見える理由だ。印刷業界のように、無風の中に座ってビジネスモデルのために祈るのではなく、マイクロソフトやレコード会社のように顧客を告訴することで風上に向かってジグザグに進もうとするのでもなく、Googleは風に乗って進んでいるんだ。[7]




Googleは、何かを自社のために起こそうとは考えない。彼らは何が起こるか予想し、それが起きたときに中心にいるために準備しようとする。それが技術を扱う方法なんだ。そして、ビジネスの技術的要因が増しているときには、正しいビジネスの進め方なんだ。




「GoogleはWeb2.0の会社です」と言うことに意味はあるが、言葉がちょっと間違っている。「逆症療法」という言葉のほうがいい。それは物事を正しく行っていることを意味する。そしてもしあなたがそれになにか特別な言葉をあてはめているのだとしたら、それは悪い兆候だ。






注釈




[1] 2004年6月の会議から:「ウェブの最初のブームはブラウザに大きく依存していましたが、第2のブームはウェブに関係なくアプリケーションを拡張し、新世代のサービスとビジネス・チャンスをもたらします」この言葉はかなり広い範囲について何でも当てはまるが、ウェブ・ベースのアプリケーションに関連しているように思える。




[2] 開示:Y CombinatorはRedditに資金を提供した。身内びいきのためにRedditを使いはじめたのだが、ヤミツキになった。While we're at it, I'm also an investor in !MSFT, having sold all my shares earlier this year.




[3] 編集に反対してるんじゃない。私は執筆よりも多くの時間を編集に費やしている。また私には、書くものほとんどすべてを校正する辛口の友達がいる。私がイヤなのは、編集が真実を隠すために他人によって行われることだ。




[4] 「明白」という言葉では控えめだ。アップルがやっとドアを移動させるまで、ユーザはしょっちゅう、窓から家に入らされていた。




[5] ヒント: ウェブ・ベースのOffice代替ソフトを書きたいなら、すべてのコンポーネントを自分で書くのではなく、ウェブ・ベースのアプリケーションを多数のサーバーに用意し、仮想的なホームディレクトリーを共有するためのプロトコルを確立すればいいかもよ。全部自分で書いてもいいけどさ。




[6] そのインタビューはJessica Livingston's Founders at Workのもので、2006年にオーライリから出版予定。




[7] マイクロソフトは顧客を直接訴えたりはいなかった。でも奴らは、SCO社の告訴をさまざまな方法で支援したように思える。




原稿を読んでくれたTrevor Blackwell、Sarah Harlin、Jessica Livingston、Peter Norvig、Aaron Swartz、Jeff Weinerと、質問に答えてくれたO'ReillとAdaptive Pathの人々に感謝する。